パンチの独り言

(3月12日〜3月18日)
(意見を返す、堕落、制動力、へこたれぬ、主従関係、独裁者、気紛れ)



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3月18日(日)−気紛れ

 英才教育、という言葉を、とんと聞かなくなった。何故だろう、と思っていたが、思い当たることが、出てきた。英才を扱うのではなく、押し並べて、早期教育を、施そうとする動きが、急になったのだ。選ばれし者、ではなく、誰もが、受けられることが、重要らしい。
 安定した時代に、大きな変化は訪れず、先の見通しも、良好に見える。だから、従来より、早い時期に、教え込もうとするのは、自然の成り行き、と見えるかもしれない。だが、その実態は、思惑通りには、運んでいない。分相応とは、貧富や地位に関して、よく使われるが、能力も、その対象の一つだ。教え育む中で、それを受け止める、準備ができているかどうかは、昔から、重要とされてきた。だが、安定が、人の心に与えた影響は、先走りとなり、早ければ、良い結果を、早く得られる、とばかりに、挙って導入された。その結果は、芳しいものではなく、その影響を、悪い意味で受けた子供達には、大きな傷を、残している。それでも、効果がある筈、と信じる人々は、依然として、金科玉条の如く、早期教育の効用を、訴え続ける。最近の教育において、一番大きな問題は、何かと問われたら、おそらく、検証なき改革、となるだろう。次々と、新機軸が打ち出され、実行に移されるが、それが、どんな効果を産み、どんな影響を与えたか、調べられることなく、次の試みへと、興味が移される。学者達は、良かれと思い、提案を出すし、役人達は、将来の繁栄に、改革は不可欠と説く。だが、現状の問題が、検討されることなく、思い付きの改革に、手を出し続けるのでは、確実な成長を、子供達に、約束することさえ、できないままとなる。一体全体、何を、どうしたいのか、さっぱり解らないのだ。英才を、対象としていた時代は、賛否があったとはいえ、犠牲となるのは、一部でしかなく、それも、選ばれし者だった。だが、全体を対象とする、早期教育には、害ばかりが目立ち、益が見えてこない。どうしたものか。

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3月17日(土)−独裁者

 あらゆる組織で、円滑な運営には、力の集中が、重要となる。会議ばかりで、何も決まらず、無駄な時間が、費やされる。そんな組織は、早晩、疲弊してしまい、良好な運営は、高嶺の花となる。しかし、集中が過ぎると、独裁という、異常な状況を招くのだ。
 どう均衡を保つかが、運営において、不可欠となるが、中の人間にとっては、どの程度、過剰な集中となっているか、判断が難しい。円滑な状況が、続く限りは、何の問題もない、と判断できるが、実際には、その過程で、限界を超える状態に、至っていることがわかる。ただ、それ自体は、内部から見えることなく、順調に、事が進む中で、突然、多くの問題が噴出し、迷走が始まったり、急な停止に見舞われる。原因は、後から考えれば、すぐに見えてくるが、進行中には、何が問題なのか、見えてこない。それにしても、今、世界を駆け巡る、各国政府の状況は、独裁を、危惧させるような、ものばかりではないか。任期の撤廃を、進めるのは、まさに、その典型であり、これまでの様子からも、極端なやり方が、継続すると思える。実は、別の見方では、これまでの圧政の結果として、退いた後には、自らの命の危険さえ、感じられるから、などと言われる。真偽の程は、確かではないが、それくらい、劇的な手法が、用いられたのだろう。その隣国は、退任後に、無事だった大統領はおらず、今や、在任中にまで、標的とされる。狂気の沙汰とも思えるが、これも、国民性の一つなのか。一方、海の向こうも、話題に事欠かない。想定外の就任に、政府要員を、準備できずに、1年後の大混乱を、起こしているし、もう一つの大国では、既に、任期の撤廃だけでなく、多選も問題なしとなり、独裁化が進む。この国も、そんな気配を漂わせていたが、状況が大きく変化し始めた。だからと言って、今、世界を覆う、独裁化の雰囲気は、簡単には晴れそうにない。

