混迷の時代、従来の常識は通用しないものとされ、混乱に乗じた奇策や奸計が様々に編み出される。思いもよらぬ策略に、気がついた頃には既に時遅し、見かけに騙されて奈落の底に落とされる。そんなことが繰り返されるのも、見通しのつかない時代だから、と言われるけれど、それにしても酷すぎないか。
停滞と言われたのもいつの頃か、最近は悪化の一途を辿っていると言われる状態で、その打開に向けての計画も、次々に出されるものの、殆ど全てが頓挫している。皆が思いつくことは、やっても無駄とばかりに、常識はずれの計画までが編み出されるが、それとて、同じ運命を辿り、記憶の彼方へと追いやられる。だが、常識的なことの失敗は、手堅い策の頓挫だけに、残される悪影響も常識の範囲内に留まるのに対し、非常識なことを思い切ってやった挙げ句の失敗は、様々な歪みを残し、深刻な悪影響を残してしまう。打開には、旧弊を改めることが肝心と、既存の組織や制度を捨て、新たなものへと変更するが、非常識はそこにも汚点を残す。成功すれば良しとされるものも、一つの常識とは違う数多の非常識では、勝算は殆ど無く、結局は数打ちゃ当たるの一つにしかならない。その上に、粗大ゴミのようなものが残るのだから、迷惑千万にしかならない。これ程日常的に、非常識が罷り通るようになってくると、何度も酷い目に遭った人々も、段々に慣れてしまうのだろう。政の非常識は、これまでに無く極まっていると言われるが、奇手奇策の続出ばかりか、禁じ手までが出される始末で、見通しなどという言葉は、あの世界では死語と化している。そんな混乱の中、一体全体何を目的としたケジメなのか、誰を選べば何が起こるのか、何も見えてこない状況に、結果だけは無理矢理出される。だが、ババを引いたら、渡す場所は無い。
弱者保護は社会の最優先課題である、と主張されたとしても、反論することは難しい。弱い者を守れない人は強くない、という刷り込みは、長い時間をかけて行われ、社会を構成する人々、それぞれの立場を守る動きは、確かなものとなって来た。ついこの間までは、この言い方が通用した筈だが、今は、はて?
人間としての権利を保障する為、様々な制度が整備されている。強い者も弱い者も、富める者も貧しい者も、人間として生きる権利が与えられ、社会はそれを保障せねばならないとされる。問題は、対象となる人々は、個人の名前を持ち、特定できるのに対し、社会の中で保障する立場の人々には、特定できる手立てが無く、色々な人々が様々な形で関わるものとなる点で、受ける立場ははっきりするが、与える立場は明確になっていない。支え合うという感覚は、互いを認識してこそ強まるが、不特定多数同士が関わるとなると、あやふやな感覚のままとなる。国民総中流意識、と表現された他国とは異なる感覚が根付いていた時代には、互いの支え合いは形にならずとも、確実に存在していた。その中では、弱者を表明することは憚られ、一方的な関係を築かぬ配慮がなされていた。互助という感覚も、そんな中から生まれたものだが、今や死語と化している。互いの関係が崩れた中で、保護という言葉で称される動きは、何とも偏ったものになっているのではないか。雇用の問題にも、そんな世相が反映され、不安定な職に不満を漏らしつつも、関係を断ち切れない人々が多く居る。搾取にも似た状況は、人権を奪う行為に見なせるだけに、それを禁じる制度を作る必要は、確かにあるのだろう。だが、形式を優先とする法整備では、実情に即さない柔軟性を失うものが多く現れ、現場の混乱は別の形で極まることも多い。個人と組織の契約が不当なものであるとの判断は、個別になされるべきものだが、法律は一律に不当と断ずる。これでは、個々の状況に応じた対策は、一掃されてしまう。
自らの立場を確固たるものにしたいからか、先見性を主張する傾向が強まっている。将来像を提示したり、成り行きを予想する為には、様々な知識を身に付けている必要があり、それが実力を示す指標とされるからだ。一見、確かな予測を示すことが、重要課題と受け取られるが、好転の兆しの見えない予測に、魅力は感じられない。
