正札の傍に赤札が付けられる。並ぶ数字の桁を数えたとき、その値の高さに驚かされる。手作業の極みとか手工業品と呼ばれる品々は、工業化の波に押されてその姿を消して来た。不況と言われた時代を経て、その価値を認める人の数は減り続け、今では零細の極致にある。で、改めて認められた価値は、高嶺の花となる。
文化遺産と呼ぶことで、その価値を認める動きが始まった頃、それを支える人の数は既に減り続けた後で、数える程しか無い事態に陥っていた。その動きが始まるより遥か昔に、既に姿を消してしまった地域もあったのだろうが、何とか細々と続けて来たことが、こんな形で報われるようになった。この国には、そんな道を辿って来た伝統工芸が様々にあり、陶磁器、漆器、織物など数え上げればきりがない。磁器は向こうの言葉では隣の国の名で呼ばれ、漆器はこの国の名で呼ばれるが、その数も種類も減り続け、技術者の数もそれとともに減って来た。一部芸術家が残るものの、日常的に使う品は減り、技術者とか技工士と呼ばれる人が居なくなるのもやむを得ないと思える。ある伝統的織物の町では、最盛期にはその名を冠した反物が年間五万反生産されたのに、今や二千にも及ばぬ数に減った。高級品がある一方で、日常品として流通していたものが、今や全てが高嶺の花となり、半額の赤札が付けられても、軽自動車並みの値では庶民の手には届かない。手作業から手間の品が生まれ、掛けた手間の数と技術の高さによって値が決められる。中には高級車より遥かに高いものがあるそうで、家一軒を羽織る気持ちは、理解できる範囲を遥かに超える。たとえ、遺産としてお墨付きがついても、それを使ってこそ意味がある。遺産が埋蔵されてしまっては、本来の命名の意味は失われる。どうしたものか、何とも難しい状況にある。
髷を結うのを止め、月代を剃らなくなった時代、服装も文明開化に合わせて、伝統的なものから新しい外から入ったものへと変わって行った。ザンバラなどと評された髪型も、洋風の服装には似合うものとされていたようだ。その頃とはまた違った髪型が巷に溢れているが、洋服は日常的な地位を占めている。
和服と呼ばれたり、着物と呼ばれた服は、髪型の変化とともに、生活の変化も起こり、徐々にその姿を消して行った。と言っても、維新ののち半世紀程は、官吏や要職にある人を除き、庶民たちにとっては和服の方が気軽で日常的な着物となっていたのだ。有名な服飾デザイナー一家の母親が育った時代には、洋服は抵抗を感じるものだったらしく、気軽さが何より、といった感覚だったようだ。しかし、それがいつの間にか徐々に姿を消して、終戦後ともなると、殆どが洋風の生活へと変化し、服装もそれに伴って変化した。和服の不便さを表すのに、ある百貨店で起きた火事の話が伝えられているが、職場という感覚とは別にしても、和服が登場する機会は徐々に奪われて行った。昔のドラマでは、自宅に戻って背広を脱いだ主人公が、着物に袖を通す姿が映されていたが、今の人たちにとって、奇異にしか映らない光景ではないか。市民権を失った和服にとって、伝統的な行事などが僅かに残った機会なのかも知れないが、その良さを再認識する声も聞こえてくる。特に、この製造に関わる業界にとっては、繊維不況と相俟って、悲惨な時代が続いているものの、再認識を仕掛ける動きと共に、徐々に注目が集まり始めている。各地にあった繊維の町も、既に跡形も無く消えてしまった所もあるが、何とか生き延びた地域は、着物の復権に力を入れ始めた。高級なものでしかなかった服も、徐々に手の届く存在となり、古着として骨董市などで出回るようになると、その機会を捉える人の数も増えるのかも知れない。だが、普段の生活にまで、とは、行かぬものなのかもしれぬ。
言葉の乱れは時代の流れによるものであり、一概に悪くなるものばかりではなく、的確な表現として残るものも多いと言われる。だが、多くの消え去ったものについては、使われ始めたときの違和感が強く、耳障りな存在となっていた。逆にいつの間にか、恰も正しい用法とされてしまう場合、苦しみが続くこととなる。