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3月16日(金)−主従関係

 政治家達の詰問に、毅然とした態度で、受け答える姿に、省内では、英雄との声も、起きていたらしい。力関係が、明確になるのは、実は、政府と役人の間だけで、一般議員のことは、気にもしない、と言われる。「先生」との呼び掛けは、便利な挨拶でしかない。
 舞台劇なら、それはそれで、役者としての、価値となっただろうが、現実社会では、台本通りに、読み進んだといっても、下手な脚本では、多くの矛盾が、残されてしまった。そこで、という訳でもあるまいが、修正を施すことが、脚本書きから、指示されたのだろう。自分達の世界では、辻褄合わせの修正、としか見ていなかったが、一般社会では、一度決裁を受けた書類に、手を入れることは、明らかな改竄であり、それも、違法行為と見做される。法を遵守すべき、公僕達が、犯罪に手を染めた、という事実は、それだけでも、重要なことだが、英雄と目された人間が、率先して行った、とみられることは、属する省の腐敗ぶりを、表すこととなった。この役所に限らず、国の役所の多くが、こんな不祥事を、次々に起こす背景には、力関係の変化がある、との指摘がある。宰相を筆頭とする、組織を支える、府の付く役所に、強大な力を与える改革は、各省庁から、猛反対を受ける中で、実行された。人事権をも含む、権力集中に対し、懸念を抱く声が、高まったようだが、当時、報道は、大した扱いを、しなかったのではないか。所詮、役所間の権力争いに過ぎず、それで、政治が変わる筈もなく、国の運営が、危うくなるなどと、想像だにしなかったのだろう。だが、力を得た人間の、やることには、常識を逸脱したものが、溢れ始めてきて、不祥事の連続が、起きている。互いに、対等な立場であれば、内部では気付かぬ問題を、指摘することも可能だが、上下の関係では、服従するしかなく、非常識さえ、罷り通ることとなる。元々、常識のない人間の集まりに、こんなことは、よく起きることなのだろう。

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3月15日(木)−へこたれぬ

 満足げな声が、聞こえてくるのは、高校までの課程だろう。役所が定めた目標を、達成できている、と悦に入るのも、そこまでで、その先のことは、知ったことではない。兎に角、厳しい制限をかけられ、合格という、確かな目標に向け、努力を促す。その結果は。
 合格を、勝ち取るという目標は、ほぼ全ての人間が、達成する。狭き門、とも言われるが、全体で言えば、何処かに、行けるのだから、門構えは、無いに等しい。大学の存在が、多過ぎるのが、原因の一つだが、一方で、進学者の数は、減り続けている。結果として、現場では、不満が溢れ、気力の無い学生に、呆れる声さえ、出てくる始末だ。それでも、入学させたのは、大学の責任であり、能力の無い学生とて、成長させねばならない。その上、彼らにとっての、次の目標は、就職であり、社会に対する大学の責任は、かなり重い。しかし、大学を目指した頃とは違い、定まらぬ目標に、対策も、整わぬままとなる。漫然と、講義に出て、試験前に、急拵えの勉強を、したふりをする。身に付かぬ知識は、その度に、過去問という道具で、厚化粧を施される。本来なら、長い時間をかけて、築き上げられる筈が、基礎も整わぬままに、未完成のままとなる。その中で、言われるままに、真似るだけの努力を、してきた人間は、無から有を、産み出すことが、できずに、途方に暮れる。その上、真似させるだけで、作ったものに、手を入れる手間を、省いた教育では、有を作ったとしても、役立たずなものしかできず、更に、指摘を受けての改善は、必要さえ感じない、傲慢な態度を見せる。学ぶことも、成長することも、叶わぬままに、社会に出る人々に、大学の責任は、果たされていない。だが、大人になりつつある人々は、心が成長せぬまま、不完全なままに、自信たっぷりな表情を見せる。大学の役割は、教えることより先に、凹ませることにある。

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3月14日(水)−制動力

 やっと、一年経った、と思っていたら、まるで小説より奇なり、とばかりに、そして誰も居なくなった、と思える状況が、起きている。就任当初の陣容は、すっかり変化し、残っているのは、最側近のみ、ではないだろうか。この原因は、当然、あの男にある。
 皆を愕然とさせたのは、暴露本の中だったかに、記されていた通り、当人が、選ばれるとは思っていなかった、という話だろう。その気の無い人間に、重要な責務を負わせても、無責任な判断が、繰り返されるばかりで、何の成果も、得られない。と結論付けるには、少し気が早いものの、これまでの成果は、おそらく、一部の減税しか、思い当たらないだろう。それも、対象が、喜んだだけで、国全体に、恩恵が広がる気配は、見えてこない。同じ考えを、適用しようとする、海のこちら側も、中心となるべき、役所の不祥事で、先行き不安が、広がると伝えられる。だが、それ以前に、企業に擦り寄る形の減税は、何の利益も産まず、ただ、蓄えを増やすのみとなり、空振りに終わることは、明らかだった。所詮、相手の喜ぶことを、と目指す政策は、そこだけに、影響は止まり、差別感を、更に強めることにしか、ならない。何故、こんな政策が、歓迎されるのかは、視野の狭い人間を、相手にするからであり、褒美を与えることが、自分の利益に、繋がると思うからだが、この考えの浅さは、嘗て無い程に、世界中に広がっている。民衆が、発言権を持ち始め、それが、裁量権を得た、という考えに結びついたことで、身勝手な要求が、巷に溢れ始めた。節度ある要求より、法外な要求に、魅力を感じる、愚かな民は、欲に駆られて、更なる要求を掲げる。この中で、君臨する人々は、愚の骨頂とも言える、言動を繰り返す。崖から落ちる前に、止まる手立ては、見つかるだろうか。

