パンチの独り言

(12月10日〜12月16日)
(人気の裏、熱狂の痕、排除、広告、多重不正、騙す、医は仁術)



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12月16日(日)−医は仁術

 誰でも、死にたくない、と思うに、違いない。だが、生き永らえる為に、過大な努力を、強いられたり、意思に反する我慢を、強いられると、態度が変化する。死にたくはないが、その為に、嫌なことを続けるのは、御免だ、と思う。身勝手とも言われるが、果たしてそうだろうか。
 人生の質を、保とうという動きが、医療現場で、起き始めた頃、賛否両論が、出ていた。好き放題にしていては、命を長らえることは、できない、という意見が出され、質を高めつつも、ある程度の我慢が、必要とされる。だが、ここで問題となるのは、どんな我慢が、強いられるか、という点となる。生活習慣病は、まさに、それに当てはまるもので、それが、危険な領域に達すれば、食事制限など、厳しい圧力が、掛けられる。そこに至らぬ為に、別の努力を、促される場合も、数多くある。日頃から、暴飲暴食を控え、分相応に、止めるように、促されるのだ。だが、何も暴れておらず、楽しみを、追求しているだけ、という人にとって、少ない楽しみを、長命の為と称して、奪われるのは、明らかに、質を低下させられている。そこまでして、長生きしたいとは、思わない、という人も、居るに違いない。だが、医療の現場では、依然として、そのような質の追求は、忌み嫌われている。危険性を、排除する為に、好きなことを、控えさせられる、どころか、奪われることになる。その代わり、長生きできるから、との説明を受けても、実際に、死なずに済むか、と言われれば、誰もが、寿命を持ち、いつかは死なねばならない。だとしたら、精一杯、楽しみたいと願うのも、人情ではないか。それを、奪ってでも、生き永らえさせよう、とする医療行為は、果たして、患者の為のものか。死にたくはないが、でも、美味しいものを、食べたいと願う人から、その権利を奪うことは、果たして、仁術と言えるのだろうか。

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12月15日(土)−騙す

 より多くの客を、集める為には、何をしたら、いいのだろうか。考えるまでもない、と答える人が、多いだろう。広告を打てば、耳目を集めることができる。では、どんな広告が、効果的か。こちらには、簡単には、答えが出ない。だからこそ、広告会社なるものがある。
 以前なら、ほぼ丸投げの状態で、広告会社の提案を、鵜呑みにしてきた。だが、法外な広告料を、請求されたのに、客が集まらない現状に、不満を抱いた人々は、少しずつ、考えを変え始めた。餅は餅屋、であることは、事実だが、費用に見合う成果が、得られないのなら、別の方法を、考えるべきではないか、と。その結果、社内に、その為の部署を設け、自社製品の特徴を、如何に効果的に、顧客に伝えるか、を論じる人々が、集められた。その後は、少しずつ、様子が変わりつつあるが、その中で、別の要因が、より大きな影響を、及ぼし始めているようだ。公共電波や新聞、雑誌などが、それまでの広告の、媒体となっていたが、大部分の人々が、端末を手に、情報収集に精を出すと、状況は、一変したと伝えられる。手の込んだ、印象的な広告より、頻繁に目に触れ、直接的な訴えをする、即物的な広告の方が、効果を上げる、と言われ始めたのだ。だが、どちらにしても、勧誘には、ある程度の誤解が、必要不可欠となる。それまで、興味のなかったものに、急に目が向く為には、少々の、誇大表現や過剰演出は、止むを得ない、という訳だ。その傾向は、企業活動だけでなく、顧客を相手とする、あらゆる分野に、現れてきた。ただ、中には、本来の姿より、別の飾り立てた姿を、見せることで、魅力を感じさせよう、と努力する所もある。学習の場は、勉めを強いる、と書くように、何かしらの努力を、要求するとされてきたが、今は、その本質には、触れようとせず、楽しさを、強調するものが、多いと言われる。客を、集める目的には、それが、最適と見るが、逆の見方では、本質を受け容れず、最小の努力で、最大の成果を望む、軽薄な客を、集めようとすることとなる。そこには、社会的要請にさえ、応えられない組織が、ある。

