パンチの独り言

(1月18日〜1月24日)
(濡れ手で粟、浅知恵、加担せず、幕引き、真の目標、分断と矛盾、様子見)



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1月24日(日)−様子見

 政治への批判を、常とする人々にとり、絶好の機会が、訪れている。世界各地が、巻き込まれている、生命への脅威に対し、様々に、対策を講じても、功を奏しないことは、各国を、治める政府が、無能であることを、示しているからだ。失敗の数々を、批判するだけで良い。
 だが、これを、政治の責任、として良いのか。確かに、国の行末に、最終決断を、下すのは、政府だろう。だが、その決断に、必要となる知識や、選択肢を、示すのは、政治家ではなく、科学者だろう。この結果を、招いたのは、単に、最終決定を、下した人間達の、責任だけでなく、彼らに、十分な情報を、与えられなかった、人間達にも、大きな責任が、あるに違いない。その中で、新大統領に、就任した人物が、示した方針は、政治ではなく、科学に基づく、戦略を講じる、というものだった。確かに、海の向こうでは、国全体の方針が、前大統領の、あやふやで、非科学的な指針に基づき、迷走を、続ける中、各州では、それぞれの政府の判断に基づき、正反対の対策が、講じられるという、不思議な状況が、起きていた。その結果、連合に属する国々で、全く異なる様相を、呈していたのと、同じようなことが、一つの国の中で、起きてしまったのだ。それは、各州が、異なる政党に属する、知事の下で、政治的な判断に基づく、対策が講じられた為、と言われていた。このことが、新大統領の発言に、影響を与えたからかは、定かではないが、無関係ではないだろう。病原体の脅威に、対抗する手立てに、科学的見地が、全く入らないのは、あり得ないことだが、選択の段階で、正反対の選択肢から、どちらを選ぶかに、政治が影響を及ぼすことは、想像に難くない。その反省からの発言だとしても、世界各地で、混乱の中、科学的にも、正しい判断が、下せない中、果たして、解決への道筋が、見つかるのか。お手並み拝見、ということか。

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1月23日(土)−分断と矛盾

 矛盾、分断の時代には、互いに、辻褄の合わない話が、巷に、溢れている。相反する勢力が、互いの正当性を、主張する為に、自らに、都合のいい話だけを、取り上げる。たとえ、それぞれが、事実だとしても、別の事実を、拾い上げることで、結果は、矛盾となる。
 こんなことは、こんな時代で無くとも、常に、起きている。それに、気付かないままに、日々を過ごせば、確かに、幸せが、訪れるような、気がしてくる。だが、競い合いが、強まり続けると、互いに、互いの欠点や、過ちを、指摘することに終始し、それが、更に強まれば、矛盾に満ちた話が、並ぶこととなる。となれば、議論とは呼べぬ、啀み合いが、始まる。議論することなく、対立するだけでは、何の結論も、導き出せない。にも拘らず、そんなことに、多くの人々が、没頭するのは、勝ち負けという、結果に拘るからだ。だが、所詮、対岸の火事を、眺めている筈の、呑気な人々が、躍起になって、一方に与するのは、何故なのか。勝利を、得ようとして、活動する本人達は、明暗を分けるから、必死の形相で、相手を、突き落とそうとするが、所詮、海の向こうのこと、何を、熱くなっているのか、理解に苦しむ。確かに、世界の動向に、最大の影響を、及ぼす国の出来事だが、然りとて、あの暴君でさえ、この程度にしか、悪影響を、及ぼせなかった。その片棒を、担いでいる気に、なったのか、真剣に、対立相手の間違いを、指摘し、嘘を、暴こうと、躍起になっている。だが、冷静さを、失った人間に、矛盾を、気付ける筈は無い。誰かが、意図的に、流した情報を、鵜呑みにするだけで、多くは、騙され、乗せられているだけだ。だが、対岸の火事であれば、自分に、火の粉が降ることも、起きないから、安心なのだろう。所詮、その程度の人間が、仮想空間に、巣食っているだけのこと、何の役にも立たぬ。

