パンチの独り言

(7月15日〜7月21日)
(神頼み、不幸な休み、思い込み、槍玉、自業自得、負の連鎖、至れり尽くせり)



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7月21日(日)−至れり尽くせり

 調査結果に、驚いた人が、多かったのではないか。老後の不安を、煽るような結果だと、主張する人が、居るようなのだが、実際には、ごく、当たり前のことが、書かれていたに過ぎない。今と同じ生活を、続けたければ、それなりの準備が、必要というのだから。
 それに対して、怒りの声が、噴出した、と伝えられるが、その怒りの主は、何に、憤慨したのだろう。保証が、不十分なことを、政府の機関とはいえ、明確に、主張したことに、話が違うとばかり、腹を立てたようだ。だが、それぞれの、前提には、異なる条件が、付けられており、結果が異なるのは、当然のことだ。特に、興味深いのは、現状を維持、という表現に、多くの人は、現状さえ、その水準に、達していない、という事実だろう。だとしたら、そんな違いに、腹を立てても、無意味に違いない。何でも、施してもらえると、思い込むのは、人の勝手に違いないが、その風潮が、強まった結果、当然の権利として、掲げられるに至る。だが、どちらが、理不尽なのかは、少し、考えるべきと思う。社会全体に、こういう傾向が、蔓延していることに、不安や心配を、盛んに口にする人は、何も感じないのか。多分、性根が、そんな方に、凝り固まっているから、なのだろう。至れり尽くせり、が当然と思うのは、何も、年老いた人に、限った話ではない。次代を担うべき人々に、そんな考え方が、染み付いていることに、もっと、強い危機感を抱いた方が、いいように思う。進学一つ取っても、昔は、何の情報もなく、何ができるか、などを、議論する場もなかった。だが、今や、そんな情報が、溢れる程にあり、それを利用すれば、自らの将来を、明るくして貰えると、信じる人が多い。だが、彼らに、積極的な面は少なく、ただ、施しを、待つに過ぎない。結果として、期待を裏切られ、挫折する若者が、多く居るようだが、その原因は、情報にあるのではなく、本人にあるのだ。自らの道は、自分で、切り開かねばならない。

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7月20日(土)−負の連鎖

 負の連鎖、という言葉が、よく使われるように、なっている。しかし、その対象は、時と場合により、様々なようだ。ただ、共通しているのは、悪化の一途を辿る、経過の状況であり、その歯止めに、躍起になっていることだ。だが、対策は、どれも、不十分に見える。
 何かが、悪くなる傾向が、見え始めると、それに続いて、多くのことが、ドミノ倒しの如く、悪化し始める。互いの関係から、そういう経過を、辿ることは、致し方ないもの、との受け止めがあるが、だとしても、それを放置することは、何としても、避けねばならない、と言われる。特に、深刻に思えるのは、悪化したそのものが、次の悪化の原因となる場合で、教育現場は、その最たるものと、思われる。ゆとり教育、と呼ばれる、総括すれば、何の意味も成さず、何の目的も、掲げなかった政策は、現場の混乱を、招いたのみならず、それを、受けた世代が、強い悪影響を、受けたことに、問題の深刻さがある。彼らが、成長した後、教わる側から、教える側に、立場を変えたとしても、染み付いた考え方は、簡単には、変えられないものとなった。その結果、ゆとりという呪縛から、解き放たれることなく、別の歪みを、次の世代へと、継承させることとなり、現場の混乱は、依然として、続いている。その中で、苦悶する人々は、表面的には、無難にこなすように、見せているが、実際には、本質的な理解はなく、ただ、素人が行う芝居のように、台詞を、台本通りに、話しているだけとなる。一見、落ち着いた授業が、行われているように、見えているが、実際には、教室では、誰も理解せず、お芝居が、続けられている。一度、このような穴に、落ち込んでしまうと、簡単には、抜け出せなくなる。何しろ、本来、手を差し伸べる筈の人が、同じ穴に、落ちているのだから。さて、どうやって、脱したらいいのか。

