失敗を恐れず、試してみるという、若いが故の特権は、もう失われてしまったようだ。確実な道を選び、無理な冒険はしない。そんな人々を前に、勇気を持てなどと言っても、冷ややかな目で見つめられるだけだろう。だが、そんな状態を、これ以上続けては、衰退の一途を辿るしかなくなる。
試してみる、挑んでみる、という行為には、確かに勇気のようなものが必要だ。でも、確実な道を選ぶ時でも、それに向けて、何かしらの決意は必要となる。実は、その過程での問題が、現代社会が蝕まれている、深刻な症状を表している。自らの選択として、道を選ぶのなら、その通りの展開となるが、その際でも、他からの働きかけに応じて、それに従うという。これでは、自分では何も決めず、その選択への責任さえも、意識することがない。そのまま順調に事が進めば、こんなやり方でも、何の問題もないとなるが、実際には、何かしらの問題が起きることが殆どで、結局、選択に対する責任が問われることとなる。また、自身でも、自らの境遇に関して、様々な不平不満が鬱積し始めると、過去の選択に対する不満が噴出する。そうなれば、自ら下した決断でないだけに、誰かのせいとなるのだ。確実な道と、誰かに言われたから、などと漏らす人々を見ると、相変わらずの状況に、落胆の色は隠せない。では、どうすべきなのか。どんな道を選ぼうとも、誰かの助言に従おうとも、それらは、全て、自分の最終判断によるものと、見做すべきなのだ。それを、他人の責任かのようにするのでは、悪化の一途を辿るしかなくなる。これでは、好転の兆しも見えない。決意は大袈裟としても、何かしらの選択には、自分なりの責任があることを、もっと意識するようにすれば、別の考え方も出てくるものではないか。
今時の若者は、と苦言を呈するのは、大人達の身勝手の表れ、と言われるが、果たしてそうだろうか。自身の若い頃と比べて、ということから、昔を思い出そうとする訳だが、事は簡単ではない。多くが、一昔どころか、遥か昔の記憶を手繰り寄せる訳で、何かしらの歪曲を施したものとなる。
だから、正当な比較ではない、というのが、始めの話の由縁だが、全てがそういうことでもないだろう。記憶が確かというだけでなく、自分が今あるのは、その頃の研鑽の結果と思う人も居て、それと比べた時に、見劣りする若者達に、厳しい言葉の一つでも、贈ってみたいと思うからだ。一概には言えないものの、当時との違いに、呆れ果てる人も多く、特に、全てが整えられ、至れり尽くせりの状態に、微温湯に浸かっていると、揶揄される人々を冷ややかに眺める人は、様々に指摘を繰り返す。一言目には、今時の若者は、との苦言に、浴びせられた方は、自分達の責任ではない、と思いつつ、目を逸らしているが、突きつけられた問題を、冷静に見極める必要があるのではないか。わからないのは、自分のせいではなく、教える側の責任、との言い訳は、最近の常套句の一つだが、これとて、責任転嫁の問題だけでなく、自分が抱える問題と、真剣に取り組まぬ姿勢に、大きな問題がある。手当たり次第に、色々と試みてみる、というのが、失敗を恐れぬ若者の特権と言われたのも、遥か昔のことである。今や、対策を授けられ、その通りにすることで、成果を得るのが当然とされ、失敗は避けねばならぬ、とされる。こんな状態を許した挙句、成果の上がらない新人達に、指示を与え続ける。無駄な繰り返しと思えるが、何の手立ても思い浮かばないようだ。
社会の問題の一つなのだから、少しくらいは取り上げても、と思われるかもしれないが、その価値さえないことは、確かだろう。「せこい」と断じられた、首長の話は、庶民にとっては、格好の標的となっているが、あの議論でさえ、何の為かと疑いたくなる。合法かどうかは、抜け道を示しただけ、だ。
