パンチの独り言

(4月17日〜4月23日)
(情報漏出、無用の用、網、労働意欲、論理思考、愚将、期待)



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4月23日(日)−期待

 馬鹿、阿呆、田分け、誰だって、愚かな奴とは、呼ばれたくない。だが、自分の周りのことに、気を配るだけで、全体を、総合的に捉えることが、できない。そんな中で、様々な問題を、手際よく片付けることは、困難となる。長老という存在も、その為のものだったのだろう。
 長老と雖も、集落の事柄について、経験から判断することはできるが、その外の出来事に対して、無力となることが多い。対象となる地域が広がり、国境を越え、遥か彼方の国々と、取引をしなければ、何も成り立たない時代に、狭い世界に閉じ籠ってきた、人々の能力は、及ばなくなる。それでも、こんな関係が存在すれば、一部の人々が、その任に当たり、問題解決へと走る。彼らは、確かに、他の人々とは異なり、多くの情報を収集し、そこから答えを導き出す。その能力を備えた人こそが、国を司る立場につける、とされてきた。でも、最近の状況は、大きく異なり始めている。将来を託すのも、その一つだろうが、未経験な人間を、その地位に据えることに、何の違和感も抱かぬ人々に、どんな先見性があるというのか。また、極端な持論を展開し、実現不可能とも思える、提案を掲げる人に、一部の問題を抱えた人々は、期待を向ける。多数決の世界では、そこに勢いさえつけば、不可能が可能になるとの期待が、実現するように思えてくる。だが、どちらの場合も、結果を見れば、期待外れに終わり、皆の嘆息が漏れる。夢を夢と思うのと違い、夢が、正夢になると思った人々の、落胆の大きさは、かなりのものだろう。だが、愚かな自分を、省みることは、彼らにはない。まともな判断能力を持たず、ただ、期待に胸を膨らますのは、馬鹿げたことに違いない。そんなことも、できない時代となったのは、本当に不安なこととなる。だが、彼らの頭には、別のことが浮かぶ。よくなると約束するのは、次は、どんな人だろうかと。

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4月22日(土)−愚将

 厳しい批判に晒されても、前言を撤回する訳でもなく、言葉を弄して、躱そうとする。多数を維持できているから、何の問題も生じない、とばかりに、傲慢な態度を、取り続ける。組織の頂に居座る人間が、こんなことを続ければ、早晩、勢いを失い、退陣を余儀なくされるだろう。
 こんな組織は、何処にでもあり、特に、独裁的と言われるもの程、繁栄への勢いがある間は、文字通り、問題なく運営されるが、少しでも陰りが見え始めると、途端に、急降下が始まる。人々は、そんな様子を窺いつつ、他山の石と思わず、自分達だけは、と考えるようだ。これが、組織の話であれば、それが潰れるだけで、済むだろうが、国の話となると、簡単には済まされない。国の宰相が、饒舌となればなるほど、皆の心配は深まる。勢い付いて、勝手気儘な答弁を繰り返す姿には、支持者によれば、自信の漲りが感じられる、となるのだが、敵でも味方でもなく、単純に、言葉の真偽を見極める人々からは、詐欺師や嘘吐きにも似た、言葉を弄ぶ姿が、はっきりと見えている。好悪で全てを判断する時代には、そこに並ぶ主義主張の、論理性が問題視されることはなく、ただ、都合の良し悪しで、敵か味方かを判断するだけとなる。その結果が、どんな形になろうとも、各人は、何の責任も感じず、誰かの責任と、文句を並べるだけだ。これほどに、集団ではなく、個の事しか考えない人々が、権利を行使する時代は、恐らくなかっただろう。一つだけ、類似するものがあるとすれば、それは、独裁者による政治である。特に、王政などの、初めから権利を持つ人々によるものより、民に選ばれることで、権利を得た人々によったものが、今の状況と似ているのではないか。愚かな人々と、崩壊した後に揶揄されても、騙されたの一言で、全てが片付けられる。誰も、騙された奴が悪いとは、言わないからだ。

