パンチの独り言

(12月11日〜12月17日)
(競争差別、対等に、表向き、愚説、不真面目、未完成、人任せ)



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12月17日(日)−人任せ

 表現は悪いのだが、待ちに待った増税が、愈々始まるようだ。それでも、嫌われることを、殊更に恐れる人々は、その適用範囲を、如何に狭めるか、腐心するらしい。貧乏人は元より、金持ちさえ、余分な負担は、避けたいと願うものだ。施しは、大賛成だが、その財源には、目は向かない。
 それにしても、皆の収入から、徴収しようとする税の、増える分は、一千億円にも満たない。金持ちから、という考えでも、その程度が精々らしい。押しなべると、国民一人当たり、千円にも満たないもので、これをばら撒いても、外食1回分くらいにしかならない。そんなもので、何をしようと目論むのか、期待は萎んでしまう。一方、国が管理する嗜好品の一つに、税をかける仕組みは、意外に気楽な対象らしく、そちらは、所得税の三倍程の、増収を見込んでいる。但し、印象を薄くしようという意図からか、一本当たりの増加を、示すように通達があったのではないか。一箱、20本入りが、通常だろうから、一箱当たりに換算すれば、60円の値上げとなる。元の値段との比較だから、一概にどうとは言えぬが、毎日の負担がそれだけ増えれば、一年で、2万円ほどだろうか。喫煙者の税負担は、確実に増えることになる。それが原因となる病気や、周囲への悪影響を、考えれば、負担増は当然、との考えもあるが、多くの人の感覚は、随分違ったものに、なっているのではないか。消費税率の改定も、すぐそこに迫っており、負担増の感覚は、膨らむ一方となる。だが、その一方で、収入自体が増える期待は、蜃気楼のように、見えども掴めず、といった感じとなる。経営者の思想も、楽観的なものは、影を潜め、常に悲観が漂う。ここでも、国民一般と同様に、法人税の減税のように、施しへの期待ばかりで、自らの努力や、社員達の幸福は、二の次とされる。いやはや、情けない時代のようだ。

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12月16日(土)−未完成

 誰もが、飛躍を目指している。だが、どんな結果も、一歩からなのは、変わらない。時には、気付かぬうちに、小さな一歩を進め、それが、未来の飛躍に繋がる、場合もあるに違いない。だが、今の時代は、目標を掲げ、それに向かって邁進することを、重視し過ぎているようだ。
 その考えの中に、不思議な矛盾を、感じることがある。前に進む為には、一歩が大切、と見る向きから、歩みを進めることを、重視する場合がある。そこには、一歩だけが記され、二歩目、三歩目が、記されることはない。ほんの小さな一歩でも、次の歩みが出てくれば、前進が続くのだが、今の状況は、一歩を踏み出す度に、褒めることが、重要だと見做される。何もしないより、ずっと良いのだろう、とは思うが、歩みは、続けることにこそ、意味があるのではないか。そう考えると、大きかろうが、小さかろうが、一歩だけで、高く評価することには、強い抵抗を覚える。何かを考える時、実は、そこに流れがあるかが、とても重要となる。それが、始まりから終わりまで、円滑な流れを持てば、そこに、論理性がある、と言えるからだ。その構築を、自分なりに進められるかどうか、そこに大きな歩みがあるが、一歩だけで評価するのでは、そんな観点は、採り入れられない。結果として、評価を待つだけで、自分で完成させようとする、能力は、築かれることがない。こんな状態が、今の教育現場が抱える、大きな問題へと、繋がっているのではないか。育成という名の下に、不十分な能力を、中途半端な形で作り、それを成果と見做している。一見、評価の点数は、上がっているように、見えているが、実際には、どの評価対象も、未完成のままに留まり、成長が止まったままでは、次の展開は、期待できる筈もない。優れた人材を、望む中で、実は、劣った人を、せっせと作るだけに、終わっているのだ。