心の卑しさが、こんな所に現れてくるが、ああいう人物に限って言えば、今に始まった事ではない。自分を賢いと考える人物が、人の上に立つと、こんなことが繰り返される。賢愚の違いは、本来は、人となりから始まることだが、賢さを誇示する人達は、表面的なことで、自慢を繰り返すからだ。倹約を常とするから、自治体を治めることも、簡単なことと思うようだが、私利私欲に基づく考えが、全体に通用することは殆ど無い。ごく普通に振る舞うなら、愚直を心掛けることだけが、大切なのだろう。それを、小賢しさばかりを見せつけ、如何にも、他より自分が優れると、傲慢な態度を見せつけられて、庶民は何を感じるべきか、火を見るより明らかだろう。そんな中で、尻尾をつかまれたとなれば、あとは、いつもと同じ展開が流れるだけだ。どんなに芝居を続けようが、腐った根性では、改心なぞに、誰も期待する筈はない。更に、支離滅裂な言動が繰り返されれば、大衆が飽きるか、本人が舞台を降りるか、どちらかしかないこととなる。芝居が続けられることは、これまでもなかったから、これからも起き得ないことと思える。となれば、感想を書いたとしても、本質的な問題を取り上げたとしても、全て、無駄となるだろう。だから、「せこい」奴を、取り上げたとしても、無駄な独り言、となるだけなのだ。
議論下手の国民性、と言われて久しいが、その一方で、「否」と言えるかどうかが問題と、指摘されてきた。ここでの議論の的は、賛成反対の表明が肝心とされるが、実際には、どちらに与するかばかりに目を向け、議論の内容に目を向けないことに、問題がある。人選びを優先しては、他人任せになるだけだ。
意見を戦わせ、その過程を経て、妥当な結論を導き出す、という議論の本質は、この国では、正しく認識されていない。好悪を優先させ、その結果が、結論へと繋がるのでは、肝心なことを見落としてしまう。一方、議論の場でも、拙さが目立つことも多い。議題を示せても、その内容の把握が不十分で、議論の対象が不鮮明となるからだ。始めた途端に、その状況が露わになるが、この原因は、議論の進行役にあると言っていい。出席者の殆どは、初めて見る議題に、内容把握は追いつかないことが多い。それに対して、進行を任された人の役目は、その議題で、何を論じるべきかを示し、議論の対象を明確にすることである。ところが、議論さえ進めれば、何かしらの結論が出るという、勝手な解釈を持つ人達が、任に当たっていると、標的を示すことなく、矢を放つことが促され、その場に居る人々は、どちらを向いたらいいかさえ、見えないままに立ち尽くすこととなる。意見を交わすのだから、有意義な議論となったとの、勝手な解釈も、こういう場では、屡々観察される。だが、これもまた、大いなる誤解というべきだろう。結論を導き出せぬままに、無駄な時間が過ぎるのは、単なる無駄であり、意義など認められる筈もない。にも拘らず、この類の人々は、自己満足に浸っていることが多い。この間違いに気付かぬ限り、議論をする資格が得られる筈がない。いつまで、こんなことを続けようというのだろう。
偶然の産物でしかないものを、何か特別な出来事のように扱う。本人も、運が良かっただけ、と思っていても、何度も褒められれば、悪い気はしない。いつの間にか、偶然は脇に置かれ、必然の結果との解釈を始める。これが自信過剰へと繋がれば、本人にも周囲にも、悪い影響しか及ぼさないのでは。
その一方で、運の良さだけを指摘されると、運も実力のうち、と言い返したくなる人もいる。これも、一種の自信過剰と捉える向きもあるが、始めに書いたものとは、随分違った心境の表れと言えるのではないか。運の積み重ねで、窮地を逃れた人が、その道筋を後から振り返って、正しい判断を下したとの説明をする。後付けでしかないものだが、結果は確かなものだけに、悦にいる人の言葉は、重いもののように受け止められる。だが、この手の人々に限って、同じことが起きたとしても、巧く振る舞えないことが多い。それに比べると、運の存在を認めた上で、それを掴んだことが実力と主張する人の多くは、前と同じように、正答に近い答えを導き出すことが多い。傲慢に見える人でも、それぞれに、違っていることに、世の中の人は、あまり気付かないようだ。この問題は、評価をする力の問題であり、事象それぞれに、どんな要素が絡み合い、その途上で、何が起きていたのかを、正しく分析する力が、欠如している為に起きている。簡単なことに思えるが、表面的なことに惑わされ、勝手な推測ばかりで、厳密な分析には程遠い状況しか生まれない。全てを見通し、確実な道を歩むことは、誰にとっても困難であり、一つや二つ、運に任せざるを得ないこともある。それでも、確率を高めようと、なるべくありそうなものを選択する。それを運と呼べば、その通りなのだ。だが、何故、その選択をしたかは、やはり、実力の表れなのだろう。
