パンチの独り言

(7月13日〜7月19日)
(激論、決断、矢を放て、訴える、自画自賛、澱んだ空気、政治利用)



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7月19日(日)−政治利用

 使いようとは、人や道具に対して、使われたものだが、何方も、巧く使えば、こちらの役に立つ、という意味となる。最近、多くの人の手にある、道具に関しても、それが通用するようで、様々な使い方が、紹介され、上手く使えた時には、快感を得たり、悦に入ったりする。
 だが、本来の意味からすれば、道具そのものは、確かに、自分に当てはまるが、人間に関しては、他の人を、どう使うか、にかかってくる。それも、ある道具を持たせ、それを使わせることで、こちらに、好都合となる結果を、もたらせることだ。発信源として、各自が、それぞれ、勝手な言葉や考えを、世界に発することで、満足感を得る。自己満足が、これ程の広がりを、示してきたのには、別の理由があるだろう。それは、共感、という、社会性の動物である、人間が、好ましいと思う感覚が、簡単に、手に入ることだ。他人の発言を、気に入れば、それに高評価を与えたり、他の人との共有を図る。仲間を、見つけたいという欲求は、それだけで、満たされるもので、はじめの発言者にとっては、自らの考えが、認められたとの満足が、得られる訳だ。確かな考えを、持つ人々には、この感覚は、理解し難いが、多くの考えの中で、揺れ動き、自分のものを、持てない人には、これが、強い魅力と、感じられるのだ。それが、急速に広がり、今や、何種類もの道具が、一つの端末に、備えられ、各自は、その中から、気に入りを使う。遊び感覚で、済むだけなら、殆ど問題が無いが、最近の傾向は、悪用だけを、強めているようだ。集団で、人を貶めたり、自分の利益を、得る為に、他人を巻き込んだり、様々に、行われている。特に、政治での利用は、海の向こうの大統領を、はじめとして、盛んに行われるが、地位を利用した、暴力に近いものとなる。そこに、著名人を巻き込んだ、政治利用が、登場し始め、そこに潜む思惑に、懸念が出始めている。感染症に関する、自分の発言も、一部で、引用されるのを見ると、彼らの政治関与が、疑われる。こちらは、無関係だが、あちらには、思惑があるようだ。どうだろうか。

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7月18日(土)−澱んだ空気

 洗脳である、と書いたが、違和感を覚えた人も、居るだろう。宗教での洗脳は、あらゆることを、信じるべき対象と、結びつけて、疑うことを、厳しく禁じることで、自らの意思を、失わせるものだった。しかし、現状は、鵜呑みにしているだろうが、疑いは、失っていない、と。
 確かに、多くの人々が、薄々感じている、に違いない。世間では、大ごとのように、騒いでいるが、周りを眺めても、何も起きておらず、ふと、何故、こんな騒動が、起きているのか、と考えることがある。だが、だからと言って、疑問を、口にすることは、できない。何となく、憚られるのだ。確かに、あの宗教が、社会的な問題を、数え切れぬ程に、起こしていた時、その一方で、信者達の、異常な程の信心は、揺らぐことなく、外からの異論にも、強い態度で、挑みかかっていた。それと比べれば、今の状態は、ずっと健全である、と思うかもしれない。だが、社会的な抑圧が、明確に感じられる中、疑惑は、単に、それぞれの人の心の中に、留まっている。これでは、自由な発想は、あったとしても、行動には現れず、結果的に、何処か狭い所に、押し込められている。だからこそ、状況は、深刻化するばかりで、解決の糸口さえ、見つからない中では、人々の心は、荒んでいくだろう。健康を、追い求めようとする中で、明らかな不健康を、強いられていることは、とても、正しい道とは、思えない。そこに、宗教での洗脳と、酷似した状況が、あるのではないか、と思うのだ。それも、社会全体、いや、世界全体が、誤った方に、向かい続ける中で、疑いつつも、反論できない雰囲気が、満ちている。それも、誤った判断から、始まった暴走を、まるで、正義の如く、信じ込んで、異論を、悉く抹殺し、力の行使でさえ、正当化する。この空気を、歴史に照らせば、あの暗黒時代を、思い浮かべる人も、多いだろう。その時も、報道は、権力に与し、過ちを犯した。それへの反省は、やはり、口先だけのもの、だったのだろう。

