パンチの独り言

(9月30日〜10月6日)
(敗着か、不自由、彼岸まで、目立ちたがり、損して得、絡繰り、手当は)



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10月6日(日)−手当は

 経済成長が、続いていた時代には、預けておくだけで、資金を増やすことが、可能だった。年利が、5%を上回り、半年複利のものが、登場した頃には、10年経てば、倍に増えていたのだ。だが、今では、小数点の下に、何桁の0が続くのか、数えるのも難しい。
 その結果、何年預けようが、小銭にしかならない、利子に、他の手立てを、考えねばならない。自身の財産であれば、それでも、減らないだけまし、とも思えるだろうが、公的なものを、運用する為には、これでは、話にならない、となる。だが、福祉が整う、と言われる国々には、そんな期待は、全く持てない。金利が、無くなるだけでは、済まず、預けるという、保証のある仕組みでは、元本が、割れていくこととなる。確実な仕組みに、託すよりも、不確実な投資を、促すことにより、経済を支えようとする、動きが強まったのだ。資金を、集める為には、それなりの危険を、覚悟した上で、多くの利益を、上げることが、方法の一つ、と考えられる。だが、確実で、危険のない仕組みが、成立する中では、そちらに流れるものは、自ずと少なくなる。だから、保証には、手当が必要となり、目減りが、当然とされた訳だ。では、公的なものの、運用はどうするのか。そんな状況で、どうやって、社会福祉が、成り立っているのか。不思議に、思えるが、だからこそ、別の財源の確保が、必要となる訳だ。手厚い福祉を、実行している国の殆どが、高い率の間接税を、課していることは、まさに、その方法しか、ないからということになる。だからこそ、この国も、税率を、上げる必要がある、という論理は、必ずしも、成立しない。それぞれの国で、福祉に対する手当が、異なる仕組みで、行われているからだ。全てを、間接税で、賄う場合と、それぞれに、保険料のようなものを、徴収する場合で、異なる訳だ。根本を、変えぬままに、小手先を、続けるのでは、破綻するのが、当然となる。さて、どうする。

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10月5日(土)−絡繰り

 老後の心配を、しない人は、居ないだろう。あれや、これやと、窮状を訴えるだけでなく、先々の心配まで、付け加えて、何とか、良くしたいと願う。だが、現状からは、心配の種が、増えるだけで、解消の手立ては、見えてきそうにない。それは、財源でも、だ。
 増税の絡繰りは、様々な形で、現れているが、要するに、損をさせません、と訴えているのだ。これでは、財源の確保も、儘ならない。既に、自分達の分は、無くなるに、違いないと、信じる人々に、こんな状況を見せて、何をしたいのか。一時の喜びが、将来の不安へと、結び付くとなれば、誰もが、心配になる。朝三暮四の話と同じで、今を良くしても、将来が同じとなれば、表面的な誤魔化しでしかない。要するに、こんなことを、繰り返したとしても、制度の問題を、根本から、改善することは、できないのだ。年金として、積み立てられたものを、補う為にある、税金を、確保するためには、増税しかないが、肝心のものが、中身が無くては、元も子も無くなる。その上、溜め込んだ資金を、運用によって、増やすことが、不可欠なものだが、世界的な経済不安から、利率の低下が、続いた結果、ついに、負の値を、示している。これは、何処かに預けたら、その手数料を、請求されることを、表している。箪笥貯金の方が、得になるということも、驚きだが、それより、重要なことは、預けるという運用は、目減りになることで、選択肢が、減ってしまったことにある。それでも、株式市場が、堅調であれば、とばかりに、更なる下げを、要求する大統領の、思惑は、これもまた、今さえ良ければ、ということだろう。十分に、溜め込んだ連中には、何の懸念も、過ぎらないだろうが、根本として、金融業は、金貸しから始まっており、そこには、貸すことだけでなく、借りることもある。それが、成立しない状況を、不思議に思わないのだろうか。