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7月19日(金)−自業自得

 嫌悪を、露わにすることは、憚られる、とされてきた。集団で暮らす生き物では、好き嫌いで、全てを判断するような形では、自ら作り出した制限に、縛られるだけで、窮屈さから、厳しい立場に追い込まれる。そこで、表面的には、平静を保とうとするのだ。
 これが、当たり前だったなら、皆は、心の奥底で、何を考えていようが、表面的には、互いを尊重しているように、装う訳だ。それにより、啀み合ったり、罵り合ったり、衝突を繰り返すことは、避けられる。不安とか、心配とか、そんなものの種を、こういう方法で、取り除くことで、日々の生活を、安定させる。だが、今の時代、そんなことに、気を遣う人は、少ないようだ。国の指導者を、始めとして、敵対する勢力に対し、嫌悪を露わにし、あらゆる場面で、攻撃の対象とする。味方は、常に居り、過激な表現でも、受け入れる。こんな状況が、暫く続いたことで、何が起きているのか。少なくとも、好き勝手を、することにより、我慢という形の、精神的な圧迫は、解消できているようだ。だが、社会の不安定は、強まるばかりで、一度、勢いをつけた動きは、簡単には、止められそうにない。歴史上の出来事を、振り返ると、このまま、行くところまで、行くしかないように、さえ思えてくる。好き嫌いは、人間という生き物が、持っている感情表現であり、これを、無くすことは、できない。その上に、利害が入り込めば、別の考えが、加わることで、その表し方は、強まるだろう。しかし、精神的な圧迫を、解消することだけを、目的として、こんなことを、続けていれば、国の間の紛争は、強まるばかりで、一線を越えることも、あり得る。では、誰が、止められるのか。それは、自分達でしかない。原因を作るのも、それを解決するのも、全て、自分なのだ。

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7月18日(木)−槍玉

 信用できない人間を、どう見分けるかが、大切と言われる。だが、相手が、場当たり的に、行動するのなら、簡単に、見分けられるが、十分に作戦を練り、仕掛けてきたら、どうだろうか。見破ることは、かなり難しくなる。では、お手上げなのか、そうでもないだろう。
 練り上げたとしても、所詮、人間の考えること。あらゆる可能性を、検討することもできず、都合のいい筋書きを、作り上げるのが、精々なのだ。だとしたら、如何に、相手の口車に乗らず、綻びを、探り出すかが、見分ける為の、手立てとなる。相手の筋書き通りに、話を進ませず、あれやこれやと、異なる方に、話を進ませてみる。すると、想定外の事態が、相手に起こるのだ。それが、綻びを、露呈することになる。実は、簡単なことで、こちらの思いつきを、適当に、並べてみれば、いいだけなのだ。それにより、場当たり的な、言動を引き出せば、あとは、その矛盾を、指摘するだけでいい。但し、そこでも、矛盾を指摘するくらいの、観察力と判断力が、必要となる。ごく単純なことで、殆どあらゆることに、通用する。それは、人と人の間だけでなく、国の間でも、同じことだ。隣国との諍いが、殊更に、取り上げられているが、実際には、身勝手な主張ばかりで、突き放せば、いいだけに思える。だが、弱者を演じることに、終始する国は、これまでも、悲鳴を上げることで、善意による、支援を得ていた。経済が、崩壊しかけた時は、その典型だが、それ以前も、経済成長を、手に入れる為に、弱者を装った上に、奸計を仕掛けることで、必要な情報を、手に入れたとも言われる。未だに、その手の話題に、事欠かない国に、品格の欠片も、感じられないが、今回の諍いも、同じ根をもつ、国情の表れに過ぎない。ここは、真剣に対応し、完膚なきまでに、打ちのめす必要があるのかも。

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7月17日(水)−思い込み

 今、売れていると、評判の本が、紹介されていた。人間の記憶は、不確かなものであり、思い込みで、多くの判断を下す、とある。特に、知識層に、その傾向は強く、現状の把握が、追いついておらず、判断の過ちを、犯す可能性がある、という話のようだ。
 世の中の変化は、急速なものであり、嘗ての認識が、通用しないことは、確かに多い。だが、全ての最新情報を、手に入れるだけでなく、それを理解するとなると、どんなに優秀な人間でも、難しくなる。だから、情報把握が、遅れることは、当然と見ておくべきだろう。その一方で、自らの判断が、不十分な情報で、下さざるを得ないものであることを、認識しておく必要は、確かにある。本の中で、このことが、指摘されていたかは、紹介だけでは、定かではないが、おそらく、それに近いことが、指摘されていたのだろう。だからこそ、多くの共感を産み、話題となった、と思える。だが、こんなに、当たり前のことに、話題が集まるのには、強い違和感を覚える。それは、おそらく、多くの人が、そのこと自体に、気付いていないからだ。多くが、自分の論理に、都合のいい情報を、かき集めた上で、主張を掲げる姿勢には、大きな危険が伴う。だが、当人は、そのことに、気付く気配もなく、ただ、主張を押し通すことに、躍起となる。問題は、情報は、全てではなく、ほんの一握りに過ぎず、それを頼りに、展開することで、過ちを犯す可能性が、常にあると、意識しておくことが、重要なのだ。これは、判断を下すべき立場に、就いたことのある人なら、当然、理解できるものだが、次代を担う人々は、認められようと、主張に拘るが為に、気付かぬままに、落とし穴に、嵌ってしまう。結果として、失敗となり、評価が下がってしまう。おそらく、こういう本との出合いで、学べるのかもしれないが、それ以前に、こんな当たり前には、気付いていて欲しいものだ。その上で、情報の真偽を、見極める力を、身に付けるのだ。