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7月17日(金)−自画自賛

 今回の騒動の、起点となった国で、一旦は、終息の宣言が、行われたようだが、糠喜び、だったようだ。発生源とされた地域は、当時の、死の町とも、呼ばれた光景は、忘却の彼方へと、追いやられ、日常を回復した、かと思われたが、今度は、首都まで巻き込み、再発した。
 その中で、危険地帯を、周知することで、住民に注意喚起し、徹底的な検査実施で、嘗てのような、感染爆発は、未然に防いだ、と成果を掲げた。国威を、発揚するのが、あの国の政策の、最大の課題であり、いい結果が、得られれば、それは、自らの成果であり、逆の結果は、他国や、別の要因の、悪影響である、と結論付けるのも、その現れだろう。だが、こと感染症に限っては、これまでに、収集されたデータに、基づく解釈は、不十分なものに過ぎず、今回の数値の変遷が、果たして、対策の結果によるものか、それとも、自然の成り行きだったのかを、確かめる術は無い。反論は、発生源での爆発的感染と、明らかに異なる経過を、強く主張するが、3ヶ月程前の状況と、違う点を、捉えようとしない姿勢は、自己都合の適用に、過ぎないものだ。世界各地に、急速な拡大を、示していた時、隣国でも、国内での感染拡大が、起きていた。全てが、免疫によるものと、考えられないような、発症者の割合から、一部の専門家は、病原体の排除が、大多数の人々で、起きていた可能性を、指摘している。機構は、不明なままだから、科学的な証拠が、ある訳ではないが、その可能性に、言及する人々は、免疫そのものの、仕組みへの理解が、不十分であることも、指摘する。だとすれば、一旦、感染地域となれば、その住民は、何らかの接触と排除を、経験したと見るべきではないか。となれば、対策の有無に関わらず、初めての時とは、異なる経過を、辿ることは、大いにあり得るのだ。だが、政治にとって、科学的根拠は、必要無く、自分に好都合の解釈こそ、大事なのだ。

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7月16日(木)−訴える

 訴える。長く続いた、封建社会では、目安箱と称して、庶民の訴えを、受け付ける制度が、実施された、と歴史で学んだが、今の世は、少し事情が異なる。上意下達しか、無かった時代に、不平不満は、喩え有ったにしても、それを、幕府に、知らせる術など、無かった。
 当時に比べれば、民主主義の時代に、様々なことを、訴える手立ては、数多あるに違いない。だが、それが、正当かどうかは、全く別の話となる。上意下達は、ある意味、今でも一部の組織で、残ることだが、そこで起きた事件は、世間を、呆れさせた。国の頂点に立つ人間が、様々に、気に入った人々に、便宜を図ったとされ、それも、配偶者との関わりが、取り沙汰されると、本人は、徹底否定するのは、当然のこととして、周囲は、忖度とも言われた、配慮を見せて、公文書の改竄まで、行なったとされる。その騒動の中、自らの命を、絶った職員の遺族が、訴えを、起こしたと伝えられる。その中で、中央の責任者が、公務員の業務上の責任は、個人ではなく、国が負うもの、と反論したとあったが、妄言としか、思えない。たとえ、組織内のことでも、個人が発した、無理難題は、個人の責任によるもの、に違いないからだ。この論理は、逃げ口上でしかない。その程度の人間に、負わせる責任は、無意味かもしれず、訴えの目的は、個人的なものに終わりそうだ。一方、同じように、命を絶った女性の遺族が、番組制作の問題として、監視組織に、訴えた話題には、強い違和感を覚えた。所詮、作り物に過ぎない、番組の影響が、悪い方向に進み、悲惨な結末を、迎えたことは事実だが、こんな話は、お芝居が始まった時代から、数え切れぬ程、起きている。悪役を演じれば、その役者を、そのまま憎む人間が、出てくるのは、致し方無いと言われる。そんな思い込みを、抱く人間にこそ、問題があり、彼らを糾弾すべきが、いつの間にか、作った側が、諸悪の根源とされる。彼女の本職を考えれば、その覚悟は、あった筈となる。冷酷だが、そんなものだ。一方で、寄ってたかった人々には、それなりの罰が、下されるべきだ。

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7月15日(水)−矢を放て

 攻撃は、最大の防御なのだ。古今東西、ありとあらゆる事柄に、通用すること、と信じられている。特に、矢面に、立たされた時、それに耐えるより、何処か別の所に、綻びを見つけて、そこを攻めることで、自分への攻勢を、衰えさせることは、度々行われてきた。
 今回の騒動も、まさに、その道筋を、辿り続けている。その勢いが、衰えないのは、批判する人々が、死への恐怖に、晒されていて、身が入らないからだろう。世界機関は、当初の楽観的な見解を、突然、棚上げすることで、責任転嫁に、躍起となっていた。だが、その後も、場当たり的で、ただの思いつきに過ぎない、科学的根拠のない、施策を、世界中に押し付け、それが、徹底されないから、拡大が収まらず、悪化の一途を辿る、と主張し続けている。だが、彼らの見通しは、まさに、最悪の筋書きを、見せるだけの、馬鹿げたものであり、施策により、何がどう変化するかさえ、示そうとしていない。今回も、新聞の見出しによれば、「多くの国、誤った方向」、と断じたようだが、では、どの国が、正しい方向にあり、その結果、どんな状況にあるのか、示すことは無い。まさに、攻撃に終始し、それにより、自らの過ちに、目が向くことを、避けているだけなのだ。これでは、この国で、一部の組織が、精を出していた、危機管理ではなく、危機回避への方策と、同じものとなる。危機回避は、それが、上手く行けば、結果良好となるが、単に、逃げ回ることとなれば、責任回避と同様となる。世界機関の態度は、まさに、これであり、悪い数字を、殊更に強調し、そこを、攻め続けることで、批判の矢が、自らに向くことを、避けているだけだ。彼らの思いつきに、世界が付き合うことは、もう辞めて、それぞれが、最適と思える政策を、実行するしかない。唯一の解が、あるかの如く、装ってきた人々は、尽く、失敗を犯してきた。偏った考えの、及ぼす悪影響が、まさに、ここに現れている。もっと激しく、攻撃すべきだ。

