パンチの独り言

(2012年8月27日〜9月2日)
(人命、不通、復旧、警世、無思慮、空虚、無恥)



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9月2日(日)−無恥

 情報の流通が課題とされたのは、一昔以上前のことだろうか。情報を扱う業種が一部に限定されていた時代から、個人個人がそれらを自由に手に入れる仕組みが必要となり、取捨選択は個人に任せるべきとまで言われていた。だが、これが今の窮状を招いたと言ったら、こじつけ過ぎと言われるのだろうか。
 自分たちで自由に必要な情報を手に入れられる、という時代が訪れたように見え、現実は正反対に向かったのは、まさに情報の自由化とその流通機構の確立が、絵に描いた理想図とは似ても似つかぬ、無知な人間ばかりの社会の構築へと結びついた。これをこじつけと思う人も居るだろうが、物事の一面だけを捉え、そこに拘った結果としての対策に結びつけたことが、多面的な理解を無視し、多様な人々に目を向けないこととなり、現状を導いたとすることに、大きな誤りは無いように思える。情報を手に入れることばかりに心を奪われ、その吟味を忘れた結果、ガラクタと宝物が入り混じった、まるで子供の玩具箱のような状態に、頭の中がなってしまい、それが何も考えず、他人に判断を任せる気質の確立へと結びついた。半世紀以上前に言われた、白痴化という言葉は、徐々にその姿を確かなものとしていたが、この機会を境に、その割合が一気に高まったと思える。ただ、白痴との違いは非常に大きく、無知な人々が徒党を組み、その中で自らの愚論を正当化し続け、情報の流れに乗せるという無知の拡大生産へと繋がった。吟味力の喪失が、白痴化の勢いを一気に高め、異常な状態を招いたわけだが、それが更なる異常へと結びつけたとなれば、情報の扱いは、改めて重視する必要がありそうに見える。だが、その中で、情報の扱いを一手に任されていた業界が、思慮の無い垂れ流しや思惑に満ちた欺瞞を続けているのだから、方向転換は難しく思える。要は、送り手ではなく、受け手の問題として、これらを扱うことが唯一の手立てなのではないか。

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9月1日(土)−空虚

 あの事故のことを人災と断じたり、空しいと表現したり、そんな言葉を並べる人々に、異議を唱える人は少ない。現時点の勢いからすれば、そちらに与することが好都合であり、余計な問題に首を突っ込む必要は無いように思える。だが、事実の認識は、そんな状況下だからこそ重要ではないか。勢いに任せる危険性は大きい。
 世論の動向を重視する向きは、いつの時代にも、どの世界にも、大勢を占めるものらしいが、後の時代に、糾弾されることになる場合が多くある。人々の思いを反映させる為の手立ても、冷静な判断に基づき、感情に走らぬ決断をする人を相手にすれば、あらゆる見方からも正当なものとされるだろうが、感情や欲望を優先させる人々が、世論の主体を成す状況では、様々な誤りが生じる可能性が高い。その時点では、正しい判断と支持を受けたものでさえ、分析を繰り返した後には、正反対の評価が下される場合も多い。それほどぶれの大きな世論を相手に、正しい判断を導く努力は、それこそ空しいものとなりかねない。批判を覚悟した上で、様々な対策を講じることは、世論を無視する場合も多い。声が大きくなるような状況では、事態は更に悪化するわけで、こんな所で書くだけならば、大したことにはならないが、実行はやはり難しいものだろう。この問題の根源は何処にあるのか。実際には、冷静な判断が下せるような環境を築くことが重要だが、それに当たる人間を適正に選べば、さほど難しいことではない。ところが、現実には、その役目を負う人間に対して、世論という名の圧力を加えることで、その作業を妨げることが横行している。では、誰が何をすれば良いのか。難しいことなのだろうか。

