自由とは何か、を論じる番組が、流れていた。時に、聞くに堪えぬ意見が、発せられたので、他局へと、乗り移ったりも、したけれど、所々は、眺めていたつもりだ。ほんの一部でも、彼らの極端な意見に、呆れることが多いのは、狭量なものと、思えたからだ。
不自由を謳った展覧会に、興味を抱いた人々も、一部の過激な内容に、不快感を、催したと伝えられる。自由の保障は、彼らの権利をも、尊重するものだろうが、別の自由が、そこから生まれた不快感を、露わに伝え、ある権利と別の権利の対立は、公共性の議論を、戦わせ、結果として、圧力に屈することに、繋がった。だが、一部とはいえ、世論を味方にし、自由を主張する勢力は、粘り強く、再開を訴え、これも、結果として、制約のある形で、行うことが、決められた。その顛末と、殆ど報道されなかった、議論の様子を、伝えた内容であり、社会活動の状況を、伝えることの重要性を、番組は、訴えていたようだ。発端の一つとなった、件の市長との遣り取りも、双方の主張が、飛び交うだけで、結論を導くことは、できそうになかったが、互いの論旨の、あまりの乖離に、納得するしかないように感じた。だが、自由を謳う人々の、多様性との主張には、賛同を得ることの、困難の原因を、見る思いがした。確かに、現代社会は、多様性の重視を、謳う主張が、乱立とも思える程、多く並んでおり、実際に、相互尊重の考えから、確保する必要が、認められている。しかし、一部の芸術家が、主張する多様性には、自由を味方にした、身勝手な解釈が多く、社会秩序を乱す可能性が、強いものが目立っていた。秩序が守られる中で、自由を謳歌することに、反対する人は、今の世の中には、殆ど居ないが、不快感をはじめとして、悪影響を及ぼすような動きには、ある程度の制限も、止む無しとの考えにも、反対しないだろう。その線を、踏み越えた時、こんな反応が生まれる。だったら、公共に問う前に、自分達の議論を、戦わせておくべきだった。
子は親を映す鏡、と言われるが、どうだろう。最近は、躾ができていない、子供達が、我が物顔で、暴れる姿が、屡々見受けられるが、側に、親が居ても、何の注意も、叱責の声も、聞こえないことの方が、増えた気がする。そこで、怒りを露わにする大人の登場、となる。
だが、ここでも、異様な光景が、繰り広げられる。ずっと以前、独り言に、書いたような記憶があるが、子供が、叱られているのを、眺めながら、「ほら、怒られたでしょ」と、まるで、自分は悪いことを、していないように、振る舞うのだ。これでは、何も変わらない。すぐ側に居る、親には叱られず、何処かの知らない人に、叱られる。同じ「叱る」という行為でも、誰からか、という点で、結果が、大きく違ってくる。常に、そこに居る人から、躾けられれば、いつでも、それを恐れながら、過ごさねばならない。しかし、偶々、そこに居た人から、躾けられても、すぐに、どこかに行ってしまう。嵐が、過ぎ去るのを、待てばいい、との学習が、行われる訳だ。そう思いつつ、周囲を見渡すと、それとそっくりの行動を、する若者達が、巷に溢れている。教師でも、上司でも、何処かの大人でも、何かしらの問題を、若者に指摘するが、過ぎ去ることだけを、願う連中には、何の影響も、残らないのだ。親の責任が、問われることが、増えたのは、子供達の乱行が、悪化したからではなく、躾という影響を、及ぼそうともしない、劣悪な親が、増えたからではないか。責任転嫁のような振る舞いも、無責任としか思えぬ言動も、親がそれをすれば、子供達は、単純に真似をする。その様子を、窺ってきた人々が、映す鏡と、言い始めたのだろう。どんな時代に、この表現が、始まったのか、確かな情報はない。だが、最近の様子は、この主張を、強める方向に、力をかけているようだ。批判しても、無駄だろうし、改まることも、期待できない。人のふり見て我がふり直せ、という鏡なのか。
嘘吐きは、泥棒の始まり、とは、誰もが、子供の頃に、親や周囲の大人から、聞かされたことだ。最近は、とんと聞かれなくなったが、だからと言って、嘘を吐いてもいい、という訳ではあるまい。そんな子供も、大人になると、嘘も方便などと、言い出すのだが。
