パンチの独り言

(9月28日〜10月4日)
(磔、自業自得、科学の力、無知蒙昧、能無し、救世主、奇手か悪手か)



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10月4日(日)−奇手か悪手か

 いつの時代も、どんな分野にも、英雄の登場が、必要となる。若手の台頭が、話題となり、最年少の括りで、史上初を、書き換え続けているが、彼の登場まで、その世界に限らず、外の人にまで、名声が、届いていた人物は、一時、天才ぶりを、恣に、していた。
 徐々に、その実力の評価が、高まっていた時、ある勝ち抜き戦の、一戦の中で、彼の本領が、発揮された。解説者は、歯に衣着せぬ物言いで、人気のあった将棋指しだが、彼が、絶句の後に、絶賛した一手は、優位にあった相手を、一気に、谷底へ落とすもの、となったと言われる。当人以外に、思いつかない指し手は、時に、奇手と言われる。突き落とされたのが、今、話題となる若手の、棋界での初戦の相手、だったのは偶然だろうが、運命と思う人が、居るかもしれない。どの世界にも、意表を突く展開で、勝利を手に入れる人が、居るものだが、その評価は、人それぞれだろう。その後、名人をはじめとする、全ての称号を、手に入れた人物は、終盤戦の展開から、魔法のようだ、とも評されたが、奇手ばかりではなく、妥当な展開を、続けたからこそ、勝ち続けられたのだろう。一方、海の向こうの大統領は、劣勢の中、奇手の連続で、優位を手に入れ、最終盤の逆転で、今の地位を得た、と伝えられる。就任後も、怪しげな言動や、それを、書き込んだSNSから、話題に事欠かぬ状態が、続いていたが、熱狂的な支持者を除けば、評価が高まることなく、悪影響の大きさの方が、強調される状況が続き、本来なら、優位が揺るがぬ、二期目の選挙にも、劣勢が伝えられる。前回同様に、逆転を狙う人間には、意表を突く戦略が、残っているのかもしれないが、果たして、結果はどうなるのか。疑心暗鬼の人々からは、彼の、手段を選ばぬ戦略が、どんな結果を招くか、不安が漏れ聞こえるが、二度目があるかは、誰にもわからない。それにしても、何でもありとは、困った存在だ。

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10月3日(土)−救世主

 どちらが、喋っているのか、わからないまま、議論とならない、一種の罵り合いが、画面で、展開されるのを、眺めた人々は、何を思ったのだろう。有権者なら、決断を下す、必要があろうが、そんな権利も持たぬ、世界中の人々は、大国の指導者に、落胆したのか。
 原語で、理解できる人でも、音の重なりに、雑踏での会話、を思い出しただろう。目の前の人の、会話を聞き取るのは、雑踏の中でも、難しくない、と言われる。音の違いを、篩にかけて、必要な部分だけを、取り出す能力が、人間には、備わっているとされる。しかし、その他多くの雑音から、必要なものを、拾い出すことが、できたとしても、同じ音量で、覆い被さるように、押し寄せる、罵りを拾い上げるのは、容易なことではない。この茶番を、眺めていて、思い出したのは、ずっと昔に、独り言に書いたのだが、同じ国での、同じようなテレビ討論会で、難聴者の問題を、論じていた時に、起きた不具合だった。難聴者には、手話通訳がつき、議論を進めていたが、この時は、相手を罵倒する、という目的ではなく、ただ、自分の主張を、したいが為に、話し続ける難聴者の、発言を全て、通訳者が音声として、伝えようとしたことが、混乱を招いたのだ。音が聞こえぬ人間にとり、討論の相手が、話しているかは、判断がつかない。特に、視線は、手話通訳に向けられ、正常者なら、視覚と聴覚を、同時に働かせて、判断することが、できないのだ。結果として、互いの発言が、重なってしまい、内容は、まるで伝わらなかった。問題は、番組の運営にあり、その点を、指摘した内容を、書き綴ったものだったが、今回のは、精神は別として、伝達能力には、異常の無い二人が、罵り合うことで、混乱を起こした。一方が、大人の対応を、すれば済んだのに、それをしなかったことも、大国が抱える問題を、世界に露呈した原因だが、いずれにしても、世界を、こんな状態から、救うのは誰なのか。