誰がやっても同じ、という声は此処彼処で聞かれるが、その主な理由として、人材不足を掲げるようでは、先行きに光は見えてこない。もし、世界中でそんな状態が続いているのなら、それは人材の問題ではなく、環境の問題であり、現時点では打開策がないとしか言えないことになる。こんな状態では、予想も予測も無駄なことであり、その実力を競い合うことも無意味であろう。にも拘らず、相も変わらずの状態で、喧しくなっているのは何故なのか、結局、自分の立場のことしか頭にない、壁蝨のような人々が、ある業界を牛耳っているからなのではないか。誰が次に立とうが、それを利用する気が先に立ち、支える気配が見えてこないのは、自らの利益にしか目が向かないからだろう。社会というものは、既に存在するものであり、その存在は永続するものとの解釈は、平和惚けした頭の中では、当然のものとの支持を受けるのだろうが、歴史を振り返ってみればすぐに判るように、いとも簡単に崩壊するものであり、構成する人々が帰属意識を失い、身勝手な行動を続けた結果、帝国と呼ばれたものの多くは、瓦解して行った。全体として、安定という形の平和にしがみつくだけに、当時のような経緯は辿らないだろうが、徐々に混乱へと向かう道筋は、ぼやけていた形がはっきりと見え始めている。自分たちを率いる人間の質を論じるより、自らの質と行動を省みることこそ、混迷の中で必要なことではないか。馬鹿げた予想にかまける人間には、本質を見抜く力も気持ちも無い。
変化を掲げた人々が、様々な壁にぶつかり、思い通りに事が運ばなかった、という話題が度々流されたが、更なる変化を望まぬ人々は、結果的に現状維持を選んだのだろう。閉塞感は、常に変化を誘発するように受け取られるが、現実には、正反対の結果を招くことが多い。窮屈に思うことが必ずしも変化を望むわけではないのか。
窮地に追い込まれたり、出口が見えない中で、画期的な打開策が待たれるのは、ある意味当然のことだが、実際に、大きな変化が起きることは少ない。というより、そんな状況で起きる大変化は、革命などの基礎から全てがひっくり返るようなものでなければならず、現行の制度を保ちつつの変化は、所詮小さなものに過ぎず、掛け声の割に、何も起きずに済むことの方が多い。それに対して、急変に繋がる動きは、制度さえも徹底的に破壊し、強烈な痛みを伴うものとなる。安定社会が維持され続けている時代には、革命と呼ばれる出来事でさえ、社会制度を一変させる程の力は無く、結局、期待された程の変化を起こすことも無い。こんな状況で、変化を掲げ、叫びに似た声を上げたとしても、結果的には、真の変化を起こすこともできず、苛々が募ることとなる。続出する提案も、一つ一つが吟味されていて、十分な効果が望めるものに見えても、結果として、逆効果のみが目立つことになる。停滞が際立つ中で、変化を望む声が強まるのは、当然のことなのだが、現実には、それが実現することは余り無い。却って、様々な変化がある中で、更なる変化を打ち出す方が、遥かに容易なことであることが判って来た。結局、行き詰まった所で方向転換を模索しても、八方塞がりになることが多く、多数の選択肢が用意された中でしか、変化は望めないということになるのではないか。となれば、今は、じっと我慢の子、ということにならざるを得ない。
leaderをこの国の言葉に言い換える時、指導者とすることが多いのだが、何となく意味が違うような気がする。指導という言葉が、教えることを主体とするのに対し、leaderには教えるより、道を示したり、その方に導くといった意味が含まれるからだ。更に、集団を纏める意味まで含めるには、何かが足りない。
