パンチの独り言

(3月25日〜3月31日)
(新商売、轍を踏む、身の丈、愚かさ、地方議員、一念発起、違約金)



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3月31日(日)−違約金

 晩年の父の楽しみは、電話だったのではないか。動きがとれぬ中、ふと思いつき、誰彼なく、ボタン一つで、繋がる世界に、生きる喜びを、感じていたと思う。世間では、詐欺の道具として、悪者とされることも、多いのだが、一方で、孤独を感じる、老いの楽しみとなる。
 その命の絆が、手を離れたことがある。貴人との対面で、恐縮した付き添いが、うっかり、水没させてしまったことから、騒ぎは始まった。契約者が、息子であったことから、新しい電話機を、手に入れる試みは、混迷を極め、何度も頓挫した挙句、解決は、思わぬ所から、舞い込んだ。遠方からでも、入手出来る方法は、補償サービスという仕組みに、あったのだ。電話連絡のみで、機種を選定し、契約条件を、決めることができ、父が入手出来る、近隣の店での、受け取りも可能となった。その際、例の縛り期間の紹介が、あったのだが、そこに、落とし穴が、あることに、気付かなかった。今、不当な制度として、見直しが、進んでいる、縛り制度は、乗り換えが、頻繁に起きた頃、それを防ぐ、唯一の方法として、企業が考えついた、苦肉の策である。だが、今では、不当と見做され、制度廃止が促されつつある。死去に際し、楽しみだった電話も、その役目を終えたので、解約の手続きに、店を訪れた。その時の対応は、丁寧だったが、ある意味、慇懃無礼とも思えるものだった。曰く、契約違反なので、違約金が必要である。理由は、契約者の名前しか、記録されておらず、利用者の名が無いので、死去に伴う、契約終了とは、見做せないと言う。面倒だったが、ただ一言、それなら、何故、契約時に、それを伝えずに、説明を終えたのか。相手が違うから、取りつく島もない、のは明らかだが、それにしても、こんなことを、平気で行うのが、この国の企業や役所が絡む、契約の常だ。説明不足では、契約は成立しないのは、明らかなのだが、こんな暴挙が、罷り通る。契約社会には、程遠い状況なのだ。

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3月30日(土)−一念発起

 ついに、重い腰を上げた。前世の遺物かの如く、扱われ続けてきた、古い形式の携帯電話を、ついに手放し、スマートフォンと呼ばれる代物を、手にしたのだ。面倒な仕組みと、付き合う気は、毛頭無かったが、いかんせん、時代の波に、飲み込まれることとなった。
 通信形式の変化は、テレビの世界で、起きたことだが、あの無理強いでも、重い腰を、上げざるを得なくなった。今度も、同じことだろう。仕組み自体に、大きな変化はなく、そのまま放置しても、大過は起きない、と思うのは、古い時代の人間だろう。何でも、新しいものが、持て囃される中で、そんな遺物に、いつまでも、しがみつくのは、邪魔者となる。だが、それにしても、使いにくいこと、この上なしだ。まず、着信音を、消す為の操作が、見えてこない。説明書さえ、印刷されたものはなく、本体で、繙くしかない。それと共に、重要な操作は、運転中の操作を、可能にする為の、手順だ。こちらも、以前の仕組みなら、と思いつつ、手順を進めたが、頓挫した。先ほど、やっと発見した、振動方式への転換と、同じ場所に、その操作ボタンを、見つけた。だが、それでも、どうすればいいのか、見えてこない。結局、車の仕組みと、スマホの仕組みを、同時に操作すると、勝手に設定できたようだ。使い方が、容易にわかる、という謳い文句は、こんな部分に、現れているのだが、初心者に、分かるようには、なっていない。数え切れぬ程の、機能を搭載した、と言われるが、誰一人として、全てを使いこなす人は、居ないと言われるのも、当然だろう。そんなことを、していたら、肝心の仕事に、支障が出てしまう。仕事を持たぬ人でも、寝る時間さえ、奪われかねない。こんな馬鹿げた道具に、振り回される時代、となったのだろうか。否、そんなことはない。ほんの一握りの、機能だけで、満足すればいいのだ。

