パンチの独り言

(8月17日〜8月23日)
(根も葉も、肩を並べ、権化、権利剥奪、自己判断、大外れ、自作自演)



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8月23日(日)−自作自演

 1週間経過し、彼らの横暴さに、変化があったのか。表面的には、確実な見通しを、示すことで、今、世界を包み込む、閉塞感を、解消しつつある、と見えるのかもしれない。しかし、その実態は、全く別の思惑が、蠢くだけで、失われた信頼は、回復できそうにない。
 では、長期に渡る戦いを、表明して来た方針を、なぜ、転換させたのか。一部には、親密な関係がある、と言われる、隣国での催しを、開催できるという約束、の為との意見もあるが、それは、疑いを、増すだけで、いかに、愚かな人間でも、やりそうにない、と思える。では、他に、何があるのか。こちらが、まず、思いついたのは、もっと直接的な、欲望の現れ、なのだ。あの世界機関の、事務局長には、任期というものがあり、それを、全うすることが、第一の目的と思える。今回は、まさに、2年後に、それが訪れ、成果を、高らかに謳う必要がある。これは、単に、評価を高める為だけでなく、次の任期を、手に入れる為でもあり、下賎な人間の、考えそうなことだろう。本来なら、病気の蔓延を防ぎ、それによって、世界からの信頼を得て、期待と共に、二期目を迎えるのだが、感染症の拡大に、的確な対応を、できないまま、情報操作さえ、行なった機関は、信頼を失墜した。だが、その後も、自らの過ちを、認めることなく、恐怖の筋書きを、重ねることにより、世界を、大混乱へと陥れた。その責任を、感じるつもりは、微塵もなく、今後も、悲劇の筋書きを、書き続けることも、できただろうが、保身への心理は、別の形で、現れたのだろう。何しろ、創作でしかない、筋書きは、何とでも、書き換えられる。その中で、「終息」の文字を、明記しさえすれば、収まったと言えるのだ。前任者も、大流行の文字を、振り翳して、批判を浴びたが、今回も、同じ状況にある。その歴史は、機関全体に蔓延する、恐怖の台本を、後生大事に、抱えることを、甘受させている。

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8月22日(土)−大外れ

 馬鹿げた騒動のせいで、様々な悪影響が、広がっている。今、最大の問題は、猛暑の中で、これまで、かけられ続けた、制限の数々が、体調悪化を、強めていることで、各人に、究極の選択を、迫っていることだ。自身だけでなく、他人のことまで、考えねばならない。
 そんな中で、人々は、徐々に気付き始めている。これまでの、大袈裟な脅しの数々が、実は、張り子の虎に過ぎず、中身が、空っぽに近いことに。日々、大々的に発表される、数値でさえ、別の出来事と、比べてみれば、その正体が、見破れる。専門家達も、これまでの路線では、通用しないと察したか、別の数字を、引き合いに出し、目先を変える、工夫を凝らす。然りとて、所詮、御里が知れるし、馬脚を現してしまったことに、何の変化も無い。となれば、人々の関心も、移っていきそうだ。心変わりからか、視線をずらそうと、話題を変え始めた所も、出て来ている。この騒動に、隠されてしまい、開始直後は、あまり話題とならなかったが、所謂、プラスチック製品を、環境悪化の元凶とする見方は、レジ袋の廃止や有料化として、制度化された。この問題は、環境保護という観点から、注目されているが、どうも、怪しげな雰囲気だ。環境への悪影響として、地球全体に、汚染が及ぶとの報告は、かつての問題と同じで、フロンガスについては、限られた範囲で、規制が効果を上げ、破壊されたオゾン層が、回復したとの報告で、解決に向かっているようだが、その他の問題は、解決しないままだ。水銀汚染は、一時、盛んに伝えられたが、今では、殆ど取り上げられず、その後の温暖化となると、もう、問題の本質さえ、怪し気なものとなった。これは、プラスチックについても同様で、騒動の根源と、対策の対象が、大きくずれているように思える。身近な問題とされるが、元凶は、そこではなく、別の所にありそうで、的外れなことが、行われている。炭酸ガスの対策同様、金が絡んで、問題も、縺れている。

