パンチの独り言

(10月12日〜10月18日)
(誰の基準、世論操作、不当、騙されない、民意、見えぬ敵、不適格)



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10月18日(日)−不適格

 地位が、人を作る。人材登用の基本、と言われるもので、今も、この国の中枢で、それが、起きることを、期待する声が、あるようだ。だが、あの世界で、それが通用したことは、殆ど無い。資質を、誰かが見抜き、その意見から、登用された人間は、その器だったのだ。
 今回の交代劇は、前回と異なり、見限るのではなく、支えることを、選んだ時点で、十分に予想された。だが、引き継いだ者が、支えるのではなく、率いることに、資質を備えていたか、器だったかは、早晩、知れる所となる。政には、二つの様相が、あると言われる。掛け声と共に、他人を導く姿と、それを、後ろから支える姿だ。志した時点で、前者に憧れるのは、当然のことだが、資質は、必ずしも、向いていない場合も多い。どの世界にも、番頭向きと、主人向きが、居るものだ。だが、何方にも、向かない、役立たずも居る。以前から、権力を振り翳し、不穏当な言動で、何度も批判を浴びた人物が、今、教育を所管する役所で、大臣を務める。前政権の大失策として、批判の的となることを、止められず、責任を問う声も、大きいのだが、この人物は、今の職にあっても、無能ぶりが際立つ。最高機関にも拘らず、この騒動で、評判を落とし続ける大学を、批判したつもりだろうが、本当に、「学生の満足感、納得感」、と発言したとしたら、教育の何たるかを、知らぬ無能者でしかない。この言葉は、商売で使われ、売買の対象を、評価する為のものだ。教え育むことを、商売の具として、扱っては、所管の長として、不適格でしかない。所詮、その程度の人間、と揶揄するのは、簡単なことだが、こんな暴言を、恰も、価値あるものの如く、引き合いに出す新聞も、同類なのだ。経済新聞と雖も、本質を、見失ってはならない。人と人の触れ合いこそが、教育の基本、であることに、違いはないが、それを、一方の満足や納得で、測ろうとしては、愚の骨頂だ。それも、口を開けて、待つだけの雛鳥の、意見となれば、尚のこと。

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10月17日(土)−見えぬ敵

 見えないからこそ、恐怖の対象となる。それは、病原体だろうが、放射能だろうが、何の違いもない。見えないものに、恐怖を抱くと、見えないからこそ、確かめる方法がなく、解決する手段はない。そんな話が、巷に溢れているが、これは、本当なのだろうか。
 見えないことは、事実だから、それを否定することは、全くできない。多くの人々は、そんな思い込みを、抱いているから、脅された時に、無力感に、襲われるのだ。だが、病原体にしろ、放射性物質にせよ、そのものが、危険な訳ではない。病気を、引き起こせば、死に繋がるから、恐ろしいのだ。では、今、話題になっている、病原体は、どうだろうか。発症の仕組みも、死に至る道筋も、殆ど分からず、それが、恐怖を招く、と言われているが、少なくとも、確率を考えれば、可能性が、殆ど無いことに、気付ける。それだけのことだ。健康に、気を配るのは、当然のことで、それを、続けるだけで、十分だろう。では、放射能はどうか。こちらは、見えないことが、恐怖を招く、第一の要因、と言われる。しかし、測定器を使えば、簡単に、確かめられる。ところが、その値が、どう危険なのか、病気になるのは、何故なのか、分からなければ、恐れを、拭い去ることは、できない。だとしたら、どうすればいいか。ここが、脅す側の、思う壺なのだ。しかし、この星は、何処に行っても、放射線が飛び交い、時に、宇宙からも、やってくる。それが、大した影響を、及ぼさないのは、簡単に、理解できるだろう。だとすれば、その範囲に、止めることが、大事なのだ。高い値を、検出したら、そこを離れるか、薄めることを、考える。取り扱いの基本、として知られることだ。前者が、難しければ、後者を、選ぶ。つまり、希釈を基本、とするのだ。簡単には、検出できない、重水素は、今、その処理法が、話題となっている。基本に沿った手順を、行うことを、躊躇する理由はない。風評被害も、見えない恐怖であり、解消できないのは、無知だからだ。