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3月29日(金)−地方議員

 末は博士か大臣か、などと言われたのは、遥か昔のことだ。頭のいい子供に、このような期待を抱いたのは、二つの地位が、特に優れたもの、と見做されていたからだろう。だが、今、こんな言葉を、発したら、奇異な目で、見つめられ、非常識な人間、と断じられる。
 どんな人でも、大学に長く居続ければ、その資格は、簡単に手に入る、とまで、揶揄される時代となり、足裏の飯粒などと、諦めに似た呟きを、発することさえある。優秀だからこそ、ではなく、他に、何もできないから、とまで、言われるようでは、無能と見られる、という懸念も、致し方ない所か。一方、政の世界での、勲章の一つと言われた、地位の方も、最近は、魅力が感じられない。寄らば大樹の陰、とばかり、有力者の腰巾着となり、その力に期待すれば、その内、何処かから、声が掛かる。権力の集中だけでなく、その継続が、約束されるようでは、政権の中心近くに、居座ることこそが、権力の象徴であり、それこそが、能力を測る指標、とされるわけだ。本来、政においても、如何に振る舞うかや、新たな政策の立案に、関わることこそが、能力の表れだった筈だが、今や、有力者を見極め、近づくことが、第一とされる。国政はまだしも、地方の政治となると、その状況は、更に劣悪なものとなる。最近の議論で、呆れたのは、議員達の生活が、脅かされている、という状況で、議員収入だけでは、生活が成り立たない、というのだ。本末転倒、とも思えるのは、地方議員を、職の一つと見做すことで、その収入だけで、日々の生活が、送れるとの思い込みだ。所詮、地域の有力者の、副業と思われたのは、昔のことらしく、今は、若者が、本業の一つとして、取り組むべきもの、との見方がある。だが、日々の労働として、見合う仕事でもなく、様々な状況の把握こそが、重要となる立場なのだ。だとしたら、片手間でやって貰った方が、遥かにいい仕事ができるだろう。

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3月28日(木)−愚かさ

 分かり易い話が、持て囃される。何も考えなくとも、成る程、と思える話を、歓迎するのだ。だが、そんな風潮が、招いたものに、頻発する詐欺事件、があるのではないか。感情に訴える、単純な筋道の、話ばかりを、好んで聴いたことで、身に付いたものは、何も無い。
 それどころか、害を産むのだと、はっきりと認識した方がいい。複雑な話に、耳を傾けつつ、思索に浸ることは、今の時代は、無駄と考えられている。だが、物事を、深く考えることで、始めは、見えていなかったものが、徐々に、その姿を、現してくる。その過程を楽しむことこそ、思考の意義の、一つと思える。だが、それを、忌み嫌った結果、表面的なことで、振り回される人間が、作り出される。簡単には、騙されない、と思う人程、あの手の詐欺に、騙される、などと言われるが、考えもなしに、思い込む人は、確かに、騙され易い。その違いに、気付かぬ風潮こそ、腐敗の主原因に、違いない。今、集まりからの離脱が、話題の中心となる国での、出来事の数々も、そんな風潮の表れ、と見える。つまり、この国に限らず、世界各地で、同じ現象が、起きているのだ。嘗ては、提案が否決された際に、退陣を、表明するのが、常だったが、今回も含め、最近は、不思議な行動に出る、国の指導者達が、目立っている。離脱の判断を、国民に委ねた指導者は、本来なら、どちらの結論が出ても、政権を維持すべきで、正しい道へと、国を導く責任が、あった筈だが、実際には、さっさと姿を消し、前の決断の責任は、一切取らなかった。その跡を継いだ、女性指導者も、頑固だけの仲間達を、説得するのに疲れ、今回の提案が、通せたら辞める、と表明したらしい。じゃあ、その提案の責任は、誰にあるのか。こんな疑問に、件の人物が、答えてくれる筈もない。では、あの国は、何処に向かうのか。衆愚政治は、愚かな政治家が、始めるようだ。

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3月27日(水)−身の丈

 分相応に、ということを、何度も強調してきたが、これ程に、冷酷な言葉も、無いかもしれない。何しろ、身分に合った、行動をせよ、というものだからだ。貧富の差が、歴然とする中で、貧困に苦しむ人々に、そこに留まれ、と言い渡している、ように映るだろう。
 だが、これ程の誤解も、無いだろう。強いるように、感じられる言い様は、実は、全く異なる気持ちから、出ている。逆に、甘い誘惑の言葉を、掛けておきながら、その後に、冷たく突き落とす連中の方が、遥かに冷酷で、自らの利益のみを、追い求めているのだ。機会を得る為に、必要な資金は、用意してやる、との仕組みは、単に、借金をさせるだけで、その後の苦しみを、強いるだけなのだ。進学に、必要となる資金を、貸与することで、確かに、希望を抱くが、貧困から、その機会を得られなかった人々は、新たな船出に、漕ぎ出すことができる。しかし、その後の展開は、抱いた希望とは全く異なる、厳しい現実であり、挫折の挙句に、背負いきれぬ重荷に、長い期間、苦しめられることになる。いかにも、物分かりのいい、大人達が、寄ってたかって、勧誘する。手を差し伸べている姿を、褒めちぎる人々は、貧困からの脱出への、手助けのように、扱うけれども、現実は、正反対へと進む。分不相応な姿は、様々な苦しみを背負い、疲弊した挙句、希望を抱いて進んだ場所からの、撤退を余儀なくされる。であれば、無償の仕組みを、作るべきとの声も、聞こえてくるが、これもまた、状況を複雑にするだけで、無益にしかならない。分相応とは、その人なりに、可能なことを、することであり、そこからの脱却は、別の方法を、講じる必要がある。一足飛びに、上から与えられたものは、身勝手な論理で、作り出されたものに過ぎず、本人の為とならない。であれば、進学を諦めてでも、機会を得る為に、努力ができる社会を、作る方が、遥かに妥当なものだ。無駄な情けを、撒き散らすのは、止めるべきだろう。

