パンチの独り言

(12月9日〜12月15日)
(地物、新陳代謝、落とし所、突然に、鍛え方、読み物、富めば重く)



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12月15日(日)−富めば重く

 嘗て使われた言葉が、突然、目の前に現れる。それも、歴史の話の中ではなく、今起こりつつあることを、表現する為だ。同じ意味では、決してなく、全く異なる様相を、その惨状を伝える為に、使われている。何故、そんなことをするのか、不思議に思う。
 それも、世界の中で、公的な機関として、知らぬ者が居ない組織が、率先して、使い出したと言われる。更に、不思議が、強まる。何が、どうなると、こんなことが起きるのか。大きな要因として、伝えられるのは、理解の促進とある。嘗ての強い印象を、惨状を伝える為に、利用しているのだろう。だが、目の前にある問題は、全く異なるもので、過去の悲惨な事実を、思い起こさせることで、現実を、時に、過大評価させることになる。人間を、ある基準を使い、区別する為の政策を、指した言葉だが、出自や見かけを基にした、嘗てのものと違い、今使われているのは、貧富の差を、基にしたものとある。それが、単に、経済的なものだけでなく、生命の危機にまで、及ぶものとなる、と言われる。こんなことは、以前から存在しており、貧しい為に、生活が脅かされ、命の重さまでが、異なるものとされてきた。平等は、難しいとしても、貧富の差が、命の重さに、及ぶことは、避けるべきというのが、世界の基本となってきた。しかし、現状は、全く異なる状況に、陥っている。制度的には、様々な施策が取られ、救済が、行われているが、あることを、きっかけに、別の問題が、表面化しているのだ。気候変動の原因を、人間の経済活動に、結び付ける動きが、強まり続け、その陰には、一握りの富裕層が、私服を肥やし続けている、という事実がある、と言われる。そこに、変動を発端とする災害が、急増し始め、貧困層が、更に、追い込まれている。だから、これは、貧富の差による、差別の一つ、と結論付けた訳だ。だが、根本には、貧富が問題なのではなく、富める者が、より重い責任を、負わない現状に、問題がある。金が全てなら、彼らから、巻き上げれば済むのではないか。そこにこそ、問題があると思う。

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12月14日(土)−読み物

 出版界の不況は、余程深刻なもののようだ。本屋の組合が、賞を出したり、書店員が、盛んに薦めたりと、販売側の努力は、続いているが、一部の商品を除き、売れ行きは、芳しくない。何が原因か、わからぬままに、このような事態に、陥ったようだ。
 簡単には、購買意欲の減退が、第一の要因だが、そこに至る道筋には、様々な意見がある。活字離れ、という言葉が、盛んに使われ始めた頃、あらゆる活字媒体の、客離れが、深刻化していた。だが、活字という意味では、今の状況は、かなり異なるのではないか。携帯端末の機能が、発達したことで、画像や映像が、眺められるようになり、それが、媒体の選択に、大きな影響を与えたことは、事実には違いないが、それと共に、活字への接続が、増えたことも事実だろう。その意味では、活字離れの傾向は、ある安定期に、入ったと言えそうだ。電子媒体としての活字は、今の若者達には、抵抗なく受け止められ、読めなかったり、意味がわからなくても、そこから繋がる情報に、触れることで、簡単に、読み進めることができる。読書にも、調べ物にも、辞書を片手に、という必要は無くなり、電子辞書さえ、忘れ去られている。だが、これが、紙媒体離れに、繋がった訳でもなかろう。最近は携帯端末で、読書をする人も、偶に見かけるとはいえ、電車の中で、端末を手に取る人の多くは、ゲームに興じたり、SNSを楽しむだけで、本を読む人は、とんと見かけない。要するに、活字そのものではなく、小説や評論などの、読み物から、離れて行っただけなのだ。この状況では、書店が、どんな努力をしても、簡単には、打開できない。作品の魅力が、無いから、というのが理由なのだろう。その打開には、良い作品、優秀な書き手を、見つける必要がある。その為には、良い編集者が、必要ということだ。その為には、どうしたらいいのか。答えは、まだ見えてこない。