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10月2日(金)−能無し

 1週間前に書いた、「激震」とは、桁違いのことが、起きた。それも、対岸の火事でなく、首都直下の話だ。このサイトが、始まった当時の、社員の皆さんのうち、もう、一握りしか、同じ現場には、居ないと思うが、売買に関わる人は、どんな1日を、送ったのだろう。
 定時に、始まっていると、覗いた所は、気配値を、示したまま、凍っていた。先頭に、戻ってみたら、知らせが貼られ、売買停止に、陥ったとある。どこを、覗いてみても、何も変わらず、結果として、回復することなく、1日が過ぎた。これを、不幸中の幸いと、呼ぶべきかは、定かではないが、確定日などの、節目でなかったことは、救いだったろうか。それでも、月初の、売買を節目とする、人々が居ない訳ではない。1日の売買が、3兆円程との報道も、庶民にとって、どんな響きがあったのか。いずれにしても、報道から見ると、またぞろ、伝達の遅れや、詳細の開示が、無かったことなど、障害の問題だけでなく、それに付随した、問題の数々が、示されている。だが、昨夕のSNSでは、肝心の報道が、初めて知る原因に、的確な指摘もできず、賠償問題という、月並みなことに、終始したことを、厳しく批判する声が、目立っていた。一方、障害の原因に関しては、機械的な問題、としていたようだが、実際には、導入当初から、自慢し続けてきた、代替の仕組みが、機能しなかったことが、直接の要因だった。こういう仕組みの中では、機械的な故障も、それを動かすものの、障害に関しても、起きること自体を、完全に防ぐことは、不可能と見られる。その為、一旦、障害が生じると、その復旧に、時間をかけることは、事業の内容によっては、回避すべきとなる中で、失敗に備える、という考えから、こういう仕組みを、導入したとしたのは、影響の大きさからで、万全を誇っていたが、簡単に破綻したようだ。機械的な問題は、避け難いものだけに、万全と思う程に、準備した筈が、機能しなかった、というのは、その仕組みを設計した側の、責任だろう。この企業が、例の銀行合併時に、発生した、大規模な障害にも、関与していたことは、何を意味するのか。単に、懲りていなかったのか、それとも、無能なだけか。

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10月1日(木)−無知蒙昧

 金で、釣られたのか。多くの人々が、街や、観光地に、繰り出している、と伝えられる。実際に、多くの人出が、あるのだが、これは、いけないことなのか。こちらの主張からすれば、金が、返ってこようが、こまいが、危険度には、何の違いも、生じない。
 にも拘らず、騒ぎを、止める気配は、全く無い。ただ、何の証拠も無しに、数だけ突き付けて、危険と言い続ける。こちらの方が、遥かに悪質であり、無知蒙昧に過ぎない。本来、蒙昧の大衆を、教育する為と称して、新聞が、出回るようになった、と言われたが、これでは、無知を、広げているだけだ。何の判断もせずに、ただ騒ぎを、大きくするのなら、何の苦も無く、できることだ。詐欺同様に、ありもしない話を、作り出せばいいのだから。だが、何故、そんな愚論に、惑わされる人が、沢山居るのか。これは、新聞の登場と、同じような理由で、無知な人々を、ということなのだ。となれば、手立ては、無いのか。そう思いたくなるのも、無理は無い。何しろ、少しの知恵をつけ、周囲の人に、その話を、伝えようとしても、迷惑顔をされたり、時に、罵倒されるのだ。相手を、納得させる為の、話をすることは、それ程難しくは無い、と思う人は多いが、自分が、納得できた話を、そのまま、伝えようとしても、中々上手くいかない。これは、納得する準備が、できていない人を、そうすることの、難しさを、表しているようだ。論理がありさえすれば、何事も、伝えられると思っても、相手が、その論理を、理解することが、できないのでは、やはり、無理となる。この状況を、打ち破る手立ては、無いと言われる。だとしても、無駄と思わず、何度も、説明する必要が、あるのではないか。特に、ここまで、無能ぶりを、発揮し続けてきた、報道関係は、今からでも、少しは、理解を進め、今、世界に蔓延る、誤った考え方を、批判する動きを、進めるべきだろう。失墜した信頼は、簡単には、回復できないが、このまま、何もしなければ、何も起きないのだ。

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9月30日(水)−科学の力

 科学の発展は、大衆に、恩恵をもたらしたのか。決まり切った答えに、異論を唱える人は、まず居ないだろう。だが、今、世界を覆う恐怖に対し、果たして、科学は、それを取り除くのに、役立っているのか。この疑問に、限って言えば、無力感が、優っている。
 何が、この違いの原因と、なっているのか。こちらについては、何度も書いてきたように、一部の、専門家と称する人間が、先入観に基づき、不確かなことを、さも確かなように、あるいは、誤ったことを、さも正しいかのように、流布したことが、発端となっている。科学が、いかに発達しようとも、その使い方を誤れば、人々に、恩恵をもたらすどころか、大きな害悪を、蔓延することにしか、ならないのだ。その結果は、世界各地に起きている、大混乱に繋がり、そこから、逃げ出せない大衆の、心の不安定や、身体の不調へと、結びついている。感染症の多くが、原因不明であり、伝染病と呼ばれる中、講ずべき対策も、見つからない時代、多くの人々は、神や仏に、頼るしか無かった。疫病退散を、神や仏に願い、信仰を糧に、平穏の回復を、願っていた。無知だからこそ、こんな対処しか、思いつかなかったのだが、今は、果たして、どうか。原因も、明らかとなり、対策も、確かと言われる。だが、一向に、光が見えぬ中、人々の心は、荒んでいく。今更、神頼みが、通用するとは、科学的な見地から、あり得ない話となり、科学は、信仰を否定することにしか、役立っておらず、その代役として、光を見せることは、出来ていない。ただ、金の亡者達が、群がる中で、如何に、金を集め、ばら撒くか、ということにしか、科学が、使われておらず、人々の心を、平穏に戻す作用も、解決への道筋を、示す力も、表せていない。こんな科学なら、無い方がいい、と思う人も、居るに違いない。だが、そこには、大きな誤解がある。今の混乱は、科学の責任ではなく、間違った解釈で、それを利用する人間の、責任なのだから。