「させていただく」に関しては、反対論があるにも関わらず、聞こえてこない日が無いかのような状態には、何故という疑問が残る。特に、高齢者から発せられることが多く、言葉の乱れの中心的存在とは違う傾向に、疑問は膨らみ続ける。慇懃無礼と評してしまうと、発言者から厳しい言葉が返ってきそうだが、どういう意味で使っているのか、理解している人は居るのだろうか。宗教的な背景との解釈もあり、それについてはずっと昔に取り上げたと記憶しているが、独り立ちした言葉は、全く違った場面や状況で使われ続けている。どうにも止まらぬ勢いに、若い世代に対してだけでも、という思いから注意を促すこともあるが、誤解されることへの恐れから、踏み切れぬ人々が多いようだ。気になるものは数多あるが、その他にも、「様」という敬称の使い方に、時代の異常さが映し出されているように感じる。医師と患者の関係が、どんなものなのかははっきりしているように思うが、互いの立場を変えるような表現に、初めて聞いた時には、驚きを隠せなかった。感謝の気持ちをこめて、患者が医師を「お医者様」と呼ぶことに抵抗を覚えることは少ないが、医師が患者を「患者様」と呼ぶのはどんな理由からだろう。医療も商売の一種であり、医師にとって患者は客だから、という解釈は、時々聞かれるが、異常にしか思えない。確かに金銭の遣り取りがあり、それを商売と結びつけるのは、当然のように思えるが、元々は、それとは異なる感覚が互いの間にあったのではないか。このまま行くと、教育も商売の一種とされ、早晩「学生様」とか「生徒様」などと呼ぶ声が聞こえるかもしれない。
受身の教育が批判の対象となっている。座っているだけで知識が身に付く方法を、様々な形で模索した結果は、悲惨なものとなった。興味も無く、やる気も無く、無い無い尽くしの人々が、何かを得ようとする姿には、異常としか言えないものが漂う。だが、弱者保護の考えは、こんな人々にまだ何かを与えようとしている。
異常な行動は、それを許す環境を設けることで、増長される。一方的な責任とする向きもあるが、現実には相互の働きかけの結果と見るべきだろう。判らないものを学ぶ場である筈が、判りきったものを教える場となる、と言い切ると、そんな筈は無いと言われるだろうが、難しい事柄を学び、知識を獲得する場に、分かり易さと低い到達点を導入すれば、何が起こるかは明らかではないのか。傾向と対策の話を何度も取り上げたから、読み飽きた話と受け取られるかも知れないが、最低限の必要要素を授けることが、的確な教育と見なされる時代には、上を目指させる動きは、悲劇を招くと言われる。意欲を引き出した挙げ句に、限界という壁にぶち当たり、失意に沈む姿に、悲劇の主人公を当てはめる人々が居るが、そんな安直に結論を出すべきかと思う。努力が当然とされた時代には、失敗を恐れず、何度も挑む姿が評価された。昔は、無言の支援もあったものだが、最近の傾向は、落胆の慰めばかりに終始し、順風満帆で無くなったことを慰める。こんな状況で上を目指す挑戦は、評価されることが少なくなり、それを避ける人が増えるばかりとなる。受動的、消極的な取り組みは、得るものも少なく、そこからの発展となると殆ど無いだろう。能動的、積極的な取り組みが、それらと明らかに違うのは、新たに身に付けた知識を、そのままに並べるだけでなく、互いの繋がりを自分なりの理解に基づいて見出す行為にまで発展させることにある。関連づけ、繋がり、などといった言葉は、重要な要素とされるが、その手法は伝授できないものとされる。自分なりには、確実さや正しさの裏付けが無いように見えるが、自分の理解を基礎とした発展では、それぞれ個別のやり方しか通用しない。ただ座っているだけで、そんなものが湧き出す訳も無く、無能なままであることは明白なのだ。
ペーパーレス、という言葉は、最近殆ど聞かれなくなった。紙無しとは何ぞや、と若い世代から聞こえてくるとまで言われると、そんなことは無いという声も聞こえてくる。スマホが、タブレットが、という声から、ツイッターを、といった声まで、若者たちが殺到する媒体が種々雑多に世の中に溢れているのに。
確かに、そんな道具を使って、日々の生活を楽しんでいるように見えるのだが、彼らが紙という媒体を捨ててしまったかと言うと、どうもそうではないらしい。電子辞書は手軽さと廉価なことから、殆どの若者が保有していると言われるが、同じ文字媒体である筈の電子書籍は、紙無しの時代の寵児として鳴り物入りで導入されたにも拘らず、その勢いは強まる気配さえ見えない。その上に、読書離れの話が加わるのだから、彼らの文字離れが著しく、紙の有無に関係なく、自分たちの遊びの範囲にのみ興味が向かっていると解釈される。だが、教育現場は、彼らの興味とは無関係に、必要な要素や情報を授け続けていて、教科書との接触が無くなりつつある学生、生徒に、少しでも情報をという考えからか、授業中に配付する資料を活用していると言われる。興味の無い人間がやってくる現場は、ある意味の荒廃が著しく、その気の無い人間の興味を惹く材料を提供しようと、躍起になっているわけだ。