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8月31日(金)−無思慮

 軽率な発言を繰り返す人が居る。何度叩かれても懲りないのは、そういう性格だから、と評されるようだが、この性格とは、叩かれ強いという所にかけられているのか、それとも、同じことをただ繰り返すという点にかけられているのか、定かではない。兎に角、迷惑千万であり、悪影響の塊であることは確かだろう。
 以前は、こういう人々の存在は、新聞などのマスメディアから知れるだけだった。だが、手軽な情報端末とそれに載せた新たな仕組みの導入が、庶民の関わりを大きくし、爆発的な広がりを見せるようになった。迷惑なものが、媒体の限定という枠を破り、無制限な拡大を示すことは、情報疎通の向上という利点から見れば、小さな暗い面に過ぎないと言えるのかも知れないが、現実には、馬鹿げた伝達手段に乗せられ、制御の外れた嘘の情報や軽率な発言が、多くの人の迷惑を産み出すこととなり、下らないと見られる世の中を、更に悪い方向へ導くものとなっている。人間の質が劣化しているとの指摘は、いつの時代にもあるものだが、それを実感させるだけでなく、悪化に一役買うものが登場したことで、厳しさが更に増しているように映る。判断力の欠如は、様々に指摘される所だが、ここでも軽率さを吟味すること無く、無責任に伝達する人々の存在が、社会の荒廃を進めていると言ったら、言い過ぎだろうか。無責任が様々な問題を産むことは、明白な事実なのだが、何も考えないという無責任では、反省の可能性も無く、修正などは望むべくも無い。下らない世の中なのだから、こういう状況に陥るのもやむを得ない、とするのも何とも無責任な考え方だが、自らの責任を全て放棄し、自分さえ良ければ、と考えることが、実際には、自分の所にも悪い報せを運んでくることに、何故気付けないのか、それほど無知無能になったということか。

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8月30日(木)−警世

 警告は時に重要な情報をもたらす。だが、その一方で、当たらなければ、狼少年の話のように、それらの言葉を信じない人が増える。毎日のように起こる事象では、確実に起きることから、不発には終わらないが、逆に、馴れが油断を招くと言われる。受け手の気紛れに、何が効果を上げるのか、悩みは尽きない。
 そんな中、千年に一度の大災害が起きた。これを手がかりに、と思うのも人の常かも知れないが、それにしても、尻馬に乗る如く、膨大な数字を示すことで、警告の重みを増そうとするのは、いかがなものか。確かに、多くの人が被害を受けた震災の後では、皆の警戒の心は強まる。だが、これまでに何度も経験して来たように、直後から徐々に下がり始めた勢いは、ある期間の後に急変し、警戒心は消し飛んでいく。直後には、自らも含めて想定できたものが、いつの間にか、自分は大丈夫という、以前のような根拠なき自信へと戻る。その中で、何十万人もの死者が出るとの試算を示したとしても、自分がどちら側に立つのか、気紛れは錯綜することとなる。不安という、最近の流行から言えば、難を避ける為に逃げ場を探す人が出るが、狭い国土の中で、絶対安全という保証は無い。一方で、対策を講じれば、その数を激減させられるとの追加情報も、不安に苛まれる人々には、減った後の残りに自分を含めるのだから、何の意味も示せない。その為の手間や経費を惜しみ、自分を被害者に据える人々には、これらの警告は本来の目的を果たすこと無く、別の悪影響ばかりが及ぶことになるのではないか。警告は脅しの一種と見る向きもあるが、判断力の無い人々には、効果は及ばない。相も変わらぬ調子に、送り手の無知が露呈しているが、手の施しようの無いものかどうか、改めて考えておく必要がある。

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8月29日(水)−復旧

 車窓に広がる光景が徐々に変化し始める。あの大災害の時に、本来の目的とは違う形で役立ったとされる道路の海側に広がる光景は、ある地点までは何処でも見られるような青々とした田んぼが広がるものだったが、突然、緑ではあるものの規則的に植えられた稲とは違う植物が、生えた光景へと変化していた。
 そこから更に南下を続けると、緑色は見えなくなり、重機の姿が目立つ荒れ野へと豹変していった。その光景に驚いているうちに、目的地へと向かう道は大きく湾曲してしまったから、その先の状況を見ることはできなかった。しかし、当時の報道からすれば、その先にある空港へは海水が押し寄せ、小型機と車が一緒に流される光景があったことから、周辺の被害も同様にあったと想像できる。植生の変化は、災害の影響を表すものだが、その主体は塩害と言われるものである。多くの植物は土壌中の塩分濃度により、生育に制限を受けることが知られており、特に、発展途上国での灌漑の長期的影響で、耕作不能地が増えていることが問題になっている通り、塩分の蓄積は農業における一つの大きな問題として扱われる。今回の事例は、人為的な作用によるものではなく、自然の脅威の一つとして扱われるものだが、塩分除去の方法は、様々あるものの経費や手間の問題から、遅々として進んでいないものと推測される。その中で、目の前に広がる光景の変化は、何の被害も受けていない地域、被害を受けたとされたものの実態は軽微だった地域、かなり大きな影響を受けた地域、を示したものと思われる。復興が進まぬ状況が、様々な形で伝えられる中で、現実を目の当たりにした時、どんな手立てを施すべきか、考えに沈んでしまったが、放置されたかのように映る重機は、一体何をしているのか、不思議に思えたことも事実だ。