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10月4日(金)−損して得

 今回の増税で、本当に、税収は増えるのだろうか。毎日、伝えられる報道から、そんな懸念の声が、上がりそうだ。何故なら、上げた分より、多くを、別の形とはいえ、返還する、とされるからだ。苦肉の策で、やっと上げたのに、それを、戻してやるとなる。
 これでは、元も子もなくなる、とまで言われるが、あの金勘定に、煩い連中が、人事権を握られているとはいえ、あの愚かな宰相の、小手先だけの誤魔化しに、手を貸すとは、とても思えない。確かに、末端の消費者にとって、返還という仕組みで、損して得をとる、ように見えるが、これは、実は、国にとって、損して得をとる、ことになるのだろう。消費税の仕組みは、間接税特有の、複雑なものであり、商取引に対して、課せられるものだから、商品それぞれに、多重に課せられることになる。だとしたら、末端での返還は、そこだけの話に過ぎず、他のものは、丸々徴収できるのだ。となれば、末端部分に関しては、確かに、損して得をとっているが、他では、上げた分だけ、巻き上げられる。票の数を、確保する為には、企業は相手にせず、個人のみを、標的とすればいい。まさに、そんな状況が、作り上げられている。商取引では、確かに、競争が厳しく、僅かな利潤を、手にする為に、様々な努力が、必要となるが、所詮、納税については、逃れられぬ状況に、置かれている。更に、その変化に対して、社をあげて、文句を並べても、収益に、影響は出ないだろう。だとしたら、ここは、大人しく、振る舞った方が、得になるだろう。特に、還元を導入することで、一部とはいえ、多くの企業が、利鞘を稼ぐことになれば、これ幸い、と思った方が、いいことになる。それが、献金に結びつけば、あの宰相の政党も、利益を得られる。これでは、誰もが得をする、となるが、本当だろうか。

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10月3日(木)−目立ちたがり

 民意に基づく、との表現に、屡々接するのは、何故だろう。本来、上意下達が、常であった、組織の運営に、現場の意見を、尊重するという、考え方が、導入され始めた。それも、意見箱などという、匿名の願いではなく、強い要望を、叶えさせるものなのだ。
 声を、上げる機会が、無かった人々に取り、降って湧いた好機に、飛びついたのだが、出てきたものは、強い偏りや、狭い了見に、基づくものばかりだ。本来、上に立つ人間は、これらを、取捨選択し、全体として、均衡のとれた方策を、組み立てるのだが、今の時代、民意と称して、それを、そのままの形で、実行に移す場合が多い。結果として、偏りは、別の偏りを招き、歪みは、強まり続けることとなった。このやり方では、歪みを、解消する手立てはなく、振り子のように、右左に、大きく揺れることになる。利害は、常に、出てくるだけでなく、印象としては、強まるばかりに、思えてくる。それが、明らかになりつつある中、依然として、民意を、尊重しようとする、愚かな人々が、社会に溢れている。特に、注目を浴びる人の中に、人気取りを、最優先として、自らの考えを、一切出さない人が、居ることには、強い危機感を、抱かされる。この手の人々の特徴は、注目を浴び続けようと、努力している点にある。それは、例えば、誰かが、意見を出すと、それに、耳を傾ける姿を、見せる。まずは、目立つ為に、必要となる、場を選ぶ。誰かが、叫び声のように、強い主張を、繰り返しても、それが、注目を浴びなければ、無価値と判断する。しかし、大舞台で、それが実行されれば、その場に、自分も出向くのだ。と言っても、世界的には、何の注目も、浴びてはいない。それぞれの国で、そんな言動を、続ける人が、居るのだから、当然のことだ。だが、姿は見せても、意見は出せない。まだ、どの選択が、有利に働くか、判断がつかないからだ。そんな姿を、晒すくらいなら、出てこなければいいのに。

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10月2日(水)−彼岸まで

 昔から、暑さ、寒さも、と言われてきた。暦の見方が、月を基準にするものから、太陽を基準にするものへと、変えられたことで、多くの節目が、実態に、そぐわなくなったが、昼と夜の長さが、同じになる節目は、元々、太陽を基準とするから、そのまま通用し続ける。
 特に、秋のものは、昼夜の長さだけでなく、自然の表情で、強く感じられることから、多くの人の、印象に残るのだろう。何度か、取り上げたが、どうして、この時期に開花するのか、その仕組みは、何か、ということが、気になる人も、多いだろう。昼の長さ、夜の長さの変化で、開花時期を、決める植物は、数多くあり、その違いから、短日、長日、と名付けられ、一部の観賞花では、人工光により、一年中、流通させることが、できている。自然の仕組みを、解き明かすことで、利益を得ている、実例の一つだろう。だが、これは、葉が、光を感じることで、日の長さを、計っており、この時期に、開花する植物は、それまで、地中に留まっており、光を感じる、肝心の葉っぱは、何処にも無い。では、どんな仕掛けか。研究によれば、気温の変化から、彼岸を感じる、と言われる。だが、暑さが、和らぐとはいえ、正確に、この時期を、言い当てるのは、難しいのではないか。そう思いながら、今年の状況を、眺めていると、いつになく、開花が遅れ、ほぼ一週間程、遅れたように見える。各地で、同じ傾向となり、おそらく、長引いた猛暑が、影響したのでは、と思いたくなる。以前、取り上げた時には、早まったこともあり、確かに、日長を、基準とすれば、これ程のズレは、起こりそうにない。天候不順は、年それぞれに、様々に起こり、土地によっても、異なってくる。とはいえ、今回は、ほぼ全域に渡り、残暑が厳しく、まるで、真夏が、続いていたようにさえ、感じられた。こんな所からも、異常が感じられる。

