災害の度に、活躍する人々が居る。はじめは、災害の最中から、復旧の始まりまで、危険な作業を、伴う活動で、活躍する自衛隊の人々だ。救助、救命だけでなく、家も財産も、全てを失った人々に、暖かい環境を、提供することまで、行う姿に、強い印象を受ける。
一方、災害が去り、安全性が、確保されてから、復旧の手助けに、活躍する人々が居る。地元の人に、混じる形で、他の地方から、駆けつけた人々は、ボランティアと呼ばれる。心温まる行為として、様々に取り上げられ、助けられた人々が、次には、助ける人になると、その輪の広がりが、強く感じられる。だが、良いことばかりでは、無いようだ。専門的な知識もなく、体力的にも劣る人々では、大した助けにならず、当人も、周囲の厳しい目に、耐えられなくなる。その為に、単純作業を、用意してあるものの、体力が無ければ、やはり、活躍できない。魅力的な言葉に、引き寄せられ、活躍を夢見て、歓迎の言葉を、期待したのだろうが、現実は、やはり厳しいものとなる。それでも、そんな人々にさえ、被災者は、感謝の言葉を、返している。そんな環境が、この仕組みを、支えているに違いない。だが、広域に渡る災害では、別の問題も、起き始める。大震災の時も、同じことが、論じられていたが、今度も、同じような話が、伝えられる。一つは、交通手段の問題で、孤立した地域こそ、手助けが必要だが、そこに至る道さえ、寸断されていては、差し伸べようがない。一方、数の問題は、更に深刻なものだろう。不足を、訴える声が、数々届けられるが、無い物ねだりの如く、補う手立ては、無いように見える。無償の援助、という形の限界は、こんな所に、現れている。有償にすれば、人集めも、可能となりそうに思えるが、どうだろうか。人手不足が、論じられるように、たとえ、有償にしても、叶わないことかも、しれないのだが。
半世紀程前、悲願として、開催された祭典は、猛暑を避ける為に、まさに、体を動かすのに、いい季節に、開催された。開会式の日を、記念して、定められた祭日も、いつの間にか、違う日になり、祭典は、商業主義に彩られ、金の亡者達が、群がっている。
今回の騒動の、発端は何か、未だに、明らかとなっていない。しかし、根源には、収益を、最優先する考えが、あったことに違いはない。開催地を、決める段階で、どんな気候なのか、承知していた筈だ。その上、開催時期を、どう定めるかについても、考慮すべき要素は、明らかとなっていた。だが、ここに来て、突然の変更に、驚かない人は、居なかっただろう。言い訳の如く、不安要素を、並べる人物達に、自らの不明を、詫びる態度は、微塵も感じられない。それより、自らの決定権を、掲げることだけに、躍起となる姿には、祭典とか、競技への敬意は、一切無いと思える。場所も時期も、金儲けの種として、自分達の都合で決め、そこに不都合が、見つかった途端に、心変わりを示す。それも、自らの都合ではなく、競技者への配慮という、何とも不可思議な理由で、開催者への圧力を、最大限に強める形で、進められた。今更、言うまでもないことだが、彼らの主張は、あくまでも、収益を優先させたものであり、並べられる都合は、儲かるか否かに、関わるものばかりとなる。商業主義が、競技の核心さえ、失わせるような力を、示しているのは、資本主義の典型とも見えるが、実際には、競技を優先させても、収益を確保することは、可能となる。決勝が行われる、別の世界大会が、大成功を収めている、と言われるのも、競技自体への敬意が、最優先されたからだろう。自然災害に、見舞われる中でも、粛々と進められた、運営に対しても、主要な国々ではなく、開催国の事情を、受け入れたことが、評価された。この違いを、どう受け取るか。腐敗した組織には、感じ取る力が、無いようだ。
経験とは、どんなものだろう。世間では、経験が浅い、と批判され、経験豊か、と評価されるが、その違いが、どこから来るのか、はっきりとはしない。人は、長く生きていれば、それだけ、様々なことを、経験する筈だが、その割に、と思える人が、沢山居る。