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8月28日(火)−不通

 ここで、こういう表現を使うことは殆ど無いが、今回の事例に関しては、使わざるを得ないと思う。「今日」は、いつも通りの独り言のアップができなかった。理由は依然として不明だが、同じサービスの他のサーバーでも、同様の事象が起きていたことから、管理側の問題と思われる。無料の弱点、だろうか。
 このサイトを設置している場所が、どんな理由で無料のままに運営されているのか、殆ど知られていない。管理者は、その辺りの事情を説明する気はなく、サービスに関わる問題とも捉えていないようだが、何にでも首を突っ込みたがる人々は、色々と憶測を飛ばしているようだ。だが、利用する側からすれば、無料の理由など知る必要は無い。そんな場が提供されていれば、大歓迎というだけのことで、余計なことを考えたくもない。とは言え、現実に障害が起きると、さて、困ったなということとなる。こんなサイトの管理では、他の場を同時に提供するというやり方も、手間がかかるばかりで、興味が湧かないし、必要も感じない。一日二日使えない程度であれば、我慢すれば良い、と言ってしまえば、それで十分かと思う。だが、心配した人は何人か居たと思う。サイトを管理する人間にとって、手の出しようの無い障害だったが、全体の入り口が一カ所であるが為に、状況を知らせる術も見当たらなかった。現実には、いつも通り、早朝の点検では何の問題も見られなかった。ただ、いつも、朝6時40分過ぎに接続が切れる現象が起き、今朝もその通りとなった。いつもとの違いは、その後の展開であり、数分で回復する筈が、何の応答も得られず、そのまま午後まで接続不能が続いたようだ。原因は管理者にしか、あるいは、管理者にさえ、判らないかも知れないが、無料である場に、何の保証もないのが当然、日が悪かったとでも言うくらいだろう。明日は、どうなるか。

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8月27日(月)−人命

 人間の力は偉大である、と書いたら、一気に反対の声が押し寄せるだろう。驕りを戒め、過信を省みる、それらの重要性を認識する人々には、人間の力は大きいだろうが、その使い方を間違えているという感覚がある。建設的なものや改善に繋がるものより、破壊や悪化に繋がるものばかりで、自分にも悪影響を及ぼす、といった。
 確かに、技術革新の多くは、当初、人間に恩恵を与えるものだったが、度を過ぎた途端に、環境破壊などの害を及ぼすものとなった。それでも、それが一方的に進行する訳ではなく、何処からか、歯止めがかかり、被害を減らす為の技術が開発され、善から悪への変換から、再び善への変換を促すものとなった。人間が作り出したものを、自ら片付けることに、好印象は持たれないが、この生き物がこの星で繁栄を続ける限り、この図式が崩れることは無いだろう。未来永劫、この図式が続く保証は無いが、崩れ始めた途端に、繁栄は失われ、絶滅へと繋がるかも知れない。SFの世界に限られたものだが、その心配を抱く人の数は増えている。人類の数は、半世紀前から急激に増え始め、戦争などの激減要素が無い為に、その勢いは留まる所を知らない。現実には、最先端の技術による害悪より、ずっと低い水準の技術の恩恵を受けることによる、人口の増加の方が、人類が抱える問題を大きくするが、その解決策に関しては、殆ど論じられることがない。命の重さに軽重を付ける訳にも行かず、大切さを強調することで、生と死の均衡が大きく崩れ、増加の一途を辿ることとなる。資源の限界を考えた時、別の要素が浮かび上がってくるが、その時が訪れるのは、そんな先のことでは無いようだ。今生きている人々が、何かを準備する必要があるか、定かではないが。

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