同年代の、あの宰相も、親や周囲から、同じことを、繰り返し、言われてきた筈だが、税金の使い方として、厳しい批判を、浴びている。親も、同じ商売をしていたから、巷の子供らとは、違う育ち方を、してきたのかもしれないが、それにしても、批判を浴びたら、さっさと、やめますと言い出したのには、誰もが、驚いたに違いない。それも、辞めるではなく、止めるであって、証拠隠滅の如く、無かったことに、したいのだろう。政治の世界では、議場での論争が、常となり、法律的な縛りが、何とも、中途半端な形でしか、施されない。これまで同様、このまま、有耶無耶となり、忘却の彼方へと、放り出されるのだろう。だが、長期政権で、傲慢な態度が、常態化する中で、判断の誤りが、目立ち始めると、終焉が近い、と思えてくる。幕引きを、準備しないと、短期に終わった、あの時と同様に、どたばたの降板が、起きそうだ。病的とも思える、意地の張り方も、意味不明の言動も、そろそろ、その兆しが、見え隠れする。泥棒呼ばわりは、流石に、失礼千万だろうが、税金の私的流用は、近年、各所で暴露され、厳罰に処せられている。まして、あの職業の生命は、簡単に断たれることが、よく知られているだけに、注意どころか、あらゆる努力を、惜しまぬ態度に、改めるべきと、言われそうだ。個人情報の保護や、守秘義務など、様々な手段で、情報開示を妨げようと、躍起になるだろうが、それより、自身の過ちを、深く反省して、子供の如く、二度としない、と約束せねば、転落を免れないとなりそうだ。
西日に向かって、走っていると、眩しさに、視界を妨げられ、危険を感じる。だが、隣の車線を走る、車の中を覗くと、そこには、驚くべき光景が、広がっていた。スマホを掲げ、その画面を凝視する人間が、そこに居たのだ。これを、ながら運転、と呼ぶのか。
これを、読んだ人の大部分は、そう受け取っただろう。しかし、そこに、広がる光景から、こちらが感じたのは、運転しながら、スマホを眺めているのではなく、ただ単に、スマホを眺める人間が、運転席に、座っていたことだ。つまり、彼は、運転などしておらず、単に、車という閉ざされた空間で、スマホを、おそらく、そこに映し出される、映画か何かを、楽しんでいただけなのだ。恐怖を感じながら、徐々に離れて行ったが、あのまま、無事に、目的地に到着でき、何の反省もないまま、同じことを、日常的に繰り返すのだろう。最近、取り締まりを、厳しくするとの報道が、あった筈だが、ああいう人間に、そんな警告が、響くことはない。誰も、見ていないのだから、とか、警察に見つからねば、とか、そんなことしか、感じていないのだ。だが、煽り運転で、逮捕された例から、わかるように、以前なら、現行犯逮捕や、目撃証言でしか、犯罪者を、罰することができなかったのに、最近は、映像記録が、それに代わるものと、なっている。その上、あの事件以来、撮影装置を、装備する車が、急増しており、路上監視装置だけでなく、多数のレンズが、自分に向けられていることを、意識せねばならない。事が起きれば、それらの情報を、収集分析し、結果として、罰を受けることになる。それも、前後の車だけでなく、左右からも、監視されているのだ。そんな時代が、やってくるとは、予想もしなかったが、そうでもしないと、無法者を、排除することは、できないとばかり、社会は、容認する方へと、動いている。倫理や道徳を、身につけぬ人が、増えたからこそだが、これが、教育へと繋がるとは、どうにも思えない。
体験の大切さを、訴える人が居る。それ自体、何も悪いことは、ないのだろうが、時に、過激な意見に、変貌することがある。例えば、体験した者だけが、語れる事柄を、重視する動きだ。体験者が、未体験者より、優位に立つ、という考えだが、本当だろうか。
少し違う話かも、しれないが、報道の考え方として、現場主義が、あると言われる。現場で、情報を掻き集めることが、何よりも重要であり、生で見ることでしか、解らないことがある、という考えのようだ。体験の重視と、現場の重視は、多くの類似点を、示しているが、その一方で、これが事実かどうか、については、確かとは言えないようだ。一風変わった展示会を、企画した中心人物は、記憶によれば、現場主義を否定し、その場に行かずとも、画面の前で、情報を掻き集めた方が、多面的なものに、触れることができる、と主張していた。それを使い、報道すれば、画面に映し出された、映像の反対側で、起きていることも、見出せるという訳だ。どちらの立場が、より正しいのかは、事例毎に、状況が異なり、判断できないだろうが、現状は、情報伝達が、不十分なまま、と言えそうだ。特に、事件や事故が、一つの場所で、起きた時には、問題とはならないが、多数の地点で、起きた時には、そこに、優先順位のようなものが、適用され、一部だけが、殊更取り上げられ、他は、無視されて、無かったの如く、処理されてしまう。その結果、一部には、注目が集まる一方で、他は、すっかり、忘れ去られてしまうのだ。先日、ある被災地の、そんな様子を、眺めながら、横を走り去った。被害を受けた、物品の廃棄場所の一つだが、同じものが、被災各地に、散在しているのだ。溢れ返る実態を、伝える映像が、流される一方で、他の場所の実態は、知られることがない。全てを知ることの難しさが、対策の遅れへと、繋がってはいけない。
