パンチの独り言

(4月19日〜4月25日)
(無限ループ、ぼろ儲け、破滅への道、肝腎要、雑音、某教育、潔癖症)



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4月25日(日)−潔癖症

 独裁的な大統領が去り、協力体制を築こう、という理念の下、就任した大統領は、早速、環境問題への復帰を、決めていた。他国同様に、目標を定めて、整備を進めようとする姿に、期待を抱く人も居る。が、達成可能かどうか。また、約束破りが、行われても、罰は無い。
 それは、独裁化を、進めている、と盛んに言われる、もう一つの大国も、同じことだ。最大の排出国、と言われても、国内事情は、改革が及びそうになく、空手形を切ることを、決めているようにさえ、見えている。前者の前政権では、対策の根本理念が、間違いである、との主張があったが、学界でも、確定していないと言う。測定値のあやふやさも、推論の杜撰さも、様々に入り組み、両極端の解釈が、並び立つ状況は、科学の不確かさを、世に問うている、とも思えてくる。だが、人の営みにおいて、こんなことは、ごく当然のことであり、今更、驚くことではない。波の浮き沈みのように、上下の変化を繰り返し、その間に起きる、様々な問題に、対処するのは、当たり前のことだ。だが、対応を誤れば、滅亡が訪れる、という極端な考えは、そろそろ、塵箱に捨てた方が、いいような気がする。半世紀程前に、この国では、環境問題が、深刻化していた。人々の生活が、脅かされ、時に、人の命に、関わることさえ、起きていたのだ。その結果、浄化技術が、次々と開発され、汚染の度合いは、一気に緩み、人々の生活は、元通りではなくとも、許容範囲に戻り始めた。その後を、凄まじい勢いで、追いかけて、一気に抜き去った、今の大国は、隣国の厳しい歴史に、目を向けることなく、環境悪化へ邁進している。だが、一方で、浄化が進めば、全ての問題が、解決するかと言えば、そうでもない。何が適切かを、考慮せずに、突き進んだ結果、一部の生物の棲息を、逆の形で、脅かす結果なのでは、と言われる事態が起きてきた。過ぎたるは、とは、まさにこれか。初めの話とは、少し違うが。

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4月24日(土)−某教育

 筋書き通りとは、とても、思えないが、杜撰な台本で、演じられる、三文芝居のような、騒動が続いている。限られた寿命では、お迎えが、何時来るのか、気にならない訳では、ないだろうが、将来ある人々にとり、人生を、狂わされる圧力が、世界中で、かけ続けられる。
 まるで、加害者かの如く、呼ばれることは、居た堪れさを、深刻にさせているが、それと共に、愚かな大人達の、無軌道な方策の数々は、彼らから、重要な機会を、奪い続けている。狂った人間共は、命を守る、という命題に囚われ、事の重要性を、判断する知恵さえ、投げ出してしまった。否、そんな知恵は、端から、持ち合わせていない。世代から、世代へと、受け継ぐことが、人間社会の発展において、不可欠な要素であることは、誰もが、認める所だが、その舞台が、狂気の政策で、壊されているのだ。これでは、次代を担う人材を、育てることは、叶わない。そんな中で、新手の手法が、次々と、登場しているが、それが、効果的か否かは、10年単位の期間を、経なければ、判断がつかない。なのに、まるで、即効性の効果が、あるかの如く、扱われることには、強い違和感を、抱かざるを得ない。その中で、支援の整備が、喫緊の課題とばかり、親切の押し売りが、盛んに行われているが、これとて、人の成長にとり、最も重要な、自立を妨げる、悪手でしかない。ある意味、強制的な、教え込みにより、様々な道具を、身につけさせた後、その活用法を、工夫させるには、自主的な活動が、必要となる。初等中等教育において、集団教育が、重視されるのは、その為なのだが、その機会を、奪おうとする暴挙も、その後の自立の機会で、過剰な手助けを、施すことで、邪魔をするのは、人材育成の妨害でしかない。これでは、教え育むという、教育ではなく、教え縛る、教縛だったり、教え虐げる、教虐にしかならない。無知な行為は、慎むべきだ。

