世界的な潮流からすれば、当然のことと受け取られる。だが、と思う人は多いのではないか。これまで保護の対象とされてきた年代に、自らの主張を掲げる機会が与えられる。ただ一票を投じる権利を与えるだけ、と見る向きもあろうが、自由と権利に対する、責任と義務を考えると、果たしてと思う人が多いのではないか。
この国の報道を担う人々の思慮の無さは、愚かな政治家達の暴言を待つまでもなく、度々問題視されてきた。今回の問題も、その意味では猛省を促すものとなる筈が、矛先を誤ったからか、何方の側も的外れの対応を見せている。下らない議論など、こんな場面で無用なものだが、そこでも愚かさが目立つだけのようだ。選挙に参加できる年齢を引き下げるのは、他国の状況からして当然、という解説がなされ、更に、政治離れを憂う声が、器の拡大による改善を狙う、という解説が続くと、一体全体、この国の言論を操る人々の知性は、どうなってしまったのかと心配になる。主体性の無さは、この国の民の特性とも言われたが、そればかりか、本質を見抜く眼力さえ失い、まるで盲者のような振る舞いに、手の施しようもないと思うばかりだ。期待の目を向けられた若者達も、こんな時代に育つ人々であれば、義務や責任の意味も知らず、自由を謳歌することだけに目を奪われる。好き放題の行為には、その成り行きを見通す力の無さだけでなく、想像することさえできぬ、即興的な心の動きしか感じられない。陰口を叩くことさえ戒められた時代と違い、公然と誹謗中傷を書き、それを公衆の面前に掲げることさえ、どんなに力の無い人間にも可能となった時代には、自らを律する心が、実は重要となる。気付くか気付かないかに拘らず、何が起き、何を罰せられるか、想像力を無くした人間達に、果たして、他人を吟味する力が持てるのか、怪しいものに違いない。
代表制に関して、数回取り上げてきたが、世間一般的には、どんな印象が抱かれているのだろう。何もかも、自分で決められることに魅力を感じ、それを行う人々は、代表を送り込み、彼らに任せるやり方には、違和感を覚えるようだ。自由に対する憧れは、こんな形で実現するかもしれないが、さて、責任に関してはどうか。
義務や責任の果たし方に関して、ここで何度も取り上げてきたが、今の世の中全体が、それを知らないからだ。知らないままに、自由や権利を主張し、それらの欲望を満たすことだけを目指す。現代人が抱える問題の多くは、これらの点を発端としている。実は、代表制に対する不信感も、この辺りをきっかけとしてるように思う。代表を選ぶまでは、自らの参加が実感できるからいいが、その後の交渉や議論において、自分の存在が無視されているかの如く感じる。こんな人々は、自分が代表となり、自分中心の決定をする以外に、満足感を得ることはできない。ところが、代表を選ぶことにより、責任を含めた形で任せることが、自分の責任も間接的な形で果たすことになることに、気付かぬ人が多い。代表となることで、直接的な責任を負い、そこに多くの人々の付託がなされることに、前面に出たがる人々は気付いていない。にも拘らず、選ばれし者という地位への魅力から、乗り出していくことになり、最後は、無責任に放り出すこととなる。確かに、議員や宰相の様子を見ると、責任感の欠如が目立つから、自分でもと思うのは無理のないことかもしれない。だが、不適任な人々を例に上げても、何の意味もない。自分がやるべきことを、達成する為には、責任や義務を蔑ろにする訳にはいかない。当然、何かのきっかけで、代表となったからには、その責務を果たすことこそが、重要な役割の一つとなる。
何事も直接決めるのだから、文字通りの民主主義であると思う人は多い。だが、その為にかかる手間や経費に関して、この手の人々の間で議論に上ることは無い。決められるという魅力に、取り憑かれでもしているのか、それ以外の大切なものを、無視してしまうようだ。だが、更に大きな問題がそこにあることにも、気付かぬらしい。