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7月16日(火)−不幸な休み

 幸せな月曜日、などと書いたら、とんでもない、と返ってきそうだ。確かに、休み明けは、仕事に行くにしても、学校に行くにしても、気が乗らず、休みたい、と思う人が多い。だからこそ、青い月曜日、と気分の落ち込みを、表現する言葉が、あったのだ。
 それを、幸せに、変える為には、ただ、休みを続ければいい、というのが、無能な政治家の、論理だったのだろう。まるで、愚かな畜生共に、餌を与えるかの如く、後先考えずに、実施に移された。だが、愚かな提案の多くは、やってみなければ、何が起こるかが、見えてこない。と言うより、想定ができないからこそ、悪影響を及ぼすことを、平気で、実行してしまうのだ。でも、連休が、手に入った、という方が、優先されている。そんな人々には、何が、どのように、変化したのかさえ、見えていないだろう。連休を、優先させた結果、月曜が、休みになる場合が、増えたけれど、漫然と、仕事に向かうだけの、人々にとっては、たまの休みが、増えるだけで、何も変化がない、と思うのではないか。だが、仕事と違い、学校は、曜日によって、やるべきことが、明確に分けられている。そこに、ある曜日だけ、休みが増えたら、どうすればいいのか。足らなくなる分は、誰が、どのように、補うのだろう。現場では、こんな悩みに、毎年、苦しめられる人が、沢山居る。休みを、増やすことに、躍起となるだけで、その副作用への対処を、考える気のない連中には、何の変化も起きていないが、現場では、大変な混乱が起きている。その上、教えることが、反動で増やされた現場では、それに、輪をかけるように、時間不足が、深刻となっている。ただでさえ、ついてこられない子供を、どう扱うかが、問題視される中、次に来たのは、時間不足、そこに、増やされた休み、となっている。もうすぐ始まる、長期休暇も、その影響を、受けているらしく、短縮化が、検討される。どうなっているのか。

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7月15日(月)−神頼み

 天候不順が、話題に上る。確かに、梅雨時とは言え、例年なら、中休みがあり、明けたかの如く、強い日差しに、襲われることもある。それが、雨量は然程でなくとも、日が差すことなく、どんよりとした雲に、覆われる。人間だけでなく、生き物全てに、悪影響が及ぶ。
 植物達は、光を求めても、届かぬ中では、肝心の力が、得られない。その上、低温が続けば、それも、悪い影響を、与える。こんな中で、どんな生活をすれば、いいのか。などと、悩む人は、実は、殆ど居ない。というのも、店に並ぶ、農産物の多くは、地元ではなく、何処か別の土地、時には、外の国からやってきたもので、今、周囲で問題とされる、天候の影響は、全く受けていない。ただ、報道を眺めると、他の国でも、様々な異常気象が、起きているのが、見えてくる。果たして、それが、どんな野菜や果物に、影響するのかは、すぐには理解できない。でも、地域どころか、国全体、果ては、世界中まで、何やら不穏な空気に、満たされる中では、心配した方が、いいのかもしれない。だからと言って、何ができるか、さっぱり見えてこない。精々、心配だ、不安だ、と連呼するのだろう。しかし、お天道様のこと、何を、どうしたとしても、始まりそうにない。科学の進歩があり、技術発展があったとしても、自然に対して、何もできない。そういえば、今でも、占いがあり、祈祷があり、様々な形で、神に頼む行事が、行われている。非科学的だ、と批判するのも、一つだろうが、こんな状況では、他の手立ても、思いつかない。だが、手をこまねくより、何かに縋った方が、ましに思えるのだろう。現代でも、真剣に、取り組む人々が、居るのだ。そういえば、冷害に強いイネの品種が、最近、温暖化で、育ちが悪いとの話も、流される。今回の不順は、何方に転ぶか、まだはっきりしない。まだまだ、見えてこないのだ。

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