パンチの独り言

(3月2日〜3月8日)
(本性、卑小な人、独断専行、その場凌ぎ、乱高下、右往左往、小さな思い出)



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3月8日(日)−小さな思い出

 思い出や、記憶を、殊更に強調する。震災後の報道では、こんな手法が、盛んに用いられ、被災者への同情を、集めようとする意図が、感じられてきた。しかし、その中でも、その機会を奪われ、人生の一部を、台無しにされた人々は、微妙な扱いを、されていた。
 天変地異により、普段の生活が、送れない状況に、追い込まれた時、祝いや喜びの機会も、失われてしまう。大震災の後も、建物の崩壊だけでなく、日常生活に不可欠な、電力供給が、危うくなると、様々な催しが、自粛などにより、中止されていた。ある意味、無い袖は振れず、我慢の一言で、片付けられたが、それでも、何かの機会を、得た人々には、大切な思い出や、確かな記憶を、残すことができた。彼らからは、その重要性が、何度も語られ、それを取り上げることで、思い出や記憶が、人生にとって、大切なものであることが、再認識されていた。しかし、今回は、どうだろうか。設備には、何の被害もなく、多くは、何の問題も、抱えていない。ところが、そこに出された要請に、公的機関が、抗うことは、難しいと受け取られ、まるで、自主的な判断のように、中止を決定していた。自粛という言葉が、盛んに使われるのも、要請という名の、指令や命令とは、異なることを、示すのが目的であり、関係者は、忸怩たる思いを、抱いているに違いない。そんな中で、本来なら、人生の一区切りを、他人から、祝って貰う筈の機会を、ある人々は、奪われてしまった。思い出を、後から作ることは、不可能に違いなく、記憶は、無意識では、後成することも、あると言われるが、こんなことに、起こる筈はない。細心の注意を払い、どんな形でも、祝いの会を、催すことこそが、重要だと思う。小学校の入学式と、中学校の卒業式を、こんな事情で、奪われた子供達に、罪など、ある筈も無い。仕方ない、と言わず、何かすればいい。それだけのことだ。

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3月7日(土)−右往左往

 先日、読んだ本では、世界機関が、自分達に、有利になるように、如何に、世論を誘導するか、といったことが、書かれていた。但し、この件に関しては、著者の主張も、偏ったものであり、何方も、科学的な根拠は、薄弱なものに、過ぎないのだから、困る。
 それと同じことが、今、別の世界機関が、起こしているように、思えてくる。穿った見方、とされるかもしれないが、どうにも、おかしなことが、会見の度に、発せられている。それぞれの国の事情を、理解した上で、見解を発するのは、余りにも政治的であり、科学の欠片も、感じられない。影響の大きさを、考えた上の判断、と見る向きもあろうが、それでは、各国の、独自の発表と、何ら変わらず、世界全体の安定を、目指すものとは、相容れないものとなる。忖度という言葉が、この国では、盛んに使われており、これも、世界機関が、大国に対して、忖度した結果、となるのだろう。だが、それが、感染被害を、拡大させたとしたら、大間違いに違いない。個人の被害が、たとえ生じたとしても、あの機関を、相手に、損害賠償を求めることは、おそらくできまい。その上、様々な規則を、定める機関であればこそ、自らの責任が、問われることも、殆ど無いに違いない。まさか、そんなことまで考えて、勝手な判断を下し、勝手な論理を展開してはいないだろうが、それにしても、前言撤回を、さも、新たな判断とするなど、猫の目のような、日替わりの発表を、繰り返されたのでは、たまったものではない。保健機関は、元々、人の命に関わることを、扱う組織であり、そこでの誤判断は、まさに、世界的な危機を、招きかねないことを、考えると、今のあの組織の幹部達の、あの為体は、あまりに危険な状況にある、と言える。だが、彼らの不明を、厳しく裁くことは、仕組みとして、できないことのようだ。

