パンチの独り言

(2012年6月11日〜6月17日)
(隣国、略奪、中立、天井、弱り目、失念、食欲)



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6月17日(日)−食欲

 子供の頃の未来の話の中には、全ての栄養素を含む錠剤を「食べる」光景があった。確かに、必要なものを摂れば、生きていくには十分と考えられるが、当時の食生活から見れば、異様さと憧れが入り混じった感覚が芽生えた。子供にとって、食べ物の美味しさより、好き嫌いが重要だったから、錠剤は有り難く映ったのかも知れない。
 その後、何十年も経過して来たが、補助栄養のような形での錠剤は普及したとは言え、主要の栄養素に関しては、その兆しも見えなくなった。一方、様々な事情から、錠剤とはいかぬまでも、かなりの加工を施したものを食べねばならない、宇宙での生活などの例でも、時間経過と共に、別方向の工夫がなされることとなる。重さと嵩の問題を解決する為に、乾燥食品が主流となるが、食味の観点からは、余り考えられてこなかったものが、長期間の滞在においては、結局、そちらの見方も必要となり、様々な工夫が施された。仕事の為とは言え、生きる楽しみの一つを捨てるのは、流石によろしくないとなったのだろうか。食べる楽しみは、こんな特殊な環境にある人だけでなく、ごく普通の生活を営む人にも当てはまる。グルメではないものの、美味しいものを食べたい欲求を満たす為に、様々な努力と積み重ねる人も多い。そんな外食を好む人とは別に、内で食べるものへの適用に、工夫する人も居るだろう。自分で作れれば何とかなるものの、そうでなければ、結局は出来合いのものに頼るしか無い。だが、そこには様々な落とし穴がある。出来合いで美味しく感じられるものの多くは、様々な調味料が大量に使われ、それによって味が調整されている。高齢者が小売店で大量にカップ麺を買う姿を見ると、簡単さと引き換えに、何かを失っているように思えるのだが、どうだろうか。

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6月16日(土)−失念

 その場では興味深いかのように扱われるが、ほんの少しの時間が経っただけで、興味はすっかり失われ、無価値なものと扱われる。人間の気持ちなんて、所詮こんなもの、と思う人も居るだろうが、こんな態度の豹変を眺める限り、それが答えと言わざるを得ない。これに対して、当事者たちは誤解とでも言うのだろうか。
 日々起こされる重要な事柄を、皆に伝えることを生業とする人々にとって、価値の有無は、その場、その時の重要性によるものとなる。旬の話題という捉え方は、如何にも怪しげなものとなるが、飽きやすい人々にとって、まさにそこが問題となる。腐敗とは言わぬまでも、忘却の彼方へと送られる話題は、その重要性よりも、一時的な盛り上がりという指標の方が、重視されるのではないか。その一方で、忘れるべきではないと強調し、何度も繰り返される話題提供には、異常な程の拘りを見せる業界だが、その思惑とは裏腹に、悪い印象のみを残す結果となることも多い。特に、その季節が来ると、といった形の蘇りを意図したものは、忘れられない人にとって、嫌な思いを新たにさせるものであり、忘れてしまった人には、また一瞬の話題にしかならない。当事者さえも、その日以外には目もくれなかったものが、急激な盛り上がりを見せるのだから、異様さのみが目立つことになる。記録とは別に、人間の記憶というものは、自身との関係の深さが、その定着に大きく影響する。身近な出来事ならば、それなりの結果を残すだろうが、何処か遠くの出来事であれば、一瞬の興味に終わる。情報提供の範囲は、受け手の考えにより決められるが、今の仕組みは、その他大勢へのものとなり、ぼやけたものになっている。