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1月22日(金)−真の目標

 火付け盗賊の一団は、首都を去り、南へと下った。民主主義の根幹を、揺るがしたと伝えられた、暴挙を、誰が、どのように、行なったかは、今後、明らかにされるだろうが、どうであれ、首領の掛け声が、心理的なものを含め、何らかの加担を、したことは明らかだ。
 選挙活動の最中、二匹目の泥鰌を、狙った如くの、逮捕や収監の言葉を、連発していた、再選を目指す候補は、駄々っ子どころか、何処かの不良が、金と地位を、手に入れた姿を、彷彿とさせていた。憎悪でなく、愛を、などと、戯言を、並べたとしても、本性が晒され、私利私欲でしか、動かぬ人物を、排除する動きは、止めることが、できなかった。とは言え、当人は、最後まで、そして今でも、不正を信じ、自らの勝利を、微塵も疑わない。言葉の暴力では、満足できず、真の暴力に、訴えた輩と首領は、まさに、火付け盗賊と、見紛う一団だ。彼らが去り、平穏を取り戻しつつある、首都には、新しい大統領が、登場した。彼と側近達の主張は、団結を目指すことで、前任者達が、破壊尽くした関係を、修復するものだ、と言われる。だが、喧嘩腰で、勝手な振る舞いを、し続けたとは言え、その修復が、相手の言うがままに、なってはならない。例えば、感染症対策を、講じる目的で、世界機関に、加わることは、確かに、大切には違いないが、明らかな過ちを、し続ける連中に、加担していては、今の混乱は、続くだけとなる。縁切りではない、別の手立てで、解決を目指すなら、苦言や明確な反対も、必要となる。一方、地球環境を、保つための協定に、復帰することも、歓迎する向きが、あるようだが、これとて、出身政党が、主体となって、進めてきたもので、知識層に、支持された内容は、有り体に言えば、算盤勘定、数字操作ばかりで、推測を重ねた結果、でしかない。こんなものを、検証なく、推し進めることに、危機感を、催す意見も多く、今後の動きが、注目される。団結や修復だけを、目的としては、本質を見誤る。

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1月21日(木)−幕引き

 最後まで、駄々っ子のような、傍若無人ぶり、だったのだろう。始めから、終わりまで、貫き通した、という意味で、評価する声も、あるようだが、どうだろうか。一国を、司る立場での、駄々っ子ぶりは、いい大人達が、親の顔が見たい、という反応を、示す程だった。
 引き際の悪さも、支援者達からは、強力な賛同が、得られたらしく、本人は、相も変わらず、悦に入っている。まあ、自己満足、自画自賛の演説で、4年間過ごした場所を、去っていったのだから、厚顔無恥ぶりも、大したものだ。その自信が、更なる支援を、引き寄せるのだから、世の中も、変わったものと思う。こういう態度が、共感を得る時代には、そんな傲慢さを、さも重要なことの如く、装う人が、出てくるのも、無理もないことだ。それも、当人が、実名で、書き散らすのに対し、小心者の庶民達は、匿名を使い、同じことを、している気になるのだから、始末に負えない。暴言の数々も、枚挙に遑がないが、それにしても、根拠なしに、主張できる例を、示したことは、大きな禍根を、残したに違いない。宗教と同様に、信じることこそが、第一と考え、信仰の深さを、誇るかの態度には、呆れてしまう。最後まで、不正を主張し続けたが、同様に、最後まで、証拠を示すことなく、去っていった。それでも、この選挙で、獲得した票数を、頼りにして、今後の活動も、続けると予想する人が、沢山居るようだ。だが、どうか。二大政党が、議会を、ほぼ独占する中、どちらからも、排除された人間に、生き続ける余地は、残っていないと思う。票の読みは、当たったのかも知れないが、風を、読み違えた上に、幕引きにも、躓いてしまった。予想するつもりは、毛頭無いが、この空気が、留まり続けるとは、とても思えない。駄々っ子の行状は、物議を醸したが、それだけのことだ。数々の汚点を残し、去る鳥が濁した後に、水面は、何事も無かったかの如く、滑らかに戻るのだろう。

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1月20日(水)−加担せず

 手にした端末から、手軽に、情報が手に入る時代、問題が、起きているようだ。受信する側ではなく、送信する側にも、大規模な仕組みも、資金も必要なく、気軽に始められるから、種種雑多な人々が、情報発信に、手を染めることとなった。その結果、何が起きたか。
 端的に言えば、人それぞれが、情報それぞれに、結び付いたのだ。事実や真実は、一つしか無いが、嘘や偽は、数多ある。つまり、玉石混淆となれば、一つの玉に対し、無数の石が、飛び交うことになる。単なる思い違いや、誤解による、間違いならば、致し方ないが、意図的な嘘や、作為的な欺瞞が、届くようになると、様々な被害が、広がることになる。手軽な仕組みでは、その悪影響の広がりが、鼠算的なものとなり、拡散が、止め処なく広がる。その結果、被害者は、増すばかりとなり、世界に、歪みが広まった。では、その加害者は、誰なのか。情報を、発信した人は、確かに、そうだが、今は、伝達者達も、加害者とされる。無垢に、信じ込んだ結果、正義感から、伝達したとしても、その結果、被害を広げれば、害悪を産んだ、となるからだ。この問題には、別の要素がある。この仕組みの中では、発言者の支援者の存在が、別の問題を、生じるのだ。信じるが故に、全てを鵜呑みにする。そんな行動が、嘘や欺瞞を、ばら撒く手伝いとなる。更に、悪質なのは、巧妙に仕組まれた、嘘や欺瞞だろう。権威ある組織を、真似た仕掛けを作り、自らの嘘を、真実に見せようとする。そんな輩まで、登場するに至り、手軽な情報伝達の仕組みが、様々な悪意に、侵されていることが、明らかとなった。では、これら全てで、加害者は、発信者だけか。どうも、違うように思う。鵜呑みにする受信者も、伝達者も、たとえ、平凡な大衆としても、彼ら全てが、加害者となる。更に、この仕組みでは、嘘や欺瞞を、暴かずに、放置することも、手を貸したことに、なりかねないのだ。注意が必要だ。