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7月14日(火)−決断

 限界は、既に、超えている。それも、自分の周りだけでなく、世界中で、そうなっている。きっかけは、専門家達の判断の誤りであり、それが導いた、政策判断によるものだ。人々の行動を、厳しく規制することで、大禍は避けられる、との決断は、功を奏したのか。
 現場でさえ、成果は上がっておらず、人々の心は、浮き沈みさせられ、振り回されている。今を、乗り越えれば、という約束は、空手形となり、いつまでも続く、警戒態勢に、人々の心は、荒んでいる。だが、今はまだ、心の問題だけで、済むのかもしれない。これが続けば、皆の日々の生活が、立ち行かなくなる。その実態が、ほぼ明らかとなりつつある一方で、更なる規制を求める声が、専門家達から、上がっている。自分らの判断が、どんな成果を、上げてきたかを、検証することなく、また、現状を分析することなく、同じ姿勢を貫き、愚かさが増すばかりだが、彼らの組織の頂点に、あるとされる、世界機関が、まさに、その先頭を爆走しており、後ろを振り返ることさえ、しようとしない。元々、社会から、種々雑多な数値を、かき集めることで、何らかの傾向を、見つけ出し、それによって、講じるべき対策を、探り出すという手法が、あの組織が、取ってきたものだが、今や、はじめの思い込みに、縛りつけられ、その後の展開を、眺めようともしない。数字が、増え続けるのは、当然のことであり、その推移を分析することで、傾向を見つけ出し、それを、方策へと反映させる。自分達の武器を、放棄した時点で、彼らは、判断する力さえも、捨ててしまった。そんな連中の、妄言を、いつまでも聴き続けるのは、不快を通り越して、害悪となりつつある。更に、それに輪をかけるのは、個々の専門家であり、彼らもまた、束縛から、逃げ出そうともせず、ただ、妄言を、繰り返すばかりだ。ただ一つ、今できることは、彼らと決別し、新たな判断を、下すことだ。それが、出来なければ、滅亡へと進まねばならない。

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7月13日(月)−激論

 偏った情報を、垂れ流すことだけで、何の意味も、なさない。と言われたのは、大震災後の事故の、状況報告や説明に、おいてだったが、その時も、偏っているのは、流す側だけでなく、受ける側にこそ、極端になっており、愚かな人々が、手にした端末から、嘘を垂れ流していた。
 これは、今も続くことで、この仕組みの問題が、そこにある、と思う人も多い。人の噂の、賞味期限は、昔から、限られている、と言われてきたが、記憶媒体を備えた、この仕組みでは、定期的に、同じ嘘や誤報が、垂れ流される。人の記憶は、不確かだが、機械は、刻み付けられたものを、何時迄も保管し続ける。それも、奥に仕舞い込まれれば、忘れたことと、同じとなるが、悪意に満ち、誤りを繰り返す、愚かな人々の手に、それが入れば、何時迄も、同じ文言が、再現されるのだ。機械は、その正誤を、判断することなく、同等に扱う。興味深いのは、この状況での、情報の寿命は、正しいものより、誤ったものの方が、遥かに長いことで、それは、正しいことは、その場でも、判断できるが、誤ったものは、同じ間違いを、考え出すことが、難しいからかもしれない。この社会で、より正しい答えを、導き出すには、端末を手に、それを見つめるだけでは、全く足りない。そこでの議論や、実社会での議論により、互いの主張を、徹底的に戦わせることこそが、重要となる。科学の世界では、論争は、当然の手段であり、それが、盛んに行われることで、過ちを正し、より妥当な結論へと、進むことで、その発展を、支えてきた。だが、情報提供では、その手間は省かれ、過ちが、繰り返される。その中で、珍しい光景が、画面に現れていた。感染症の専門家が、二人登場し、その間で、激論が、戦わされたのだ。端末を手に、批判を繰り返す人間は、依然として、愚論に、浸っていたが、この手法は、従来とは、明らかに異なる様相を、呈していた。ただ、残念ながら、両者共、間違っており、正しい結論への道は、閉ざされていた。これでは、議論も、無駄だったろう。

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