パンチの独り言

(4月20日〜4月26日)
(専門馬鹿、見誤る、だぶつき、及第点、見掛け倒し、愚策、何時終わる)



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4月26日(日)−何時終わる

 凄まじい閉塞感に、庶民は、何を感じるのか。この国の人々の、大震災の直後の、冷静な行動に、世界から、称賛の声が届いたが、今、その世界が、閉塞の淵に、沈められており、一部では、過激な行動が、伝えられ始めた。この国でも、いつまでも、とはいかない。
 何しろ、先が見えていない、のである。何時果てるとも知れぬ、恐怖に、追い込まれた上に、あれも駄目、これも駄目と、自粛と称する、制限を加えられ続ける。子供の頃、親に、叱責を受けて、泣き叫んだ経験は、誰にもある。今まさに、そんな状況に、追い込まれたと感じる人が、多いに違いない。こんなことが、何時まで続くのか、画面の中で、悦に入った表情で、更なる制限を、出してくる首長達は、まるで舞台に立つ、俳優の如く、自らの演技に、酔い痴れているように見える。彼らは、まるで、狂ったかの如く、住民の支援を、要求し続けるのだ。それが、功を奏したと、賞賛を送る専門家さえ、邪魔者に、見えている人も居る。ある意味、もう、限界なのだ。自由を謳歌することが、当然の権利、と思ってきた人々に、今の仕打ちは、罰としか映らない。だが、それでも、社会の敵とは、呼ばれたくない。だからこそ、表面的には、平静を保ちつつ、甘んじている。だから、日々の生活どころか、将来に、光さえ見えぬ中では、精神が病んでも、仕方ない。近くのスーパーは、客の多さに、恐れをなし、特売日を止め、広告のチラシも、止めることとした。このことで、頭に浮かんだのは、これが、地域の経済に、与える影響だ。チラシをやめれば、印刷業者は、仕事を失い、新聞販売店は、減収となる。一つをきっかけとし、波及効果の大きさ、特に、負の方向への影響に、驚く。それも、食品は、日々の生活に、必要不可欠だから、その店が、収入を失うことはない。しかし、その下に、収入を、断たれる人々が、居るのだ、ということに。

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4月25日(土)−愚策

 先の見えない状況に、不安が募る中、連日、続けられる制限に、苛々や鬱屈が、伸し掛かって来る。その中で、自粛の要請に、従わぬ者は、社会の敵の如く、厳しい視線が向けられる。まるで、有事のようだ、と思うが、何処か、ズレた感覚が、漂ってくる。
 要請に対し、従わぬ者に、店名を公表する、という強硬手段は、必要なのだろう。この間まで、博打の施設を、作ろうという動きが、強かった地域でさえ、それに狂った人々を、排除しようと躍起になる。いかにも、あの連中のやりそうなことに、違いないのだが、上に立つ首長が、こんな調子では、すぐ同調する庶民が、異常行動に出るのも、止む無しとなる。だが、状況の変化は、この流れ自体が、大きな誤解に基づくもの、と思わせる。感染者と呼ばれる、検査陽性者の数を、連日掲げてきたが、海の向こうの簡易調査から、それを、殆ど無意味なもの、とする結果が示された。抗体を持つ人の割合が、陽性者の割合を、遥かに上回ったからだ。一つの見方から、これは、既に、感染がかなり広がり、今の規制が、無駄かもしれない、と思わせるもので、逆に言えば、全世界で行われる、遺伝子検査では、実態が把握できず、そんな化け物のような数値に、振り回されるより、目の前で、症状を示す患者の治療に、全精力を、注ぐべきとなる。多くの人々が、既に、ウイルスとの接触を終え、各人ごとに、異なる反応を示したとすれば、無症状でも、抗体を持つことや、遺伝子検査で、陰性を示しても、抗体検査では、陽性を示す人が、居たとしても、不思議はない。こんなものに、目を向けるより、症状を示した人の、経過観察を行い、重症化した人に、的確な治療を施すことこそ、今、必要なことだ。これまでにも、その体制で、挑んできたのだが、より一層、それを強調すべき時が、来ているのではないか。いつまで、愚策を講じても、見かけの感染者数が、減ったと喜ぶだけで、根本解決には、程遠い。大きく舵を、切る時なのだ。