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1月19日(火)−浅知恵

 今回の騒動では、人間の浅はかさが、様々に、露呈してきた。死への恐怖が、強調される中、冷静さを、失った結果、と後々総括される、のかも知れないが、それにしても、何もかもが、薄っぺらで、評価に値しない。だが、今回は、それとは無関係の、浅慮に触れよう。
 以前、取り上げたように、電気自動車の開発は、多くの問題を、解決する為の手立て、と見做されている。だが、肝心の、電力供給源が、危機に見舞われると、役立たずになる。まさに、その危機が、国内だけでなく、世界各地で、生じているが、目の前の問題に、慌てて対応しても、解決策が、見出せないようだ。様々な事柄で、一つだけに、頼ることは、危機管理の観点から、危ういものと、断じられるのに、何故、電気だけに頼るのか、理解に苦しむ。それも、温暖化と結び付け、迫り来る危機を、避ける為と称するのは、発電方式への、無理解を、露呈している。今後の、再生可能への、転換は、期待できるものの、不足を補うことは、できないだろう。一方で、深刻な問題と、忌み嫌われた、原子力発電は、国内では、殆ど成立せず、世界でも、一部の国でしか、動いていない。今回の、電力危機は、燃料供給の問題、とも言われるが、原発であれば、その心配は、殆ど無い。にも拘らず、再開が、できないのは、使用済み核燃料の、廃棄の問題と、発電所の立地に対する、自然災害などの問題が、立ちはだかっているからだ。だが、どちらも、数十年どころか、百年単位での、管理の問題であり、今、早速の危機を、回避することを、優先すべきことだ。ここでも、ありもしない、死の恐怖を、掲げることで、阻止を、目論む訳だが、その時間感覚の、異常さにこそ、大きな問題がある。目の前の問題を、直視するだけでなく、その問題の周囲にまで、目を向けねば、本質を、見抜くことはできない。できる人間には、可能なことだが、今の世には、できもしない人間が、多過ぎるのだ。

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1月18日(月)−濡れ手で粟

 日々の生活の糧を、奪われた人々から、悲鳴が上がっている。特に、飲食に関わる業界は、次々に、繰り出される、新たな課題により、窮地に、追い込まれ、八方塞がりの、状況にある、と言われる。一方で、製造業を、はじめとする、大企業は、どうだろうか。
 数日前に、取り上げたように、騒動が、始まった当初は、株価の下落が、起きたものの、その後は、回復どころか、史上最高値の更新と、活況を呈している。旅客業など、一部業種には、業績不振が、深刻となるものもあるが、製造業は、一時の不振を、既に、脱したと言われる。庶民の生活が、厳しい状況に、向かっているのに、何故、そんなことが、起きるのか、不思議に思う人も、居るだろう。だが、多くは、そんな経済状況に、目を向ける余裕も、失っている。そんな思いを、描くのは、この騒動で、濡れ手で粟、の活況を、呈しているのではないか、という話題を、囀りで、取り上げた時の、反応の薄さからだ。十日程前、海の向こうで、陽性者が、日に三十万人に、迫ったという報道から、検査費用が、日に60億円に、なるとの試算を、示してみたが、反応が無かった。別世界のこと、と思ったのか、それとも、経済観念の欠落か、判断できないが、情けないことだ。最新の数値からは、同じ国で、日に二十万人程の陽性者で、陽性率が、11%だったことから、同様に計算すれば、日に40億円の検査費用が、かかっていることになる。一国の話を、世界に適用するのは、簡単ではないが、おそらく、全世界で、200億円が、毎日費やされるのではないか。だとすると、年間12兆円が、必要だ。この金は、どこに行くのか。多くは、検査会社に、向かうのだろう。そんな数値は、何処で、どのように、発表されるのか。今後、製薬会社と共に、注視する必要が、あるのではないか。また、騒動の元凶に、それらの金が、流れるかどうかも、気になる話だ。

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