こんな状況だから改めて考える、という訳でもあるまいが、今の自分があるのは何故か、ふと思うことがある。生まれ育った環境とそれ以降の展開、そんな所に自分が成立した源を求めるのも良いが、もっと長い時間感覚が、こんな時代だからこそ必要になる。自分が育つ土壌を作ったのは誰か、どんな背景があるのか。
学校で歴史を学んだ頃、何故役にも立たない事柄を覚える必要があるのかと思った人は多いだろう。今の自分にも、また、将来の自分にも、何ら関係のないものに、これ程の力と時間を注ぐ意味があるのかと。何十年も前のことでも、こんな状態だったのだから、今を生きる若者たちにとっては、試験という行事に関係のある事柄に過ぎず、頭に留める必要の無いものという感覚が強いのではないか。今更、君たちが今ここに在るのは、先人たちの積み重ねの結果と、ごく当然の連鎖を説いても、我関せずの反応が返るのが精々だろう。眼前の問題の山に、どう立ち向かったら良いのか戸惑う中で、昔のことなど目に入らぬといった雰囲気だ。だが、その一方で、失われつつある先人の知恵や家族という環境の問題など、様々な繋がりを思わされる事柄は多い。親や祖父母という程度の近い先祖の存在だけでなく、更に遠い過去の出来事が、今の自分の存在を確かなものにしているのは理解できるものの、では、この国の過去の歩みが。自分の存在にどう影響を及ぼしたのか、そんな方に思いを馳せるとなると、難しくて御免という反応が出てしまう。今のこの国があるのは、どんな理由によるのか、この繁栄が成し遂げられたのは、何故なのか。更には、今の凋落ぶりの原因は何処にあるのか。今を見るだけでは気付けない、何か大きな要因が此処彼処に落ちている。それを改めて探すことに、何かしらの意味を見出せそうな、そんな転換期に来ているのかも知れない。
生り年なのか、裏年なのか、その季節が来る度に、期待に胸を膨らませる。自然の恵みという見方からすると、自然の脅威が噴出したこの年、どんな恵みを期待すべきなのか。汚染などという言葉が踊る世間では、本来は恵みである筈のものも、汚された存在となってしまう。何とも複雑な思いが入り混じっているようだ。
子供の頃に食べた実の種を、小さな庭に投げ捨てた結果、そこから出た芽は大きく育ち、見事な実を結んできた。秋も深まるこの時期に、青空に映える赤黄色の実は、年毎にその数を大きく変える。生りの具合に一喜一憂する人も居れば、季節の移り変わりとはまた違った変化に、自然の営みの不思議さに驚く人も居る。何が原因となるのかは判らないが、数の変化は明らかなだけに、気候のせいなのか、その他に原因があるのか、何処かに理由を求めたくなるものだ。天変地異も、その中の一つかも知れないが、今回の自然への影響は、大本にそれがあるとは言え、大きなものはその後の人為的な要因によると言われる。遠く離れた地とは言え、何か大きな変化を目の当たりにすると、人間は何とか結びつけたいという欲求が出てくるのだろうか。今回の実の数は、ここ数年と比べても、爆発的と表現したくなる。十年近く前に、まだ樹の勢いがあったと思えた頃、四百程がたわわに実っていた。その頃に戻ったかと見紛うくらいの状況に、喜ぶべきか、別の感情を起こすべきか、ある意味どうでも良いことだが、そんなことを思いながら、次々に切り取られる実の枝の始末をした。接ぎ木をしなかった樹は、当然渋い実をつけるのだから、その後の手間をかけねばならぬ。多過ぎる数に、引き取り手を捜しつつ、久しぶりの豊作に、吊るした姿は壮観なものだ。
何故、話し合いに参加できないのか。普通に考えても、さっぱり判らない。それを、誰が考えても、と置き換える話となると、更に理解不能に陥る。自分の主張を正当化する為に、こんな言葉を弄するとしたら、その人物に対する信用は、価値の無いものとなる。そんなことまで浮かぶ程、訳の分からぬ状態にあるのか。
