不便を強いられた時に、不満を訴える。本人には当たり前と思われることだが、便利が当然という考えがそこに据えられていることに、疑問を抱くことは無いだろう。そこに科学技術の進歩があるとしても、その恩恵に浴するという感覚より、あるのが当然といった感覚しか残らない。これも一種の馴れと言えるのかも知れない。
雪に閉じ込められた人々は、それまでの生活が乱されることに、不平が並ぶ。行動範囲が広がり、何でも手に入る環境に、こんな状況は権利が奪われたような感覚さえ浮かぶ。暗く長い冬といった表現は、既に死語の如く扱われ、誰もが平等に権利を手にする、という思いが有ったのだろう。半世紀も前なら、全く違った様相が目の前に広がり、映像を懐かしく眺める人々は、そんな暗い印象は不要のものと、投げ捨ててしまったようだ。便利の為には、環境の整備が重要なのだが、暮らす人々にはその感覚はない。やっと手に入れたものが、当然のものとなり、失うことに不満を漏らす。こんな流れを眺めるにつけ、半年程前の騒動に思いを馳せる。電力供給が逼迫し、強制的な制限が課せられた時、その地域に暮らす人々には、思いもよらぬ抑圧がかかることとなった。成る可く被害を小さくして、という配慮が有ったものの、当然が奪われたことにより、振り回される人が急増し、暗い生活に思わぬ圧力を感じたようだ。喉元過ぎればといった感覚で、既に過去のこととして、二度と起きないと思う人も居るが、今各地に広がる冬の脅威は、それが人為的なものでなくとも、起こりうることを見せてくれる。じっと我慢をすれば、という声が聞こえる一方、利便性を奪われた人々の、権利を奪われた不平不満が積み上げられる。欲望の一言で片付けるのは、困っている人々に失礼なのかも知れないが、我慢と欲望、何とも言えぬ対照ではないか。
最新の技術を盛り込んだのに、何故?そんな調子で、業績の落ち込みに、原因を見出せない様子が伝えられる。この姿に、国の衰えを感じ、不安を更に膨らませる意見が出る。筋書き通りの展開から、悲観論を並べ立てれば、鵜呑みにする愚民たちは、思惑通りの反応を繰り返す。これが演技でないなら、何なのか。
高い技術水準を誇り、世界を席巻していた時代を、懐かしむ声が聞こえるが、その状況に、何処かで見たことが、という指摘は無い。三十年近く前、ある国はそれまでの絶対的な地位から滑り落ち、輸入品に圧倒される市場に、様々な制限をかけ始めた。その滑落に一番の力を示した国が、今や、追い落とされ始めている。市場の要求に応え、様々な新機能を盛り込む。そんな手法で、技術を誇るばかりで、開発への姿勢が硬直化してしまった企業の、古臭い製品を市場から追い出した。こんな展開で、まさに日の出の勢いを見せた国が、何故凋落するのか。金持ちへの販売に力を入れ、魅力を訴えることで、市場を開拓したのに対し、今の状況は、貧乏な国が少しずつ購買力を得た中で、要求に応えることが必要となる。車の操作位置を動かしてまで売り込む姿勢は、要求を満たす為だった筈だが、今では、貧乏人の要求に応える余裕は残っていない。そればかりか、力を付けて来た追随者に、追いつけ追い越せの図式を当てはめられる始末にある。何処かで見たと書いたのは、まさにそういった状況であり、この国も世界をリードして来た国と同じ運命を辿っていると見える。だとすれば、同じようにその地位に居座ることも可能であり、それなりの努力さえすれば、金を動かし続けることで、衰退の一途という筋書きには乗らずに済む。いずれにしても、下から追いつかれるという立場であれば、この状況を打破することは難しく、如何に落とし所を見出すかにかかる。楽観は禁物とは言え、悲観が正しいとは思えない。
親の言うことを聞かないとなまはげが、という地方もあるが、鬼のような存在が、子供たちに怖れを抱かせ、道を誤らぬようにさせる伝統がある。逃れられぬ恐怖は、踏みとどまらせる最善の手法と見られて来たが、心の傷を残すものとして、何時の頃からか忌み嫌われる対象となった。その後は、優しさこそが最善となる。