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6月15日(金)−弱り目

 安心や安全が声高に要求される時代、当然の権利と見なされるだけに、手に入れられない人々は、更に大きな声を出す。そんな時代背景があるからか、弱者が特別視され、被害者が強い立場に立つ。弱い者の味方を自負する人々の、この辺りの心理は理解に苦しむが、一大事と見なす一方で、何が大切なのか考えるべきでは。
 自然の掟では、弱肉強食が当たり前の図式となるが、理性に満ちた生き物は、野性とは違う行動を意識的に選ぶ。だが、本能に逆らった形の思考は、様々な歪みを生じ、理屈ばかりが先行することとなる。結果として、矛盾が目立つ、歪んだ考えが台頭し、理解はすんなりといかない。それらの矛盾を理性で押さえ付け、人間として当然の行動と見なす動きには、やはり無理があると言わざるを得ない。人権の保護がこれらの考えの発端にあると思えるが、以前に書いたように、この姿勢は当事者ではなく、周囲の人間が考えねばならないものである。本来の形では、被害者保護もその通りの形式を保つが、いつの間にやら、被害者の発言が強まり、当然の権利のように要求を突きつけ始めた。ある時点までは、保護の姿勢が始めにあったのが、有り得ない程の要求が、始めから出されるようになると、違和感は強まるばかりとなる。被害を装うと書くと、言い過ぎの感もあるけれど、多数の中には、言いがかりとしか思えないものもあり、何故、そんな思考が出来るのかと、首を傾げざるを得ないものまである。加害者の存在が見えないもの程、この傾向が強まりつつあり、異様さは増すばかりとなる。どうなるのだろう。

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6月14日(木)−天井

 閉塞感の強まりが勢いを増したままのようだ。悪材料が続出し、払拭する手立ては見つからない。一つの国で起きたバブルと違い、全体的なものだけに、モグラ叩きのようにこちらを抑え込めば、別の所に問題が噴出する。世界的な均衡を目指す動きが重視されて来たことから、不均衡の拡大も全体に波及する。
 元々経済成長に限界があることは意識されていたものの、当事者たちは新たな鉱脈を発掘することで、それを忘れることに努めて来た。だが、この戦略にも明らかな限界があり、星全体に広がってしまえば、それまでとなる。そろそろ、成長を当然のものとする考えを、何らかの形で変更すべきなのだろうが、当然を当然と思う人々には、その力も勇気も無いようだ。目の前の残飯さえも食い尽くし、ついには共食いを始めようとする場面で、どんな感覚が芽生えるのか、その辺りが唯一の望みなのかも知れない。極端へ向かう間は、そのことへの不安に苛まれるものだが、いったんその場に辿り着いてしまうと、全く違った感覚に陥る。安心とまではいかぬものの、ある程度の不安は消し飛び、現状を受け入れることにより、次の段階を迎える準備を施す。それが更なる不安に繋がる場合もあるだろうが、どちらかと言えば、これ以上落ちないことさえ見えれば、ある意味の安定と見なすことになるようだ。成長を止めることの難しさは、こんな所にも現れ、一度下降に転じた後に、安定へと結びつく経過を辿る。確かに、誰しもより良い生活を手に入れたいと思うのだろうが、何処を目指すのかについて答えを持つ人は少ない。もっとという欲望も、力となることが多いものの、状況によっては、逆効果を及ぼす。上がりも下がりもしない均衡も、一つの答えと納得すれば、随分違う気分になるのでは。

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6月13日(水)−中立

 世界各地で混乱が続く一方、一体化を模索する動きも強くある。正反対の動きに思えるが、実際にその中心となるのは人間の存在であり、恰も性格の違う人間が、互いを意識しつつも、自らの主張を押し通そうとしているように見える。周辺から見れば、理解に苦しむ行動だが、当事者は信念に基づいているだけだろうか。
 渦中にある人は、それぞれの考えを貫く思いだろうが、巻き込まれていない人々にとっては、その考えを十分に理解することは難しい。人間関係は、容易に築けると思う人も居るが、その実、心中穏やかではなく、互いの心の読みあいや猜疑心から来る不安などから、自ら関係を崩してしまうことが多い。こんな状況では、いがみ合いの方が優位となりかねないが、それを押さえ付ける形で、相互理解を進めようとする動きをして、何とか平衡を保つようになっている。互いの立場を理解し、尊重しつつ、互いの利益を追求することは、字に書く程簡単ではなく、その度に心に立つ波を乗り越える必要が出る。互いを考える必要は無い、とする考えもあろうが、社会性を重視する生物にとって、その特徴を失うのは、かなりの痛手を伴うのではないか。人それぞれの特徴を活かす社会という見方からは、互いを意識しすぎるのは無駄であり、多様性をもっと高く評価した方が良いとも言える。だが、違いばかりを強調した挙げ句、このような混乱が際立つようになったのを眺めると、偏った考え方の弊害の強さを意識せざるを得ない。平衡や中庸といった感覚が、結局のところ肝心となるのだろうが、現代社会でその余裕が見せられるか、難しそうに見える。