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4月24日(金)−見掛け倒し

 世界機関で、活躍する専門家として、高い評価を受け、また、女性として、憧れの対象となる、人物の談話が、一面に掲載されていた。読んで、がっかりしたのは、評判が下落し続ける、組織の方針に、沿った形での応答で、彼女自身の、加担を想像させたからだ。
 確かに、機関内の役割は、その決定に、関与したことを、思わせる。だが、決定に、間違いがあれば、それなりの、答え方も、あったのではないか。尋ね方も、その答えしか、選べないものだった、のかもしれないが、あれを読んだら、多くの人が、落胆すると思った。ところが、SNSでは、一部のファン達が、褒めちぎる反応を、示していた。何故なのか。彼女の名前が、そこに、あったからだろう。以前から、何度か、指摘してきたが、この場で、論じる内容には、見えない形の責任が、あると信じている。匿名だからこそ、社会的責任や信用とは、無関係に、内容そのもので、勝負するしかない。一部の識者が、肩書きを掲げ、もっともらしい話を、するのとは異なり、専門家なのか、どこの誰なのか、馬の骨なのか、一切、無関係にした上で、論じる内容を、吟味して欲しい。ここ数ヶ月、取り扱っている内容も、自分なりに、一貫性があると思う。一部の専門家の如く、朝令暮改を、繰り返すような姿勢は、全く示しておらず、今でも、当初の見方に、大きな誤りは、なかったと思っているのだ。先ほどの、名前で左右される人々は、結局、内容を吟味せず、相手の肩書きで、信じ込んだり、知り合いかどうかで、鵜呑みにする。こんな連中が、騙され続けることに、社会は、大袈裟に、問題提起を続けるが、所詮、その原因は、彼ら自身の中にある。それを、変えようとしても、無駄なのだ。こんな時さえ、依然として、そういう視点でしか、物事を捉えられず、心配や不安ばかりを、口にする。自業自得、ではないか。

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4月23日(木)−及第点

 一昨日の話は、報道だけでなく、現場にまで、間違った解釈が、広がっていることを、伝えたものだ。ところが、昨日の夕刊に、同じ話題を、正しく解説した記事が、掲載されていた。報道でも、姿勢次第で、正反対の結論が、導かれる。どちらに与するかは、本人次第だ。
 ただ、この経済新聞の報道も、残念なことがある。それは、記事の内容ではなく、夕刊に掲載されたことだ。この地域では、配達の効率化と称して、夕刊は、翌朝の朝刊と一緒に、配達される。半日遅れの伝達も、残念なことだが、夕刊そのものを、購読していない読者が、多いことも、残念なことなのだ。経済を中心に、全ての事柄が、扱われることが、この姿勢の背景に、あったと思われるが、それでも、こちらの持論と、合致することから、意を強くできた。この新聞は、最近、ネット購読に力を入れ、紙媒体だけでなく、読者を増やそうとしており、ネット上に、記事の全ては、公開されてはいない。その書き出し部分を、示しておくので、興味を抱いた人は、その記事を、紙媒体で探すか、ネット購読で探して、読んで欲しい。物事を、正しく捉える為には、知識と理解力が、必要となる。しかし、現状を眺めると、本当は、それだけではない、という気がしてくる。姿勢とか、思惑とか、そんなものが、優先されており、冷静に、事実を把握し、そこから、推測を導くという、ごく普通の道筋を、辿らぬ人々が、余りに多いのだ。それは、報道機関の、著しく偏った思惑、からだけでなく、専門家と呼ばれる人々の、思惑や、判断力の欠如、感情の表れ、なども、大きく影響している。末端で、大騒ぎする人々の、無知蒙昧も、大問題には違いないが、操作された内容や、誤った解釈を、平気で、あるいは、意図的に、垂れ流し続ける連中は、これによって、何らかの利益を、得ようとしている。詐欺紛いの行為を、放置してはいけない。

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4月22日(水)−だぶつき

 ひと月ぶりに、燃料を入れて、驚いた。約1割、価格が下落していたのだ。そういえば、原油の先物価格が、史上初めて、負の値を示した、と昨日の朝、報じていた。それ以前から、価格の下落が続き、暴落の様相を、呈している。そうだったか、と気付かされた。
 例年なら、この時期、移動が激しくなり、給油の頻度も、増すのだが、今の騒ぎに加え、様々な行事が、無くなったことや、毎年の楽しみだった、春の催しも、不漁の為に、断念せざるを得なかった。それにしても、この下落は、どうしたものか。騒動により、厳しい制限が、かけられることで、人々の移動だけでなく、生産そのものが、停止することで、その基盤を、支えるべき、原材料や燃料の供給も、無用のものとなった。下流への供給が、止まってしまえば、上流には、何が起きるのか。普段は、そんな想像を、する必要はなかったが、今更の如く、こんなことに、目を向けねばならない、状況に陥った。それは、少し複雑な様相だが、原油の減産を、産油国が決定しても、依然として、生産が続く中で、それを輸送し、運んだ先からは、次の段階に進めず、所謂、だぶつきが起きると、その貯蔵基地は、普段から、ある程度の余裕を、持たせるために、ある水準を保ってきたものが、ほぼ満タン状態に、なっていると言われる。紛争などで、供給が断たれた時に、大騒動が起きたことを、覚えている人も、多いだろうが、今は、その逆の現象が、起きているのだ。基地が、一杯となれば、運んできた輸送船は、荷下しができず、次の輸送には、戻れない。となれば、原油の生産は、どうすべきか。火を見るよりも明らか、なのだろうが、そこに、国同士の思惑が、蠢いてくる。この国では、つい、中東へと、目が向くが、今の最大産油国は、海の向こうの国だ。あの大統領が、何を言い出すか、戦々恐々なのか、それとも、楽しみなのか。