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9月29日(火)−自業自得

 嘘か真か、脅しに使われるものは、毎日、話題になる、詐欺事件と同様に、ほぼ全てが、嘘であるとされるが、何故、あの脅しに限っては、専門家を騙る人物や、政に精を出す人々が、実しやかに、語っている。何しろ、大本山の世界機関が、旗振りしているのだ。
 何度も、取り上げているが、想像を超える数字を、引き合いに出すことで、自らの主張を、正当化しようとする。まさに、詐欺師が、得意とする、論理のすり替えや、ありもしない事象を、引っ張り出している。今回の騒動で、特に話題となったのは、数値計算、仮想的な前提を、持ち込むことで、将来の変化を、推測する方法だが、この顛末からは、信用が失墜した、と思えるのに、それを生業とする人々は、懲りもせずに、違う前提を、持ち出すことで、別の数値を、提示し続ける。ただし、一つだけ、彼らが、一貫しているのは、大きな数字が、出てくるような、前提、仮定を置くことだ。つまり、前提は、論理的に、導き出されたのではなく、結果を反映する形で、置かれたという訳だ。これは、手法としては、本末転倒であり、この手法を、専門とする人間が、行ってはいけない、とされる行為の、代表格なのだ。持論を、押し通す為に、必要となる数値が、あるのだとしたら、それを、まず、設定した上で、計算を調整する。計算の元となる、数式を、変えることは、できないが、そこに使う、前提となる数値は、自在に変えることが、可能なのだ。こんなものに、騙されたのか、と悔やむ人も、いるだろうが、実際には、詐欺のように、騙した訳ではない、と判断される。純粋に、科学的な観点から、数値を定めたと、主張するからだ。だが、その裏に潜む、悪意を、暴かねば、世界は、滅亡へと向かいかねない。今回の騒動は、その危うさを、実感させるものと、なった筈だ。しかし、どうも、様子が違う。それは、大衆に、それを見破る能力が、備わっていないからだ。これでは、自滅ではないか。

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9月28日(月)−磔

 あれから、3週間が経過した。しかし、状況は、殆ど変わっていない。明らかに誤った解釈が、世界に蔓延し、その中で、最も重要と言われる、数値を、一つ覚えの如く、追い続ける中、再び、増加が見え始めた、との報道が、なされる。彼奴らの、思う壺なのだ。
 もう一つの、重要な数字として、死者数が、伝えられる。確かに、数字としては、大きなものだが、何と比較するかで、その大きさは、萎んでしまう。何しろ、脅しに走る人々は、兎に角、大きな数字を、掲げてくる。この騒動も、当初は、4千万人の死者が、出るとの報道が、あったのだが、それについて、引き合いに出す人は、全く居なくなった。逆に言えば、捏造とも言える、作為満載の数字で、振り返れば、過大評価を、何度も積み重ねれば、達成可能となるもの、だったとされるだろう。だが、推測者は、自己弁護には、隙を見せず、危険性を、世界に訴える為に、必要だったとする。今、その数字は、一桁以上、小さなものだが、それでも、数字自体は、大きく見せられる。これとて、以前、取り上げた、世界での一年間の、肺疾患による死者数と、比べてみれば、その小ささが、理解できる筈だ。それは、年間3百万人、今の数値は、その4分の3の期間で、3分の1に過ぎない。つまり、同じ疾患で、亡くなる人の数の、半分にも満たないのだ。今後の解析を、待たねばならないが、今年の、肺疾患による死者数が、1.5倍になれば、純増と言えるが、おそらく、この感染症の死者として、数えられた人の中には、元々、肺炎で亡くなる筈だった、人も含まれるだろう。となれば、殆ど、影響は無く、騒ぎが、無意味ということを、更に、確かなものとする。馬鹿げた騒ぎを、止める気の無い人々は、ただただ、金を集めることに、躍起になっており、その為に、脅し文句を、並べているに過ぎない。もし、謝罪の気が無いのなら、糾弾の対象として、張り付けるべきだろう。

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