パンチの独り言

(12月14日〜12月20日)
(禁忌、釣られた?、波紋に、無駄話、気の病、無謀、無駄な抵抗)



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12月20日(日)−無駄な抵抗

 検証と総括は、確かに、必要なのだが、今の人々が、それを行うとは、とても思えない。たとえ、行ったとしても、都合の良いことを、並べるだけで、何の役にも、立たないばかりか、害悪を、残すだけとなる。別の立場の人間が、行うことこそが、重要なのだ。
 では、今の人々は、暴走を続ければ、いいのだろうか。その筈は無いが、としたら、何をどうすればいいのか。ここでも、政に関わる人々は、無知蒙昧の如く、何の決断もできない。だったら、どうする。簡単なのは、退くことだろう。潔く、などと言われるが、そうも行くまい。自らの失敗と、過ちを、認めた上で、舞台から降りる。これ程、難しいことも、あるまい。確かに、思い付きに過ぎず、無益なばかりか、有害でさえあった、などと断じられる、方策の数々は、国内ばかりか、世界中で、撒き散らされているが、その多くは、単に、施政者の責任ばかりか、大衆の反応が、導いたものだ。その上、頼りとした、世界機関の判断さえ、無知から来たものに過ぎず、元凶は、そこにある。では、何をすればいいのか。迫る脅威に、立ち向かう中で、最も難しい選択は、何もせず、過ぎ去るのを待つ、ということだが、今の世界状況からは、それこそが、唯一の手立て、に見えてくる。あれこれ、無い知恵を絞っても、所詮、病原体の拡散は、防げない。一時的な減少は、その後の再燃に、繋がるだけで、心理的な圧迫が、強まるだけだ。無力、という言葉は、誰もが、使いたがらないが、まさに、それが真実だろう。その代わり、救える命を、全力で救うことこそが、肝要となる。混乱を、強めるような、無駄を省き、現場を、全力で支援する。単純なことなのだ。一方で、国王が嘆いても、何の役にも立たず、失政を、悔やんでも、何も変わらない。手立てによる差が、無いのなら、何もしなくても同じ、と見做すことこそが、今、必要なのだ。偉そうに振る舞う奴ほど、無駄はない。

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12月19日(土)−無謀

 今回の騒動に対する、大衆の反応は、どんなものか。恐ろしい脅威が、迫ってくる、と思う人が、居るかも知れないが、その一方で、何が起きているか、さっぱり理解できない、という人も居るだろう。その原因は、何処にあるのか。本来なら、検証と総括が、必要だろう。
 だが、世界を覆う暗雲の中で、誰も、冷静な分析を、行わない。非常事態に、その暇が無い、と思うかも知れないが、どんな時にも、それを行う人は居る。ただ、その最中に、そちらに目を向けず、ただ、暴走を続けようとする、愚かな人々が、社会の中枢に、居座っているのだ。そのせいで、折角の検証と総括も、日の目を見ずに、放置される。今回も、おそらく、そんな状況が、続いているのだ。では、その様子を窺い知ることは、できないのだろうか。多分、誰もが、薄々気付き、違和感を抱いており、それを、頭の中で整理すれば、ぼんやりとでも、何かしらを、纏めることができる。では、どんなものか。はじめに浮かぶのは、政治と科学の問題だろう。世界中が、大混乱に陥り、何とか、窮地を脱しようと、様々な方策が、講じられているが、一向に、抜け出せる兆しが、見えてこない。あれこれと、振り回されるが、何故か、と思う人が居るだろうが、実態も掴まずに、一つ覚えを、繰り返しても、こうなるのは、必然だろう。では、どうすればいいのか。頼りになるのは、科学の筈だが、こちらも、何やら、思い付きを、並べるばかりで、一向に、光が見えてこない。本来なら、様々な仮説が、掲げられ、それらを、検証することが、不可欠なのに、その気配さえ、見えないばかりか、一つの考えに、固執した人々の主張ばかりが、押し通されている。ここにも、大きな問題があるが、それを、解決しようとする動きは、押さえ込まれているようにしか、見えてこない。今、わかる範囲で、こんな総括が、できそうに思う、どうだろうか。無力な政治と科学に、振り回される大衆は、どうすればいい。