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10月16日(金)−民意

 節目で、方向性を、決める要因は、大衆の動向だろう。個人の決断は、自身の将来を、決める為に、不可欠なものだが、それと同様に、国や地域の、将来を決める為に、人々の投票行動は、重要な役割を果たす。そう信じる人は、多いのだが、本当に、そうなのだろうか。
 能力も、知識も、明らかに不足し、とても、務まる筈が無い、との評判だった、あの人物でさえ、世界大国の、大統領を、4年間、勤め上げたのだ。意外、と思う人が、居る一方で、よくやった、と評価する人も、居るだろう。だが、穿った見方をすれば、誰がやっても、同じということだ。大きな目標は、少し違うものの、国の繁栄を、目指した提案を、掲げて、立候補するのが、これまでの常だったが、その場合には、どちらに決まっても、大した違いが、出てこないことが、予想されていたので、そんなもの、との見方が、大勢を占めていたが、今回は、はじめから、明らかな違いが、あったのだ。非常識な提案を、掲げていただけでなく、就任後も、差別を、前面に押し出す政策を、次々と、繰り出しては、違法との判断を、下されていた。法治国家では、当然の成り行きだが、これまでなら、指導者の力が、国の行く末を、定めると言われたのに、この結果では、認識を、改める必要がある。独裁国家なら、まだしも、様々な制限が、施される環境では、如何に、無謀な暴君でも、無力化される。確かに、多くの負の遺産が、これから、掘り出されるだろうが、それでも、国が滅んだ訳でもなく、戦争が、始まった訳でもない。所詮、そんな違いしか、現れないのだ。だから、大衆の判断は、意味を成さない、とするのはどうか。先の大戦で、大きく舵を、切ったのは、ある国の独裁者の登場で、その発端は、大衆の判断だった。期待、という意味では、全く同じであり、単に、国の仕組みが、当時のあの国とは、違っていただけだ。とすれば、やはり、私達、大衆が、吟味し、判断することは、重要なのだ。

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10月15日(木)−騙されない

 4年に一度、と言っても、世界的祭典の話ではない。海の向こうの、選挙のことだ。次の選挙が、間近に迫り、盛り上がりも、頂点に達している、となる筈が、世界的な騒動が、遥かに上回る勢いで、人々の意欲を、衰えさせている。先行きへの不安が、影を落とす。
 その中で、先月から、読み始めた本を、やっと閉じることが、できた。前の選挙で、優位が伝えられる中、最終盤での逆転で、頭上のガラスを、破れなかった女性候補が、反省と「恨みつらみ」を込めて、書き綴ったものだ。優位が、何故、崩されたのか、という点に、焦点を当て、現職に就いた、対立候補の、薄汚い言動や、違法と思える運動の、異常さだけでなく、外国の介入など、様々な妨害で、手に入れかけたものが、こぼれ落ちた顛末を、繰り返し書いている。確かに、予想を裏切る結果に、世界中が、驚かされた。だが、彼女が挙げる理由は、殆ど全てに、確証が得られず、決定的と言われた、捜査機関からの妨害も、当人が、口を噤めば、闇の中へと、投げ込まれてしまう。興味深いのは、当初、無能ぶりと、非常識を、盛んに、心配された現職が、同じままの、無能ぶりと、非常識でも、国が成り立ち続けたことで、こちらの官僚主義が、批判され続けた時代の、政治の無能が、崩壊へと繋がらず、結果として、官僚制度の劣化が、衰退へと結びついたことを、思い出される。情報操作こそが、勝敗の分かれ目、とも言われたが、誹謗中傷だらけの広告と、嘘や捏造による操作とで、犯罪として、線引きすることの難しさは、今後も、同じままだ。実は、今も進行中だが、そんなことを、思わされる。確かに、薄汚い行為は、唾棄すべきものだが、その一方で、彼女の本では、一切取り上げなかった事実に、もっと、目を向けるべきだ。それは、大衆の吟味力、嘘や欺瞞を、見破る力だ。教育は、その涵養に、結びつく。軽んじては、いけない。

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10月14日(水)−不当

 巻紙から、「不当」という文字が、現れる。主張が、認められない時に、屡々、紹介される光景だが、その多くは、感情的な主張と、法律による解釈の、違いの現れ、と思われる。今回のものは、その典型であり、弱者とされる人々の、要求が、通らなかったのだ。
 この手の話題を、取り上げる度に、弱者という括りが、誤った使われ方を、していることの問題に、焦点を当てている。今回の弱者は、非正規という分類で、示される人々だが、平等という観点から、正当な要求として、突き付けたものが、最終的に、認められなかった、というのが、「不当」とした理由だ。だが、判決の説明からは、そこにある、明らかな違いを、扱いの違いの理由として、認めており、それ自体に、何の誤りも、無いように感じられる。でも、感情に、訴える人々には、それは、不当なものとしか、映っておらず、諦め切れぬものとなった。最終決定であることに、変わりはないから、この線に沿って、今後の扱いも、決められる。とは言え、同じ状況が、続く中では、別の訴訟が、起こることは、必至だろう。だが、改めて、判決文の主旨を、考えれば、非正規という分類ではなく、仕事の質という意味での、違いが、歴然とあるとされたことは、深刻に、受け取るべきだろう。実際には、正規か否かの違いではなく、各自の仕事内容を、精査した結果であり、主張とは、全く異なる基準で、判断されたことを、認めることなく、不満を述べるのは、的外れでしかないのだ。これまでにも、都合よく、使われてきた制度に、一石を投じたい、というのなら、それはそれで、評価すべきだが、単に、個人の利害のみに、関わる範囲での、訴えでは、この結論は、当然のものでしかなく、考えを、改める必要がある。指摘された違いに、目を向けることなく、叫び続ける人には、弱者とされる人の特徴がある。今回も、それが露呈し、詳しく見れば、どちらが不当か、はっきり分かるのだ。

