パンチの独り言

(5月11日〜5月17日)
(別の死因、危険な賭け、何を守る、心根、洗脳、対照実験、自然収束)



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5月17日(日)−自然収束

 今の所、見込みは、外れていない。覗く人が、殆ど居ないから、褒めて貰える筈もないが、だが、それなりに、気持ちは良い。それに比べ、世の中は、馬鹿じゃないの、と思える程に、大騒ぎを続け、未だに、恐怖を、煽ることに、精を出す。乗るのも、乗せるのも。
 一部の政治家達は、自らの決断が、引き寄せた結果、と悦に入っているが、だとしたら、何故、世界中が、同じ経過を辿っているのか、何の説明も無い。何故なら、感染の広がりも、その後の経過も、殆どが、人と人との接触によるもので、その制限を、始めることでは、何も変わらなかったからだ。そんな馬鹿な、と思う人には、少し説明する必要があるが、ごく簡単な論理で、納得させることが、可能なのだ。だが、何事も、恐怖心から始め、それに振り回される人々は、そんな説明に、耳を傾けず、脅し文句だけに、目を向けている。今の事態は、ほぼ、自業自得の結果であり、もし、経済崩壊が、続くとしたら、それこそが、政策の悪影響であり、後手に回った、悪手の結果でしかない。感染の拡大が、何故、急速に起きたかは、人の移動速度が、100年前とは、比べようの無い程に、速まったせいであり、当初から、発生地と言われた地域から、世界に向けて、飛び回った人が、沢山居たからなのだ。当地で、問題視され始めた時には、既に、世界各地への伝搬が、済んでおり、各地での蔓延が、終わっていたのかもしれない。その考えに至るのは、この感染症の、感染の仕組みではなく、発症の仕組みにこそ、鍵があり、発症者を、見つけた時には、地域全体に、感染が広がった後だった、ということなのだ。そこから、徐々に、発症が始まることで、確認できる数は、確かに増え続ける。だが、発症率は、限られていたので、幸いにも、ふた月程で、何処も収束したのだ。こう考えれば、ここまでの経過は、説明できる。だとすれば、今後の発生は、新たな感染地での発症だけで、限られた数に、留まるのだろう。

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5月16日(土)−対照実験

 愛猫家には、衝撃的な知らせ、だったのではないか。感染症のウイルスが、猫を媒体として、人間に移るかも、という内容だった。だが、この話、すでに、先月初めには、世界中で報じられていた。ただ、その時は、英文のものだったから、皆の気を、惹かなかったのか。
 では、今回のものは、どこが違うのか。一つは、この国の研究者のもので、報道機関も、取り上げ易かった、という点が、挙げられる。特に、件の大学教授は、別のウイルスの研究者として、世界的に知られる人物で、そこに、重みが加わった、のかもしれない。となれば、衝撃的な話題であり、権威のある内容と、紹介し易くなる。だが、紹介された内容は、首を傾げたくなるほど、杜撰なものだった。はじめは、話題だけで、内容がないから、衝撃だけが、走っただろう。だが、それでは、噂話と同じと、受け取られると思ったからか、それを確かめた、実験の内容が、示されていた。だが、そこでは、常識で、考えにくいことが、行われていた。猫だけでなく、動物を対象に、実験を行う時、注意を払うことが、幾つかあるようだ。例えば、出来る限り多くの、個体数を用いること、それと、目的とする実験とともに、その条件を満たさぬ、対照となる実験を、行うということだ。彼らの分野でも、医薬品の効果を、確かめるものとして、治験が行われる。ここでは、対象となる薬とは別の、偽薬を施した集団を、確保する必要がある。研究として、当然の措置だが、今回の猫の実験では、紹介された範囲では、片手にも満たない数で、対照も設けずに、行われたとされる。これでは、業界では、信頼のおけるものとは、認められない。畑違いの実験、だったからなのか、それとも、これ以前も、そんなやり方をしてきたのか、はたまた、説明が、拙かったのか、どれかは、分からないものの、報道では、これを、大事として、扱った訳だ。鵜呑みにする、民衆を、脅す為に。

