当初から、経済への影響が、盛んに、取り沙汰されたが、結果は、どうだったのか。無謀とも思える、上昇を続ける相場は、天井知らずの如く、扱われてきたが、実態が明らかとなると、単なる操作とは、違うという解釈が、出てきた。大企業の多くは、業績好調と言われる。
だが、これも当初から、指摘されていたように、市民生活は、厳しい状況に、追い込まれている。何故、大企業が、好調を、保っているのに、庶民に、悪影響が、及んでいるのか。経済学者は、様々に、見解を述べるが、市場原理を含め、彼らの頭にあるのは、現実とは異なる、机上の空論なのではないか。経済の流れは、川上から始まり、川下へと向かう。製造業など、大企業が、存在するのは、川上であり、市民生活は、河口で営まれる。市民が、糧を得るのは、川上でもあるが、消費行動に、直接結び付くのは、川下なのだ。今の状況は、製造業にとり、一部を除けば、騒動が始まる前と、大した違いがなく、政府からの、様々な支援により、活況を呈している。しかし、支援が施されても、実際の商売が、滞ったままの小売業は、本来の収益が、断ち切られたままで、何度も繰り返される、悪政の被害を、強く受けている。当然、そこで働く人々の、収入についても、袋小路に追い詰められ、回復の兆しは、一切見えてこない。否、一瞬、明かりが見えたとしても、繰り返しが、黒雲を出現させ、以前にも増した、暗闇へと、突き落とされる。経済活動において、これまでも、大企業を、対象とした政策が、優先されており、今に、始まったことではないが、それにしても、これ程、際立ってくると、怒りを通り越し、諦めしか出てこない。その上、政の無能ぶりは、その諦めに、拍車をかけて、更に深い谷底に、突き落とされる気分に、なるだろう。諦めは、いつまでも、続けられず、そのうち、反動が、現れるだろう。それも、世界各地から。だとしたら、何をすべきか、明らかなのではないか。
世界中が、躍起になって、行なっている事を、無駄、の一言で、片付けるのは、どうか、と言われそうだ。だが、何度繰り返しても、振り返す波に、効果の程は、全く無いとの解釈も、できるのではないか。一方では、そのまま放置すれば、もっと大きな被害となる、と言われるが。
だからこそ、北欧の国が、独自の路線を、歩み始めた時、評価する声が、聞かれたのだが、騒動が、大きくなるにつれ、独自を保つことに、強い圧力が、かかってしまい、壮大な実験は、潰えてしまった。世界機関が、定めた対策法が、こんな形で、各国に押し付けられ、それしか、行われなくなると、検証の道は、閉ざされてしまった。同様のことは、この騒動の中、多くの事柄に、起きている。その一つが、ワクチンの効果だろう。製造会社が、効果を訴える為の、検証を行うのは、当然のことだが、その算術には、独特の根拠があり、俄には信じ難い、と思えることが多い。今回も、治験の段階では、不可思議な数字が、算出されており、首を傾げたが、死への恐怖が、煽られたことから、世界が、大いなる実験へ、突入していった。依然として、納得できる情報は、一切、もたらされておらず、効果ばかりが、取り沙汰されるが、未接種では、どの程度の危険性が、残るのかという話は、全く出てこない。その中で、この国も、供給不足やら、従事者不足やら、問題を、取り上げることで、盛んに、不安を煽る姿勢が、堅持されており、呆れるばかりだが、その一つとして、先進国の中で、特に、接種が進んだ国の話題が、盛んに、取り上げられるが、先日の衛星放送で、一向に進まぬ国の議会で、伝えられた答弁では、僅か8%に過ぎない、とあった。こちらでは、今、300万人を超えたとあるが、これは大体2.5%程で、比べようによるが、同様の問題が、ありそうに思える。だが、これを取り上げた所は、一切無く、不都合との判断が、あるからと思われる。まあ、所詮、どうでもいいことだが。
後日談:正確には8%は二度の接種済みの割合、2.5%は一度だけの割合なので、不適切だった。二度の割合は0.9%。
今回の騒動は、世界機関が、起こしたものである、という主張を、繰り返している。筋書き通りには、運んでいなくても、所期の目的である、目論見は、達成に、あと一歩となっている。ここまで、騒ぎが広がれば、あとは、自然の流れに、任せたとしても、問題無さそうだ。