そこから、想像されるのは、経験とは、生きた時間ではなく、その間に、身に付いた何か、となりそうだ。では、その何かとは、どんなものだろう。多数の人間が、同じ事象に接しても、印象に残った事柄が、違うことは多い。証人として、その経験を話す場合も、全く違う結果となり、何が事実なのか、わからなくなる。ただ、この現象は、経験と呼ばれず、記憶と呼ばれる。不確かな記憶、という表現で、人それぞれの、異なる印象を、表しているが、これを、経験と結びつけることは、少ないようだ。ただ、経験豊かな人には、記憶も確かな人も多く、経験が、記憶の仕方に、変化を与えることが、知られている。何を、どのように、記憶するのか、には、どのように整理して、どのように組み立てるかが、肝心となるからだ。それは、数多の失敗の末、自分で編み出したもので、ある場合が多く、経験の反映、と言えるだろう。それとは別に、他人とは異なる、経験を積んだ人、と言われる人も居る。確かに、誰も、足を踏み入れたことのない、土地を訪ねるとか、多くの人が、集まる場所に出かけ、皆と話をするとか、そんなことをすれば、異なる経験を、することができる。だが、誰もができることではない。同じ経験をしながら、異なる印象を手に入れる為の、方法を身に付ければ、違いが出てくるのではないか。実は、経験豊かと言われる人は、こんな違いを持っている。これは、案外、簡単なことかもしれない。
昔、水の奪い合いが、あったと伝えられた。それが、無くなったのは、治水工事の御蔭、なのだろう。水不足が、起きたのは、降水量が、十分でないことも、あったのだろうが、それより、大きな要因は、川を流れる水量の、季節による変化、があったようだ。
山からの水は、雪解けの季節に、最も増すと言われる。だが、それから暫くすると、殆どの雪が解け、新たな降水が無ければ、水量は、一気に減ることとなる。多くの地域で、水が必要となる、田植えの季節には、そんな状況となり、少ない水量を、奪い合っていた。それが、収まったのは、上流に、水を貯める施設ができ、新たな水路が、整備されることで、季節による変化を、小さくさせ、必要な時に、必要な分を、供給させる仕組みが、整ったからだ。場所によっては、堰き止めることで、水を貯める施設が、連続する所がある。一つ一つの施設の、貯水量は、大規模な所と比べ、遥かに小さいものだが、連続させることで、全体量を、大きく確保している。小さな渓谷では、大きな施設を、建設することができず、こんな解決が、図られたのだろう。様々な工夫が、凝らされた治水工事も、想定外の水量が、上流から襲ってくると、無力となる場合がある。今回の災害の多くは、こんな事情が、あったのだろう。だが、その一方で、人災とも言えるものも、徐々に、指摘され始めている。新たな対策が、望まれているようだが、その前に、こんな事態が、起きた原因を、考える必要はないのか。戦国時代から続く、川の氾濫を防ぐ、仕組みについて、今回の被害を、大きくした要因として、無くして欲しいと、地元の首長が、訴えていたが、下流の被害を、誘発する懸念が、伝えられていた。昔は、田畑が広がっていた地域を、宅地として開発した結果、その地域の被害が、甚大となったのは、ある種の人災、と呼べるのではないか。要望される対策が、別の被害を招くのも、やはり人災の一つとなる。目の前だけを、見ていては、駄目だ。
表現の自由。決まり文句のように、一部業界で、使われてきた。自らの権利と、当然の如く、主張しているが、その根拠は、脆弱なものだ。特に、自由と権利に対して、責任と義務が、突きつけられると、表現の自由に対して、どんな責任が、あるのかと、論じられる。
この問題を、更に厳しくしているのは、個人情報の保護、との関わりなのかもしれない。表現の自由に対して、不自由を掲げて、敢えて、制限を想起させ、問題提起を意図した催しは、様々な圧力を受け、一旦の中止を経て、その後、再開された、と伝えられた。自由を謳うのであれば、多様な人々の自由を、保障すべきとの意見が、提出されていたが、結論が、導き出されるまでには、至らなかったようだ。多方面からの議論が、誘導されたことに、意味を見出す人も居るが、単なる混乱を、招いただけのように、映っている。そこにまた、表現の自由を、掲げる動きが、あったと伝えられた。ある映画の上映が、主催者の判断で、棚上げされた、とのことで、制作関係者から、反対の声が、上がったと伝えていた。表現の自由は、報道関係者にとっても、重要な権利であり、そちらに与する姿勢は、無理からぬことに、見える。だが、報道内容には、件の映画の出演者が、放映中止を訴えている、との話があり、単純に、映画の内容から、決められた問題では、ないことが想像される。以前、この映画の制作者と出演者の間で、論争が起こり、作品自体に、問題があると伝えられていた。そこから想像するに、結果として、映画に映し出された人間の、意に沿わぬ筋書きが、作品となったのではないか。どんな契約が、なされたのかを、想像するのは難しいが、事実を伝えようと、制作されたものが、そこに出演した人間が、事実と認めぬ内容だとしたら、約束事としては、誤りとなる。この背景を、無視する形で、制作者側に、与する動きだけを、捉えていては、身勝手な表現に、なってしまうのではないか。
