子供の頃に読んだ昆虫記では、フンコロガシなる虫の観察記録が綴られていた。見たことも無い虫の不思議な習性に、驚いたことは覚えているが、そこには冷静な記録がある以外に、何の教えも無かったように思う。自然に学ぶという話は、彼の頭の中には無く、単に愉しむ為のものだったのかも知れない。
自分の意見を加えながら記録されたものなら、おそらくこんなに長い期間読み続けられることは無かっただろう。正確な記録とはまさにこのようなものと、今なら思うのかも知れないが、子供の頃の頭には、そんな思いが過ることも無かった。それでも、詳細な記録は場面を思い浮かべさせるに十分だったし、見たことも無いようなものへの興味が浮かぶに至っては、彼の思いは十分に伝わったと言えるのではないか。それに比べて、と言うのも面倒に思えるが、最近は、何やら学ぶ為の書物が世に溢れている。生き物はこれ程巧みだとか、頭の良い生物の生態を伝えるものなど、枚挙に遑が無い程だが、さて、人間の思いを交える必要が、何処にあるのかと。この考え方が、何処から生まれたのかは全く判らない。昔の偉い人々が見出したものは、単なる観察や思考に基づくものだったが、それを更に発展させ、それらしい解釈を加える人々が出てきた結果、生き物の不思議が作り出されることとなった。本能という、何か得体の知れないものに対して、どんな見方を施すかは、人それぞれに違う。ヒトという生き物は、多くの動植物の中でも、本能によるものを見つけることの最も難しいものと言われる。そんな区別など、生きることにとっては何の意味も持たないことは事実だが、考える葦にとっては、何かをしたかったのだろう。だが、そんな無理矢理の考えを押し付けられたとしても、何の役にも立たない。学んだ気になりたい人は別にして、ただ眺めることで十分なのではないか。
節電に嘘があるとの声もあるが、どんなものか推測の域を出ない。いずれにしても、何もかも悪い方に考えたい人にとっては、次々に降って湧く話をどう受け取るかが問題のようだ。では、そうでない人たちは、どうしているのか。疑いの気持ちを抱きつつも、社会秩序を優先して、あらゆる協力を惜しんでいないのだろう。
贅沢三昧との気持ちはないものの、こんな社会情勢では変更を余儀なくされたのだろう。不平不満を押し殺しながら、あれこれと工夫を繰り返す。無理が重なれば困るだろうが、少しくらいの変更は仕方なしとの思いがある。ただ、様子を眺めていると、体調を崩す人も出ているようだし、色々な問題が生じているらしい。その一方で、外圧による変更とは言え、それまでとは異なる習慣の導入が、新たな展開を招いたものもある。悪いことばかりじゃないと、少しくらい言っても良さそうだが、その気にはならないらしく、すぐに話題を暗転させる。自分の周りを眺め回しても、様々な様子が窺えて、面白いものだと思う。最も影響の大きいものとして、悪者扱いされた空調も、体調悪化の状況では復権の兆しが見えてきた。但し、季節の流れは別の意味で、その必要性を下げているのだが。空調を止めれば、外気を取り入れるのは普通の流れだろう。隔絶された世界を築いていたものが、外との関わりを強めたとき、色々な変化を目の当たりにするのは、当然のことかも知れない。自然の営みによる音も、画面から出た人工的なものでなく、身近な自然から来るものとなれば、また違った感覚があるのではないか。これだけでも、節電の効果と言えないだろうか。
半年程前のあのことで、この国が大きく変わると思った人は多い。確かに、以前の災害と同様に、大きな影響が広がり、人々が苦しみに陥った。だが、そんな中で旧態依然とした姿勢を貫き、自らの愚行を反省すること無く、他人の苦しみを弄ぶ人々が居て、そこを見る限り、何も変わっていないことに気付かされる。