と、油断して、絡繰りを、露呈することは、無いだろうが、勇み足への警戒は、怠っていないだろう。目標の達成は、世界機関共通の課題であり、連合の傘下にある、組織は、総じて、目標を定め、世界を巻き込んで、達成へと邁進する。だが、今回の騒動から、明らかなように、崇高とは呼べず、ただ粗悪としか思えない、金が絡む話は、どれも、低俗でしかない。大衆に、理解されるのは、まさに、そこでしかなく、恐怖を煽るのが、適策となるのも、その所以たる処だ。死への恐怖として、感染症などの疾病は、まさに、最適のものであり、手っ取り早い対象となる。しかし、もっと長い期間を、要するような話題では、即座に、恐怖を煽ることは、困難だった。以前、沈黙の春、という本が、話題となった時も、早速の課題と、見做されなかったことや、金儲けとの結び付きが、弱かったこともあり、一部の先進国で、問題視されただけだった。しかし、経済の進歩が、先進国を、追いかける国々へと、広がってくると、被害も、世界的な規模で、論じられるようになる。そこで、金の卵を、見つけようとする動きが、起き始めた。当初は、諸悪の根源として、二酸化炭素のみを、標的としてきたが、世界機関が、乗り出すに至り、多くの悪が、取り沙汰され、その根底にあるのが、再生可能という考え、とされてきた。それに、乗せられた人々が、世界各国で、名乗りを上げ、大規模な活動が、始められているが、その根本の考えに、何故、異論を唱える人が、出てこないのか、不思議で仕方がない。悪者を作り、徹底糾弾することで、目的が、果たされるように、思い込ませる。それが、金儲けの為、だとしたら、どうだろう。
死への恐怖が、広げられる中、悲鳴や不安の叫びは、まるで、泡の如く、膨らんでいった。その中で、濡れ手に粟の如く、収益を伸ばした企業のことは、業績が、発表される、ずっと前から、取り上げてきたが、愈々、現実となった数字が、驚きと共に、示された。
だが、これは、所詮、氷山の一角でしかなく、今後続く、活況の大波が、どれ程に、高まるかが、注目の的、となっている。そこで、冷や水が、必要との視点からか、特許の無償貸与を、話題として取り上げ、収益への圧迫を、懸念材料として、掲げている。だが、これとて、予想通りであれば、貧困国へは、無償供与を、密約しており、何の問題も、起きないと思われる。それ以上の収益が、確保されれば、企業としては、十分な成果であり、更に、それが、今後、定期的な接種を、定着させれば、不安定な将来性から、脱却することが、約束されて、まさに、濡れ手に粟が、永続するとなる。同様に、検査に関わる企業も、業績を、爆発的に伸ばした筈で、今後、世界各国から、その発表が続く、と考えられるが、これとて、言い訳の如く、様々な要因を、絡ませることで、正当化を謀るのだろう。元々、懐が傷めば、各自が、深刻に考えただろうが、半強制的な実施を、強行する為には、公的資金を、導入するしか、方法が無かった。だが、この措置には、後日談が、出てくるだろう。一見、一切の出費が、要求されず、まさに、施しの如く、行われている、検査や接種だが、これらへの出費は、元を質せば、税金であり、それらを、使うことは、巡れば、納税者に、請求書が、差し出されることになる。こんな絡繰りは、子供騙しでしかないが、恐怖を煽る中では、まさに、渡りに船であり、強行したい政府や、儲けが欲しい企業だけでなく、仕掛け人である、世界機関でさえ、ほくほく顔が、続くこととなる。ただ、報道さえも、加担する中では、そんな思惑に、触れることは、禁忌なのだ。
不安を煽る人々の目的は、何なのか。損得勘定は、公的立場や商売に関わる人には、当てはまりそうだが、その他大勢の、市井の人々には、なさそうだ。では、何か、楽しいことでも、あるのだろうか。普通の感覚では、理解できそうにない。狂った社会、なのだろうか。
できない理由を、考えるよりも、できるように、考えて欲しい、と主張して、競技大会を、実施して欲しい、と訴えた著名な選手に、一時的には、同意が寄せられたが、その後は、中止の声ばかりが、集められるのも、不安を煽る中心にある、報道の方針だからか。にしても、損得勘定も、投げ出した挙げ句、普段と大差無い状況を、危機的と訴えることで、大事にしようとする人々には、この機会を、逃してはならぬ、という思いがあるようだ。だが、もう一度、あの選手の主張を、思い出したらどうか。できない、という言い訳を、繰り返してきた人間には、何事も、為し得ないという、偉業を達成した人間からの、警句の一つに、耳が痛い、と感じたのか、あるいは、元々、聞く耳さえ、持っていないからか。世の中は、こんな論調で、満ち溢れている。