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6月12日(火)−略奪

 古いものを捨てて新しいものを手に入れる。最近の傾向では当然とされるものだが、使い捨てで価値のないものは別として、残ることに意味の無いものを見つけることは難しい。それでも、比較的新しいものであれば、たとえ手違いで捨てても、手に入れ直すこともできる。だが、代わりのないものも世の中にはあるのだ。
 博物館という名を持つ施設には、様々な遺物が飾られている。興味のない人間にとってはがらくたに過ぎなくとも、学術という意味で価値を持つものもある。この状況は昔から続いて来たことだが、遺物が見つかった場所では関心を呼ばず、遠く離れた場所で耳目を集めることも多い。更に、経済格差や教育の問題が影を落とし、かつての栄華の名残を、役に立たないものと決め込むようになると、それらを保存する手立ても別の形で施さねばならない。そんなことがずっと昔にあり、現地から持ち帰られた数々の遺物を、学術的な意味を込めて保存する動きがあった。そんな行為に誇りを持ち、当然のものと受け取った向きには、現在の状況はかなり異様に映るのではないか。たとえどんな事情があるにせよ、本来の所有者から奪い取り、勝手な行動に出たという話は、現代社会では当然の解釈の一つとされる。だが、更に昔の栄光に比べ、それを理解する力も気持ちも失せた人々が、暴挙に走ることが見えていた中で、こんな行動が起こされたことに、もう少し高い評価があっても良さそうだ。その上で、現在の所有形態が正当なものかを判断し、何らかの措置に出ることはあり得そうだ。と言っても、事はそれほど単純ではなく、所有者を変える必要が出てくると、解決への道は却って遠ざかりそうに見える。それとは違う事情とはいえ、国を去るにあたって、宝物を持ち出した人々が作った施設は、本家本元より遥かに貴重な品々が並ぶ。この状況も異常と言えるのかもしれないが、今や同じ国となった以上、そんな事に好奇の目を向ける人もいない。これも解決の一つなのかもしれない。

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6月11日(月)−隣国

 歴史の中では様々なことが起きた。幸いなことに、この国は何処の国の支配も受けなかったと伝えられるが、色々な影響を受けたことも事実だろう。一方で、有り余る力の矛先を外に向け、何らかの形で支配を広げようとしたとも伝えられる。それぞれに思惑があり、利害が複雑に絡んだ末だろうが、許されぬ部分もある。
 歴史の中での出来事は、その後の伝わり方で色を付けられることも多い。今の隣国たちの対応は、まさにそんな姿を映し出しており、事実に加えて、自らの都合なるものが組み入れられる。当然の権利とする向きもあるようだが、事実をどう捉えるかに関して、作為的な部分を強め過ぎることは、安易に容認すべきではないだろう。たとえ、その中で論争が巻き起こり、混乱を来すことがあったとしても、歪曲が施された上で、全く別の関係が結ばれるよりは良いのではないか。論争は様々な状態にあり、それぞれ国の事情により、大きく変化する。当然、周囲との関係が影を落とすこともあり、単に二つの国の間の関係だけに、目を向ければ良いわけでもない。隣国との関係も、海の中に孤立する状況にある国にとっては、何処か離れた存在のように見え、常に接するといった感覚は薄い。それだけに、国境を接する国たちが巻き起こす戦いとは、少し違った様相を呈するようだ。それにしても、国ごとにこれほどの対応の違いを見せることに、首を傾げる人も多いだろう。離れた存在だけに、互いの理解は思ったほど進まず、その代わりに、論争のみに目が向けられる。いがみ合う存在と思い込めば、中々それを修復することは難しい。その一方で、周囲との関係による影響からか、随分と違った印象を、この国に対して持つ国もある。国として、既に認められていないとの意見もあるが、そのことこそが、住む人々の感情を形成する上で、重要な因子となる。伝聞に過ぎないが、要素はそれだけではなく、支配なのか占領なのかはたまた別の表現を使うべきか、そんなことが起きていた時代に、どんなことが行われていたかに、大きな違いがあるとも聞く。いずれにしても、これはこれで大切な関係で、無理に壊す必要などない。

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