パンチの独り言

(6月8日〜6月14日)
(難を逃れる、大実験、平常、不確実、懸念、筋立て、均衡)



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6月14日(日)−均衡

 同じ、見えない敵でも、人々の反応は、大きく違っている。それも、何処にも、逃げる場所のない、人間ではなく、異国の地として、住み慣れた所から、離れるかどうかの、決断に迫られた、外国人達の反応は、正反対だった、と言われる。同じ恐怖でも、質が違うのか。
 現実には、手の施しようのない、不治の病への恐怖と、十分な治療さえ、受けることができれば、死を逃れられる、という安心の可能性には、天と地程の、違いがあるのだろう。前回と異なり、今回は、大移動は、起きなかったらしい。それより、母国の惨状が、あまりに印象強く、そちらの恐怖が、勝ったということか。多分、前回も、立ち去ることなく、却って、この国への愛着が、深まったという外国人も、多く居ただろうし、その人々の感覚は、理解を超えたものと、映ったに違いない。今回の騒動では、研究者として、また、文筆家として、愛着から、国籍を獲得した人は、既に、鬼籍に入り、感想を聞くことが、できなかったが、それ以前に、国籍を移した、文筆家として、また、環境活動家として、著名だった人物は、この騒動の最中に、亡くなった。偲ぶ番組が、流される中、バランスの重要性を、強調する意見を、述べていたが、今回の騒動に、向けてのものではなく、一般論としてのものだった。だが、これを流した意図は、明確だろう。企画者の意図は、今回も、これが通用する、とのものだろうが、日頃からの報道姿勢とは、真逆のもので、よくもまあ、と思えた。今の混乱は、一部の意見を、尊重した結果、バランスを失い、落ちていく人々を、支えようともせず、見守るだけのもので、人災としか、言いようがない。天災に端を発した、前回のものと違い、今回は、例え、自然の脅威の一つと雖も、その広がりを、防ぐ為と称した、対策こそが、災厄の元凶だったのだ。命を、最優先とする掛け声に、抗う力は、大衆には無く、多くを犠牲とさせられた。特に、幼子や若者への、被害は甚大であり、他人の命の為に、自分の人生が、犠牲となりかねない。今からでも、遅くはない。教育の場を、平常に戻そう!

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6月13日(土)−筋立て

 災害や、事故など、事が起きる度に、取り沙汰されるが、毎度のこととて、暫く経つと、忘れ去られる。人間の能力の中で、最重要なものの一つだが、こんな形で、取り上げられる程、身に付かないものらしい。何故、と思うのは、それなりの力を、備えているからだ。
 その力を、持てぬ人にとり、事の度に、振り回されることは、不快に違いない、と思うのは、実は、物事の筋道を、見極められる人の、思い込みで、当人は、何の違和感も抱かず、その度に、彼方此方と、振り回され、落ち着かなくても、時間が過ぎ、それが、解決へと結び付く。これでは、その能力が、如何に重要と思っても、身に付けようとする、努力には、結び付く筈もない。お気楽、と揶揄されれば、腹も立つだろうが、だからと言って、気が滅入る程に、根を詰めようとは、ならないものだ。これが、大衆の常であり、皆で、同じように振る舞えば、安心できるとなる。不安を口にし、心配顔で、暮らすことも、それを、取り除こうとする、努力となれば、面倒であり、そのままにしつつ、時が過ぎるのを、待つだけのことだ。ここまで読んで、何の話、と思う人は、やはり、少々、能力が及ばぬようだ。筋道を、立てることの重要性は、独り言だけでなく、他の所でも、度々取り上げられるが、一向に、進まぬ話となる。物事を、筋立てて、論じることは、論理とも呼ばれるが、この力が、足りない人が、社会の殆どを占め、噂話も含め、不確かな話に、一喜一憂し、右往左往するのだ。少し眺めれば、何の根拠も無く、話の繋がりも失い、結論ありきの展開を、さも重要なことのように、広げていくことが、見えてくる。なのに、作り上げられた、結論だけに、目が奪われ、その正当性を、確かめようともしない。細かな知識が、必要な場合でも、論理の破綻は、いとも容易く、見破ることができる。その労を、惜しむ態度が、無駄を増やし、害を被ることに、繋がるだけなのに、意を決する気配は、見えてこない。今度こそ、重い腰を、上げたらどうか。