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12月13日(金)−鍛え方

 監督官庁の指導に、異論を唱えることはできない。そんな事情は、外の世界に、漏れ聞こえることはない。これでは、教育機関として、責任を果たすことはできない、との意見が、内部では、噴出してくるが、八方塞がりとなり、閉塞感が、強まり続ける。
 役所からは、入れた以上、責任を持って、出す必要がある、との指摘がされる。これ自体、間違いはない、と思う人は、殆ど居ないだろう。何故なら、入った人間が、何の努力もせず、漫然と、過ごしているのに、ある資格を与えることは、無意味どころか、無責任に違いないからだ。だが、まるで、悪徳工場の出荷のように、製品の質を、保証する必要はなく、入荷した材料を、劣悪なものでも、外に出すべき、と強いられるのだ。この状況を、同じ言葉を、繰り返し続けてきた、無能な役人は、理解しようともせず、胸を張り続ける。選抜し、ある限られた人数に、絞り込んだのだから、それを、押し出すのは、当然の務め、とでも言いたいらしい。だが、人間の能力は、変化し続けるもので、一時の選抜が、いつまでも効力を発揮するとは、限らないものだ。その後にも、機会あるごとに、選抜を繰り返し、品質保証が、できる水準に、到達させることこそ、教育機関の責任の、果たし方なのではないか。にも拘わらず、本来、その為の支援を、することこそが、監督官庁の役目の筈なのに、逆方向に、圧力をかける。愚の骨頂とは、まさに、このことだろう。その中で、人材育成には、確かな人材を見出だすことこそが、肝心との大義名分から、進めてきた入試改革は、脆くも頓挫した。今こそ、入れることより、出すことに、力を注ぐ必要が、あるのではないか。ある程度の水準を、上回ったら、入ることを許し、その代わりに、出る為の努力を、促すことで、人材を育成する。方針転換が、必要なのだ。

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12月12日(木)−突然に

 突然、接続できなくなった。今回は、かなり深刻なものだった。自分のサイトだけでなく、管理者のサイトさえも、接続できず、状況の把握さえ、できない状態なのだ。これまでの、接続不能は、各自に割り当てられた、場所へのもので、管理サイトは、問題なしだった。
 それも、前日の昼過ぎから、1日以上の間、全く反応がなく、途方に暮れた人も、多かったのではないか。但し、無料提供の環境は、最近では、利用者が減り、あまり使われていないように思う。というのも、これ程長時間なのに、SNS上には、それを知らせるような、書き込みがなく、結局、正常化するまで、殆ど音無の状態だった。そろそろ、別の場所を、考える必要が、あるのではないか、と思い始めた頃、また突然、元通りに戻った。まだ、管理サイトは、見に行ってないから、状況報告が、なされているかは、わからない。この所、不安定な様子も、あったにはあったから、そこに、問題があるのかもしれない。何れにしても、また繰り返すようなら、引越しを、考える必要がある。ただ、こちらは、そろそろ潮時、と思う所もあり、できれば、あと1年余り、使えればいいのだが。兎に角、普通の状態に、戻ったのなら、暫くは、このまま使い続けるだろう。データの保持も、重要なことだが、この独り言に、限っては、毎週、データ更新を、行っているので、心配する必要はない。掲示板は、データ更新を、行っていないから、失われることになるが、まあ、大した問題とは、ならないだろう。今日の更新は、こんな事情で、半日遅れと、なってしまった。それでも、書き込めたのだから、良かったとすべきだろう。明日の朝、何事もなければ、よしとしよう。

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12月11日(水)−落とし所

 成長に、翳りが見え始め、拡大戦略が、効果を無くすと、途端に、経営不振に、陥る企業がある。それも、一世を風靡し、独占へと、邁進する所に、目立つ傾向のようだ。始めは、無限に広がる市場に、急速に拡大を続けるが、速度が、頂点に達すると、奈落の底へと向かう。
 冷静に見れば、無限などという存在は、この世には無く、必ず、限りが訪れるのだが、拡大を、続ける中では、それを、忘れてしまうのだ。また、たとえ、無限とは、思わなくても、市場の規模から、どの辺りが、妥当な大きさかを、測ろうとせず、暴走を続けてしまう。こんな事例は、成長期から今までの間、数多出てきたが、いつまでも、続く所を見ると、歴史に学ぶことの難しさが、理解できる。自分は違う、と思うことは、人間の性の一つ、と言われるが、ここでも、同じことが、繰り返されている。企業で見れば、規模を拡大すれば、取引の額は、それと共に、増え続けるが、収益に関しては、必ずしも、規模あたりの額が、増加するとは限らない。それどころか、拡大に要する資金を、調達し続けることから、却って、減益へと、転落しかねない。その危険を、冒してでも、大きくしたい、と願うのが、経営者の欲なのかもしれないが、身の丈や、分相応を、考えてみれば、過ぎたるは及ばざるが如し、とばかりに、丁度良い所を、見つけ出すことこそが、経営者の最も重要な能力なのかもしれない。企業経営では、こんなことが、盛んに論じられるが、難しいからこそのことだろう。一方、そんなことに、携らずとも、庶民にとっても、身の丈や分相応を、目指すことが、重要であることは、ある意味、自明なのではないか。足元が揺らぐ程、無理を繰り返し、背伸びをし続けても、所詮、辿り着ける場所は、限られている。落ち着く場所を、見つけ出すのも、能力の一つなのだから。