不安を煽ることを先頭に立って行いながら、最近、別の手法を駆使し始めたのか、安心を謳う必要を説いている。不安への怖れを、都合良く使うことが、世論操作において最も有用な手法と、一部では強く言われているが、当事者たちは、自らが中心となっているだけに、それに気付かぬ振りを続けながら、別の手立てを講じるのだろう。また新手の操作が始まったか、と思ったとしても、振り回される人々が、それに気付かねば、何も変わらないものだ。数学の世界では、新しい理論を編み出したとしても、たった一つの例外が示されれば、折角の完成物も灰燼に帰す訳だ。全てに当てはまることを絶対条件とするものであれば、こんなことは当たり前なのかも知れないが、頭の中の世界と違い、目の前に広がる世界は、全てのものを満足させるより、その中の大小関係を計算に入れて、均衡を図ることの方が、遥かに重要なこととなる。実社会では、そんなことを常に考えつつ、流れを作ることに力を注ぐ訳だが、どうも、最近の流れの中では、極端な動きばかりに目が向くようだ。そんな形で注目を浴び、自らの正当性を確立させれば、自分の主張が受け入れられ易いとばかり、無理難題を相手に押し付け、自らの論理では安直な流れを築く。それこそが、多くの人の賛同を得る為の条件となり、複雑で入り組んだ論理は歓迎されないとばかり、様々な仮定を採り入れ、分かり易く仕立てる。だが、現実には無理な仮定をした結果、早晩に破綻を来すこととなり、それこそ灰燼に帰す筋書きとなる。様々な要素を考慮に入れ、均衡を図ることこそが、交渉の条件と見るべきだろう。
拒絶できないことを特徴とする国民性に、苦言を呈する声が高まる。そんな人々が政治家になり、自らの責任として、国や自治体の行く末を決める立場となる。代表としての責任や多くの可能性を見極める力など、本来身につけていなければならない能力に、果たして適性があったかどうか、怪しげな様子が続く。
議論に加わるかどうかに、これ程賛否両論が出されるのは、一般的な考え方からすると、理解し難いことではないか。特に、議論の進展により、様々な利害が入り混じるとなれば、それに加わるかどうかは、将来の道筋を決められるかどうかに関わるように思える。にも拘らず、そこに居ることが悪のように扱われると、何を根拠に、そんなことを考えるのかとなる。議論の場に居れば、そこで反対の声を上げることは難しくなり、様々な圧力に耐えられず、賛成するに違いないとする考え方は、始めに書いた、国民性の問題がその後も継続しているとの判断から来るのだろう。だが、その肝心の話は妥当だったのだろうか。注意を引く為に、極端な表現を用いるのは、この時代の流行とも言えるもので、それが目立てば目立つ程、関心を呼ぶと思われていた。その見方からすると、議論の場や会話の中で、肯定の表明のような態度をとっても、実際にはそうではない、ある意味強かな考え方があっても、それを認めるより、全てが表面に現れたものとする解釈が使われたのではないか。特に、相手がどう見なすかを強調することで、自分の考えが必ずしも受け容れられないとし、そこに厳しさがあるように見せたのは、そんな背景があったからかも知れない。だが、苦言を呈した人々が、渦の中に巻き込まれた途端に、あやふやな態度をとるようになり、真意を探らずに主張を受け入れるのを見ると、真の問題はその辺りにあるように思えてくる。今回の経緯からは、そんなこと位しか見えてこないようだ。
大きいことは良いことだ、というのはある時代に流行った宣伝の文句だが、良いことばかりではないと、皆が思い始めたのではないか。小さな組織を合わせ、大きな体制を作ることは、多くの場合、効率化や地力を高めることに繋がると、その良い点ばかりが取り上げられた。ある日突然、破綻が話題となり、驚くばかりとなる。