だが、そこでの行動を見ると、結局のところ、殆ど功を奏していないことが判る。空欄を設け、その穴埋め作業を授業参加と見なすとか、所々提示資料との差を設け、集中を失わせないとか、虚しい努力を続けているが、効果は見込めないとのこと。ノートの取り方が判らないとか、言語道断と思える話もあるが、何が足らないのか、見えてこないのが現状だろう。では、紙に関しては、どんな様子か。それは、配付資料に対する反応を見れば判る。受け取った途端に眠りに入ったり、携帯ゲームやツイッターに興じる人間にとって、紙は神にも似た存在であり、それだけで何とかなると信じる。これでは、紙を無くすことは神を失うことであり、始めの話は起こり得ないとなってしまう。
誤りを認めることは重要である、とされる。しかし、それがその場の謝罪に終わり、その後の行動に反映されなかったとしたら、何を認めたことになるのか。強行軍が批判され、無謀な計画と厳しく糾弾された結果、一時的に企業活動を制限される程だったのに、また繰り返した代理店は何を反省したというのか。
こんな事件が起こる度に、何故そんな無謀な旅行計画を組んだのか、との批判が巻き起こる。だが、冒険心や探究心をそそる計画に魅力を感じる人たちにとって、有り難い存在とされて来たのではないか。それが、自然の脅威にさらされた途端に、非常に危険なものへと変貌し、あってはならないことと糾弾される。参加した人々の責任を、この時点で問うことの難しさは、いつもの如く大きなものとされるが、それでも、考えておきたいものだ。一方的な責任は、客商売でよく見られるものだが、いつ頃からかそれが当然とされて来た。だが、責任には各々が負うべきものがあり、全権委譲したとしても、その行為そのものの責任が問われる。選択ができることは、しない権利が保証されているからだ。話は全く違うが、研究分野で身分詐称や論文捏造について、大きな話題を振りまいた人物に関して、各報道機関は彼らなりの総括を行っているようだ。何故、偽情報の伝達をしてしまったのか、何故、嘘の身分を信じてしまったのか、そんなことを並べ、理由を明確にしようとの試みがなされているが、確認を怠ったこと以外に、理由など有り得ないのではないか。報道の基本を見失っていることは、最近ではありふれた事象に思えるが、先を争う業界にあって、確認の手間を惜しむ姿勢が現れている。だが、その一方で、高度な研究内容を理解した上での伝達については、確認だけでは済まない話がありそうで、専門知識を身に付けた人材の登用が問題となる。こちらに関しては、どの機関もお寒い状況にあると言われ、名誉回復への道は遠いようだ。
確かに唐突だったのだろう。審査機関が認めたのに、監督官庁の長が駄目出しをした。前代未聞の決断に、批判の矢が飛び交い、横暴な行為ばかりが注目される。決断の通知は、短い言葉で済まされており、その真意を窺い知ることは難しい。情報源を持つとされる人々に、その役割を期待するのは当然だろう。
だが、相も変わらぬ的外れの議論への展開は、その期待をあっさりと裏切るものとなる。所詮その程度の輩だからと、何度も書いてはいるものの、それを看過するつもりが無いだけに、何故自らの誤りを認めず、いつまでも愚行を繰り返すのか、と思うけれども、本人が認識しなければ、何も起こらないものなのだ。決断を表明した瞬間の、短い一言の中では、教育の質の保証を問う話があったが、設置が認められた理由と、それが認められない理由を、並べることで初めて議論ができる。だが、直後の混乱から始まった、主張の繰り返しからは、そんな分析の気配は見えない。更に、伏魔殿で一世を風靡した人物が、就任直後のほのぼのとした雰囲気から一転、例の如くの唐突の発言に移ると、やっぱりという声が聞こえ始める。意味不明な言動に振り回される気分に注目が集まり、意味の解釈へと結びつけないのは、明らかな怠慢なのだが、訳の分からない発言という喧伝に、誰もが振り回される。この手の話は、件の人物に限らず、最近の典型的な傾向となっているが、一般社会の喧嘩に見られるものと似通っている。つまり、喧嘩の売り言葉に対し、相手が怒りを募らせ、買い言葉を返す図式にそっくりなのだ。喧嘩にも似た状況に、本来ならば、下品な行動を窘める声が聞こえそうなものだが、幼稚化した大人たちから、そんな声は発せられない。教育の質を指摘されたことに対し、保証できるという自信があれば、それを示せば良いことだ。根拠を示す難しさは別として、買い言葉を返すだけでは、質を論じられぬ人間と世に示すだけのことに、気付かぬ程に劣悪な人間を、応援するかのような報道に、呆れるばかりなのだ。