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12月15日(金)−不真面目

 やはり、とも思える反応だった。自己評価だけでは、信用ができない、という状況自体、おかしいと思えるが、重大事故が、何度も起きるようでは、安全が担保できないのだから、外部評価が、採り入れられたのも、当然のことだが、その決定を、素人が、いとも容易く覆したのだ。
 確率が、ゼロとはならない、のは、その仕組みを知れば、当然なのだが、例えば、この星に、他の星がぶつかり、甚大を超えて、今いる生物が、全て滅びる、というのも、絶対に無い、とは言えないものだ。それ程ではないにしろ、今回の想定は、ある意味、馬鹿げたものと、言えるのではないか。噴火による被害が、広範囲に及び、件の施設にも、甚大な被害をもたらす、という論理自体、想像の世界では、可能なものだが、その際、その施設から送られた電気を、使う人々や火山がある対岸の人々に、どんな影響が及ぶのか、対象ではないから、触れる必要がない、ということらしい。だが、もしも、この自然現象が、起きると考えるなら、あの地域全体が、定住に適さぬものと、見做すべきではないか。逆に見れば、それ程の想定をしなければ、稼働を妨げることが、できないということか。その点が、外部評価にあたる人々の、まさに、想定外との反応を招いたのだろう。法曹界に、非常識が蔓延している、などと揶揄され、法律と言っても、文字となったものしか、理解できず、本来なら、その根源となった筈の、社会的常識や習慣、更には道徳や倫理などにも、理解が及ばぬ人間が、多くの人々に、影響を与える決定を、下す力を持つことに、危機感を抱く人は多い。特に、段階を経て、最終決定がなされる仕組みの中で、目立とうとする心が、非常識でも、注目を浴びる決定に、飛び付くのは、法律家どころか、人間失格と思えてくる。社会も、次の段階を待たず、今の決定を、真面目に議論すべきだろう。

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12月14日(木)−愚説

 どんな決定が、また根拠は如何に、と注目が集まった判決は、住民が歓迎するものとなった。だが、そこに並んだ、根拠に関しては、首を傾げざるを得ない。近年の、地震や噴火に対する、無責任とも思える、学会の方針を、全面的に受け入れるもの、と映ったからだ。
 予知の問題で、長年に渡り、邁進し続けた人々は、不可能を口にする代わりに、確率を並べることで、危機意識を、失うべきでない、という姿勢を貫いている。しかし、その数値には、どんな手が施されたのか、意味不明とも思えるものが、並んでいて、理解に苦しむ。それよりマシとはいえ、噴火についても、予知への疑惑が、突き付けられており、危険度を高めることで、責任逃れの一種とも思える、体制が整えられつつある。そういう背景の下で、将来の危険性を、論じた結果としての、判決であったのだが、唖然としたのは、想定される被害の大きさだけでなく、それが広がったとしたら、対象となった発電所どころか、そこに至る地域全体への、影響の問題である。判決で想定された、被害が起きるとしたら、周辺地域は、住むことに適していない、となる筈だろう。だが、そちらに議論が及ぶことはない。対象が限定されており、地域に住む人々の危険は、見向きもされないからだ。更に、この議論を広げれば、人々の住む権利を、侵すことへと結びつくが、それはそれで、法の下の平等を、侵すこととなりかねず、お節介となるだけ、と見るのだろう。でも、それでいいのだろうか。勝利を手にした人々は、我が意を得たり、とばかりに悦に入ったようだが、その想定では、何十万、恐らく何百万もの人々に、命の危険が及ぶことを、示しているのだ。ある馬鹿げた考えを元に、こんな決定がなされることに、肝心の研究者達は、どんな思いを抱くのか。多種多様な想定が、存在する中で、一つが選ばれたことは、科学の世界を、侵すことでしかない。

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12月13日(水)−表向き

 賞与の季節となり、株価の上昇基調から、ストックオプションなる報酬に、注目が集まっている。新株予約権なる意味だが、ここでは、役員や従業員を対象としたもので、株価の上昇が、士気を高める効果を、産み出すと言われている。長所ばかりに、目が集まるが、欠点もあるようだ。
 経営者の中には、新しいものに、すぐに飛び付く人が、多いとも聞くが、報道によれば、それを裏付ける、とも思える動きが、起きているとある。仮想通貨は、投資の世界では、新たな対象として、注目を浴びているが、仕組みの脆弱さと共に、最近の乱高下の状況に、不安が膨らみ始めている。その中で、給与として、これを渡そうとする話が、出てきたとされる。始めに取り上げた、新株予約権と同じ、と見る向きがあるようだが、そこには、歴然とした違いが、あることに、気付かないのだろうか。自社の株価の上下は、他の要素もあるが、多くは、業績に左右される。そこに、株の保有を促し、自己資産を、殖やそうとする気持ちから、仕事に精を出させよう、とする思惑がある。価格が一定でないことが、意欲への影響を強める効果を持つ、と言われる訳だ。仮想通貨の変動は、それと同じものだ、とする見方が、この給与支払いの意図、と思われるが、その変動には、一企業の業績は、全く影響しない。これでは、他力本願を、目指すばかりとなり、他人の動向を、一喜一憂しながら、見守るしかないことになる。仕事に身が入る筈もなく、成績を上げて、給与を上げたとしても、そこに更なる上積みを、乗せるようなオプションは、気紛れ的な、相場変動に、期待するしかなくなる。企業にとっての利点は、一時の出費を、考えればよく、将来の浪費を、心配する必要がないことで、経理として、重要な要素となり得る。この話は、実は、そこに読み筋があるのではないか。流行に乗せたふりして、無駄を減らそうとする。