住民かどうかの、判断基準は、そこに住んでいるかどうか、にかかっている。だからこそ、転居後、ある期間内に、届出を、義務付けている訳だが、多くは、守られていない。制度が、空洞化している、と言われる部分だが、他のことも含め、こんな事例が、多くある。
だが、制度は、制度である。義務も含め、厳守が望まれるが、自由に慣れた人々には、強制される所以は、思い当たらないばかりか、放置しても、問題なしと思える。こんな制度では、意味がない、と思われるが、別の制度が、そこに基づいて、定められるだけに、これでは、駄目なのだ。選挙権の問題と、投票率の問題が、その度に、論じられるが、基本となるものが、実態に沿わないのでは、何のことか、と思えてくる。海の向こうでは、選挙の度に、登録する必要があり、それに基づいて、名簿が決められるという。ここには、大きな違いがあり、その国では、原簿は、生まれた時の記録のみで、それが移されることもない。一方、住んでいることの記録は、実際には、存在しない。唯一、それに近いのは、運転免許証であり、それが届く場所が、住居地となる。但し、それ自体が、別の役所に、保存される訳ではないから、選挙の度に、面倒な手続きが、必要となる。そんな違いが、国毎に、存在するが、この国の制度が、空洞化する一方で、特例として、大震災後の、避難地での登録が、行われずに済まされている。長年続く、避難の結果、元の住居地に、戻る気持ちが、失せることがあるが、その場合には、どうしているのか。そこに、最近、問題とされる事象が、起こっている。帰る気が無いのなら、登録を、移すべきと思うが、自治体の人口を、減らしたくない役所には、それを、避けたい気があるらしい。実態に沿わぬ状況は、取り除くべきだろうし、無駄を、減らせない状況は、避けるべきなのに、何故、こんなことが、続けられるのか。感情の問題としてではなく、もっと実際的に、取り扱うべきでは。
この国には、国民としての、原簿となるものと、住民としての、原簿となるものの、二種類の記録が、あると言われる。突然、そんなことを、言われても、すぐには、何のことやら、と思う人もいるだろうが、両者を、厳重に保管することで、権利を確保するのだ。
最近は、前者に、記録されていない人の、不利益を、盛んに、取り上げるようになり、この国の人から、生まれたのに、国民としての権利を、有さないとは、どういうことかと、議論されている。従来の考え方で、十分な配慮が、成されていた筈が、近年は、家族への考え方や、子供との関係において、新たな考えが、どんどん膨れていく中で、不条理とも思える、状況が、発生するようになった。人権問題として、取り上げられることも、屡々あるが、大元の、個人の考えの部分で、起きている矛盾を、解決することは、難しいようだ。一方、後者の記録に関して、多くの人が、経験したことと思うが、本来の住居地ではなく、生まれ育った土地に、記録を残す人が居る。遠隔地の大学に、通うのは、所詮、数年に限られ、手続きの面倒から、放置するのだろうが、法律上は、違反行為とされる。よく、選挙時に、周囲の人間が、投票に関して、論じるのに対し、一人、孤立した感覚を、抱くことがあるが、理由は、住居地登録の違いなのだ。その中で、例外措置が、為されているのが、大震災後の避難から、居住地を、変えたことになった人々で、既に、10年近く、遠方で暮らしても、登録上は、以前の住居地のままだ。こちらも、選挙の時に、話題となるから、知ることとなるが、そろそろ、考え直す時期に、来ているのではないか。強制的な避難が、解除されれば、例外措置の理由は、消失する。その後も、様々な理由で、戻ることがなければ、新住居地を、登録すべきだろう。いつか、戻る時が、という状況でも、同じようにすべきだろう。いつまでも、不安定な状況を、続けさせることは、元より、良からぬことだから。