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10月13日(火)−世論操作

 進捗が、著しい時代には、流行の先取りが、重要と言われる。その為に、情報を掻き集め、分析した上で、流行の兆しを、掘り出そうとする、動きが盛んになっている。この傾向が、更に進んだからか、学問の世界で、情報という項目が、次世代の課題と、なっているらしい。
 先読みで、他人を出し抜く為には、突飛な提案も、時には、必要となる。だが、これについては、言葉の解釈を、はじめとして、余りに不確実なことが、多過ぎるのだ。逆に言えば、だからこそ、言いたい放題。後付けの解釈も、自由自在となる、という見込みが、あるのだろう。しかし、情報の危うさは、既に、見え始めている。本来、情報収集から分析まで、一つの道筋で、考えられていたが、最近は、最新情報を、参考とする、行動様式が、主体となっており、ある時点の情報が、その後の展開を、決めてしまうという、ある意味の、フィードバック、自分で、自分の行動を、制御することが、行われ始めている。情報を参考に、行動を決めるとすれば、情報が、ある傾向を、示し始めると、その勢いが、増し始めることとなる。フィードバックには、正と負の、正反対のものがある。ここで、傾向の加速が起きるのは、正の現れであり、もし、こんなことが、起きるのであれば、情報操作は、最強の武器と、なるだろう。実際に、その事例は、数多く現れ、問題視されている。一方で、逆向きの操作も、起こりうる。ある国が、連合から、離脱することを、国民投票で、決めようとした時、世論調査の結果は、否決となっていたのに、結果は逆で、大混乱が始まった。ここで、操作があったとは、言えないだろうが、問題は、調査手法に、あるのかもしれない。今も、海の向こうの、選挙の予想で、調査が行われているが、そこに、実は、大きな問題が、ありそうだ。この手法では、どんな大きさの集団でも、千人を上回る人数を、調べれば、傾向が出ると言われる。ところが、今、行われているものは、もっと少数であり、信頼度は、かなり低いのだ。こんな情報が、世論操作に、使われているのか。

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10月12日(月)−誰の基準

 国内消費が、頭打ちになり、成長の約束が、反故にされると、外に目を向けざるを、得なくなる。その勢いに、拍車を掛けたのは、世界化の動きだろう。世界基準に思えるものが、設定され、それに合わせることで、進出を図ろうとするものなのだが、どうだろう。
 世界を対象とする、と謳っているものの、現実には、先進国の基準を、押し付けるだけで、それも、西の国ばかりで、東の果ては、仲間外れとなる。以前、書いたような記憶があるが、魚を発酵させた、調味料が、人気となり、先進国の企業が、輸入販売に、乗り出そうとした時、製造過程への注文が、浴びせられ、伝統的な手法を、変えろという、指示まで、飛び出したという話を、紹介した。野天で、製造する上で、トタンの蓋が、不可欠だったが、それが、衛生基準に、合わないから、という理由だった。しかし、灼熱の太陽により、熱せられることが、美味い魚醤を、作るのに必要、と考える製造者は、猛烈に、反対していた。その後の経過は、おそらく、妥協だったろうが、そんな横暴が、罷り通る。同様に、この国の調味料で、不可欠な鰹節も、製造過程でのカビの利用が、槍玉に上がっていた。チーズのカビは、問題なく、こちらは、ダメという論理は、理解不能だ。人の行き来も、盛んとなってきたが、感染症対策という、役立たずの政策が、急速な衰退を、招いている。同じように、突っ走って来た、世界化の流れは、停滞を余儀なくされている。中でも、世界的に、知名度を上げる、努力が積み重ねられた、伝統料理について、規制を設けるという話は、業界の混乱を、招くものと、危惧されてきた。ハサップ、HACCPは、食品業界の、衛生基準で、世界的なものだが、従来、工場生産に、適用されてきたものを、食堂などでも、という準備が進み、この機会に、始められる予定だった。現場の混乱が、予想される中、始まる筈だが、さて、どうなるのか。導入の理由は、消えてしまい、推進派の勢いは、無くなった。食中毒の防止は、基準より、常識と倫理と思えるのだが。

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