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5月15日(金)−洗脳

 発言の場が、設けられて、人々が、それぞれの考えを、盛んに、発している。これを、いい傾向と、捉える動きも、あるのだが、本当に、そうなのか。ニュースサイトや、SNSで、深刻な状況を、強く訴えることで、皆に、注意を促そう、としているようだが。
 正しいことを、しているつもり、になっている、のは確かだが、正しいかどうか、本人は、どうやって判断したのか。報道で、取り上げられているから、皆が、そう言っているから、専門家が、そう言っていたから、という返答が、どっと押し寄せるだろう。だが、それらが、正しいのかどうか、誰が、どうやって、確かめられるのか。専門家は、例の如く、不確実さを残しつつ、良い方よりは、悪い方の展開を、優先させることで、社会への警告を、発している。だが、この場で、これまでにも、取り上げてきたように、数の問題として、また、確率の問題として、こんなに騒ぐ必要は、無いのかもしれない。そんな考えを、独自の道筋で、手にする人が、居る一方で、大多数は、騒動を導く動きに、乗っただけなのだ。それを、自分の考えとして、書き記すことは、単に、誤認識に過ぎず、デマに乗る人と、何の違いもない。何方も、正しいことをしている、という自覚があるだけに、事が面倒なだけだ。一方、狂った考えに取り憑かれ、乱暴な意見を、発表する人も居る。先日も、社会的免疫を、徹底する為の手立てを、発表した大学教授が居たが、厳しい批判に、晒されることとなった。犠牲者を出す、という考えの異常さに、注目が集まった為だが、地位と名前を、公表したことで、悪影響は、別の方向にも広がりそうだ。本来、考えることの大切さは、様々なことを、検討する道筋にあり、その上で、正誤の検証を、他人との意見交換で、行うことにより、確かなものとする。だが、今の状況は、他人の意見を、鵜呑みにするだけでなく、それを、自分の考えのように、広めている。特に、若者に、その傾向は強く、こんな人々だけなら、民衆の洗脳は、簡単だ。

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5月14日(木)−心根

 そろそろ、民衆の目は、他の方に、向き始めた。恐怖を煽り、明日の命も、保証できない、とばかりに、締め付けを、強めてきたが、頼みとする数値は、減少へと転じ、脅しに使えぬ程、小さくなってしまった。となれば、普通の生活を、送りたくなるものだ。
 何しろ、8割減の要請の、次の具体的手立ては、何も、用意しておらず、脅しとしては、第二波という、見えない敵を、使うしかない。だが、第一波でさえ、大したことなく、過ぎた地域には、何の実感も、湧いて来ない。そこで、出されたのが、我慢を続けさせる為の、新生活という、これもまた、意味不明な方策だったようだ。だが、実感が湧かねば、効果は期待できない。この脅しも、根拠薄弱なものでしかなく、他国でも、緩和の後に、発生したものを、この国では、大事のように、扱っているが、本来は、拡大を恐れるなら、感染した人の数ではなく、それが発生した拠点の数を、問題視しなければならない。だが、そちらは、あまりにも少数で、騒げないからか、人数だけを、取り上げるという、作為に満ちた報道が、続いている。騒ぎが済むと、これまで、盛んに露出していた、首長の多くは、目も向けられなくなる。選挙を控える身には、辛い時期が、訪れそうだが、今回の緩和では、対象外となるから、問題ないか。だが、地方の連中は、そうもいかないだろう。驚くべきは、空騒ぎを続け、評判を落とし続ける首長が、対象外に、して欲しいと訴えたことだ。相も変わらず、命ばかりを、強調するが、その真意は、全く別の所に、ありそうだ。今後、何か起きたら、決断をした連中を批判し、自らの責任を、回避する。何も起きなければ、無視を決め込む。まさに、政治家の得意とする所、ではないか。役立たずどころか、害悪と言われるのも、こんな思惑に、満ちた言動を、繰り返すからだ。今回の騒ぎは、まさに、彼らの力量と根性を、測る機会となった。

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5月13日(水)−何を守る

 粛々と、業務をこなし、決断を下す長が、居る一方で、騒ぐだけで、何の成果も出さず、時に、混乱を招いても、責任転嫁に精を出す、役立たずの長が居る。どちらが、上に立ったとしても、下の人間にとり、上が決めたことが、降ってくるだけなのだ。
 収益の追求が、最優先となる、企業のような組織では、長の責任は、非常に重い、と言われる。世間的には、天秤にかけることは、非人間性の表れ、などと批判されても、時に、決断の材料として、せざるを得ない事態も、起こる。一方、首長などと呼ばれる、自治体の長は、命だの、生活だの、口先では、大層に語っているが、多くは、注目を浴びる為の、道具の一つに過ぎず、その度に、注目に値するか、発言の重さを、計っているだけだ。特に、選挙を、間近に控える、ある女性知事は、これを、絶好の機会と捉え、露出度に、目が奪われている。国も自治体も、命の重さを、強調することで、民衆に、制限を強いてきたが、ここに来て、そろそろ、単純な、重さの測定ではなく、所謂、天秤にかけることが、必要となっている。命と生活、二つの重さ、という考え方も、あるだろうが、実際には、何方も、命の問題であり、「命を守る」という掛け声として、同じものとなる。だが、一方を選べば、もう一方は、捨てねばならず、究極の選択として、天秤の登場となる。では、首長達に、その覚悟は、あるのだろうか。無い!と言わざるを得ない。騒ぐことは、簡単だし、責任も問われない。だから、騒ぎ続けるだけだ。別の知事も、規制が始まった当初、体制の整備により、開催を、強行したと伝えられる、ある催しの会場に、押し掛けて、中止の依頼をする姿を、報道して貰ってまで、騒ぎを、大きくしようとした。では、あの催しは、暴挙だったのか。忘れっぽいのは、知事も報道も、同様だ。騒ぎには、検証が、求められない。そんな風習は、そろそろ止めて、互いに、天秤にかけ、結果を、確かめてみなければ。