効率を考えるだけでなく、議論を深める為にも、代表を選ぶことは欠かせないものとなる。現実に、その手順を踏んで、選ばれた代表者がそれぞれの責任において、物事を決めていくことも、民主主義の表れと見做される。だが、最近の傾向は、任されることによって責任を負った人々が、それを果たさないようになっていることと、任せた筈のものをそうでないとする、代表制を否定する考え方の台頭がある。これらの問題に、渦中の人々が気付くことはなく、決める行為への関与を、まるで素晴らしいことのように感じているらしい。物事の本質を見抜けぬ、愚かな人々に限って、この傾向が強まることに、多くの組織が苦しめられている。代表としての資質を有する人が、その地位に据えられるのであれば、何の問題も起こらないが、ここでも、愚かな人々の代表は、所詮、その程度の力量しか持たず、事ある毎に、愚かさを露呈することとなる。この辺りの状況を眺めるにつけ、猿を相手に考え出されたと言われる、故事にまつわる言葉を思い出す。朝三暮四と表現される状況は、まさに愚民を相手にした状況を表し、目先の利益のみを追い続ける人々の愚かさを、猿の行動に例えて、示している。今更言うまでもないが、直接の関与を望む人々の多くは、自らの利益を追い求め、新たな無駄を生じても、そちらを優先したいと思うようだ。多数決の弊害は、様々に表面化しているが、その制度への依存は、強まり続けている。
民主主義とは、と思うことが増えたように感じる。投票で選ばれた人々は、ある集団の代表として、決定を任されたものと思えるが、その責任を果たせぬ人が増えている。意見を出し、議論をするけれど、決定はできない。そんな代表者を相手にして、議論をしたとしても、何も決められないとしたら、一体何をしているというのか。
民主主義だから、直接投票によって、全てを決定する、という制度がある場所もあるが、現実には、そんな所はほんの一握りにすぎない。制度としては、特に重要な決め事において、そんなやり方を適用する訳だが、殆どの地域や国では、そんな制度さえ存在せず、また、たとえそのようなことを行ったとしても、その結果を尊重するかどうかが問われ、決定とは異なる意見表明にしかならない。にも拘らず、こんな主義に毒された人々は、何事も自分達で決めようと考えるようだ。住民投票や国民投票と呼ばれる行為も、動向を伺う為のものに過ぎず、多くを味方に据えたいと願う人々の思惑を満たす為のものにしかならない。本来、政に携わる人々には、その組織の運命を左右する決定事項でも、自らの責任で判断する役割が与えられる。民主主義とは、直接的なものでなくとも、誰かを選ぶことで、全てを任せるという制度なのではないか。それを事ある毎に、一つ一つ、民に尋ねるということをするならば、代表者を選ぶ意味は無くなる。責任を果たしていないのは、まさに、こんなことを行う代表者であり、重大な決定であればあるほど、その役割は重くなる。そこから逃げる人達は、何の責任も果たさず、その存在は無意味と言わざるを得ない。
高度成長が続き、取引相手の国々と様々な問題を生じ始めた頃、国や企業を率いる人々は、対策に追われていた。成長を確実なものとし、それが長く続くようにとの願いは、その後、脆くも消滅したが、器の大きさが決まっている以上、当然の帰結となったのではないか。衝撃を受けた人の多くは、意外な結果と受け取ったようだが。
廃墟からの復興という点からすれば、何と長い期間に渡って成長を続けたことか、との思いは強いのだろうが、その原因はどこにあるのだろう。崩壊が訪れた後、目標を見失った人々は、迷走を続けたことで、本来の道筋をも見出せなくなった。こんな時だからこそ、成功時の状況を思い出すことが必要と思えるが、その気配はない。これも疑問の一つであり、何故昔のやり方に戻ろうとしないのか、と首を傾げる人もいるだろう。こちらの問題に関しては、実は簡単に答えが見つかるように思う。人の心持ちが、下り坂に入る前から、大きく変わっていたことが、そこにあるからだ。それが崩壊の原因とは言えないものの、成長を支えてきた人々の気持ちが、私利私欲に走ることに、何の疑問も抱かぬように変わり、自分を中心に据える考え方に、違和感を抱かぬようになったことが、崩壊へと繋がる道を足早に歩んでいくことになった。自信は過信へと変貌し、根拠を示せぬままに突き進んだ結果、多くのものが弾け飛ぶこととなった。自分の為は他人の為、と言う考えに、理解できないとの表情を見せる人々に、昔のやり方に戻ることは難しい。共産主義とか社会主義とか、そんな言葉を前面に出さずとも、社会全体を各構成員が支えるやり方を、実行してきた人々と違い、今は、まずは自分のことであり、他人との関わりは、最小限に留めたいと思う人々には、あのやり方を取り戻すことはできない。貧富の差も、あるにはあったものの、その差の大きさは、海の向こうの豊かな国とは比べものにならぬ程小さかった。差が歴然となってからでは、あの状況に戻すことは難しい。