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8月21日(金)−自己判断

 一国一城の主、に憧れる人が、多いようだ。だが、現代の見方で、国を考えると、その頂点に立つのは、かなり難しい。この国では、一億人を超える人の上に、立つことが必要だからだ。そんなことから、主人になった途端に、その地位に、しがみ付く人も、多いようだ。
 旧共産国から、分裂で生じた国の、大統領の不正が、糾弾されているが、隣国の得意技である、内政と括れば、他国の関与は、迷惑でしかなく、拒絶も当然、となる。国を治めることは、人民の信頼を得て、皆に利益を、分配することで、実現される。だが、均衡を失えば、凋落は、あっという間に訪れる。内政と雖も、革命が起きれば、急転直下となる。だからこそ、力を手に入れ、鎮圧に励むのだ。さて、そんな国の話は、こちらに無関係だから、身近な話題に、移ろう。この国でも、頂点に立つことを、諦めて、一つの城、つまり自治体の頂点に、飛び移った人々が居る。思うがままに、操れる存在を、手に入れ、悦に入っていたが、この騒動で、状況が変わりつつある。はじめは、世界的情勢から、行動制限などを、政策として、実行するなど、政治的な手腕を、揮っていたが、好転の兆しが見えず、矢が尽きたと、見え始めると、先頭に立つどころか、群衆の混乱に、巻き込まれてしまった。したり顔で、見解を発表し、制御下に置いていると、見せてきたが、現実には、専門家も含め、誰にも判らぬ実態は、想定外の展開を、見せ続けている。となれば、主人を含め、力を失い、掛け声も、虚しく響くだけとなる。あれやこれやと、多彩な戦略で、制御できると、自信満々の態度を、示した人々は、結局、無能ぶりを、露呈している。その中で、数々の制限を、強いられた大衆は、その無駄に気付き、解放を目指すことだろう。不要不急との掛け声も、強制されるのとは、別の面が出せる。必要か否かは、自分が決めることで、他人に強いられるものではない。今まで同様、自分の判断で、何の問題も、生じないのだ。

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8月20日(木)−権利剥奪

 弱者保護の方針が、大きな歪みを、生じている問題を、何度も取り上げてきた。平等主義が、別の不平等を招き、更なる差別を、生じることに、気付かぬ正義は、不正義でしかなく、邪魔なものなのだ。だが、そこに、降ってきた騒動が、また、別の問題を、産んでいる。
 弱者を、保護すべきと、主張する人々は、自分の生活に、満足する人が多く、困っている訳では無い。だが、騒動に、巻き込まれると、その状況に、大きな変化が起きた。誰も彼も、経済的にも、精神的にも、追い込まれ、そこには、強弱、貧富の差は、殆ど無くなった。だが、元々あった差は、埋まった訳ではない。となると、弱者は、保護されることなく、放置され、何事も、自分で解決せねば、ならなくなる。今回の騒動の、劣悪さは、政策や対策の、杜撰さだけでなく、こういう悪影響を、様々な所に、及ぼす所にある。感染症の専門家達は、騒動を、大きくすることにしか、関心が無く、その実態や、他の疾病との比較さえ、行わぬまま、誇大広告を、触れ回っている。別の見解が、提出されても、力尽くで押さえ付け、誤った見方を、固持しているのだ。騒動を発端として、この感染症と、共に暮らすことを、絶対条件として、提案しているが、これも、自作自演でしかなく、感染症の存在ではなく、それを制圧する為として、自らが提案した、愚策を、強要するだけだ。それを、如何に、正当化するかが、彼らの頭にあることで、その為に、種々の恐怖を、作り上げ、ありもしない話を、作り上げている。その影で、本当に、支援が必要な人々は、その存在さえ、忘れられており、二の次三の次と、されている。優先順位は、あらゆる方策で、必要な考えだが、最優先が、一部の愚かな人々が、作り上げたもので、占められる現状では、必要なことの全てが、後回しとされる。誰もが、諦めの境地に、追い込まれる中、何が、必要なのか。声を出す権利さえ、奪われかねない。

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8月19日(水)−権化

 医療の目的は、健康を保つことだ。対象となる病気を、治すことを目的とし、健康を、取り戻せた、と思った矢先に、別の災いに、襲われる人が居る。病気への悩みが、心に影響を及ぼし、精神を病むことで、はじめの病が、治ったのに、健康が、取り戻せないのだ。
 以前は、医療関係者にも、目の前の問題だけに、心を奪われ、患者の別の異変に、気付かぬことが、度々指摘されていたが、最近は、全体を俯瞰し、多くの診療科が、関わることによって、総合的な支援をする、体制が整っている。多くの関係者が、努力することで、築かれた仕組みだが、今の騒動は、それを、破壊する方向に、力がかかっている。それも、人々の健康を、保つことを目的とする、世界機関が、先頭に立って、害悪を、撒き散らすのだから、手に負えない。感染症の恐怖を、如何に流布するかに、頭を使う連中は、自ら発した言葉が、及ぼす影響にも、一面からしか、捉えられない。元々、病気の危険性は、それを原因とする、死の確率を、検討することで、評価される。にも拘らず、彼らは、感染症の広がりを、唯一の評価として、強く訴え、その変動だけを、追跡し続ける。その弊害は、今まさに、世界中に、蔓延しているが、収束の兆しが、見えないことに、業を煮やした連中は、圧力を、更に強めることにしか、目が向かない。無症状の感染者、という括りを、好んで使う人々は、その分類が、この感染症の特徴であり、それを強調することが、大衆の関心を、集めることに繋がる、と信じている。だが、その一言を、素直に受け取ることで、心に強い影響を受ける、という副作用を、気にもしていない。無症状では、自覚できず、その中で、害悪を広める、原因となることを、指摘されたら、何の異常も感じていない人は、何を思うのか。こんな簡単なことさえ、思い浮かべず、妄言を、撒き散らす連中の、責任は重い。経済効果を、考えずとも、影響を及ぼせる、悪の権化なのだ。