この話は直後にも書いた記憶があるが、大きな衝撃を受けたとき、人々はそれまでの馬鹿げた行動を省みて、方向を大きく修正すると言われ、個々の判断に基づく決断では、まさにそちらに向かいそうな気配さえ見えた。その場での心配は、それが長続きしないことであり、他力本願の姿勢が蘇るにつれ、元の木阿弥と化すことだった。ここでの他力こそが、始めに書いた不変の姿勢を貫く組織であり、たとえ愚行を繰り返したとしても、反省に結びつくこと無く、次々に棚に上げるだけか、あるいは、放り投げるだけのことなのだ。噂話を裏付けなく垂れ流したり、一部に偏った情報提供により世論を操作したり、そんなことの繰り返しにより、ものを考えない人に溢れた社会を築いてきた人々は、自分たちに有利に働くと思えることのみに力を注ぎ、弱者を追いつめたり、標的探しに精を出してきた。流石に、直後には目が覚めたように振る舞ったものの、不利なものまで流さねばならない状況に耐えきれず、あっという間に気楽な商売に戻ってしまった。情報の重要性を強調する一方で、自ら流す情報の偏りには目もくれず、筋書き通りの展開を好んで伝える。不安を煽るのが最強の武器と気付いた人々にとって、千載一遇の機会とばかり、嘘で塗り固めた話を作り上げる。他人の嘘には極端な反応をし、自らのものには気付かぬ振りをするのでは、信用も何もある筈が無い。結局、明らかになったのは、この国が変わらないということだけだ。
世の中は悩みに沈む人ばかりのようだ。犠牲者は数知れず、数字に表れたものだけでも、かなりと言われる。それでも氷山の一角と称され、実態は殆ど見渡せないとされる。一方で、皆と同じであることを望む人の多くは、流行に遅れてはならじとばかり、自らの症状を過大に評価し、多数派に加わっているようだ。
社会問題として何度も取り上げられるが、解決策は未だに見出せず、苦悩に沈む人々を救うことは困難を極める。精神的な不安定は、海の向こうからの処方によれば、薬と専門家による相談により、快方に向かうとされるが、この状況を見る限り、それらが殆ど功を奏していないことが判る。症状を和らげることのみを目指す薬物療法にしても、専門家と称する人々との会話にしても、真に問題を解決するには程遠く、渦中の人々は苛立ちを隠せぬまま、自分の内から湧き上がる問題に、立ち向かうこととなる。だが、孤立を極める人々にとって、何が救いになるのか、現状はその兆しさえ見出せない。専門的な処置が主流となるに従い、この問題は深刻化するばかりで、何処か間違った方に向かっているとしか思えないが、当事者たちは自らの方針を信じ、変えようとはしない。これらの治療法の発信源となった国でも、同じような悩みが広がるばかりだが、こちらとしては、それらが入り込む前の状態を思い出し、違いを焙り出す必要があるのではないか。これ程多くの人々に、悩みが広がる資質があるとすれば、日常的に行ってきたことに、意味を見出せる可能性がある。特に、周囲の人々との関わりには、もっと重要な役割があったのではないか。たわいない日常的な会話や、ちょっとした相談について、今では殆どその価値を認めていないようだが、こんな状況に追い込まれてみると、専門家や特効薬に頼るより、手軽な処置の方が遥かに効果を持っていたように思う。と言っても、これらの効果は、相談された人の力によるのではなく、相談を持ちかけた人間が、本来持つ力によると思える。これらの時間を切り捨て、関わりを希薄にしたことに、根源的な問題があるのではないか。
騒動の原因は何か、と考えたくなる展開ではないか。検査済なる表示がなされ、恰も保証がなされたかのように見える。だが、何をどう保証したのか、つい先ほどまで騒いでいた人々は、何処まで理解したというのだろう。想像するしか無いが、始めから何の理解も無かったとするのが適切で、ただの空騒ぎだったのでは。
放射線の危険性を次々に並べる記事に、恐怖に戦く人々の顔が浮かぶ。誇大広告の如く、勢いに任せて差し出された情報が、如何に偏見に満ちたものかは、別の立場の人々の見解を聞くと判ってくる。だが、騒動の主たちは、冷静な判断より、過激な脅しの方を好むようだ。耳を貸す価値のないものの方に、より集中することに、まともな判断力を備える人々は、理解に苦しむだろう。ところが、騒ぎの広がりはこの種の人々が担い、根も葉もない噂が姿を現すこととなる。では、件の話はどうなのか。放射線の源は、既に何度も書いているように、人為的な産物だけでなく、自然に溢れている。保証がついたものについて、前者のみが調べられたようだが、後者についての検査も行ったらどうか。真実を伝える義務が誰にあるのか判らないが、人々が日常的にどれほどの放射性物質を摂取し、どれだけの放射線に曝されているのか、どのみち伝わらない話とは言え、正確な情報を流すべきだろう。更に言えば、疑惑の産地だけでなく、他の産地に関しても、輸入品も含め、全ての正確な量を測り、数値を示した上で、安全性を保証すべきと思う。中途半端な保証を繰り返し、また何時の日か破綻を来すという繰り返しが、また再び行われるのかと思うと、他人事とは言え、心配になってくる。表面を撫でるだけの情報提供や伝達に、厳しい指摘が必要だろう。
