パンチの独り言

(5月25日〜5月31日)
(対応不可、期待先行、敗着、自作自演、屁理屈、記憶、見直し)



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5月31日(日)−見直し

 これまでの論調で、変な奴、と思う人も居るだろう。確かに、世界中が、恐怖に震え、警戒を、厳しくする中で、何を、惚けたことを、書いているのか、と思うのだ。だが、これまでの経過は、彼らが、厳しい表情で、訴えたものとは、大きくかけ離れ、異なっている。
 にも拘らず、責任ある立場の人々は、依然として、面の皮を、厚くしたまま、次の危機へと、話題を切り替える。だが、根本から、間違った判断は、たとえ、少しの手当てを、施したとしても、正しくは、変えられないものだ。何度も書いたように、そろそろ、不明を詫びて、方針転換を、仄かしてはどうか。感染の広がりは、数の上では、十分満足できる、結果となったように、見えているが、現実には、ほぼ、二ヶ月の期間での、収束を迎えている。もう終わりだ、と言われまいとして、次の波に、襲われる危機を、盛んに強調するが、現実には、第一波と雖も、警告を発した時の、予想には、とても及ばぬもので、それ自体も、反省材料として、示して欲しいものだ。最近の数字は、表にあるようなもので、ここ3週間の比較だが、そこから気付くのは、どの国も、数字の増加が、収まりつつあり、収束とも見えることだ。更に、新たに取り入れた、二つの国の数字は、政策の違いが、殆ど影響なく、何処も、ある数値に、近づいているように見える、ということだ。例えば、最近の数値から、人口に対する、陽性者の割合を出すと、この国を除き、0.2-0.5%の範囲に落ち着く。これは、つまり、精々、200人に一人しか、発症していない、ということを表す。それも、このような割合に、収束している訳で、そこに、必然性があれば、何らかの原因を、考えねばならないのだ。その要因の一つが、昨日の研究結果であるが、それだけでは、99%を、満足しない。となれば、あの研究でさえ、網羅し切れておらず、別の要因が、あるに違いない。先入観に、囚われず、多様な見方を、検討することこそが、専門家達に、課された役割だろう。それを、果たそうともせず、危機警戒だけでは、何の解決も、見つけられない。

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5月30日(土)−記憶

 待望の結果が、出てきたと、伝えるものがあった。これまで、専門家達が、盛んに、脅しまくる中、どうにも、解せない話がある、として、独り言に、そのことを、書き綴ってきたが、あちらと同様、こちらにも、確証など、ある筈もない。単純に、理解できないのだ。
 それに対して、数々の傍証は、専門家達の、悲劇の台本ではなく、門外漢の、超楽観主義の書物に、与するものが、大部分となり、固定観念に、縛り付けられた人々の、愚かな判断に、世界中が、振り回されてきたことを、如実に表している。しかし、それらとて、傍証に過ぎず、確定的なことは、何一つ言えないのだ。今後、10年か20年くらい、事実の解明に、かかるだろうと、書いてきたが、完結するのには、その程度の期間が、必要となる、との見方なのだ。それとて、科学の世界では、結論の一つでしかなく、正しい結論かどうかは、更に、研究を進めねば、見えてこない。何れにしても、それ程の長期間を、要する解析とは言え、一つ一つの事実が、明らかにされるには、それ程の期間を、要しないものだ。その一つが、先日、論文として、緊急的に発表された、とする記事が、掲載されたと、ある人のFacebookの記事が、伝えていた。面白いのは、論文と記事の論調は、同じものであり、ワクチン開発への期待が、高まるというものだが、ある人は、異なる見解を、述べていた。内容は、新型のウイルスに対して、それが流行する以前に、採取されたヒトの免疫細胞の、半分が反応した、というものだが、これが、開発の追い風、と見るのは、いかにも、経済や業界に、寄り添う見方だろう。本当に、半数以上の人が、免疫を持つのなら、ワクチンは、必要ないだろうし、それより、発症者の治療への、特効薬を、見つけることに、注力した方がいい。まして、この研究でも、ウイルスの一部に対する、反応の確認に過ぎず、残りの半分が、別の要素への反応を、示すとしたら、必要性は、更に低下する。予想通り、と思う一人が、ここに居る。