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12月14日(金)−多重不正

 ある意味、予想通りの展開、と言えなくもないが、それにしても、進展がない。逮捕した後も、決定的な証拠が、突きつけられる訳でもなく、拘留期限が、来る度に、延長手続きが、行われる。この国では、当然の措置だが、他の国には、異様と映るらしい。
 徹底捜査の故、との理由からだが、逮捕に至った経緯からは、十分な証拠が、揃っていたのでは、との指摘があるのも、当然のことだろう。だが、逮捕には十分でも、罪状を、決める為には、まだ、足りない部分がある、ということになる。それも、容疑者が、罪を認めない姿勢を、貫いているから、終息が見えてこない、ということだろう。一方で、企業の責任を、問う声は、高まり続けている。証拠と言われる、書類に関しては、社内での決裁を、経たものであるだけに、個人の責任だけでなく、企業としての責任も、あるに違いない、と言われているのだ。この点は、多くの人々が、はじめに感じた違和感の、核心であり、やっと、正常に戻りつつある、と見えている。そこに、畳み掛けるように、伝えられたのは、別の不祥事だ。検査の不正が、様々に伝えられ、企業としての責任について、別の面でも、問題が存在することが、明らかになりつつある。この点に関しては、製品の供給を、行っていた企業の、不正を暴いた事件と、中身がそっくりなことに、気付く人は多いだろう。他社の不正に対して、毅然とした態度で、訴えたことを、評価する声が、当時聞こえたが、現実には、自分も、同じ悪事に手を染めていた。この事実を、どう評価するのか。そこから、窺い知れるのは、あの告発が、思惑に満ちた、大芝居であった、という疑いだろう。別の企業とはいえ、連携する中で、隠すのではなく、厳しく追及することで、解決を図ることが、できたのでは、という疑問も、その後の買収という結果から、薄汚い思惑を、強く感じたことから、解けたような、気がしたものだ。

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12月13日(木)−広告

 第一報に、違和感を、覚えた人も居るだろう。海の向こうから、伝わってきたのは、両大国が、解決策を講じる中、その一方から、要請されたとして、あちらの隣国が、もう一方の、企業の首脳の一人を、拘束したという報道で、その国での、違法行為が、理由ではなかった。
 国と国の関係は、様々に異なるが、これは、両国が、同盟関係にあり、犯罪者の扱いについても、親密な関係を、築いていることを、表している。それでも、こんなやり方が、あるのか、と思った人が多いのは、拘束理由が、犯罪の疑い、ということに過ぎず、逮捕とは異なり、引き渡すことで、捜査を始める、と言われたことだ。国際関係は、以前のように、二国間の関係ではなく、他の国との関係をも、含める必要があり、状況は、複雑になっている。だが、製品の輸出など、機密保持に、反する行為に関して、制限がかけられることに関して、この国は、嘗て、厳しい処分を受けた経験があり、その意味で、今回の事件の背景については、理解できる人が多いのではないか。今、両国間で、関係悪化が伝えられるから、ではなく、互いに取り決めた規制に、違反する行為が、行われたから、という理由であれば、十分に理解可能な状況にある、と言えるだろう。だが、伝え方は、悪化が背景にある、と決めつけており、報道の基本が、失われているように見える。この企業が、国家機密の管理に、悪影響を及ぼすとされ、排除が進められつつあることは、昨日も、少し触れたが、その中で、この拘束事件と共に、不思議に思えることが、こちら側で起きている。それは、この企業の広告が、突然、増えたように感じられることで、問題となる、情報端末での、利便性を主張する内容は、穿った見方をすれば、それに騙され、無意識のうちに、不正な情報収集に、加担することが、繋がることを、想像させる。どうなるのだろうか。

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12月12日(水)−排除

 情報漏洩は、国家機密に関しては、あってはならないこと、と言われる。だからこそ、隣国の企業の製品を、海の向こうの国は、排除しようとしている。こんな報道があり、やはり、隣国の特徴、と捉えた人も、多いだろう。国による管理を、疑っているからだ。
 情報機器による漏洩は、気付かぬうちに、行われる、と言われる。毎日使う人にとって、情報の遣り取りは、当然のことだが、その行き先や、内容について、気にする人は、殆ど居ない。だが、嘗ての状況を、覚えている人にとって、その危険性は、十分に理解できるものだ。パソコンを、動かす仕組みは、OSと呼ばれるが、この更新が行われた際、通信量の急増が、一部の管理者の間で、話題となった。本来、使用者が、目的を持って、情報の遣り取りをする際に、通信が行われるが、そうでない時にも、パソコンが、自動的に通信を行っていた。その後、その仕組みは、取り除かれたようだが、便利な道具は、別の使い方も、できるということは、悪意を抱く人が、情報収集をはじめとして、悪用する機会を、与えることになる。この企業は、海の向こうの国に属するが、あちらでは、企業と国の関係は、殆ど無い、と信じられている。真偽のほどは、明らかでは無いものの、こちらの隣国に比べれば、独立性は、保証されている、と言われる。では、隣国の企業は、どうだろうか。国の仕組みからして、自由は保証されず、国益を、最優先することは、明らかだろう。となれば、機密を盗み取ろう、と国が思えば、それに加担することも、と疑われても、仕方ないのではないか。国を挙げて、激しい反論を展開するが、これまでの行状からは、疑っておいた方が、いいだろう。ただ、これで十分とは言えない、と専門家達は、発言する。便利な道具の、使用範囲を、制限するしか、漏洩は、防げないということだ。

