パンチの独り言

(7月1日〜7月7日)
(無視、巨悪と戦う、小国根性、二極、利便追求、救済策、心の歪み)



[独り言メインメニュー] [週ごと] [検索用] [最新号] [読んだ本]



7月7日(日)−心の歪み

 一緒に勉強する、という話に、何を思うのか。我々の世代には、首を傾げる人が、多いのではないか。塾は、確かに、存在しており、そこでは、学校と同じように、皆が一緒に、勉強していた。だが、実際には、講師が、子供それぞれに、異なる指導を、施していた。
 今も、そういう場は、提供されている。だが、今回の事件は、一人の生徒の、自宅で起きた。そこで、試験に備えて、一緒に勉強する、筈だった。それが、凶行に至ったのは、何故か。そこに、疑問を抱く人が、殆どだろう。だが、こちらは、その前の段階の、一緒に勉強、に首を傾げる。子供それぞれに、理解の度合いが異なり、それを埋めようと、各自が、努力する。それを、勉強というのでは、と思うのだ。勉強ができる子に、教えて貰う、という話なら、何となく、解る気がするが、一緒、とは、どんなことか。昔は、子供が集まれば、遊ぶに決まっていた。だから、そんな理解からすれば、また、勉強と言いつつ、遊ぶだけでは、と思うのだ。それが、いけないこと、というつもりは、毛頭ない。子供のうちは、遊びを中心にして、悪いことなど、一つもないからだ。大人の都合が、子供に押し付けられ、小さな頃から、努力を強いられる。そうしないと、将来はない、かの如くに、親は叱るけど、そんな親を見て、どうなのか、と思う子も、一杯居るだろう。反発したとしても、何かが、手に入る訳ではない。反抗期、などと持て囃された時代も、あったが、今は、少し事情が異なる。親は、子供の反発を、過度に心配し、寄り添おうとする。その結果、友達親子、などと揶揄されたが、それも、昔のことだ。今は、それでも、問題なし、と片付けられる。捻れた関係、があったかどうか、知る術もない。だが、競争社会を生き抜け、と言う一方で、一緒に安心する、のはどうなのか。明らかな歪曲がある。

* * * * * * * *

7月6日(土)−救済策

 業績不振だけが、理由ではなかった、らしい。今回の増税は、目的も不明確で、また、その達成さえ、危ぶまれる中、宰相は、正当化に躍起となり、連立与党も、弱者救済が、最大の目的と謳う。だが、導入の為に、様々な還元を、謳うこと自体、奇怪としか思えぬ。
 還元とは、一度集めたものを、戻す作業であり、それには、正確な記録が必要となる。領収書を、集めることで、申告をさせれば、済むことともいえるが、それでは、税務申告を、したことのない人々に、過度な負担を課す。おそらく、それが一番の理由で、そこで、現金払いではなく、機械を通す支払いを、条件としたのだろう。だが、それだけでは、誰とどれだけの取引をしたのか、金融機関との連携が、必要となり、それが、過度な負担として、反対理由となる訳だ。そこで、実際に、購入した相手に、その明細を出させれば、申告と一緒に、処理することとなり、手間が省けるというものだ。おそらく、そんな目論見だったのだろう。無駄と思える程、膨張した業界に、翳りが見え始め、打開策が見出せぬ中、救いの手が、差し伸べられた、との見方もある。だが、それでも、新たな仕組みを、導入せねばならず、独自に、開発したものと、入り乱れる形で、複雑化の一途を、辿ってきた。愈々、増税が、確実となり、導入が間に合わねば、救いどころか、客離れの雪崩が、起きかねぬ状況に、焦った末の大失態、とも見える。これは、対岸の火事ではなく、同業の人々も、他人事では、済まされない。脆弱性の点検に、全精力を注ぐのは勿論、実施後の混乱を、未然に防ぐ手立ても、綿密に検討しているだろう。だが、所詮、ほんの一握りの人間が、組み上げたものだ。早晩、欠陥や問題が、露呈するのは、確実だろう。それは、国の仕組みとて、同じこと。指導と称して、厳しく対処しても、自分たちの仕組みが、成り立たねば、元も子もない。そうなったとしても、隠蔽に終始するのだろうが。