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4月23日(金)−雑音

 医療従事者から始まり、高齢者へと、対象が移っている、と伝えられるが、懲りない人々は、日々、せっせと、不安や心配を、募らせようと、怪しげな情報を、伝え続けている。まるで、火災の時に、秩序立つ動きの中、誰かが、叫び声を上げ、出口に殺到するように。
 集団心理の最たるもの、と言えるだろうが、その原因を、殊更に取り立てて、騒ぎを、続けようとする動きは、報道に携わる人々が、冒された病のようだ。叩いても、叩いても、抹殺しても、抹殺しても、蘇ってくる、あの怪物の如く、思慮なしに、愚かな行為を、続けている。需要と供給の均衡は、常に、保たれることなく、過剰と不足を、繰り返す。こんな当然の前でも、火災からの避難のように、死への恐怖が、人々の判断を、狂わせている。そこに、油を注ぐが如く、あることないこと、次々と、垂れ流すのは、詐欺などの犯罪と、何の違いもない、と映るのだ。犯罪行為では、常に、動機が重視され、つもりの有無が、罪の軽重に、繋がると言われるが、そんなことは、何の意味も無い。公共性を、与えられた組織が、挙って、盛り上げるのは、立場を逸脱した、としか思えない。その中、高齢者であれば、接種に必要となる、証明が、配付され始めた。そこでも、狂騒曲が演じられ、僅かな数の権利を、手に入れようと、躍起になる人が居る。最終的には、希望者全員に、行き渡る、との約束が、守られるとは信じられないのか、あるいは、明日の命も、知れぬ事態と思うのか、狂おしい程の表情で、訴える人達には、どんな慰めも、届かないだろう。唯一、待ち望んだ薬を、注射してくれることだけが、救いとなるのだ。国民性からか、まだ、平穏を保っているが、これが、熱狂的な国だったら、暴動へと、繋がりかねない事態だが、馬鹿騒ぎにも、程がある。脅迫的で、不安と心配を煽る、報道こそが、元凶であり、彼らの息の根を、止めようとしない、人々の責任は重い。耳を貸す大衆も、だ。

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4月22日(木)−肝腎要

 相変わらずの一つ覚え、何度、同じことを、繰り返しても、時に、更なる悪化を、招く事態に、大衆は、我慢できない。この手法の、最大の問題点は、一切の検証を、行わず、一つ覚えを、繰り返すことだ。何の反省も、何の検討も、つまり、何の考えも、無いからだ。
 本来、対策や方策というものは、その結果を見て、改善を図るものだ。だが、元々、何の根拠も無く、都市封鎖を、はじめとする、人の往来への制限が、効果的と信じ込み、それが、世界各地で、断行されてきたが、ほんの一部の例外を除けば、一時の制圧が、起きたように見えて、その実、失敗が繰り返される。だが、懲りない人々は、一つ覚えを、繰り返すしか、能が無いのだ。となれば、期待は、ワクチンのみ、との報道も、同様に繰り返され、煽りも、強まっている。足らない、との一言が、今の脅し文句だが、無駄でしかない。国民の4割が、接種を受けたこと、を知ったサイトでは、中近東の国が、先行している、と伝えられたのに、6割程度しか、達成していないことに、驚いたのだが、これは、接種対象年齢が、18歳以上、と決められていたからだ。だが、それでも、対象者の8割しか、接種を受けておらず、煽り報道で、伝えられるような、全国民という印象は、誤謬でしか無いことを、確認できた。それも、2ヶ月程前から、僅かな変化だから、その辺りが、上限となりそうだ。彼の国では、年齢制限を下げ、更に多くの接種者を、目指すようだが、それとて、同じ程度の割合が、想定される。一見、接種によって、感染拡大が、抑えられたように、見える結果も、実際には、どんな要因に、よるものかが、見えてこない。当初の、理解不能な有効率も、抗体獲得等の数値が、得られるようになり、徐々に、その実態が、見えてきたが、まだ、まやかしが、ありそうに思える。所詮、茶番に過ぎない、仮想劇が、筋書き通りに、運んだとしても、庶民にとっては、迷惑千万なのだ。

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4月21日(水)−破滅への道

 一兆円に迫る金額は、企業にとっては、莫大な収益となるが、国家予算と比べれば、大したことない、となる。新政権となり、先日提案された、追加予算は、感染症対策に、二百兆円を、注ぎ込むとなった。生活支援の方が、遥かに、高額の予算が、必要となる。
 これは、検査だけでなく、予防とされる、ワクチン接種に関しても、同じこととなる。あの国では、既に、4割程の人が、接種を済ませた、とされるが、約1億3千万人が、受けたとすると、相場として伝えられる、一回2千円だとしたら、これも、既に、2千6百億円が、費やされたとなる。今回の開発では、企業独自の資金で、行われたとは、考えにくいから、かなりの収益が、上がることとなるが、これとて、国家予算と比べれば、微々たるもの、と見えるのかもしれない。だが、金の流れを、考えに入れると、やはり、納得のいかないもの、となるだろう。税金が、何故、私企業に、流れ込むのか、異常とも言える事態に、死への恐怖に、取り憑かれた人々は、批判や反対の声を、上げる意欲さえ、失ったというのか。ただ、ここには、別の目論見があり、世界機関が、何故、当初から、そして、どんな事態が起きようが、一貫して、感染症の恐怖を、膨らませ続けるのか、見えてくるように思う。つまり、関与する企業にとり、濡れ手に粟の状態を、成立させれば、その収益を、貧しい国への、医療整備の施しに、回させることが、できるということだ。それも、寄付金ではなく、現物支給という形で、無償提供を、約束させておけば、機関の安泰が、図れるというものだ。人道的な行為も、所詮、金の問題でしかないのは、殆ど全ての機関において、同じ状況にある。彼らが、躍起になって、金集めに走るのに、今回のような、死への恐怖は、格好のネタとなる。だが、その危うさを、誰も指摘しないと、真の破滅が、訪れることに、彼ら自身が、気付くことは、決して無いのだ。