大都会の駅の近くに、周囲とは大きく異なる風景が広がる。高層ビルが建ち並ぶ傍に、古ぼけた建物が窮屈に並び、違う時代に迷い込んだのかと思える程だ。これらは住宅ではなく、何らかの商いをする場所で、駅近くという至便性から、格安の飲食店を営む所が多い。都会のど真ん中で何故、と思える存在である。
これらの起源は七十年近く前に遡る。焼け野原と化した場所に、いつの間にやらバラックと呼ばれる掘っ建て小屋が建ち並ぶようになり、怪しげな品を商うこととなった。闇と呼ばれた品物の多くは、正規の経路を辿ったものではなく、価格の設定も確かな根拠によるものではなかったらしい。と言っても、その光景を直接見た訳ではないのだから、こんな話もどれほどの信憑性があるのか、はっきりしない。ただ、破壊の極みの後で、人間がどんな行動を起こしたのか、といった観点から、興味深い話であることは確かだろう。もし、今回の震災との違いを表現するとしたら、社会全体の混乱の中、バラックとは言え、誰に頼ること無く、自らの力で築いた点にあるのかも知れない。ただ呆然と眺めるだけ、といった姿が何度も画面に現れていたが、昔の姿はそんなものではなかった。一方で、興味が持てないからなのか、見向きもされなかった人々の中には、自立的な行動を起こしていたようで、既にその勢いは現れ始めている。一部の例外、という意味では、どちらの例においても同じことだろうし、大衆としては、皆と同じ行動に偏ることは当たり前のことだろう。違いとして、無理矢理見つけ出そうとすることも大切なのだろうが、その一方で、共通点を並べることも必要だろう。政を行っている人々の無能ぶりには、大した違いが無かったのだから、その後の展開を支えたものは何か、すぐに見えてきそうな気もする。今回の惨事も、後になってしまえば、懐かしく思い出されるだけのことで、復興の道筋ははっきりと見えるものになっているのではないか。
大災害という共通点から、七十年近く昔の出来事との比較を、多くの識者に頼んだ企画がある。経験がどのように生かされるのか、といった観点からのものと思うが、比較は違いへと集中し、異なる経験への結びへと繋がった。一段落ついた時、企画者の感想が示されたが、ここでもまた、そんな空気が流れた。
あの時は、未来が見えない中で皆不安を抱いてきたが、何かを夢見て、先に進むことを決断したと言われる。それに対して、今回は同様の不安が拭い去れないままに、立ち尽くす人が多いといった指摘が多く、払拭の為に、国など周囲からの力を期待するといった声が届く。このような意見に対し、顕著な違いとする動きがあり、それが総括として並べられたのだと思う。だが、こういった比較において、重要な違いが無視されていることに、違和感を覚える人もいるのではないか。つまり、ある程度の結論に達したものと、未だ結論への道筋を歩んでいるものを、どう比較するのかといった問題である。結論が出たものは、たとえ、一時の不安があったにしても、そこには到達した地点が存在する。しかし、現在進行形のものは、依然としてどちらに向かっているのは判然とせず、不安が解消されることもない。そのような不安定な状況で、比較をする為には、現時点と同様な時期に、前例ではどのような状態にあったのかを、しっかりと検討する必要がある。歴史の検証として、そんな姿勢が重要なのだが、識者とは言え、そんな手法に馴染んでいない人々から出される意見は、結果と途中経過を比較するという、ごく普通のやり方に基づくものとなる。ただ、人々の記憶ほど不確かなものは無いから、たとえ、そんな試みをしたとしても、別の歪みを招くだけのことだろう。過去に学ぶという企画も、結果としては、不十分な結果に終わったということか。