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4月21日(火)−見誤る

 超楽観を、どう見るだろうか。楽観視の為に、結論ありきの、論理を貫いている、と見えているのか。だが、実際には、発表された事実に、基づくことで、堅実な論理展開を、進めているだけで、そこには、悲観主義者達が、挙って用いる、論理の飛躍は、全く無い。
 その上、こんな閉塞状況が、続くとなると、人々の心は、侵されていく。不況は、何処か別の所の話、と思っていた人も、社会的な監視のように、行動制限を、加えられ続けると、鬱憤が溜まるか、あるいは、憂鬱の底へと沈んでしまう。例年なら、そろそろ、五月病が、話題になる頃だが、この調子だと、全ての人が、襲われ兼ねない。原因は、確かに、感染症の拡大だが、ここまで、度々論じてきたように、理解不能な政策や方策の、影響の大きさも、かなりのものだ。特に、気になるのは、専門家の見解であり、その偏りを、利用する情報の問題だ。つい先日、発生源の国で、新たな調査が、始まったと伝えられたが、それが、海の向こうでも、実施されたとの報道があった。こちらの国でも、それ(ヤフーニュース)が伝えられ、驚くべき結果とされていたが、的外れと思える記述が、目立っていた。元の報道は、どうだろうかと、海の向こうのもの(CNNNews)を眺めたが、同じ論調だった。原因は、報道記者ではなく、情報源となった専門家にも、ありそうだ。膨大な数の、隠れた感染者が、街を闊歩すると、恐怖を煽るのは、報道にとっての追い風だが、その見解を、示す専門家の、見方自体に、大きな問題がある。ひょっとすると、別の見解も、示していたのかもしれないが、独り言で、何度も紹介するように、陽性者ではなく、感染したことのある人、あるいは、ウイルスと接触しても、すぐに排除できた人の数は、膨大に上り、彼らは、大事に至らずに、済んだのだ。これこそが、重要なことであり、今後の方策を、考える上で、重要な情報なのではないか。つまり、感染そのものを、恐れるのではなく、重症化した人々の、治療に集中すべき、であると。

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4月20日(月)−専門馬鹿

 先週だったか、職場で、建物間の移動の際、同僚と擦れ違い、立ち話をした。互いに、そっぽを向きつつ、話した内容は、こちらの超楽観的な見解、についてだった。世間の見方とは、かけ離れたものだが、論理の破綻はなく、納得できるもの、との反応だった。
 経済情勢にも、通じている同僚は、感染症の広がりと、正反対の見解に、驚く一方で、この所の経済動向が、実は、その反映かもしれぬ、と呟いていた。本当に、崩壊に繋がるのなら、動向は、それを予感させるもの、となる筈だからだ。冷静に見れば、多くの証左が、目に入ってくるが、我を忘れ、感情に走ると、何も見えず、操作された情報に、振り回される。これは、専門家と呼ばれる人々でも、同じことであり、本来なら、知識に基づき、冷静な判断から、意見を述べるべきなのに、世間の騒ぎに乗り、耳目を集める、過激な意見を、意図的に垂れ流す、劣悪なる専門家が、それを利用し、大衆を扇動しようとする、あの輩の手で、公共電波やネット上で、引っ張りだことなっている。初めの頃、衣服の洗濯を、どうすればいいのか、という質問に答え、80℃のお湯に、浸けてから洗う、と答えていたが、衣服には、洗濯法のタグが、付けられており、それに従うことが、大切な財産を、失わない為の、優先事項ではないか。非常時とはいえ、家事に通じない専門馬鹿を、露呈したようだ。今も、収束の気配が、世界各地で、見え始めたからか、警戒を怠るな、と訴える専門家が居る。彼も、突然、舞台に引き出され、頼りにされることに、悦に入っているのだろう。この説の危険性に、気付く気配はない。制限を始めるのは、致し方ないとしても、それを、いつ、緩和させるのかが、重要なことは、前にも書いたが、この決断が、世界各地でなされても、国内だけは、警戒を緩めるな、とすれば、それは、まるで、200年程前の、鎖国時代へと、戻ることを意味する。真の指標は、増加の緩慢化であり、そこからは、ある水準を保つ、新たな手立てが、必要となる。その見極めこそ、専門家たる能力を、発揮するものだろう。

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