災害後に、移動をすると、様々な爪痕に、遭遇することとなる。報道で、流されるものだけでなく、各地に、起きた災害は、数え切れぬ程に、あることに気付かされる。多くの犠牲者を出し、日常を奪われた人々について、盛んに取り上げるのに対し、こちらには目が向かぬ。
高速道路は、高い安全性を、誇るものの一つだが、そこでも、対面通行が、実施されていた。路肩が、崩れてしまい、その修復を、急いでいたが、崩落箇所を、回避する為に、嘗ての通行方式を、実施していた訳だ。偶々、短い区間に、限っていたので、通行車両に対して、殆ど影響は、見られていなかったが、それでも、円滑な通行が、確保できず、不慣れな人々には、影響を及ぼしただろう。それでも、この程度の被害で、治まった所は、幸いだったと言えそうだ。氾濫などが、起きた場所では、道路の崩落も、起きたようで、その一つを、通った時には、片側交互通行が、実施されていた。おそらく、小さな流れに架けられた、橋のような部分が、崩落したようだが、道路を脇にどかし、新たに舗装路を作った上で、そこを交互に通していた。災害直後には、そんな手立てもなく、迂回路の確保が、行われていたのでは、と想像されるが、これから、更に時間をかけて、復旧を目指すのだろう。通った時には、大きな土嚢のようなものを、クレーンで、吊り下げていた。工事の詳細は、車中からでは、見ることができないし、ほんの一瞬で、通り過ぎただけだから、知ることができない。山を挟んだ、重要な通行経路なだけに、長期の通行止は、何としても、避けたい所だろう。他にも、崩落した鉄橋の近くを、通り過ぎたが、踏切では、皆が、一時停止を行っていた。多分、鉄道は、運休のままだろうが、何の知らせもなく、通常通りに、あったようだ。こちらの復旧は、かなり先のことに、なりそうだ。城跡は、菊花展が開かれ、被害はなかったようだ。
誰もが手にする端末から、世界中、何処にでも、情報を発信することができる。以前は、どんな情報でも、端末一つで、手に入れられる、という便利さが、強調されていたが、今や、それらの人々は、発信側に、回っている。では、この立場の変化は、何をもたらしたのだろう。
世界各地、と言っても、多くの人は、そんなことを、意識していない。ただ、書き込む場所が、できたので、そこに入力しているだけだ。誰かに読んでもらいたい、などと思う人も少なく、自分にとっての覚書、という人も居る。備忘録として、何故、皆の目に触れる場所を、選んでいるのか、不思議に思うが、皆の目に触れる、という意識さえない人が、殆どだろう。だが、全てが、そんな人とは限らない。日頃の不平不満を、身近な人に漏らすより、不特定多数に、発した方が、何処か、満足感が得られる、というのだ。公開はしているが、反論は拒み、議論も好まない。ただ、不平不満を、漏らすことで、賛同者が居れば、それで満足、となる。こんな人の多くは、以前なら、井戸端会議が、専らの活動の場、だったのだが、一種、強力な武器を、手に入れたようだ。井戸端では、顔見知りばかりで、時には、好き勝手なことも、言えるものの、ぎくしゃくした関係では、それも、難しくなる。それに比べ、不特定となれば、自分の正体が知れることなく、好き勝手を、続けられるから、好都合と言うのだろう。だからか、この手の人々の、話の筋は、明確でないことが多く、論理も、通っていないことが多い。何故、不平や不満が、鬱積するのか。その原因が、非論理的で、身勝手な内容にあることに、気付かぬ人に限って、盛んに発信しているようだ。確かに、彼らが問題とする点は、様々な理由で、課題を抱えているが、視点を変えて、対策を講じれば、問題を小さくすることや、無くすことさえ、可能となる。にも拘らず、表面的なことに、目を奪われて、書いてしまうのでは、解決は、できないに違いない。