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12月12日(火)−対等に

 高名な賞を、受賞した人に、群がる人々が居る。当然のこと、という解釈は少なく、突然の喜び、といった受け止めが、多いようだが、その騒ぎに乗じて、何か新しい事実を、掘り下げようとするものらしい。そこでは、要因を、見出そうとする努力が、なされることが多い。
 世界が認める成果は、多額の研究費によって、収められたもの、と見る向きもあり、そういった質問が、度々浴びせられるが、正直な受賞者の一部からは、成果を認められる過程で、徐々に、支援が高まったことより、成果を得る段階で、細々と続けられていた、少額の支援を、強調する意見も出てくる。ただ、期待外れの返答に、興味を抱かず、そういう意見は、片隅へと、追いやられてしまう。より大きな注目を、浴びる対象は、巨額な支援を、あてがったことであり、その必要性を、世に訴えようとする、意図が現れている。それはそれで、競争的資金を、強く押し出したい、官僚達の目論見を、表すものだけに、歓迎の声が出るが、正直者の気持ちは、全く別の所にあり、裏切られた気分が、残ってしまう。最近の受賞者が、新たな支援の仕組みを、提案するだけでなく、自ら出資したのは、報道の力に頼っても、意見が捻じ曲げられ、思いが伝わらない、という懸念が、あったからだけでなく、自ら動かねば、思いが成就しない、という気持ちが、現れたからだろう。条件を有利にする為には、競争に勝たねばならない、という原理が、競争の中に持ち込まれ、それに、勝ち残った人間が、勝ち続けるという、不平等が、当然と見做される中で、どんな支援が、必要なのかについて、様々な意見があるだろうが、最も確実なのは、度々批判の標的とされた、所謂「バラマキ」こそが、同一条件を、設定できる手立て、と思えてくる。最低限の支援を、全体に行き渡らせた上で、必要に応じて、競争を採り入れてこそ、真の成果が得られる、のではないか。

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12月11日(月)−競争差別

 平等は、競争のないこと、という誤解が、社会に蔓延した時代、学校の徒競走でさえ、皆で一緒にゴールすることが、良しとされていた。高度成長が、そんな形で、社会全体を、微温湯に浸け続けた結果、崩壊から、衰退へと続く圧力に、抗う力は、残っておらず、暗黒期へと落ちていった。
 その中で、光が差したと思われたのは、「改革」を掲げた宰相の登場で、熱狂的な歓迎を、一部で受けていた。しかし、時が経ち、鳴り物入りで行われた、「改革」の多くが、ハリボテに過ぎず、時に、深刻な副作用から、大きな傷跡を、残す結果となった。特に、市場原理という、一部の経済学者の思い込みが、強く導入された結果、全体の均衡は失われ、国民性にそぐわぬばかりか、世界に通用せぬ仕組みが、社会の病へと繋がった。しかし、競争に名を借りた、国家予算の支出削減は、収入増の機会を奪われた、財務省にとって、魅力的な政策と映り、一気にその範囲が広げられた。例外無き、という謳い文句も、強力な後押しとなっていた。振り返れば、どれ程の無駄を、この政策が産み出し、どれ程の歪みを、残したか、見定められないくらい、広範囲に渡っている。民営化という掛け声も、当時、様々な分野で、使われたが、ここでも、予算削減以外は、悪影響のみが残っている。国民の生活だけでなく、そこから遥かに離れた場所でも、深刻な影響が現れ、危機を訴える声が、高まりつつある。研究活動が、衰えつつあるとの報道も、その一つで、同時に、不正の問題が、発覚することは、現場の荒廃を、表しているようだ。国立大学の法人化自体にも、多くの問題が見えるが、それに被せる形で、予算削減の身代わりとして、導入された競争的資金に、根本的な問題を指摘する声が、強まっている。その一つは、競争は、同じ条件下で、行われるべきものなのに、ここでの競争は、有利な条件を、手に入れる為、となっていることだろう。勝てば、次も、勝てる、という図式に、疑問を抱かぬ人々に、「競争」を口にする資格はない。

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