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5月29日(金)−屁理屈

 不安を、掻き立てるように、迫り来る危機を、誇張して、訴えてきた。だが、ある意味、当然の流れとして、増加したものは、減少に転じ、見た目では、明らかな危機は、過ぎ去ったかの如く、見えている。だが、彼らの叫びは、止まる所を知らず、勢いはそのままだ。
 緩めてはいけない、油断は禁物、次の波が、必ず来る。どんな根拠で、こんなことが言えるのか、第一波の時でさえ、脆弱な根拠と、一部の専門家の警告に、基づく形で、誇大広告が、流されていた。今の論調は、唯一の頼みとして、感染者の発生を、細々と伝えることで、自らの主張を、正当化しようとするものだ。だが、その数も、期待した程にはならず、声の調子には、落胆があるのでは、と思えるが、それは、流石に、こちらの思い込みだろう。ただ、論調を変えずに、訴え続ける報道の中には、外から見れば、まさに、緩みとしか、思えないような、状況が見られ、全面解除により、出演者の立ち位置を、元に戻した、と伝える態度には、何の矛盾も無い、としか感じられなかった。社会に向かって、緩みや油断を、声高に訴える一方、自分達の方針には、何の緩みも、油断の欠片も、無いと言わんばかりだ。それなら、社会に向けても、注意を払えば、恐れる必要は無い、と伝えればいいではないか。なぜ、身内と他人で、扱いを変えるのか。つい先日の、検察幹部の不祥事に対し、批判の矢を、次々に放つ中で、内外の扱いの違いを、指摘していたばかりだ。まあ、これは、民放の得意技であり、立ち位置の問題は、公共放送のことだ。そこに、違いがあるとは思えず、早晩、民放も、立ち位置を変え、出演者が、一斉に並び、何事も無かったかの如く、他人の行状を、批判するだろう。所詮、そんなもの、と思うから、無視すればいい、となっては、やはりいけない。間違ったことを、平気で行うことが、許されるような、社会は、やはり、矛盾に満ちたものであり、結局、暮らし難いものに、なるのだから。

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5月28日(木)−自作自演

 情報を活かす、という掛け声が、国中を飛び交ったのは、何時のことだったか。おそらく、経済の泡が、弾け飛ぶ前に、そんな話題が、取り上げられていた。だが、その時、重要と思われた情報は、殆どが、偽物であり、踊らされた人々は、虎の子を、失ってしまった。
 それでも、当時は、混乱の嵐に、襲われたものの、生き延びることができた。だが、その後に、築かれ始めた、情報社会は、当時、思いもよらなかった、事態を、招くようになった。特別な情報源を、掴むことで、他人を出し抜いた時代とは、大きく異なる現状では、数多飛び交う、真偽入り混じった情報を、如何に、見極め、有用なものを、どう選び出すかが、肝心とされる。その上、活かすだけでなく、死に至らぬように、配慮しながら、扱わねば、自滅の憂き目に、遭わされかねない。そんな非現実的な、状況に、陥ってしまう。それも、情報源の多くを、握る業界が、先頭に立って、作為的なものを、流し続けたり、操作を施したものを、意図的に、垂れ流したりする。これをきっかけに、人々が、路頭に迷えば、我が意を得たり、とばかりに、手を差し伸べるなど、民衆を、煽動することで、利を得ようとする人々にとり、都合の良い社会が、出来上がったように見える。ここで、肝心なのは、そんな不埒な輩に、惑わされることなく、自分にとって、有用となる情報のみを、選び出すことであり、更に、生のデータを、元にして、自分なりの判断を、下していくことだろう。本来、生き物は、それぞれに、生き延びる為の、手立てを持っており、それにより、障害を避け、安全を確保する。だが、異常な程の、繁栄を築いた、ヒトという種は、その多くが、肝心なものを、失ってもなお、生き延びる権利を、得てしまった。特に、優しさを優先する、今の時代には、こんな人々に、手を差し伸べるのを、大切なこと、と扱うだけに、異常さは、甚だしさを増すばかり。そろそろ、自作自演を、厳しく批判し、愚かさを、唾棄することが、必要だろう。

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5月27日(水)−敗着

 独り言の最新号を、掲載するページには、3週間分の記事が、繋がっている。毎日、一番下の、3週間前のものを、削除して、前の週の分を、コピペして、その日の分を、書き始める。その過程で、古いものを眺め、記憶を取り戻す。思うに、意外に、重要なことのようだ。
 今回も、それをしていて、ああなるほど、と思った。この国独自の、対策について、世界基準へと、移行する過程で、誤った説明を、施していたことを、批判したものだった。今、世界は、この国に対して、戸惑いを隠せぬまま、評価を一変させている。理由は、ごく単純なことだ。緩い規制しかせず、肝心の検査に、精を出さない姿勢に、集中砲火を、浴びせたのに、何故か、死者数は、緩やかにしか変化せず、結果として、せっせと検査を続けた国の、百分の一程に、抑えられたからだ。少し考えれば、患者への対応に、力を尽くしてきた現場の、努力の結果であることが、分かる筈だが、他国にとって、それは、自らの過ちを、認めることにしか、ならない。自負心の塊には、とても、受け容れられない、話なのだ。だが、現実は、現実でしかない。国際機関の愚かさと共に、欧米の先進性は、明らかな悪手を、選ばせた。一方、この国とて、仮想計算を根拠とし、政策を編み出したが、その計算は、根本から誤り、予想外の結果が、出てきてしまった。関係者は、想定外とし、計算の厳密性を、引き上げる手立てが、必要とするが、懲りない奴ら、としか思えない。感染の広がりに対する、認識の根本が、間違っている可能性は、十分に高いのに、それを改めずに、係数を、変えればいいとする、考え方は、狭い井戸の中で、悦に入るのに、似たものだろう。要するに、情勢を、冷静に見極め、取り組み方を、編み出す中では、固定観念も、学説も、通説さえも、邪魔者でしかない。発症者への治療法を、編み出すことは、確かに、重要であり、効果が期待できるが、感染そのものを、防ぐ手立てについては、これもまた、大失敗となりかねない、最悪手となりそうだ。