できなくてもいいんだよ、との言葉に、救われたという話が紹介される。窮地に立たされる中で、孤立感が強まってきた時に、無理は禁物との助言が、救いの一言と感じられた、という話のようだが、そのままに受け取るべきだろうか。全力を尽くす、との宣言とは、かなり違った状況なのだが。
できることとできないことは、明確に区別することはできない。やってみなければ判断がつかないし、できたかどうかの判断も、微妙になることが多いからだ。だが、自分自身が、できていないとの意識を持つ中で、周囲からの圧力を感じ始めると、崖っぷちに立たされているかのような感覚を抱かされる。それが極まれば、ある決断をせざるを得なくなり、向こう側に行ってしまうことも起きかねない。そこでの救いの言葉は、確かに有り難いものだろうが、それで、何もせずに済ますのは、どうだろうか。一方で、優しい言葉をかけることで、理解を示そうとする人は、いかにも信頼できる上司と見做される。だが、これも、程度の問題なのではないか。一見、温情の表れとも見える行為だが、本人の成長を妨げることも多いからだ。できなかったことが、できるようになる為には、それなりの努力の積み重ねが必要となる。その途上で、悩みが強まり、逃避に走ろうとする人も居るが、そこで、できなくていいとの声掛けは、結果として、できないままに放置することへと繋がる。あと少しの頑張りが、達成感を得る為に必要だとしても、上から、やらなくてもいい、と言われれば、多くの人はそこで立ち止まるだろう。それまでの努力は無駄となり、成長も止まる訳で、次の展開も見えなくなる。こんな展開を、見通すことができないからこそ、一時の救いを与える訳で、これでは、元も子もなくす。時代としては、こんな人々が世に溢れ、妨げと意識することなく、救いを振りまく。最終的には、意欲をなくした人々だけとなるが、その責任は、誰が負うというのだろう。
世界の標準から外れていると、指摘の声が強まった時期もあったが、未だに、年度に関する制度に変化は起きていない。4月を始まりとし、3月を終わりとする制度では、他の国との違いが大きく、互いの交流を図る為に、大きな障害となると言われたが、数ヶ月の違いが、それ程に大きいのだろうか。
実は、人それぞれに生まれる時期が違うことは、当然と思われているが、多くの動物は、発情期が決まっている為、そこから繋がる誕生も、同じ時期に集中することとなる。植物に関しては、いつ開花するかが決まっているから、同じように種ができる時期も、概ね決まっていることになる。そう考えると、人間以外の生き物は、殆どが、同じ時期に同じ年齢となる子供達が生まれ、育つこととなる。だが、人間は、どうだろう。一年のうちのいつ生まれるかは、全く決まっておらず、それでも一括りにして、同じ学年として扱われる。成人してしまえば、個人差の方が大きく反映されるから、この違いは大したものとは見られないが、小さい頃の一年は、著しい違いに結びつくこともある。体力差は勿論、精神的な違いも、大きく出てくることもある。それでも、このような仕組みが採り入れられたのは、一人ひとりを別々に扱うより、一つの組として扱った方が、効率的であり、効果的であるとの考えがあるからだろう。それが国それぞれに決められた結果、それぞれに開始時期が異なる現象が起きた訳だが、互いの交流が盛んでなかった頃には、大きな問題と捉えられなかった。それを殊更に取り上げるのには、何らかの理由があるのだろうが、たとえ、違いとして歴然としていても、その影響の大小は、扱いようによって、違ってくるのではないか。差を評価する一方で、同じように扱おうとする動きには、どこか不思議と感じられる。このままでいい、となるのだろうか。