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4月21日(金)−論理思考

「分数ができない大学生」は、多くの人々に、衝撃を与えたと言われる。人材の枯渇が、経済衰退の最中で、最も大きな問題として、取り上げられる中、最高学府たる大学で、学力低下が、顕在化しているという話は、将来への不安を、一層大きくするものとして、驚きとともに迎えられた。
 問題が顕在化すれば、それに対する対策が、講じられる、というのが、これまでの常識だったが、これについては、どうだったのだろう。学力低下は、依然として、大きな問題として、取り上げられているから、分数ができるようになっていたとしても、他にも、数々の欠陥が現れている、ということなのだろう。対策といっても、問題の根本を、解決する為のものが、講じられるのではなく、単に、目の前に現れた、問題を解決するだけのものだから、分数の計算ができたとしても、数学の基本が、習得された、となる訳ではない。では、根本的な問題として、何が不足しているのか。企業からの悲鳴は、話が通じない、指示が守れない、待ち続ける、などと、様々に批判される、新人に向けられるが、当人達は、我関せず、という態度をとる。こういう場面での、勘の悪さも、彼らの欠点と、見られているようだ。不足するものとして、多くの指摘があるのは、「論理性」なのではないか。会話が成り立たず、指示を読み取れず、考えようとしない、などという人間に、自分の課題を尋ねると、何も思いつかない、という答えが返ってくる。要するに、問題を分析し、そこから、解決法を見出す、という、常識的な手順が、こなせないのだ。常識であるだけに、多くの人は、どこに問題があるのかを、指摘できないらしい。ざっと見ただけでも、こういう人々の抱える問題は、論理の欠如、であることが判る。算数や数学ができないのは、実は、その問題が、表面に現れたものであり、理解が進めば、論理の構築も、徐々に可能となるのだ。学校教育での数学の役割は、そんな所にあるが、気付かぬ人が多いらしい。

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4月20日(木)−労働意欲

 働き方、という言葉が、屡々聞かれるが、どんな意味だろう。何を目的とするか、その手段は、収入との比較は、気分はどうか、等々と、様々な表現が、示されるが、一定しないというのが、確かな所ではないか。人それぞれに、都合に合わせて、使い分けているのが、実情のようだ。
 これは、何の為に働くのか、という問いと、繋がる話だろう。収入を得る為に、と考えれば、それに見合うだけの働きで、十分ということも言える。効率を考えることなく、だらだらと仕事を進める人は、周囲の目を気にすることなく、成果の上がらないことを、気にかける素振りもなく、机に向かい、取引先へと出向く。一方で、同じ環境、同じ給与でも、成果を気にすることで、効率の向上を目指すが、時に、焦燥感に苛まれる。精神を病む人の多くが、自ら、そういう状況に陥ると言われるが、この辺りの気分の持ち方が、全く違う方向へと、導くことになる。そこまで至らずとも、精神的にも、肉体的にも、限度に向かうことが多く、体調を崩す人は、こんな悩みを抱えているようだ。どちらがいいのか、という問いに、答えは見出せず、混乱する人もいるが、働き方、という考え自体に、問題があるように思える。仕事に成果が求められるのは、当然のことであり、そこに向かうことが、何よりも優先されねばならない。にも拘らず、効率やら、時間やら、本来、目的とは異なる話ばかりが、取り上げられていることには、誤解があるとしか思えない。成果を追い求める際に、自分の能力とを見比べ、それなりのものを、追い求めていけば、自ずと、手に入るものが決まってくる。そういう思いを抱きながら、働き続ければ、手に入るものは限られようが、入るという結果には、変わりがないのだから。

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4月19日(水)−網

 この場所も、誰も訪れなくなってから、随分長い時間が、経過した。原因の一つは、以前からの訪問者が、行き先を見失った、ことにあるのだが、大きいのは、検索にかからなくなった、ことが挙げられるだろう。以前のサーバーならば、引っかかっていたものが、今は引っかからない。
 どういう仕組みで、検索の表に、出されてくるのかは、その仕組みを作った人以外には、詳しくはわかっていない。そんな事情もあり、どうすればいいのかを、考え付くことさえできない。元々、検索などという作業は、全ての情報が、提示されるものと、信じてきたのだが、こんなことが起きると、どうも事情が違う、という気がしてくる。では、何が問題なのか。おそらく、自動的に、情報を収集する仕組みが、どこかに欠点を持っているからだろうが、何がどうしたら、そんなことが起きるのか、さっぱりわからない。以前から、ウェブサイトを運営する際に、検索の結果に、反映されるような仕組みを、巧く掲載することが、肝心であると言われれきたが、流石に、無視されるような事態は、微塵も抱かなかった。では、何をどうしたら、やっぱり、妙案は浮かばない。何とかしたいが、現状維持が、精々なのだろう。また、暫くの間、同じことを繰り返し、情報を蓄積していくだけだ。その結果が、どこかで、見つけて貰えるような、結果に結びつけば、よかった、ということになるのだろう。やれやれ、と思う。