企業の合併において、互いの土壌の違いに、先行き不安は隠せない。一緒になることで、様々な利点が指摘されるが、その裏に、難点が山のように積まれていることに、光を当てることは少ない。隠しておけば、そのうち消え去ると甘い見方をした訳ではないだろうが、悪いことに目を向けなければ、楽観的な見方が大勢を占めるようになり、明るい未来が築けるとでも言うのだろうか。様々な問題が徐々に明らかとなり、その解決に関係者が奔走する。それでも、企業という形態であれば、去る者は去り、関わる者は一体となるから、協力関係は強固となり、急速とはいかぬまでも、それなりの解決に向かうだろう。だが、国という独立した組織が単位となると、そこでの合体は更なる困難を伴うのではないか。一つ一つの国は、それぞれに独立した存在であり、自らの判断が全てを決めるものである。ところが、そこに巨大化の力が働いた結果、自らの判断より、全体の判断が優先され、追認せざるを得ない状況に追い込まれる。何事も、意図した通りに良い方向に動いている限り、こんな窮地に追い込まれることは殆ど無い訳だが、現実は上がったり下がったりの繰り返しとなり、悪くなる時の対応が重要となる。常に良いことばかりに目を向け、明るい方を向きたがる人々には、こんな話は歓迎できないものと思うが。
食料自給の話は、様々な問題を提起するようだ。世界が一体化するとの観点からは、自分で何とかする必要など無く、互いに行き来させることで十分となるが、その一方で、自分の都合だけで何とか、という訳にもいかない。更に、様々な格差が絡むとなれば、問題は複雑になるばかりで、答えは簡単には見つからない。
食料の多くは加工されたものに違いないが、その原材料についても自給率が適用されるとなれば、農産物に関して、自分たちの力を保つ必要がある。農家がそれぞれに努力を続けていた時代から、ある組織がそれらを繋ぐことで、より大きな収益を目指す時代となり、組合という名前からも、何かしら利益代表的なものに映ることとなった。始めのうちは、新たな技術の導入や紹介などに、効果を上げていたように見えたが、ある時期を境に、その様相は一変する。一般の組合活動が、社会的に効果を保てなくなった時期に、こちらの組合も、その限界を見せ始めたのだ。紹介される技術は役に立たないものばかりで、耳を傾ける必要がないとの苦情が増え、農業を知らない職員が、何処かから流れてきた宣伝文を、そのままに口走る。細かな質問に答えられる筈も無く、役立たずの罵声さえ浴びせられる始末。職業意識の低下が招いたこととは言え、社会全体にそんな方向性を持ったことが、こんな現象に繋がったのではないだろうか。これ程までに信用を失い、その存在意義にさえ疑いが向けられた中で、あることへの反対運動が盛んになると、またぞろその名前が紙面を賑わすこととなる。これまでの経過から見れば、狭い視野に基づく、身勝手な分析が並んでいると思われるが、事実は如何に。
ある会合で知り合った人は、毎年ある場所で作品展を開く。元々は工学系の学部を出て、趣味が高じたような仕事をしていたが、ある時、その限界を感じるのと並行して、地元の伝統工芸に身を投じた。世襲が当たり前の世界に、地元という繋がりのみで入り込むことは、簡単なことではなかったろうと思う。
その作品には伝統に結びつくものだけでなく、意外な造形が含まれている。始めの仕事と関係する車の模型や、器を中心とした伝統とは異なる干支を象った置物など、依頼があればそれに応えようとする。芸術家と呼ぶには、少し違った雰囲気が漂う。ただ、日常の営みからは、少し遠ざかったような話の内容には、普通との違いが現れていた。会話の中で話題に上ったのは、見えない恐怖に関する質問。ここで何度も取り上げた話をかいつまんで紹介し、世間で騒がれるような危険性は殆ど無いことを説明したが、理系を歩んだ人とは言え、既にそれは過ぎ去った日々のこと、理解に苦しむ表情が出ていた。隣に座る伴侶は、彼らの子供たちに対する心配として、その話を聴いていたが、少なくとも、それまで画面や紙面を賑わしていた、根拠よりも感情を前面に押し出した話より、聞く価値があると見えたようだ。不特定多数を対象とした場では、同じ話がそれぞれに違って伝わることが度々ある。それが誤解を招き、過剰な反応を導くこととなっては、話し手の意図は、全く正反対に結びつく。その点、少数を相手に、互いの理解を深めながらの話では、それぞれの反応を見つつ、話の道筋を明らかにできる。沢山の人を相手に話す役割は、巷で少人数の会話での役割より、遥かに重要であるとされるが、正確さや効果のことからすると、全く逆の位置にあるのではないか。ゆっくりとであるが、確実に正しい情報を伝えることは、本来の人間の姿に近いものだろう。