辞書を覗いてみると、そこには統率者という言葉がある。確かに、集団を纏め、ある方向に導くという意味からは、この言葉が最適とも思えるが、課題に直面した時に、打開策を編み出すという役割は、そこに無いような気がする。言葉の意味を正確に表すのは、中々に難しいことだと思えてくる。言葉の意味とは別に、その役割に関しても多くの困難が存在しているようだ。leadershipが混迷の時代には重要となるという話は、何度も聞かれたものだが、その効果を示すような事例は、殆ど紹介されることなく、実例があるのかさえ判らぬ状態にある。一時的に効果を発揮したとしても、その後の展開で折角の効果は萎み、時には逆効果となってしまうことも多い。そんな中では、手当り次第に付け焼き刃のような手立てを講じ、数打ちゃ当たるといった様相を呈している。現場での混乱は尋常ではなく、たとえ事態が好転したとしても、的確な方向付けがあったとの印象は残らない。深慮の末に的確な方策を講じるのならば、統率される立場の人々も安心できるのだが、そんな状況は殆ど起きない。その中では、不安が募ることとなり、良策を待つ余裕が失われる。統率者の役割は、単に打開策を講じるだけでなく、そこに不安解消などの手立てまでが含まれることとなり、更なる圧力が加わる。結果的には、一方的な責任のみが浮かび上がるが、現実の問題には、双方向の関係が重要となる。そう考えると、leadershipの受け取り方に、言葉の意味だけではない、何か別の問題があるように感じられる。
前例が無い、決まり文句のように出される拒絶の回答に、批判の声が高まったのはいつの頃か。例も無い中で、新たな試みを断行しようとする動きは、当時はもて囃されたものの、いつの間にか、いつも通りという安心が、最優先となってしまった。一見、落ち着いた社会を想像させるが、現実には、閉塞感と表されるものに。
拒絶される側に立つと、理不尽な態度に腹が立つものだろう。だが、前例に従って認められる、という立場では、全く異なる反応が戻ってくる。そうやって眺めてみると、理不尽なのはお互い様と言えるのではないか。互いに自分の都合を押し付ける、という状況の中で、どちらが優位に立っているかが、結論を決めているのだろう。認める権利を持つ側が、常に力を示した時代と異なり、世論という怪物に後押しされた人々が、自らの権利を拡大する時代には、そちらの都合が通される。予想通りの展開が、最善の選択とされるのも、渦中の人々が安心できるからであり、それが真の意味での最善の選択であるからでは決して無い。一見、正しい評価を下しているように見えても、その実、その場の都合による決定だから、展開が悪くなれば、正反対の評価が登場する。客観的な評価と言われるものも、その多くは主観に基づくものであり、それが多数派ではなく、少数派による判断となれば、その偏りは非常に強まる。本来、監視の目を向けねばならぬ人々までが、前例に固執する状況に陥っているのは、安定や安心を求める姿勢の強まりによるものだろうが、同時に、閉塞感が問題視されているのを見ると、彼らの近視眼的な見方に、疑いの目を向けざるを得ない。
画家のことを書いた本には、戦時中の圧力に関する記述があった。前にもこんな記述があったけれど、この国に限られたことではないし、あの時代に限られたことでもない。人々に余裕が無ければ、芸術に目が向くことは無い、ということだろうか。その一方で、震災後の音楽を始めとする芸術への関心は、全く違うものだった。
この違いに気付かぬ人も居るだろうが、要するに、金銭による取引が必要となるかどうかが肝心なのではないか。圧力は、社会情勢との乖離に対して与えられ、非国民などという言葉も用いられたと言う。世間がどの程度冷たい態度を示したかどうかは書いてないが、売買が成立する筈も無く、戦争への荷担さえ強いられたとある。大震災なども含め、これ程極端な状況は別として、普段では精神的な圧力も含め、そんな状況に追い込まれることは殆ど無い。逆に、大震災後には、芸術家たちが自ら問題意識を強め、活動を自粛するなど苦しみの淵に落ち込んでいたが、被災者の反応は、全く別のものとなり、芸術の力が再認識されることとなった。ただ、そこに金銭が絡むと、話が難しくなる。それこそが、時代にも国にも限られない、芸術家に対する関心を示すものとなる。今、著名な画家たちが、生きていた時代に有名だったかどうかは、今更取り上げる必要も無いだろう。始めに取り上げた画家も、生前は注目を浴びること無く、評価されていなかったとある。これは単に金銭の絡みだけではなく、その時代の芸術界の評価によるものである。専門家たちが評価しない状況は、何によるものかははっきりしないが、それが基礎になり、目が集まるかが決まるのである。余裕だけでなく、別の要素もありそうだ。