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8月18日(火)−肩を並べ

 騒動が、一国の問題から、世界各地に、飛び火し始めた時、既に、世界機関の発表を、疑う声は、高まっていた。当時、一貫しない方針と、非論理的な表現に、信頼を失ったのは、事実だったろうし、その後は、過ちを、認めようともしない、頑なな態度に、信頼は地に堕ちた。
 この国には、あの機関の中核に居る、ある女性への、憧れと信頼から、未だに、疑おうともしない人が居るが、こんな姿勢が、情勢判断において、障害となり、間違いを繰り返すことに、気付かないのだろう。人への信頼は、確かに、重要な判断基準となるが、内容の吟味なく、ただ、鵜呑みにするのでは、騒動に巻き込まれるのも、当然のこととなる。当時、世界機関の暴走を、食い止める手立ては、多分、海の向こうの大国の、防疫機関からしか、出てこないと、周囲に話していたが、その後の展開からは、肝心の機関も、期待した役割を、果たせなかったことが、分かってくる。原因は、定かではないが、そこから発信される情報は、皆無なのに対し、別の研究機関の長が、盛んに発言するのが、報道されたことから、何かしらの力関係を、思い浮かべた。この人物も、大筋では、世界機関の方針を、擁護する発言をしており、研究者としての判断に、落胆したものだが、彼の解析法に触れて、成る程、馬鹿げた考えに基づき、都合の良いデータを選び、結論を導く手法には、名を成した研究者に、有りがちな、結論ありきの論法が、明確に表れていた。例えば、国と国の比較により、行動規制の正当性を、主張する中では、人口規模の異なる国を、平気で並べており、一方で、自分の国の大きさを、意識して、地域ごとに分けた分析を、するのとは、全く異なる区分を、使い分けるのは、地位を得た人間が、やりそうなことだ。こんなに脆弱な根拠で、方針を決める姿勢は、世界機関と同じで、疫学も公衆衛生も、あったものではない。まあ、彼は、免疫学者だから、間違いは、当然か。

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8月17日(月)−根も葉も

 風評被害とは、根も葉も無いことで、様々な被害が、及ぶことを、言い表している。情報社会においては、人々が、手にした端末を、発端として、偽情報や、嘘が拡散され、それによって、標的となった人や組織が、甚大な被害を、受けることとなる。大きな問題なのだ。
 時に、競争相手を、貶める為に、この道具を駆使して、自らの利益を、求めようとする人も、居るらしい。動機は、下劣なものであり、唾棄すべき、との意見も出てくるが、それを伝達する人々は、時に、善意から、加わるとも言われる。以前なら、善意による行為は、不問に付せられることが、多かったようだが、最近は、それさえも、悪意への加担と見做され、厳しい罰を、望む声が、高まっている。情報を扱う中、真偽を見抜くことや、軽率な判断を、避ける手立てが、必要とも言われるが、一個人の発言ではなく、公の立場からの発言では、その必要を、感じない人が、多いのではないか。しかし、今の時代、公と雖も、不確実な発言や、時には、恣意的で、悪意に満ちたものまで、飛び出すことがある。この騒動の中でも、日々、標的を探し出し、集中砲火を、浴びせることが、度々、起きている。その際たるものが、遊戯業界への、規制だった。誰が、どう、思い付いたのか、検証が、必要と思えるが、多分、藪の中に、放り込まれて、謎のままに、終わるだろう。兎に角、大都会の首長達が、挙って、槍玉に上げ、当初は、自粛という形で、穏やかだったものが、従わぬとなると、店名公表など、強硬策に出た。大衆も、加担する動きが、強まり、特に、周辺住民の動きは、過激になり始めていた。無駄な争いを、避ける動きが、始まることで、鎮静化に動いたが、根源の問題に、目が向くことは無かった。今でも、日々、多数の陽性者が、公表されるが、件の店を、発生源とするものは、全く報告されず、あの騒動は、何だったのか、と思える。発言者は、所詮、政治家であり、公共の治安を、守る為の措置、との一言で、自らの過ちを、認めることは、あり得ないが、これも、所謂、風評被害だということを、忘れてはならない。

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