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12月11日(火)−熱狂の痕

 同じく、情報が肝心、と思われる世界が、ある。食事をする場所で、優劣が付けられ、星の数で、順位が決まる、と言われる。誰が、どんな基準で、決めているのか、怪しさが、無いとは言えないが、確立した仕組みは、疑いを、排除する力が、あると言われている。
 権威に、振り回されるのは、御免という声も、聞こえ始め、ガイドとは違う、仕組みが導入されているが、こちらはこちらで、数の勝負であり、集める力が肝心、と思われる。選挙のような形態だが、集客力には、別の仕掛けが、あると言われたりする。注目を浴びる為に、様々な仕掛けを、作り上げる中で、本来の実力とは、違う力が、働き始める。したり顔の評論家が、登場するのは、権威に頼るものとして、嫌われることが多いが、一方で、露出を増やす為に、使う場合があるようだ。情報源を、端末に頼る人々は、公共電波には、関心を持たない、と言われるが、ネット上の情報とて、同じ源を持つ場合が多い。その結果、マスコミに取り上げられ、注目を浴びている、と報じられた方が、遥かに、大きな力を得られる。波に乗ることで、人気を得たと、思い込むことは多いが、実際には、一時のことで、真の実力とはならない。となれば、熱狂的な人気も、一夜にして、冷え切ることになる。今、売れているように見えても、それが長続きせず、いつの間にか、忘れられてしまう。これもまた、人気商売に過ぎず、続かねば、消え去るしかない。或る日突然、そこにあった筈の店が、姿を消すのも、そんな事情なのだろうか。次々に、増殖し続ける店や、業態を変えつつ、名を売り続ける、店なども、凋落の時が来ると、あっという間に、見かけなくなる。人それぞれに、思い当たる所は、幾つかあるだろう。味で勝負するならまだしも、話題性のみで人気を得ても、長くは続かない。その意味では、権威の評価も、同じことだ。

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12月10日(月)−人気の裏

 情報が全て、と思う人が、居るらしい。最新の情報を、どう集めるかが、肝心とばかり、手元の端末を、眺め続けている。生活のあらゆる要素に、情報がもたらされ、それを活用して、より良いものを、手に入れようとする。本当に、そうなのか、疑う人も多いが。
 しかし、熱を上げる人々の数は、増えることはあっても、減ることはない、と言われる。当然、情報を握り、自在に流す組織が、急成長を達成し、巨大化が、著しくなっている、と伝えられる。確かに、情報を掴めば、何らかの利益が、得られるかも知れない。しかし、その実態には、怪しげな影が、見え隠れする。ありもしない事実を、情報として流し、それにより、利益を得ようとする輩や、競争相手を、蹴落とそうとして、偽情報を、拡散させようと、画策する輩が、暗躍し始めている。情報の真偽は、流出元で、精査しない限り、流出先では、判断ができない。その為、偽物に、騙される人々が、急速に増加している。玉石混交の状況に、懸念を示す人が居る一方、嘘や偽物が、横行する組織は、早晩、淘汰される、と楽観視する人も居る。だが、情報に振り回されるのが、たった一度にしても、被害が大きければ、忘れることはできない。それは、致し方ないこと、とされても、納得はできないだろう。昨日、偶々入った店も、新業態として、高い評判を得てきたが、理解不能な点が、多いことも、事実だろう。立ち席での食事だが、高品質のものを、安価で提供することで、注目を浴びてきたが、最近は、多種多様な形態となり、理念が失われた、とも伝えられる。その一つでは、ある県のアンテナショップだった所に、出店して、高価な食パンで、人気を得たと評判らしい。だが、店内での食事は、様々な点で、不快を催し、買い物の列が、背後に迫る程となる。自信に溢れる商法が、脆弱性を示し始めたのは、創業者の、以前の商売の、今の為体と、似ているのではないか。

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