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6月12日(金)−懸念

 市場は、先行指標として、高い先見性がある、と言われる。だが、ここでも、騒動の中では、根拠も、確証もなく、ただ、激しく動き、世界が、それに振り回される。今回の暴落も、懸念の一言で、片付けられたが、その根拠は希薄で、信頼には、値しないと思われる。
 その国の、金融を司る機関の、長の発言が、悲観的だったとの解釈も、見方次第であるし、感染が、再び拡大する、との懸念となれば、好き放題の解釈だろう。先行きへの不安が、解消されることはなく、日々の変化に、一喜一憂していては、大局を、見誤ることになる。だが、情報伝達に、携わる人々は、耳目を集める為に、兎にも角にも、心理不安を煽る内容を、殊更に、取り上げ続ける。その中で、冷静な判断を、下す為の手段に、どんなものがあるのか。情報社会となり、以前なら、特別な情報網を、保持する人間にしか、入手できなかったものも、ボタン一つで、手に入る時代なのだ。独自のことをせずとも、誰でも、簡単に、必要なものに、接することが可能であり、それを基に、自分なりの判断を、下すことも可能となる。感染症についても、日々の変化に、一喜一憂してきたが、そろそろ、長期的な視点を、採り入れても良さそうだ。例えば、日々の数字を、発表するとして、世界的な信頼を、得ている所でも、その解析を、行なっている。その論説は、英語だから、読むのは面倒だが、掲載された各国の推移を、眺めるだけでも、参考になる。5日平均を、示したグラフで、各国の状況を、上昇か下降かに、分類してあり、一目で分かるように、工夫がされている。一番下にあるボタンで、他国の事例も、見てみれば、各国の政策と推移を、見比べられるのだ。増減の推移は、4ヶ月程のものだが、そこから見えるのは、2ヶ月程で、下がり始める傾向だろう。今、どう判断するかは、人それぞれだが、懸念は、確信にはなりそうにない。確かめてみよう。

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6月11日(木)−不確実

 専門家も、政治家も、如何に、迫られているからと言って、根拠も、確証もなく、出鱈目な方針を、決めていい訳ではない。だが、緊急事態には、それしか方法はなく、少しの間違いは、大目に見て貰える。ただ、それでも、大きな方針には、後々の、検証が必要となる。
 それが、暫く後になるか、遥か先になるか、それは、事象によって、異なるだろうし、検証そのものも、それまでの結果で、できることと、検証の為に、新たな試みが、必要になることとでは、掛かる時間も、大きく異なる。とは言え、徐々に、実態が明らかになるにつれ、一つ一つの決断が、正しかったのか、間違っていたのか、については、検証が可能になりつつある。既に、全くの誤りだった、と結論づけられたことも、数多くあるけれど、だからと言って、他の選択肢が、あったかどうかは、別の問題となる。他の選択肢を、導き出す為に、仮想計算を含め、多くの準備が必要となれば、緊急である時に、それに費やす為の時間が、確保できるかどうかも、また、その為の新たな提案が、編み出せるかも、大きな問題となる。これらの状況を、無視したまま、批判を続けるのは、あの連中の得意技だが、この際、無駄の一言で、打ち捨てるのが、適策だろう。一方、方策の中には、厳しい規制や、精神的な圧迫を、伴うものが多く、それにより、別の影響を、強く受けた人も、多いだろう。彼らにとって、今でも、圧力は、強くかけられたままで、解決の糸口も、見出せないままだ。その中で、どう処せばいいのか、戸惑うばかりだろうが、簡単なのは、自分で決めればいい、ということだ。国民性が、救いの一手だった、との解釈が、巷に飛び交うが、これとて、不確実な話に過ぎず、気にする必要は無い。数字は、他国に比べれば、確かに、小さくなっているが、その原因は、まだ、不明なままだ。ここでも、他人の目を、気にする国民性が、肝心と見る向きもあるが、実際には、全く別の理由が、あるかもしれない。窮屈に感じるなら、周囲を気にせず、自分に良いように、動けばいいのだ。

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6月10日(水)−平常

 そろそろ、平常に戻そう。そんな気持ちを、削ぐように、相変わらずの論調で、脅し文句が並び、心の平穏は、戻ってきそうにない。だが、状況は、明らかに変わっており、戯言に、耳を貸す必要は、全く無いように見える。ただ、外部要因は、相変わらずで、圧力が掛かる。
 それでも、身の回りから、平常を、取り戻そうではないか。あの混乱の中、新しいことが、様々に始まり、それは、依然として、継続している。自分が、大丈夫と思うから、という理由では、この縛りから、抜け出すことは、不可能だろう。しかし、それらと、無関係な部分では、自分で判断し、以前と変わらぬ、状況に戻ることは、可能なのだ。他人の目が、気になるのは、ある意味、止むを得ない所だが、人の目の届かぬ範囲なら、勝手に振る舞える。そう見れば、誰しも、家族と過ごす時は、マスクもせず、気楽に居られるし、車を運転する時も、同じように、できるのだ。騒動が、盛り上がっていた頃には、すれ違う車の、人々も、多くは、口元を覆っていたが、今は、少なくなった。気温が上がり、不快感が、強まったことも、要因の一つだろうが、やはり、過剰な対応に、そろそろ、飽きてきたからだろう。これを見て、感情的な反応を、示す人は、まだまだ、居るだろうが、それも、暫くの辛抱だ。毎日、取り上げる数字も、世界各地からの、近況も、徐々に、効果を、失いつつある。それも、当然のことであり、収束が、進んでいるからであり、落ち着きを、取り戻しつつあるからだ。それでも、懲りない連中は、まだまだと、叫び続けるが、それとて、勢いを失い、信頼も失えば、誰も、耳を貸さなくなる。まるで、狼少年の如く、次の波を、訴えているが、殆ど全てが、散発例に過ぎず、波にさえ、なっていないのでは、庶民も、気にしなくなる。だからこそ、そろそろ、平常に戻れば、良いのだ。