優しく諭すことが重要とは、確かに怒り狂うしか表現法を持たぬ人にとって、当てはまりそうなものだ。だが、叱る側の問題ばかりで、悪いことや危ないことをした子供の受け止め方の問題は、精神的な傷のことばかりが取り上げられ、何が決め手となるかが忘れられている。理屈をこねれば理解できる話なら、優しく諭せば、子供たちに通じる場合が多い。だが、理屈抜きでいけないことや複雑な理屈が必要となるものは、同じ手法は通じなくなる。優しさが肝心との思いは伝わるものの、全てに万能とはいかないのは、子育ての難しさを見せている。そこからの拡張からか、目下の者に対する優しさは、上に立つ者に必要な要素と言われることも多い。下から見れば、有り難いことに違いないが、さて、一方で、上や横に対して、どんな対応をとるのかも、重要ではないか。折角、上に対して様々な提案をしたとしても、それがそこで留まり、上に伝えられなかったり、横への広がりが出なければ、下の不満は募るばかりだろう。上から見れば、素直な部下の採用といった感覚だけで、それが下に優しいとなれば、如何にも適材と思えるのだろうが、現実には、芯や主張の強さを持ち合わせないと、間に挟まれるばかりで、上手く動かないだろう。親しみ易さや優しさには、一種の魅力が含まれるものの、上下関係の中では、それだけで済まぬことも多い。厳しさが悪者にされる風潮には、弱い人間の存在が大きく影響するが、その傾向を導く人々の存在こそが、決定権を握っているのではないか。若者がこうだから、では無く、それを理解したかのような行動にこそ、問題がある。
年寄りが昔の話をするのを、嫌う人は多い。今の事情に当てはまらないとか、昔を懐かしまれてもといった反応が強く、昔話は役に立たないと思っているようだ。地域の言い伝えに注目が集まった、あの震災の後でも、その姿勢が変わらないのではないか。偶々、といった感覚は、どんな重要な内容も、無価値なものと見なす。
毎年起きることや、毎日の繰り返しに対して、皆は異論も唱えず、それを眺め続ける。だが、それが隔年となり、十年に一度となるにつれ、記憶の奥底に詰め込まれたまま、引っ張り出せなくなる。更に世代を跨ぐものとなれば、経験による記憶には期待できず、言い伝えに頼るしかない。その重要性を再認識させた天変地異も、考える力を失った人々には、その事象のみに当てはまるものと見え、他の事象に同じ考えを拡張させる気配は見えない。こんな比べ方をする人は居ないようで、豪雪に関する報道も、その異様さを伝えるだけのものとなる。確かに、記録に残るものは半世紀近く昔のものであり、記憶に残している人の数は減るばかりだろう。だが、当時は極端なものでなくとも、毎年のように大量の雪が降り、「裏」という表現が何の抵抗も無く使われていた。そんなことも忘却の彼方なのか、いい年寄りが困ったとか不安という言葉を口にする。生活様式の変化から、あらゆる利便性を当たり前と受け取る風潮も、当然のことだろうが、それにしても、倍くらいの量を経験した人々の知恵は何処へ行ったのか。齢を重ねたせいで、見方が変わってしまったとしても、当時の今の彼らと同年代の人々の昔話を、軽く流していた人たちは、何の言い伝えを持たず、途方に暮れている。知恵が継承されなくなった時、年寄りの昔話は、本当に価値を無くすのだろう。
他人に話を聴いてもらうのに、耳を傾ける価値があるかどうかが肝心と思う人は多い。聴く側に回ったとき、興味を惹くかどうかにより、長い話にも耐えられるかが決まる、と思っているのだろう。だが、何が価値を決めるのか、何が興味を惹くのか、肝心なものを見つける手立ては、何処にあるのだろう。
不安を煽ったり、奇怪な話題を提供するのは、ある意味、手っ取り早い方法であり、どんな相手にも通用しそうに思える。だが、同じ人に何度も話すとなると、この方法は輝きを失ってしまうようだ。内容の質より、表面的な興味本位を優先する為、所謂中身の無い話が続き、話を聴いた後の展開から、肝心の信頼度が落ちるばかりだからだろう。そんなことを思ったのは、不特定多数を対象とする、マスコミの話題提供の姿勢に、筋書きばかりの話と伝え方の杜撰さが見え隠れしたからである。仮の宿に暮らす人々は、それ以前とはかなり異なる生活を強いられている。そんな中で、ある地方都市の調査は、栄養不足を訴えるものとなった。この報道では、本来摂るべき栄養が一部不足し、一部過剰摂取になっていることを、環境の変化と結びつけて伝えていた。断定的に伝えられたのは、環境がこの問題の原因であるとすることで、その打開を図るべきという形だった。だが、国全体の平均や必要量を基準とする一方で、変化を原因にしようとすることには、違和感を覚える。対象となった人々が、震災以前の状態でどのような状況だったのかは、その報道の中では触れられない。当然、情報源となったものにそれが含まれていないからだろうが、そこに近年の杜撰な報道姿勢が現れているのではないか。すぐに思い当たるのは、彼らが以前もその傾向を持ち、住環境の変化はそれを大きく見せているだけかも、といったことだ。基準は動かないものであり、変化を論じる為に適さない場合も多い。にも拘らず、こんな比較が平気で行われているのは、吟味する能力の不足か、あるいは話を大きくしようとする意図か、そんな背景があるように思う。