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10月1日(火)−不自由

 自由化、という言葉は、総じて、魅力的なもの、と扱われてきた。自由への憧れが、人々の心に芽生え、それを謳歌する為に、努力を重ねた結果、高度の成長を、手に入れられた、ということだからか。だが、その後、世間では、自由と責任、が論じられ始めた。
 これは、つまり、自由が、身勝手と結びつき、無責任が、世に蔓延ってきた、からだろう。個々人では、そんな問題が、取り沙汰されても、社会の仕組みの中では、そんなことは、起きる筈がない、と思っているかどうかは、わからないけれど、所謂、社会インフラと呼ばれるものに、自由化の波が、押し寄せてきた。初めは、電話業界だった。公社が、占有していた業務が、民営化の先駆けとして、企業として、利益を上げ始めると、それなら、ということで、自由化が、導入された。価格競争により、利用者への利益が、得られると、賛同の声が、強まってきたが、設備投資への負担が、重く伸し掛かる企業にとって、不公平感は、拭えないものとなった。それでも、有線から無線への転換が、加速するにつれ、偏った負担も、徐々に解消され、すっかり、忘れ去られた。では、次の自由化は、どうだろうか。電力の自由化は、何とも不可思議な形で、進み始め、価格競争が、激化し始めたが、電話でのものと、全く同じ課題が、見え始めてきた。確かに、安い程、得な気分を、得られるのだが、設備投資について、同じ不公平が、顕在化してきた。そこに、ある地域の台風被害が、深刻なものとして、伝えられた。これこそ、設備の問題だが、報道は、停電の事実を、伝えるだけで、その背景にある筈の、重大な問題に、気付く気配もない。おそらく、多くの地域で、価格競争が、展開された結果、斑模様が、できていただろうが、何処も彼処も、通電できず、不便を強いられた。この責任は、全て、電力会社にあり、他には、無いとなるのか。こちらの場合、電線に頼るしかないだけに、設備管理が、重荷となりそうだ。

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9月30日(月)−敗着か

 高度成長を、続けてきた国に、そろそろ陰りが、見え始めている、と言われる。体制を、変えることなく、経済成長に、都合のいい仕組みを、採り入れることで、激変を起こし、その後の成長は、誰も見たことがない、とまで言われたが、危うさが、見えてきた。
 それは、単純に、経済の問題だけでなく、国の体制そのものに、大きな影を、落としている。仕組みを、採り入れた主席から、内政の混乱の果てに、信頼を得たとされる、主席の在任中に、決まったとされる、一国二制度、と呼ばれるものは、始めから、不可思議なものであり、安定を目指す為の、方便とも言われたが、ここに来て、綻びが、見え始め、傷口は、広がるばかりとなる。記念式典は、首都では、粛々と行われるだろうが、この地域では、混乱が、収まる気配も、見えていない。同様に、海を挟んだ、国との承認を、失った島も、依然として、地域としての扱いを、受け入れる気配が無い。更には、奥地では、民族や宗教の違いから、国からの圧力に、抗おうとする動きが、強まり続けている。あの主席が、始めたことは、国としての威信を、強めようとする動きであり、世界に、それを認めさせる為の、方策の数々だったが、始まりから、矛盾に満ち、利己的なもので、世界の殆どは、疑いの目で、見つめていた。それでも、経済力が、まだ、小さな時代だったから、見過ごしておこう、との判断が、なされていた。だが、その後の急成長が、彼らの勢いを、急速に増し、権力をも、拡大させる結果となった。あの時、放置し、無視した結果が、今の混乱を、招いたとも言えるが、その体制が、更に、極まった形となり、外からの制御は、無理なようだ。こうなると、内部の混乱を、きっかけとして、何かが、変わるしか、道が無いように見える。どう変わるかは、彼の国が、決めねばならない。

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