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3月26日(火)−轍を踏む

 過去の記憶が、蘇る。誰もが、経験したことだが、そのきっかけは、様々なのだろう。人それぞれとは言え、記憶の多くは、好ましいものより、苦いものの方が、多いようだ。自身のことでも、他人のことでも、何故、悪い方が、強く印象付けられるのか、不思議に思える。
 今回のものも、その一つと思えるが、まだ、方針が決まっただけで、悪くなるとは、限らない。巨人、とまで称された、IT企業の代表が、売上の減速に、苦慮している、と伝えられる中、新方針が、発表された。機器を主体とし、それに付随するもの以外には、積極的には、手を出してこなかったのが、この窮地を機会に、コンテンツと呼ばれる、映画や音楽などの、機器を通して、消費者に売り込まれるものに、手を広げようとする。一見、当然の成り行き、とも思える方針転換だが、実際には、機器という実体をもつ製品から、何かを通してしか届かない、実体を伴わない製品に、転換することになる。この話が流れた時、こちらの国の人々は、ある企業の盛衰を、思い起こしたのではないか。件の企業の、創業者が、憧れを抱いた、その企業は、高度成長期に、次々と、画期的な製品を、世に送り出し、技術だけでなく、製品かの概念こそが、重要であると、世に知らしめていた。創業者は、その様子に、羨望の眼差しを、送っていたそうだが、自身も、革命とも言われる、製品を、世に送り出し、その後の変遷でも、節目節目で、重要な決定を、下していたと言われる。彼の死後、跡を継いだ人物は、画期的とは呼べぬ、代物を、鳴り物入りで送り出すが、世界経済の情勢の変化から、苦しい立場に、追い込まれつつある。そこでの、新機軸と言われる転換だが、その姿が、憧れだった企業の凋落と、重なるのだ。あそこも、創業者から、引き継いだ代が、入れ替わり、時代の寵児と、持て囃された人物が、機器ではなく、それを通るコンテンツや、実体を伴わぬ製品へと、転換した結果、拠り所を失い、迷走を繰り返すことで、没落の一途を辿った。そっくりとは言わぬが、よく似た経緯に、警戒が必要と思える。

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3月25日(月)−新商売

 転がすだけで、収益を上げられた、あの時代を、懐かしむ声は、依然として強い。だが、ものの売り買いに、実体が伴わねば、やはり、無理筋だったと、断じるしかない。そこに、戻ろうとする動きには、どんな思惑が、潜むのか。まずは、金儲けしか、なさそうだ。
 人生の目標として、持ち家を、上げたのは、あの成長期の、特徴だったろう。だが、投資の対象としての、魅力も薄れた結果、今では、一人の人生ではなく、次の世代をも、巻き込んだものとなり、高嶺の花は、嶺の向こうに、飛んで行ってしまった。となれば、取り引きの対象と、なりにくくなる。大きな買い物となれば、手が出し難くなるのも、仕方のないことだが、商売とする連中にとっては、収入の糧が、絶たれかねない、事態となりつつある。そこで、という訳か、新たな形態が、登場し始めた。持ち家を、買い取るが、持ち主は、そのまま、住み続けることが、できるというものだ。咄嗟には、理解し難い仕組みだが、広告が、出て来る程となれば、それなりの需要が、あると思える。だが、なぜ、手に入れたものを、手放す必要が、あるのか。最大の要因は、借金なのだろう。長期の借金を、立てることで、やっと手にした持ち家も、収入が減ったり、年齢による退職などで、返すことが、難しくなると、二進も三進も、いかなくなる。そこに、手を差し伸べたのが、この仕組みだ。返却途中とはいえ、それを上回る額で、売れるのなら、渡りに船だし、資産価値が、下がる時代には、先行き不安が募るだけに、救いの手とも思える。更に、これまで同様の、生活が保障されるのなら、有難いと思うのは、当然とも言えそうだ。だが、この罠は、別の事情にも、かけられている。つまり、将来の生活への、不安を抱かせ、優良物件を、手に入れようと、画策する業者に、まんまと騙される、場合もあるらしい。そのまま住めば、税金と修理代が、必要となるだろうが、月々の払いは、それで済む。だが、一時の収入が、得られても、その後の支出が、嵩むとなれば、別の不安が、舞い込み兼ねない。どちらを選ぶかは、個人の自由だが、長い人生、長い目で見なければ、破綻するのではないか。

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