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5月26日(火)−期待先行

 無知も、無恥も、忌み嫌うべきこと、との思いが、世間に広がったのか。この所、感染症に関して、懸念を口にする人が、急増している。ついこの間までは、風邪のようなもの、という認識で、高を括っていたのに、今は、その恐ろしさを、さも、実感する如くに。
 だが、その認識から、現実には、無知は、続いていることが、はっきりと分かる。所詮、何処かで、触れた話題の、受け売りに過ぎず、自分で、考えたことは、微塵も無い。それだけでなく、ネタ元の真偽さえ、確かめたことも無く、ただの噂話でさえ、実しやかに、語り始めるのだ。無知とは、まさに、この状況を、表すものであり、それが、恥知らずに、繋がることも、何も変わっていない。感染が、何故、広がったのか。何故、一部の人だけに、命の危機が、訪れたのか。そして、何故、収束に向かったのか。どれもこれも、専門家と呼ばれる人々が、自信たっぷりに、説明したものを、鵜呑みにしたに過ぎない。だが、専門家の間でさえ、意見が分かれ、結論などというものは、一切、出て来ていない。にも拘らず、極論とも言うべきものに、注目が集まるのは、ひとえに、偏向報道に、よるものなのだ。それが、口伝え、あるいは、道具を通して、社会全体、世界全体に、広がっただけだ。感染の再来は、話題の中心だが、そこから、引き出される期待が、感染防止策だろう。接触を避ける手立てとして、新生活などという、下らない標語まで、飛び出す一方で、医療への期待は、高まり続けている。細菌やウイルスによる、感染症の予防に、強力な手段と言われるのが、ワクチンであり、これまでも、免疫の基本として、様々な感染症への対処として、使われてきた。それ自体、成果を上げたものが多く、効果を否定するつもりはない。だが、今回のものに、有効かどうかも、課題の有無も、何の確証も無い。そんな状況で、これ程に高まる期待には、胡散臭さが、満ち溢れている。そこにも、無知が、飛び交っている。

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5月25日(月)−対応不可

 この騒動で、明らかになったことは、何だろうか。人間が、如何に不確かな話で、踊らされるか。人々は、数字を正しく読めず、有りもしない話を、何故、信じ込むのか。普段は、夢の実現を、馬鹿にするのに、医療の発達が、夢を実現する、と信じるのは何故か。
 様々な不思議や何故が、連なるのだが、その理由は、定かではない。行動心理の立場から、解析が進めば、これらの疑問は、解かれるだろうが、たとえそうなったとしても、その成果が、役立つことはない。何しろ、有無も言わさず、政策に従わせるのに、この疑問は、そのままにしておいた方が、いいに決まっているからだ。では、何が、明らかになったのだろう。身近な所から、考えてみると、様々なことが、見えてきそうだ。例えば、身の回りで、どんな変化が、起きただろう。上から、次々に、降ってくる難題に、それぞれの組織は、対応を迫られた。問題が、解決することは無く、単に、できることを、やるだけのことが、明らかだとしても、それさえできず、途方に暮れていた。そんな人間が、小さな組織とは言え、上に立っていることに、気付かされた人が、多いのだ。対応策を、講じる為と称して、種々の会議を、開催した所も、多いらしい。だが、制限を加える為の、方策を講じるのに、制限を守るどころか、明らかに、それらを破りつつ、議論を進めていた。これでは、本末転倒、に違いない。だが、旧来の考えに、囚われる人間が、上に立つ組織では、そんな愚行が、横行していたのだ。これは、組織が、大きくなっても、同じことだ。企業で言えば、課内や部内どころか、全社を挙げて、そんなことが行われ、何も決められず、会合の数だけが、積み上げられていた。自治体や国でも、同じようなことが、横行していたのではないか。この現象は、単に、会合の様式に留まらず、決定事項や、判断基準の設定などにも、現れていたことが、今振り返ると、見えてくる。ただ、これは、上に立つ人間に、限った話ではない。各構成員、全てにおいて、当てはまる話なのだ。反省せねば。

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