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3月6日(金)−乱高下

 この所の乱高下に、一喜一憂どころか、静観を決め込む投資家が、多いのではないか。人の手で、相場が動かされていた時代と異なり、今は、全てが自動化され、人の感情が、入り込む余地は、無いと言われる。その上、一度ついた勢いは、誰にも止められない。
 だからこそ、売りが、売りを呼び、買いが、買いを呼ぶ、と伝えられる。設定された基準に、素直に従う仕組みは、まさに、設定通りの動きを、起こしている訳だが、取引は、四六時中続けられるのではなく、間に、休みが入るからこそ、日々の乱高下が、誘発され易くなる。一日の中での、動きの激しさも、自動化だけでなく、人の手が、きっかけを与えることで、誘発されるが、日ごとの動きは、材料が、目まぐるしく変わることで、彼方此方へと、正反対の動きを、見せている訳だ。この傾向は、海の向こうの方が、遥かに強く、遥かに大きい値幅で、上下するから、投資家が、自身の判断で、参加しようとしても、追いつけないことが、殆どとなってしまう。日銭を稼ぐことで、生活を送る投資家も、最近は、増えていると伝えられていたが、彼らが、この時期、どんな投資行動を、行っているか、興味深い。しかし、傾向としては、値下がりが、強まる中では、塩漬けにしてしまうか、売り飛ばして、現金としておくか、くらいの選択肢しか、残っていないのではないか。ただ、日銭は、このやり方では、手に入れられない。だからこそ、何かしらの手立てが、必要となる筈だが、さて、どんな手法があるのか。分散投資、という考えでは、株だけでなく、債券や為替も、対象となり得るが、こちらも、同じ事情で、動きは激しくなっている。巧く立ち回れば、それでも、収益を上げられるが、濡れ手に粟と、行くとは限らぬ。暫くは、静観しては、どうだろう。

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3月5日(木)−その場凌ぎ

 付け焼き刃でも、後付けでも、何でもいいから、支援が欲しい。と望む人は、数え切れぬ程、居るだろう。今は、騒ぎが、始まったばかりだから、手当てが、十分に行き渡るかは、まだ、見えてきそうにない。だが、その中で、圧力は、増すばかりに、見えている。
 不安や心配に、苛まれる人々は、ここでも、相変わらず、もっと寄越せ、という姿勢を、見せ続けている。それに対して、何か、できることは、あるのだろうか。少なくとも、心配や不安を、解消する手立ては、見つかりそうにない。一つの事が、始められると、それに付随して、数多くの問題が、噴出し始める。これに、対応するだけでも、手が足りず、また、予算も足りない状況に、陥っているからだ。では、何を、すべきなのか。一部から、出された意見の中で、今の政府が、行っていないのは、先回り、ということらしい。多くの国で、感染が広がる中、評価を高めているのは、手当てより、先回りだからだ。しかし、この国では、これが、最も苦手なものの一つ、なのだ。先読みをするとか、見通しを立てるとか、そういう先見性に関して、これまで何度も、指摘されてきたが、それは、殆ど行われたことがなく、何をすべきかさえ、理解していない人が、多いからだ。今、不安や心配を、口にする人も、実は、目の前の問題しか、見えておらず、その次に来ることは、その時にならないと、見えないと、また、不安を口にする。国全体が、そんな調子だから、付け焼き刃が、横行し続け、平静に戻っても、その後始末に、追われてしまう。これでは、解決法は、見つかりそうに、ないのかもしれない。だとしたら、さて、どうしたらいいのか。自身のことを書けば、何の心配も要らぬ、所詮、風邪みたいなものだ、となる。風邪を拗らせ、死を迎える人も、居るのだ。

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3月4日(水)−独断専行

 決断や責任、という言葉を、連発する人間は、本来、その根拠とすべき、専門家の意見を、聞かなかった、と伝えられる。では、何処の誰の、どんな意見を、参考にしたのか。あるいは、自身の心からの、不安を表に出した、結果だったのか。当人にしか、分からぬ話だ。
 このことに関して、追及しようとする動きは、確かにあるのだが、いつもの通り、的外れの盲撃ち、となっている。では、今肝心なのは、何だろうか。意見は、的外れも含め、様々にあるが、最も重要なのは、今回の要請を、引っ込めるのは、何時になるのか、なのだ。始めることの、決断や責任を、あれ程、声高に訴えても、そのまま、手を離し、逃げて仕舞えば、収拾がつかなくなる。本来なら、動向を分析し、その結果から、終息宣言を、出すのだが、元々、そういう専門的な解析を、頼りにせずに、始めたことでは、今更、専門家の意見を、伺う訳にも行くまい。また、身勝手な決断を、翻す為に、引っ張り出されるのでは、無責任に加担することに、なってしまう。それにより、本来なら、国の判断への助言、という名誉を受ける筈が、無謀な政策への加担、という不名誉を受けては、折角築いた名声を、失ってしまう。とは言え、こんなことも、のし上がる為の、きっかけに過ぎない、という輩にとっては、博打の機会に過ぎない。こんなことに、国中が、あるいは、世界中が、振り回される現状は、何とも情けない、としか思えない。では、どうすべきか。責任追及は、もっと的確に、的を突くべきで、時には、退陣を迫る必要がある。気紛れな人間に、国の行く末を、任せる程には、こちらの余裕は、あまりに小さい。江戸の最後の将軍の、一貫性のない決断に、振り回されたのと、同じことで、さっさと、見限るのが、得策なのだろう。