強い者が弱者を労る姿勢を示す。当然のことと思えたものが、社会の荒廃に従い、状況が大きく変化する。労りの姿勢が消え失せたとは思わないが、姿勢に対する見方が大きく変わったようだ。強弱だけでなく、上下の関係が関わる中で、立場による見方の違いは、随分大きくなり、かけ離れたものになっている。
立場の違いこそあれ、お互い様といった気分が満ちていた時代には、少々の誤解も、大事に至らずに済まされていた。だが、自己主張が優先され、他人を出し抜くことが嫌われなくなると、互いに気遣う姿勢は消え失せ、自分に有利な立場を築くことに、力を入れる人が急激に増えて来た。そんな風潮が被害者意識の高まりと結びつき、加害者の権利を奪い去り、被害者を優遇する考え方が、大勢を占めるようになった。弱者保護の理念に異論を唱えるつもりは無いが、過度な関わりには、逆差別と思えるものが多く、過ぎたるは、と言いたくもなる。立場を二つの極端に分ける考え方では、一方的な見方の適用は当然のように扱われ、権利主張が強まるばかりとなる。だが、この風潮が強まる中で、多くの人々の頭の中には、如何にして強者でなく、弱者になるかを模索する考えが渦巻く。始めは正当な権利として扱おうという考えが有ったのだろうが、いつの間にやら、そんなものは忘れ去られ、互いの権利主張の戦いのみが残る。攻撃の勢いが緩むことは無いが、逆差別の様相が見られ始めたのにあわせて、守りから攻撃に転じるきっかけが見えて来た。立場を利用した苛めと呼ばれるものも、上下関係における一方的なものから、双方向にあり得るものとの見解が出る。窮鼠猫を噛むといった見方は、強弱の関係が保たれたままのものだが、今の世の中では、ネズミがいつの間にやら巨大化したかのような雰囲気がある。そろそろ元の姿に戻ってもらわねば。
人を育てる為の秘訣は、様々に伝えられている。本人の力を信じて見守るものや、褒めて育てると言われるものは、自分で解決することを基本とするが、その一方で、手取り足取り、懇切丁寧に教え込むものもある。初歩的や基本的なことは、教え込むのが早道と言われるが、少し上を目指す為には、どうだろう。
マニュアルがあると話題になった職場の多くは、海の向こうからやって来たものだが、そこでは細かなことまで一々指摘があるという。基本通りの所作をさせることで、間違いを無くすのが一番の目的だろうか、誰でも出来るとして話題になった指導書に、興味を持った人も多いだろう。一方、芸術家や職人の口から出る言葉は、教えるではなく盗めというものだ。他人から教え込まれたことは、それ以上に変化すること無く、ある水準に留まる傾向にある。そうなれば、伝統的なことも少しずつ衰退し、肝心なものまでもが抜けてしまうことになりかねない。全てを教え込むより、盗ませれば、肝心なことに変化を及ぼすとしても、それ以外の成果が期待できるという訳だ。事はそれほど簡単ではないが、自分の学んだ過程を歩ませようという意図があるのだろう。学びの姿勢は、何も職場に限ったことではなく、教育の場にこそ、重要となるものに違いない。そこでも、教え込むという段階から、自ら興味に従い学習する段階へと、変貌する姿を見守ることが、基本とされて来た。そこに大きな変化が起きたのは、何時だったのか定かではないが、自分で動く人々の様子に、異常なものが増えたことから始まる。学習すべき事柄と無関係なものへの興味や、興味という行動自体を起こせない人々が、満ち溢れた教室に、どんな未来があるのか、さっぱり見えなくなってしまった。教え込まされる段階から、脱出できない人々は、どんな思いを抱いていたのか、未だにその枠を抜け出せない人も多い。次の段階への準備が不足していたとして、どんな対策をとるべきか。現場での模索は続く。