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12月10日(火)−新陳代謝

 成長期には、拡大が、目標となっていたが、停滞期に入ると、様相は、一変した。市場は、限定され、拡大どころか、縮小が、見え始めると、減退に備える必要が、議論され始めた。増やすことばかりに、目を向けていたものが、どうやったら、減らすことになるのか。
 このままでは、縮小が続き、最終的には、無くなるのでは、という懸念さえ、取り沙汰されると、あらゆる方面で、抜本的な対策が、論じられるようになる。だが、拡大を目指して、構築された仕組みでは、縮小への対応は、殆ど不可能となる。更に、それが、消滅へと結びつくことが、現実と見えてくると、その回避への方策が、必要となる訳だが、その転換は、容易ではない。一方で、人の心の中には、拡大を目指す気持ちが、常にあるようで、何かに成功すると、必ずと言っていい程、次には、より大きな姿を、目指そうとする。だが、今も昔も、この考え方には、無理があったのだ。今更のように、議論が始まっているが、基本となるのは、拡大ではなく、継続であり、その備えを、常に置くことこそが、重要となる。成長に、酔い痴れた時代には、この大切さを忘れ、暴走を続けてきたが、今は、そんな時ではない。にも拘らず、依然として、皆が大きくしようと、頑張る姿には、無理筋が感じられるが、当事者達は、そんな可能性には、一切、目を向けないようだ。同じ状態を、長く続けることは、実は、難しいことで、一定の状態を、保つ為には、新しいものと、古いものを、組み合わせながら、その状態を、続ける必要がある。新旧の交代は、人材についても、当てはまることだが、設備についても、当てはまる。それを保ちつつ、同じ製品だけでなく、新しい製品との交代も、目指さねばならない。全体を俯瞰しつつ、個々の状況を、把握する必要があり、それこそが、経営の基本となるのだ。

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12月9日(月)−地物

 商標は、商品の価値を、保つ為に、必要なものの一つ、と言われている。名も無い品では、特定ができないばかりか、偽物の横行を、許すことで、価値も質も、落とすこととなる。はじめは、新しいもので、名を付ける必要が、ある訳で、それにより、認知される。
 最近は、非常識極まりない、隣国の仕組みに、悩まされ続け、対抗措置の必要性が、取り沙汰されるが、内政干渉を、盾とする動きは、ここでも常道となる。だが、偽物横行だけでなく、様々な違法行為を、平気で繰り返す国を、相手としては、埒があかない。発展途上では、好き勝手な振る舞いを、当然の権利として、行使し続けたが、今では、大国の仲間入りどころか、他国への圧力を、強め続ける中、好き勝手が、通用する筈もないが、今度は、権力を盾に、横車を押し続ける。そんな愚かさを、どう窘めるかは、他の国の出方に、かかっているが、今度は、こちらも、とばかりに、自国中心へと、政策転換しては、世界全体が、荒廃へと向かいかねない、重大な事態へと、突き進みそうだ。経済状況は、不安定要素を抱え、強い懸念があるが、庶民にとって、何かできる筈もない。商標に、話を戻すと、国内の状況では、品種の改良などで、農産物に、新たな商標が、次々と登場したが、海産物では、品種改良は叶わず、産地の特定が、専ら使われている。その走りとも、言われるものの一つに、ずわい蟹の産地指定がある。間の人と書く地域は、たいざと読むのだが、地元の港に上がる蟹に、タグと呼ばれるものを、付けることで、他との区別を、つけようとする動きが、始まったのはいつ頃か、ネット上では、情報が見つからないが、四半世紀は、経っているだろう。これも商標の一つであり、偽物を、防ぐ手立てで、価値を保つことに、大いに役立っている。始めた頃は、そんなことで、との話もあったようだが、今では、各地の港で、同じことが行われ、互いに競い合いを、続けている。小さな提案が、根付いたということだろう。

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