期待が大きいからか、落胆の声も自然と大きくなる。その一方で、風評程のことはない、との意見も聞こえ、それぞれの判断の違いによるものと思える。何が違うのか、実体ははっきりしない。ただ、それぞれに異なる対象を相手にして、違う印象を抱いた結果とも言える。その上で、楽観と悲観が導かれるということか。
ここで触れている対象は、次代を担う存在である、若者達である。全体として見れば、覇気が感じられず、次の世代に任せるという声も、出し難い状態にあると言われる。ただ、一部の人達は、冴えない若者の中にも、光るものを持つ人がいて、彼らへの期待を強調する。一部の先導者を考えるのであれば、この期待は間違っていないのだろうが、全体の水準を保つ為の条件としては、ごく少数に期待しても、早晩限界が訪れそうな気がする。そこで、楽観を悲観が上回ることとなり、厳しい意見が増えてしまう。安定した時代に、何故このようなことが起きるのか。以前も取り上げたが、実は、この国に限ったことではなく、成長した末に安定期、というよりも停滞期に入った国の多くでは、同じ現象が散見される。平らな所にやってきて、変化が少なくなると、対策を講じ易くなる。気付かぬ人は居ないと思うが、この環境下では、傾向と対策が主流となり、助言に従うことが賢く生きる術とされる。受け身とか従順とか、そんな言葉で表現される状況が、若者達に見られるようになって以来、期待の大きさに比べ、実態が伴わない為に、落胆させられてしまう。何故、積極的に立ち向かわないのか、当人達の口からは、まさに覇気を感じさせない言葉が出てくる。何を考えればいいのかさえ、理解できていない状況では、自らを変えることはやはり無理難題となるのか。
赤になるということの意味は、今の若者達には解らないだろう。それを担う国や組織の多くが瓦解し、基本となる考えを残したままで、敵対する勢力の手法を採り入れるという不思議な状況に、あの主義主張を唱えた人々も、もしその魂がその辺りを漂っているなら、呆然と成り行きを見守っているのではないだろうか。
官房長官を務めた人物の聞き書きの本を読んだ時、その中身で、特に始めに取り上げた考えを担う政党に対して、他とは明確に異なる姿勢を示していたことに、疑問を抱いたことがある。徐々に変化を遂げていた集団は、その発祥となり、中心的役割を演じてきた国が崩壊し、周辺の隷属してきた国の離脱が続出するのを目の当たりにし、中心とする主張を大きく変えてきた。それ以前にも、大衆へと擦り寄る姿勢が露わとなり、本来の主義主張を封印したかの如くの運営方針を掲げたことからも、名は体を現さず、といった感が強まっていた。そんな姿を眺めて成長してきた側からは、件の人の考えは、理解に苦しむものであり、特に、その端緒となった部分への言及が無かったことが、理解を促すきっかけを与えずに終わらせていた。今月、戦後の復興の中、長きに渡って宰相を務めた人物の回想録を読む機会があり、その中で、上で気になっていた状況の説明が為されていたことから、疑問が解けた気がしている。国の情勢に目を向けず、私利私欲に走った集団に対し、こちらは厳しい批判を浴びせていた。確かに、労働者を率いる人々が、赤化していた時代があったことに気づかなかったのは、こちらの無知によるものだ。過激な活動が嫌われ、肝心の支援者を失った結果、別の活動へと方針を転換した人々に、嘗ての強硬さはなく、柔軟路線に移っている。だが、根源としたものは、どこかにまだ残っているに違いない。ただ、それでも、皆で向かえば怖くないとばかり、暴走する列車に乗ろうとする政権に、何かしらの影響を与えることができるのかもしれない。