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4月20日(火)−ぼろ儲け

 医療には、二つの柱がある。診療を、一つの行為、と見るかもしれないが、実は、診断と治療という、二つの行為を、指しているのだ。病気の診断を、正しく行うことで、治療法を、選び出して、病気を治す。回復するものなら、この手順を、追うことになる。
 だが、病気には、治せないものが、沢山ある。そこで、医療と製薬が、協力して、治療薬の開発が、行われる。しかし、この開発は、長い道と言われ、薬が出来上がっても、その効果を、試さねばならない。これが、治験と呼ばれる過程で、10年単位の期間を、要すると言われ、認可を、得られなければ、水泡と化す。それに比べ、診断法の開発は、確実な判断が、行えれば認められる。だから、診断薬は、時に、手っ取り早く、儲ける手段と考えられる。以前から、明らかだったことだが、今や、それが、世界を巻き込む、一大事業となっている。未発症でも、検査を要する、という規定が設けられ、封じ込めに、不可欠な手立て、とされたことから、膨大な数の検査が、日々、行われ続けている。現時点で、海の向こうでは、総人口を、上回る数の検査が、実施され、その数は、人口の1.2倍強となっている。ただ、州ごとに見ると、事情が、異なってくる。西海岸の、最大人口の州では、1.4倍強なのに対し、第二位の南部の州では、0.7倍強となる。当初、州知事の手腕が、高く評価されたが、その後、不祥事で揺れる、東海岸の州では、何と2.5倍を超える。政策の違い、と言えば、成る程その通りだろうが、それにしても、異常な程の数の検査が、実施されている。一検査、約2千円かかるとすると、あの国で、これまでに費やされた額は、8千3百億円を超える。こんなに税金が、注ぎ込まれるのも、驚きだが、それが、検査会社に、流れることは、もっとだ。この検査には、開発費用は必要なく、作れば儲かる、となれば、尚更だろう。

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4月19日(月)−無限ループ

 愚かな人々の暴走は、収まる気配さえ、見せていない。その中で、大衆の反発は、強まるばかりとなり、これが、発端となって、暴動や戦争に、繋がらなければいいが、という懸念を、抱く人も居るだろう。都市封鎖は、何度繰り返そうが、根絶には、程遠いのだ。
 そんな状況で、再び、となれば、反発が、強まるのも、当然のことだ。気を鎮める為、と称して、様々な形で、現金を、ばら撒くのは、実は、政治家ができる、唯一の手立てだろう。しかし、国が、行うこととは言え、資金が、滞ったら、それで、おしまいである。幕を引く訳にも、撤退を叫ぶ訳にも、どちらも、できない窮地を、自ら招いたとは言え、いつまで、繰り返すのだろう。その中で、小売業は、一部の業種が、瀕死の状態にあり、回復の兆しさえ、見えていない一方で、多くの大企業は、活況を呈し、この騒動に、何処吹く風という、状態にある。この違いが、何処から出てきたのか、明確な答えが、示されぬままに、政の混乱は、悪化するばかりで、能の無い人々は、口先だけの訴えを、繰り返すだけだ。もし、この機に乗じて、業績を伸ばす企業が、存在するのなら、そこから、資金を調達すれば、いいのではないか。しかし、資本主義の根幹を成す、自由経済において、機会を得て、収益を上げたとしても、それを、社会に還元するかは、企業の判断次第だ。株価が上昇し、投資家が、利益を得れば、それこそが、資本主義の基本、とする考えからは、そんな還元は、下らない考えでしかない。だが、この騒動が、その部分への寄与を、目論んで、起こされたものだとしたら、どうだろう。偏った状況を、解消することこそが、第一には、違いないが、それまでにも、できることは、数多くありそうだ。何しろ、唯一の手立てとして、世界が、期待を込めるワクチンは、開発企業にとり、金の生る木であり、毎年、新たなものを、開発する必要がある、との企業の見解は、終わりなき戦いを、想起させる。

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