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3月3日(火)−卑小な人

 要請と自粛が重なり、各地で、予定されていた催しの多くが、中止や延期となっている。通常の講演会なら、延期としても、問題なかろうが、この時期に行うことが、条件となるものは、そうもいかぬ。卒業式は、その一つなのだが、どの学校も、対応に追われている。
 それにしても、一貫性のない基準に、現場は、戸惑っている。多人数が集まることを、避けるようにとの指摘に、状況判断を、迫られていたが、そこに、要請と称する、一斉の措置が、重くのし掛かってきた。結果として、大小に関わらず、横並びの対応が、行われつつあるが、そこには、多くの疑問が、生じている。廃校間近の学校や、過疎地の少人数の学校も、対象となるとする考えに、危険度は如何に、と思った人も居るだろうが、あの発言の影響でしかない。一方で、そんな状況下でも、必要不可欠なものと、判断することで、実施に踏み切った催しも、多くある。参加の為に、長い移動をすると、社会の状況が、報じられる程には、深刻ではないことが、理解できる。主催者の判断は、この騒ぎに対する、沈着冷静なものだが、普段通りに、活動する人々も、自分なりの、冷静な判断を、下しているのだろう。それに対して、組織の判断は、要請を出した宰相と、同じように、冷静さを失い、迷走の挙げ句、暴走し始めた所もある、と言われている。こんな時には、危機管理が、問題視されることが、度々あるが、まさに、その状況にある。SNSの発達で、個々の意見を、掲げることが、可能となったが、その中には、馬鹿げたものや、狂気を感じさせるものが、数多くある。悪質なものには、立場を騙り、偽情報を、垂れ流すものが多く、人間失格としか、思えぬものばかりだ。これまでにも、多くの問題が、生じてきたが、卑しい人間の、本性が現れるだけで、普通の人々には、無縁のものだ。自身の行状を、顧みることなく、身勝手なことを、続ける人には、品格も何も、無いに違いない。

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3月2日(月)−本性

 ひと月ほど前、突然、画面に現れた姿に、意外と思ったが、その時は、以前と比べると、すっかり普通に見える程、冷静さを保つ姿に、もう一度、驚いてしまった。しかし、このひと月、持て囃された結果、また、本性を、露呈し始めたようだ。成る程、と思う。
 人間は、そう簡単には、変われない、というのは、自分も含め、多くの人々の言動を、眺めていて、何度も感じたことだ。時に、地位が、人を作る、と話す人に、出会うけれど、実際、そう思えても、単に、地位に見合う人物を、演じていただけ、ということの方が、遥かに多い。今回も、ほぼひと月の間、落ち着いた様子で、拡大する感染症に関して、専門家の立場から、解説していたらしい。がしかし、ついに、本性を、現したというのは、彼女が、嘗て属していた組織が、悪の巣窟であるかの如く、爆弾発言を、行ったと伝えられたからだ。この間に、築いただろう、信頼を糧に、愈々、嘗て、自身を冷遇した組織に、復讐を図った、と思うのは、本人の経歴と、当時の暴言の数々を、知る人だけだろう。真実かどうか、よりも、こういう背景に、気付かぬ人々には、まともな判断は、期待できない。攻撃目標や、批判の対象を、見つけようと、躍起になる輩にとって、まるで、猛獣の檻の中に、放り込まれた肉塊のように、あっという間に、群がったらしく、画面でも、そんな様子が、展開されたとある。だが、所詮、国や大企業の、弱みを見つけ、食いつこうとする連中は、そんな材料が、飛び込んでくれば、群がるのが、当然なのではないか。一個人の、見解に過ぎないことで、今後、証拠が上がったとしても、彼女の思うようには、事は進まないだろう。怨恨に始まる、こんな暴挙に、手を貸すことは、自分達の立場も、危うくしかねない。そろそろ、手を引く頃合いなのだ。大学も、売名が、汚名となっては、元も子もなくなる。

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