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12月18日(金)−気の病

 時差の関係から、早朝に組み込まれるが、世界各地の報道が、衛星放送を通して、伝えられる。自国の話題より、他国のことに、関心を抱く人が、多い国では、有用な番組の一つ、と言えるかもしれない。ただ、先日取り上げた、投資家の弁では、恣意的なものばかりなのだ。
 そのことを、実感するのは、今回の騒動に対する、話題の取り上げ方にある。特に、今回の騒動では、死への恐怖を、前面に押し出しており、国内の報道姿勢と、大差無い印象を受ける。その上、情報操作に関しても、同様の姿勢が、現れており、都市封鎖などの、政治的な措置について、異論を唱えるより、死を避ける為の、唯一の方法かの如く、横並び姿勢が、目立っている。そのせいだろうが、世界的な方策に、異論を唱え、制限よりも、緩やかな拡大という、一種の制御を目指した、方策を選択した、北欧の国の動向は、殆ど全く取り上げていない。当初、異常事態という形で、話題としていたが、それも、死者数や陽性者数が、抑えられている内だけで、それが、増加傾向を、見せ始めると、一時、失敗したとして、批判を強めた後は、無視しているようだ。それは、まるで、集団免疫を、目指した方策が、無駄な失敗である、と断じたかのように見えるが、そうではないと思える。人間の行動を、厳しく制限した国々と、緩やかな制限しか、施さなかった国で、大差無いのであれば、その間に、違いが無いと言える。つまり、どの方策を、選択したとしても、状況に変化は無く、制限そのものが、効果を持たないことを、表しているのだ。今回に限らず、この種の病原体に関して、市中感染を、防ぐ手立ては、殆ど無い。但し、それは、発病という括りでの、感染の広がりであり、その数値は、現状の調査では、知る術が無い。陽性者は、発症者とは違い、感染した人間の、反応とは異なる。この原則を、見誤ったままで、暴走し続ける世界は、別の形で、重い病に冒されている。

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12月17日(木)−無駄話

 四六時中、下らない情報を、垂れ流し続ける媒体は、信頼を、失ってしまった。同時性は、媒体の、最も重要な要因だが、それも、枠組みを、優先する中で、打ち切って仕舞えば、自ら、打ち捨てることとなる。大震災後、嘘や噂を、垂れ流し、見限られ、戻ってこない。
 映像で、確実な情報を、流すことが、最大の利点だったが、それに、言葉を添えることで、台無しになる。この問題を、自ら解決できず、台本通りに、話を進める姿勢が、強まるばかりでは、情報源としての価値は、無いに等しい。食堂に、備えられた画面から、流れてくるのは、外食をやめるべき、という提言だが、客の気持ちは、どうだろう。そうでなくとも、日々の生活に、外出は、不可欠であり、こんな戯言を、滔々と語る出演者は、自分が、何処に居ると、思っているのか。こんな番組を、毎日毎日、送り続けることに、どんな意味があるのか、理解できない。これでは、各自が保持する、端末に表示される、SNSの嘘八百と、何の違いも、見つけられない。押しつけの、情報発信は、移動の電車内でも、行われる。車内の壁に、埋め込まれた、画面からは、交通情報以外にも、日々の報道が、映し出される。移動時間が増せば、何度も、同じものを、見せ付けられるが、無意味なものとなると、ただ、目の毒となるだけだ。その中には、こんな噴飯物も、あった。ここで、何度も、厳しく批判し続ける、世界機関は、今回の騒動を煽動し、出鱈目な情報を、流し続けているが、ここまで、愚かな行為を、行うとなれば、言葉を失う。その上に、これを、国内で流したのが、料金まで徴収して、経営が続けられる、公共放送となれば、世も末、とさえ思えてくる。関係者達は、暗い時代に、明るい話題、とでも思ったろうが、子供相手の、非科学的な嘘を、報道する姿勢に、価値は認められない。

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12月16日(水)−波紋に

 持続可能、という謳い文句が、巷に溢れているが、その一方で、感染への恐怖は、大転換を、求めているように映る。同じ組織が、世界的に、喧伝しており、自己矛盾とも思えるが、当人達は、意に介していない。目標という意味では、金集め、で一致しているからか。
 先進国にとって、経済発展は、嘗ての勢いを、失っている。減速する中、より良い環境を、求めるとなると、先立つものだけでは、成り立たなくなる。その為、様々な問題を、解決しつつ、現状を、悪化させない手立てが、必要という訳だ。しかし、このお題目は、発展途上にある国にとり、邪魔物としか、映らないだろう。差別を無くすなどの、方策の多くは、平等を、目指したものだが、国の間の違いは、社会的な範囲での、手立てでは、解消できない。それを、承知の上で、こういう提言を、掲げたのには、世界全体の歪みが、強まるばかりである、現状に、危機感を、抱いたからだろうが、これを、途上にあり、上を目指す人々に、理解させるのは、容易ではない。というより、そのこと自体が、本当に、必要なことなのか、改めて、考えてみては、と思う。綺麗事ではなく、単純に、今ある差を、維持する形になる、方策自体に、違和感を抱き、従えないのは、当然と思えるからだ。一方で、嘗て、先進国の多くが、抱えていた、環境問題は、途上国でも、それに追い付くに従い、同じ道を、歩み続けている。歴史に学べば、既に、開発された仕組みを、導入すれば、簡単に、片付くことは、明白だが、その為には、資金が必要であり、上昇の勢いを、失うことが、明らかに思える中で、無視したくなるのも、当然だろう。だが、悪影響に苦しむ庶民が、それを解消した、先進国の姿を、見ることができ、身勝手な都合で、舵を切らない、国と企業を、糾弾するのも当然だろう。そこに、謳い文句が、投げかけられた。単なる礫に終わるか、それとも、投じられた一石となるか。

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12月15日(火)−釣られた?