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4月18日(火)−無用の用

 役立たず、と言われて、喜ぶ人は居ない。人格さえも、否定され兼ねない、言葉を投げられて、心穏やかで居られる筈はないのだ。だが、人間ではなく、別のものに対して、役に立つかどうかを、論じることに関しては、どうだろうか。かなり事情が変わってくるのではないか。
 何の話か、と思う人が居るだろう。研究開発において、その目的を示し、予想できる成果を、掲げることが、重要と見做される。企業活動における、研究や開発は、営利を目的とするから、当然、そこには、何の役に立つのか、という疑問への、答えも用意されている。だが、企業に余裕があった時代には、そこまで煩く言われず、将来への期待が、原動力となっていたこともある。ただ、膨らんだ経済が、弾け飛んでしまった後では、そんな余裕も、消し飛んでしまった。そんな世相では、別の場所でも、役に立つかどうかが、第一の疑問として、投げかけられ始めた。今では、当然の質問であり、その答えの有無が、対象の質を決める、と信じられている。企業と異なり、研究機関と呼ばれる組織では、利潤追求は、問われないと、長い間信じられてきた。世知辛い時代の波は、こんな所にも、襲いかかり、役立つかどうかが、最初に問われることとなり、その答えの有無が、採否の決め手と見做される。少し考えれば、この状況の矛盾は、明らかにできるが、考えなく、批判を繰り返す人々には、何とも都合のいい、経費削減の手段となる。実現直前の技術開発では、製造に向けての、詰めの作業が、支援要請の理由となるが、基礎と呼ばれる分野では、直接的な応用は、不鮮明な像として、見えるのみであり、役立つかどうかさえ、はっきりしない。そんなものは、役立たずであり、支援は無用と、決めることは、簡単にできる。だが、研究の進展だけでなく、人材育成の面でも、形に現れない利益は、必ず出てくるものだ。それを、役に立つか立たないかで、何事も判断しようとすれば、荒廃を招くだけでなく、崖に向かって突き進むことになる。

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4月17日(月)−情報漏出

 個人情報の保護は、重要な課題として、頻繁に取り上げられる。ただ、問題視する人々に比べ、一般庶民は、強い関心を抱いていない。意図せぬ情報の提供が、大きな問題となる割に、無くならないのは、意識の違い、という事情からかもしれない。気付かないのだから、問題となる筈がない。
 意図せぬ、というものに括ると、一部から反論が上がる、かもしれないが、多くの「アプリ」と呼ばれる、便利な道具にも、そんな機能が備わっているようだ。ビッグデータという、大量の情報から、傾向を導き出し、それへの対策を、戦略として使う、という新たな方式にとって、データ収集は、必要不可欠となるが、これが成立せねば、何も始まらない。そこで、世論調査を始めとした、アンケートなどが実施されるのだが、事ある毎に実施するのでは、手間ばかりがかかる。そこで、日常的な活動を対象とする場合、その分析を請け負う、という形で、情報を集めようとするのだ。これを、アプリと称して配布すれば、使用者は、便利な道具と飛びついてくる。一方的な利益と、考えているというより、そんなことを、気にしていないのだろうが、ここへのデータ入力は、運営者にとって、宝の山を築くこととなる。個人が特定できないから、個人情報ではない、との解釈もあろうが、現実には、そこまで及ばせようとすれば、可能な情報を、保持できるのだから、保護の問題を、もっと真剣に議論すべきだろう。気付かぬままに、同意していたとしたら、どう扱うかも含め、この類の問題は、急速に大きくなりつつある。一方で、明らかな個人情報として、名簿は、以前から問題視されていたが、この扱いは、確かに慎重にすべきだ。だが、そんな背景からか、構成員に、全体の情報を流布することを、避けようとする動きがあり、別の問題を生じつつある。教室での、生徒同士の話に、学生番号で呼び合うとしたら、どうだろう。暖かさが感じられる筈もなく、一層冷たい環境を、整えることになりかねない。

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