居酒屋で、感染が広がる理由を、仮想計算で示しても、映画館で、広がらない理由を、示そうともせず、電車内の危険性を、強く訴えるのに、一方で、満員電車で、広がらなかった理由は、示そうともしない。まさに、豚に真珠でしかない、最新機器を、ある目的でしか、使いこなせず、本来の機能を、発揮できない人間に、予算を、与える必要が、あるのだろうか。政府が、盛んに喧伝することを、支援することこそ、予算獲得の早道、とでもいうのなら、それこそ、科学でも何でもない、ただの金儲けの手段、でしかないのだ。学問が、人間の都合で、脅かされるのは、今に始まったことではない。殺人兵器の開発が、戦時に、必要とされたのも、その一つだ。恐怖を広げることは、方便でしかない。
誰も、狂気に付き合う気は、無いからだろう。自粛などという、脅迫に満ちた言葉を、狂気に満ちた目付きで、発するのを、眺めても、意に介する必要は、全く無い。兎に角、根拠も無いままに、同じことを、何度繰り返しても、ぶり返すのみ、検証無しでは、恥晒しなだけだ。
根拠無しを、糾弾する声は、大衆から上がるのに、何故か、体制批判を常とする、報道からは、全く上がらない。無能と無能の戦いでは、茶番が、繰り返され、庶民の生活が、脅かされる。人気取りの商売が、必死の面持ちで、狂気に走るのに、近くに居る人々は、止めようともせず、加担されては、下下の者達は、堪ったものではない。大衆からの糾弾も、悲鳴に似たものが、増えるばかりで、沈着冷静なものは、増えてこない。というより、諦めに似た心境から、面倒にでも、なったのだろうか。しかし、その中でも、声を上げ続ける必要は、あるものだ。根拠が、示されないなら、こちらから、探してやればいい。との思いから、役所の発表を、探ってみたのだが、東西の狂人率いる役所から、出される資料には、齟齬がある。特に、今、末期的症状と、目されている西の首長は、盛んに、事の深刻さを、訴えているが、探ってみて、データの不備に、呆れてしまった。陽性者の急増が、緊急事態を、明示するとの主張に、市民は、厳しい目を、向けている。それは、検査数の急増が、伴う為であり、無作為な検査が、増えているというものだ。だが、それを確かめる手立ては、役所のサイトに、示されていない。2ヶ月分しか、グラフが表示されておらず、不親切極まりない。そこで、別のサイトにあった、日々のデータを、転記してみた。青字は、処理変更なので、無視して、赤字は、検査総数が、1万を超えた日だ。陽性率を見れば、急増の原因が、検査増にあることが、明白となる。その上、月曜発表の検査数が、少ないことは、陽性者数が、少ないことの原因ではない、こともわかる。まやかしの数々、なのだ。
非常識なことや、的外れなことを、書いたり、話したりすることは、狂気とは呼ばない。では、今、国内で、盛んに取り沙汰されることを、狂気と呼ぶのは、何故か。それは、本人達に、自覚が無いからだ。狂人は、自らが、狂っていることに、気付くことなく、当然と考える。
一年前、街頭に、突然、立て看板が、掲げられた時、あまりのことに、呆れた記憶がある。それらには、「検温しよう」「発熱運転×」「時差出勤」とあり、何事かと思われた。2ヶ月程前に、新たな看板が、設置され、新しい言葉が、並んでいるが、これとて、知事の覚えめでたくなる、という職員の思惑、と言われる。狂気が、狂気を招く、典型に思える。先日、取り上げた、東西の狂人も、職員の支えにより、自覚には、程遠い状況だろう。人出を、抑えることしか、効果が望めない、との思い込みから、無駄なことを、繰り返しているが、強制的な措置を、導入できぬ苛立ちは、街頭調査という形で、面と向かって、問い詰めるような動きさえ、始めるに至ったようだ。その結果が、報道された時、耳を疑った人も、多いのではないか。一部のみを、伝えた内容では、外出の理由で、「マスクをしているから大丈夫だと思う」が、最多とあったが、これは、外出の理由ではなく、まさに、大丈夫と思う理由でしかない。例の如く、劣悪な情報収集が、原因と思ったが、上に掲げたものからも、その設問において、用意した答えが、それだったのだから、始末に負えない。三番目の質問で、目的と称して、外出の理由を、問うておきながら、今一度、理由を持ち出したのは、問うべき内容を、正しく表現できない、無能ぶりを、表している。その上、こんな答えを、敢えて用意したのは、意図的でしかなく、筋書き通りの展開、でしかない。無駄なことに、職員を動員し、強制力を、行使したいとの願いを、押し通そうとする。それに、加担する、報道の姿勢も、呆れ果てる。