 この独り言を、訪れた人々は、はじめに、3週間分の記事を、読む事ができる。それを、遡って、読んでいけば、どんな独り言が、書き連ねられているか、理解できるだろう。もっと長い記事を、書く人々は、それぞれを、分離して掲げるが、ここでは、連続させている。
 その上で、月曜から日曜までの、1週間の記事は、別途纏められ、それぞれを、一括りとして、掲げるようにしている。こちらには、何の関連性も無い、記事が並ぶだけで、殆ど意味を為さないが、整理の都合上、といった所だろう。まだ、20年にはならないが、それに近い期間、書き続けてきたことが、ファイル名の数字から、解って貰えるだろう。こういう手順を、毎日毎週、行っているが、3週間前の記事を、消してから、今日の記事を、書き始めるから、いつも、ざっと、読み返している。3週間前、旅行への補助が、感染拡大へと、繋がったという主張が、大した根拠もなく、行われていることに、苦言を呈していた。では、今はどうか。同じ路線の主張が、いつまでも、続いている。一度、味をしめると、検証無しに、同じことを、言い続けるのは、いつの時代も、どこの世界も、同じようだ。今回も、何の証拠もなく、同じ時に、起きたことを、結びつけるという、最も単純な、思考形式により、結論付けられたことが、さも、決定的なように、流布され続けている。人の移動、という観点だけでも、様々な検証が、必要となるが、聞く耳を持たず、主張だけを繰り返す人々は、犯人を特定できた、とばかりに、強調しているのだ。だが、移動だけ見れば、日々の活動の方が、遥かに大きく、それ自体を、問題視せねばならない。ところが、それだと、日々の数字が、余りにも小さく、矛盾が生じる。そこで、別の犯人を、という論理が、こんな茶番を、繰り返させる。元々、補助の有無で、人の移動が決まるとは、何とも弱い根拠だろう。その上、それが、元凶だと、同意する大衆には、自分で決める気は、毛頭無いのだ。危ないと思えば、出かけなければいい。たとえ、金で釣られても、だ。

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12月14日(月)−禁忌

 医療現場の混乱は、収まりそうにない。根本的な、治療方針が定まらず、特効薬や予防法への、期待だけが、膨らんでいるが、逆に言えば、お手上げ状態、と見えてくる。だが、肺炎は、重症化すれば、不治の病であり、常に、死因の上位にある、重い病気なのだ。
 混乱の中、野次馬根性の人々は、一つのことだけに、目を向けてしまうが、いつでも、肝心なことは、全体を見渡すことだ。医療において、専門性は、確かに、重要な点だが、そればかりに、目を向けていては、その他の多くの病気に、対応できなくなる。現場では、そんなことは、周知の事実であり、誰も、見失っていないが、野次馬達は、すっかり忘れ、別の危機を、招きかねない。特に、そこらの馬の骨なら、いざ知らず、保健政策に、関わる人間までもが、騒ぎに加わると、俯瞰的な判断が、難しくなるのだ。この状況の深刻さは、先進医療の現場で、著しくなりつつあり、高度な技術が、必要となる、今回の騒動の対象では、大病院が、その役割を、果たしている。しかし、同じ場所を、必要とする患者は、他の病気に関しても、大勢居る訳で、彼らへの治療が、滞ることは、あってはならない。この辺りの、調整能力が、失われているのは、世界的な傾向で、それを、悪化させているのは、例の世界機関ではないか。医療に関することは、ヒトという種にとっても、重要なことだが、特に、生殖医療に関することは、各人の希望を、叶えるというだけでは、片付かないものだ。少子化が、深刻となったことが、異常とも思える、医療行為の暴走を、速めているが、神との問題ではなく、単純に、生物学的な問題として、阻止すべき行為が、散見されるようになった。先天的な要因で、不妊症となった人に、実子を授けることは、先天性の問題を、次の世代に、継ぐこととなる。これが重なれば、どうなるかは、明らかだろう。一方、後進国での、支援についても、別の問題が、拡大している。人口爆発は、絶滅への道の一つだが、子供を救うことは、そこに、繋がりかねない。過ぎたるは、滅びへと続く。

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