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6月9日(火)−大実験

 例の国際機関の、主要な研究分野は、公衆衛生であり、疫学であろう。その立場からは、出てきた数値を、調査して、そこから、あり得る可能性を、検討することとなる。だが、現状は、かなり異なっている。出てくるのを、待つのではなく、戦略を、整えたからだ。
 その意味では、まるで、他の科学のように、大いなる実験を、行なったと言える。これは、仮想計算も、規制の適用も、同じことで、それを施すことで、どんな変化が、起き得るかについて、仮説を立て、世界を相手に、大実験を、行なってきた。不謹慎と、言われかねないが、その責務があると、あの機関は、信じているだろうし、その能力があると、自負してきたのだ。だが、仮説は、尽く、当てが外れ、想定した数字は、大き過ぎたと、断じられつつある。それでも、依然として、同じ姿勢で、実験を継続しようと、目論んできたが、ここに来て、全く異なる要因が、彼らの主導権を、奪うこととなった。次の波への恐怖を、強調し続けることで、厳しい規制や、過度な抑制を、掛け続けようと、してきたのだが、被害甚大なあの大国から、全く別の騒動が、世界規模へと、飛び火している。その国の大統領によれば、暴動と、片付けられる騒動は、根深い問題として、度々、爆発的な騒動を、起こしてきた。人間の心の底に、存在すると言われる、差別意識は、加える側にも、被る側にも、大きな傷を、つけてきたことは、歴史が語っている。しかし、今回のものは、単なる噂ではなく、確かな証拠として、SNSで拡散した映像が、決定的となり、加害者である警察官は、厳しい処分を、受けつつあった。だが、それで、怒りが、収まる筈も無く、また、ここまでの鬱憤も、何らかの作用を、及ぼしたに違いなく、これまで、恐怖と共に、禁じられてきた、集団行動が、国内だけでなく、世界各地で、起こされている。これも、不謹慎だが、大いなる実験の一つで、あの機関の過ちを、確かめることに、なるかもしれない。

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6月8日(月)−難を逃れる

 何故、あれ程までに、自信満々の態度が、とれるのだろうか。これまでの展開でも、数々の失策が、指摘されており、根拠も論理も、その多くが、消し飛んだと言われる。にも拘らず、相変わらずの調子で、同じ論調を、保ってみたり、批判に対し、全否定し続ける。
 彼らが、頼りとする、科学の世界では、断定は、難しいものとされる。しかし、政治や経済の世界では、確率よりも、確定が好まれ、それができない人間は、無能呼ばわりされる。だが、今回の事象は、まさに、科学の典型であり、確率の話を、確定とした途端に、勝ち負けが決まるのだ。今の所、見込みは、尽く外れ、連敗を続けるが、画面に登場する関係者は、敗北を、認めようともせず、自信満々の態度を、貫き続ける。これは、まさに、厚顔無恥を、地で行くものだが、それとて、実際には、専門とする科学における、無知から始まったもので、それを、意識しない限り、あの態度が、改まることは無い。今回の騒動で、明らかになったことの一つに、免疫の不思議がある。ヒトという種が、複雑怪奇な環境を、生き延びてきた原因の、最大のものとも言われるが、今回のものも含め、多くの細菌やウイルスという、病原体の襲来の度に、多くの命が、失われる一方で、難を逃れた人々も、多く居たとされる。その能力が、子孫に受け継がれ、次の襲来にも、対処してきたからこそ、繁栄を、築くことが、できてきたのだ。この点に関しては、地球上に棲む生物の殆どが、同じ能力を有し、それによって、種の存続を、保ってきたとされる。病原体は、相手を失くしてしまえば、自身の存続も、危うくなると言われ、だからこそ、絶対的な存在は、生じないと言われる。また、適応という能力が、新たな敵にも、対応するとも言われる。免疫は、未知な部分が多く、何度も書いてきたが、今回のものも、理解が進むのは、ずっと後になる。知らぬことを、無視したまま、断定したとしても、間違いは、当然起きる。まさに、その最中だが、何処に落ち着くのか。これ以上の間違いは、御免だ。

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