* * * * * * * *

7月5日(金)−利便追求

 利便性の、影の部分に、視線が集まった。便利を手に入れ、その恩恵を受ける筈が、どこの誰か、知らぬ連中に、財産を、奪われることになる。安全安心が、当然の社会に、突然、襲ってきた暴力に、唖然とする。だが、この二面性は、予想できたこと、なのだ。
 被害に、遭わない為の方策は、幾つもあるが、最も確実なのは、手を出さないこと、に違いない。今回の事件は、被害に遭わない為に、様々に、対策を講じた人も、逃れることが、難しかったと言われる。というのも、作られた仕組み自体が、脆弱なものであり、穴ぼこだらけの、欠陥品だったからだ。となれば、避ける為の唯一の手段は、手を出さぬこと、となる。だが、それでは、企業側の思惑は、成り立たない。客離れが、深刻になる中、打開策の一つとして、鳴り物入りで、伝えられたものは、開始して数日のうちに、自ら幕引きを行う、憂き目に遭った。原因は、ごく単純なもので、利便性の裏に、強固な仕組みと、高い安全性が、保証されるべきが、簡単に付け込まれる、大きな穴を、残していたからだ。少し考えれば、脆弱性に、気付ける筈との指摘も、後付けなら、誰でもできる。だが、開発途上では、難しかったのだろう。特に、業績回復を、目指そうと、突貫工事のように、慌てふためいて、作られたとしたら、こんな結末は、予想通りと、言えるのかもしれない。だが、そうだとしても、この不祥事は、許されるものではない。銀行の合併で、利便だけを、前面に押し出しても、結果的に、障害が起きて、被害を受けたことも、同じような、思惑によるもの、と言える。利便を追い求め、その気楽さに、どっぷりと浸かるのも、選択の一つだろうが、それが、別の面を曝け出し、被害が広がっても、仕方ない、と諦められるだろうか。今回は、勇み足を仕出かした、企業による救済が、解決との結末と、見做されるかもしれないが、そうではない。便利とは何か、考えてみなければ。

* * * * * * * *

7月4日(木)−二極

 多様性が、必要不可欠との見解は、今の、世界の趨勢とは、大きく異なるように見える。白黒を明確化し、両極端に据える手法が、分かり易いとの解釈は、一見、正しいように思えるが、現実を、二分すると、激しい変化が起き、不安定が強まる。結果、不安が募るのだ。
 だが、人気取りの立場からは、味方を増やし、彼らの好みを、受け入れることが、不可欠となる。それが、ある傾向を強め、極まる方に、向かうこととなる。だが、極端な偏りは、様々な問題を生じ、それを、是正しようとの動きが、起きてくる。困るのは、これが繰り返され、不安定な環境で、多くの人が、振り回されるからだ。極端な状況を、好ましく思い、その勢いに乗る人々は、逆に動いても、それを追うことなく、無視し続ける。そのうち、元の極端に、戻る筈だから、焦ることなく、黙りを決め込む訳だ。逆に、多くの庶民達は、その時々の体制に、従おうと努め、結局、追いかけるだけで、無駄を強いられる。二極化の弊害は、実は、平均的な人々に対し、最も強く現れ、被害が、拡大し続ける。それに対し、一部の富裕層と呼ばれる人は、都合の良い状況のみを、受け入れることで、損害を減らし、実入りのいい状況だけを、相手にする。悪くなれば、何もせず、逆風が、過ぎるのを、待つだけだ。安定期と異なり、二極化は、二つの間で、行ったり来たりする訳で、黙っていれば、別の極みへと、動き始める。要するに、自分の都合だけで動き、周囲に惑わされないことこそが、肝心となる。だが、基盤を固める為には、それでは、追いつかない。激しく振れる中でも、ある信念を持って、努めることこそが、基礎を強めることに、繋がるのだ。組織も国も、こんな人々によって、支えられていることは、すぐに判る筈だが、実際には、表面的な収益や利益を、追い求める人が、上前をはねていく。こんな時代が、続くようでは、閉塞感どころか、破滅への道を、思い浮かべるしか、無くなる。

* * * * * * * *

7月3日(水)−小国根性

 大国としての振る舞い、とは似ても似つかぬ挙動に、驚くどころか、横並びで、好き放題を、続けようとする。大戦争が、長く起きないことの、弊害とも言われるが、実は、本性を、露呈しているだけなのではないか。品格とか、そんな表現で、括られるものが、劣っているのだ。
 自分さえ良ければ、という考えで、暴言や暴挙を繰り返す、大国の大統領は、再選を目指し、人気取りに終始するが、ご都合主義と、過剰なまでの演出に、唾棄すべき、との意見もある。だが、こういう極端は、追っかけに勤しむ人々には、魅力に映るらしい。そこに、自らの利益との結び付きが、成立すれば、強固な支援へと、繋がるのだろう。拝金主義が、蔓延る社会では、当然の成り行き、とも見られる。同じように、生活向上が、手に入ったのだからと、弾圧を正当化する、大国の首相は、自らの地位を、永らえることに、血道を上げている。この国は、経済的には、大国と呼ばれるまでに、成長したようだが、こちらと同様に、それに見合う程の、品格は、手に入れていない。だからこそ、正当化などの保身に走り、小心者の悪癖を、露呈しているのだ。取り戻す為に、論理性に欠けた制度を、採り入れた結果、お約束の混乱が、またも起こった。それを、抑え込んだことに、世界の批判が、集中しているが、これに対し、規制を正当化する言動が、政府自ら、発せられている。曰く、国家の統制を、守る為に、当然のことを、しただけと。だが、批判は、そこに向けられたものではない。二制度などという、不思議な約束を、破ろうとする動きに、各国の批判が、向けられているのだ。知らぬ間に、変えてしまえば、問題なし、との目論見は、見事に外れ、混乱を招いた。そこにこそ、批判が集まり、その後の違法行為には、起こした若者達の、責任を問うのは、当然とされ、そこまで追い込んだ、権力者の暴挙を、糾弾しているのだ。大国なら、そんな小さなことに拘らず、さっさと、無かったことにすればいい。これまでも、都合で、やってきたのだから。