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3月13日(火)−堕落

 愈々、窮地に追い込まれた。だが、厚顔な輩達は、台本通りの台詞を、並べるだけで、何も変わろうとも、変えようとも、しない。所詮、そんな組織なのだ、等と言っても、それが、国を牛耳る所だけに、それで済むとは思えない。地に堕ちた、と言われてから久しい、が。
 国を動かすのは、政治ではなく、役所だとの自負も、今では、殆ど消えてしまった。上からの命令を、ただ守ることで、出世の道を、確保しようとする考えが、役所を占めてから、国の行く末も、暗くなるばかりとなった。だが、単に、仕事ができないだけなら、こんなことは、起きなかったろう。能力が低下するに従い、道義に反することが、世の中だけでなく、組織内に溢れるようになり、不祥事と呼ばれることが、頻繁に起きるようになった。それも、本来なら、下々の者が、犯したことに対し、指導や命令を下す為の組織が、率先して、不正を犯すようになり、締まりが緩くなった。上がやっているのだから、等と平気で宣う人々は、悪事を意識することなく、当然のこととして、悪事を重ねる。今回の件も、良かれと思った、等と言い出す代わりに、自分たちがやった、と繰り返すばかりで、何とかの一つ覚え、としか思えないが、画面に見える、大真面目な様子からは、何とかより、無能が明らかになる。一時、流行っていた、「忖度」という言葉も、こんな場面に、当てはまりそうに思えるが、実際には、忖度には至らず、単に、自分を守る為の、一手段にしか過ぎない。相手や周囲に対する、配慮の有無が、この国の変化として、現れているが、ここでも、自己中心の満足が、諸悪の根源、となっている。何が正しいか、より、どうすれば良いか、を優先させた結果、暴走が続き、国全体の混乱を、招いてしまった。件の役所は、地に堕ちた評判の中で、果たして、他を牛耳ることが、続けられるのか。あの宰相の運命と同じで、先が見えないのだろう。

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3月12日(月)−意見を返す

 他人に、意見を求められた時、どんな反応を示すべきか。肯定的な評価を、返すべきか、あるいは、否定的な意見を、返すべきか。総じて、後者を選ぶことが、多いのだが、実は、その内容より、大切なことが、あるように思う。どの位の時間を、かけるのか、という点だ。
 意見を求めた相手は、肯定的だろうが、否定的だろうが、素早い反応を、求めている。だが、多くの人は、求められた意見として、的確なものを、返そうとする。それが、時間をおかずに、返って来れば、問題はないが、暫くしてから、となると、問題が起きる。意見を求めた内容が、締め切りが迫っている場合、肯定的な評価であれば、そのまま進めばいいが、逆だった場合、内容を改める必要が、出てくるからだ。それくらいなら、断片的でも、問題を指摘してくれれば、対応を始められるが、沈黙が続いた後に、突然、反対意見が、飛び出してくると、困ったことになる。それも、一つ二つではなく、多くのものが、返されると、対応が難しくなる。どうしたらいいのか。簡単には、無視するだけだろう。となれば、折角求めた意見も、無駄だったことになる。逆に言えば、求められた時の、反応の速さは、大変重要なものなのだ。真剣に考えたかどうか、ではなく、如何に時間をかけたか、にこそ問題がある。多くの人は、このことに、気付かぬまま、自分の世界に入り、的確な答えを、導き出そうと、時間を費やす。立ち話なら、すぐに返すのに、こういうことになるのは、何故だろう。人の性格だろうか、それとも、体面を考えるからだろうか。何れにしても、自分に課された役割を、果たすための手立てを、考えるべきなのだろう。

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