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5月12日(火)−危険な賭け

 今回も、苛立ちを、覚えた人が、沢山居るのではないか。専門家が、分かり易く、説明をするが、何故か、はいいいえではなく、どっちつかずの、はっきりとしない答えで、濁されたような、気分にさせられ、怒りを覚える。自粛で、心穏やかでない上に、これでは。
 世界機関の専門家も、同様の説明を、繰り返していたが、おそらく、彼女への信頼から、丁寧な説明、と受け取った人が、多かったろう。だが、中身は、殆ど変わらず、確定的なことは、事が進む中では、一つも言えないのだ。それは、原発事故の時も、同じ状況だったが、悪く受け取りたい人々は、大事にならない、という説明には、満足しなかった。今回も、同じで、悪い話にだけ、注目が集まる。しかし、世界情勢を、眺め回せば、今、騒ぎを大きくするのには、別の思惑が、あるように思えてしまう。この騒ぎにおいて、専門家が、頼りにしたのは、仮想計算と呼ばれる、幾つかの仮定を置いた、計算結果であり、それを根拠に、多くの国の対策が、決められていた。だが、何も知らない人間にとり、その仕組みは、未知なだけでなく、理解不能であり、更に、6割削減か、8割削減か、という設定の違いで、結果が、全く違ってくる、という説明に、首を傾げた人も、多いだろう。以来、8割おじさん、と呼ばれた専門家は、絶大な信頼を、得ていたようだが、当人は、他の仮想計算を、欲していたらしい。実は、様々な仮定を、置くことにより、計算が可能となるらしいが、出発点を、少し変えるだけで、結果が、正反対となる、という点は、専門家の間では、当然と受け止められる。今も、一部には、全く異なる計算結果が、出回り始め、既に、収束段階に入った、とする結果に、賛同の声が、上がっていると言う。まあ、身勝手な連中の、安易な心変わりだが、元々、仮想計算は、実施する専門家の、意図が反映され、望み通りの結果が、出るように仕組まれているのだ。このことに、目を向けず、ある結果を、頼りに決断することは、非常に、危険なものであることに、気付くべきだろう。

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5月11日(月)−別の死因

 世界機関への批判は、止むことが無い。だが、西洋のやり方では、責任の有無に関わらず、兎に角、謝罪は、厳禁であり、問題の掏り替えや、事実の解釈の違い、更には、過ちを、過ちとせず、自らの行為を、正当化する主張など、恥の上塗りを、繰り返している。
 どうせ、世論は、忘れっぽく、移り気だから、早晩、静かになり、何事も無かったかの如く、沈静化するとでも、思い込んでいるのだろう。だが、失策を、度々繰り返し、その度に、批判が集まれば、忘れるのも、難しい状況に陥る。それを、更に、強めているのは、SNSの存在であり、同じ論調が、周期的に、繰り返される仕組みは、批判の的にとり、理不尽であり、何とも都合の悪い状況を、産み出している。だが、問題の本質は、件の組織の、誤った判断と、それを隠蔽しようとする、更なる過ちの連続、にこそある。それを、責任転嫁し、恥を、上塗りし続ける姿は、情けなさを、通り越して、近代の害悪でも、際立つ存在と、なっている。また、批判は、初動の誤判断に集まり、特定国への、過度な配慮や、その後の展開でも、自らの失策を、覆いかくしつつ、各国政府を、批判するなど、愚かとしか、言い様のない状況に、あるのだ。だが、これでは、ある一面でしか、問題を捉えていない。問題の根源は、この感染症が、これ程に、恐れる対象かどうかにある。肺炎の死者は、世界的には、年に三百万人居ると言われ、それに対して、この感染症による、肺炎の死者は、現時点で三十万人に満たない。これを、多いと見るか、少ないと見るか。これ自体、重要な問題の筈で、平常時でさえ、毎月三十万人近くの人が、肺炎で死ぬことと比べれば、違和感しか残らない。その上、様々な規制により、経済的な圧力が増し、生活そのものが、脅かされるに及び、その点を、経済関係者に、指摘された時、あの組織の幹部は、苦笑いをしていた。彼女は、おそらく、私の仕事は、感染症の管理、とでも言いたかったのだろう。自分でも、そんな表情を、示したろうが、それにしても、あの組織の害悪は、全く別の種類の死因を、急増させそうだ。

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