* * * * * * * *

7月2日(火)−巨悪と戦う

 今でも、こんなことが、という状況に、何故、と思う人も居る。労働の対価は、当然、支払われるもので、タダ働きなど、あり得ないと思う。だが、報道は、それを伝えている。遠い昔、国中の若者が、社会を変えようと立ち上がった。そのきっかけと、同じ話なのだ。
 当時は、理不尽な扱いに、義憤に満ちた運動が、起こされていたが、今は、どうだろうか。社会全体が、抱える問題として、扱われることなく、個別の問題として、それぞれに、解決策が、講じられるだろう。もう、全体を変えよう、という力は、何処からも生まれず、目の前の問題を、片付けることが、精々となる。だが、当時も、実際には、よく似た状況だった、のではないだろうか。確かに、多くの賛同を得て、不平不満が、吹き出した末に、暴力的な展開へと、結び付いた。彼らの目的には、何の間違いも無かったろうが、手段に関しては、間違いだったとされる。実は、裏で、暗躍する人々がおり、彼らの目的は、大義とは異なる、私利私欲によるもの、とされていた。未だに、この話が、表舞台で、語られることはない。何しろ、前線で戦った人々は、大義名分による行動だった訳で、後ろで操っていた人が、どんな思惑を、抱いていたかに、思いが及ぶ筈もない。待遇改善、体制崩壊、そんな言葉を、並べて、自分達の権利を、主張することこそが、核心だった筈だ。だが、扇動した人には、個人的な権利のみで、社会のことなど、何も考えない人が、多かったと言われる。流石に、今のような時代には、乗せられる人はおらず、個別の問題として、片付けられる。このような理不尽が、起きた背景に、目が向くことはなく、すぐに忘れ去られるだろう。特に、大元に、巨悪と思しき、政府の方針が、あるのであれば、そこに、追及の手が及ぶことは、どうしても、避けねばならない、と思うからこそ。

* * * * * * * *

7月1日(月)−無視

 友達申請、でもしているのか。互いの危険性を、罵り合っていた人間が、突然の親近感を、表に出す。おそらく、彼らにとって、最も重要なのは、今の立場を、維持することだろう。その為には、異常とも思える言動も、必要とされる。この状況で、重要なのは、何か。
 皆が注目すると、それが、関心を得たことになり、立場の維持に、一役果たす。そう思うからこそ、大袈裟な程の、盛り上がりを演出し、芝居染みた言動を、繰り返す。その中で、発せられる言葉に、一喜一憂するのは、馬鹿げたこと、としか言いようがない。何しろ、場当たり的な演出が、徹底されており、翌日には、すっかり忘れ去り、別の方向を、見ることになるからだ。大国が抱える問題は、確かに、他の国も含め、多方面に、影響を及ぼす。だからこそ、責任のある発言と行動を、強いられていたが、今回の人間は、そんなことは、御構い無しに、自分の思うことを、寝床の中から、発している。それが、思い通りに運べば、更に、極端な言動が、強まり続ける。皆が、見向きもせず、無視を決め込めば、どんなことが起きるか。今の状況では、考え難いことだが、そのくらいのことが、必要なのではないか。ここ数ヶ月の変遷も、しっかりと検証する必要が、あると思える。振り回された市場も、回復傾向が、見え始めると、すっかり、悪かった頃のことは、忘れてしまっている。好転すれば、悪いことは、忘れるとは、市場の原理のように、扱われているが、国の頂点に立つ人物にまで、それが許されてしまうと、取り返しのつかない事が、起きそうに思える。そんな影響力は、あり得ないと思うかもしれないが、今回のドタバタは、以前なら、起きそうにないことが、起き得ることを、示している。もしそうなら、強まり続ける勢いを、削ぐ為の手立てが、必要となる。大したことは必要なく、知らぬふりを、続ければいいだけだ。

(since 2002/4/3)