パンチの独り言

(7月26日〜8月1日)
(相関の有無、目を逸らす、冷静に、望み無し、無駄遣い、未来へ、ばれた)



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8月1日(日)−ばれた

 画面や紙面を、騒がすだけの、無能な専門家だけでなく、政府の枢要に居座る、判断力の無い、専門家まで、要するに、この国どころか、世界中に、この騒動に乗じて、地位や名声を、手に入れようと、躍起になる、ひとでなしが、溢れている。世も末ということか。
 これまでにも、数々の欺瞞を、暴いてきたが、世論は、そんな嘘八百に、惑わされ、振り回されて、酷い状況に、突き落とされている。だが、その原因は、確かに、上に挙げた、陸でなしどもに、あるのだろうが、その口車に、踊らされているのは、自分自身であることに、気付くべきだし、また、騙されぬように、彼らの嘘を、見破る手立てを、講じるべきだ。そんな中、徐々に、馬脚が見えてきたのは、例えば、こんな報道にある。ワクチンの効果に対する、誤解を解く為に、海の向こうの政府機関が、行った調査結果だが、これ自体も、彼らの欺瞞の一つ、に過ぎない。つまり、マスク着用を、訴える為の根拠として、接種者が、感染する可能性を、示した訳だが、実際には、着用が、確実に、予防効果を表すかは、この調査からでは、明らかにならないのだ。更に、症状に言及する部分から、発症自体も、接種によって、防止できないことも、見えてくる。ただ、頼みの綱である、重症化に関しては、不確定とは言え、死者が居ないとの結果から、推測できる、とでも言いたいのだろう。この辺りの、不可解な解釈は、調査自体が、ある思惑で、行われたもので、科学的なものに、なり得ないことを、表している。ただ、そんな欺瞞を、取り除いた上で、結果のみを、正しく解釈すれば、本質的なことが、見えてくる。一つは、検査が無駄であること、もう一つは、発症者の治療に、専念する必要が、依然としてあること、なのだ。ごく単純なことを、事実を歪曲して、異なる話にするのは、今回の騒動で、何度も使われた。もう、いい加減、聞き飽きたのだ。

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7月31日(土)−未来へ

 責任ある立場の人々は、相も変わらず、同じことを、繰り返し続ける。何とかの一つ覚え、とでも、評したい気分だが、何とかにつける薬は無い、となってしまい、先が続かない。予防法は、いずれも、不確かでしかなく、頼りとなるのは、個人の抵抗力、でしかない。
 そんな状況が、徐々に、明らかになりつつあるのに、同じことの繰り返しに、大衆は、辟易としている。が、一方で、より強い規制を、望んでいるかと言えば、決して、そんなことは無い。個人の力頼みなら、それこそ、政のできることは、何も残らないし、専門家の戯言など、聞く価値も無い。単に、それぞれが、自分の体調に、気を配るくらいしか、できることは無い。更に、何かあるとすれば、健康的な生活、となるのだろう。その程度のことでも、何かしらの効果があることに、多くの人々は、既に、気付いており、注意深い生活を、送っている。ただ、それは、専門家の助言とは、大きく異なっており、過剰な対策や、過度な心配を、排除しつつ、自身で理解できる範囲に、留まっている。大袈裟な人々には、不十分としか、思えないことだが、自らの体調を、保つ為なら、その程度でも、十分だろう。不安を煽る、戯言には、一切、耳を貸さずに、できる範囲を、行うことこそが、精神的にも、健やかに暮らせる。一方、そんな騒ぎで、この国では、死者数が減少した、とも伝えられる。確かに、万病の元となる、風邪にかかることなく、万全な体調を保てれば、体力が、落ちてきた高齢者にも、大過無く、暮らすことが、できるだろう。それに加えて、医療体制も、様々に整えられ、肺炎への対応も、十二分に行われれば、怖いものの一つを、排除できているのだ。一方で、この先を考えると、次の世代への継続は、一層難しい状況に、陥りかけており、そちらの方が、遥かに恐ろしい展開が、起きそうに思える。愚かな感染騒動が、死者数の増大ではなく、この国の歪みを、強めそうだ。

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7月30日(金)−無駄遣い

 骨董品の世界では、偽物が、重大な問題となる。収集欲に、目が眩み、騙されるのは、よくあることだし、借金の形として、偽物を渡して、逃げるという話もある。最近は、番組が登場し、鑑識眼の重要性が、取り沙汰されるが、素人にとり、厄介な問題でしかない。
 ある鰻屋の女将が、その番組で、著名な人物の作品を、紹介したが、あっさり、偽物と断じられ、立腹していた。近くに住み、当時から営んでいた店に、通った可能性は、強いだけに、専門家の説明も、耳に入らなかったようだ。事情は、それぞれだが、偽物にも逸話があり、尾鰭も付いて、仰々しさが増し、本物と化するのか。同じ偽物でも、今、世界を巻き込む騒動で、持ち出される数値には、専門家でも、信頼できない、と思える所がある。学界では、感染症の判断に、検査が不可欠とあるが、それと発症との関係が、定かでない中、当初から、問題視されてきた。無症状感染者などという、不思議な用語まで、持ち出して、何とか正当化するが、保菌者という表現とは、異なるもので、何の根拠があって、と訝るだけだ。その偽物ぶりが、強まりつつあり、特に、最終兵器の如く、扱われるワクチンが、行き渡るに従い、その矛盾が、表面化している。重症化を防ぐ、という役割が、強調される度に、では、これまで、指標としてきた、陽性者数は、どう扱うべきか、疑問視する声が、高まりつつある。これも、当初から、重症患者数や死者数こそ、感染症の状況を、正確に把握する為の、指標であるとして、訴えてきた人々は、この機に、この問題を、再燃しようとするが、多くの思惑から、方針転換を、する気のない人々には、届く筈も無い。というより、おそらく、この図式を、理解する能力が、欠如しており、専門機関の言いなりで、動いている人々には、意味不明としか、映っていないのだろう。この理不尽を、打開する手立ては、何処にあるのか。あらゆる無駄が、使い尽くされるまで、待つしかないだろう。

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7月29日(木)−望み無し

 世界機関の欺瞞は、どんな思惑で作られ、広げられているのか。深謀遠慮に、目を向ける人も、居るだろうが、至って浅はかな、ものばかりのようだ。要するに、世の中は、先立つもので、動いている。経済が、最優先される時代には、金銭的なことが、何よりも先んじる。
 今回の騒動も、莫大な資金が、何処かへ流れ、全体としては、偏った状況を、作り出している。しかし、世界機関としては、貧しい国々に、結果として、何らかの恩恵が、流れ込めば、目標達成となる。濡れ手に粟の、状況を手に入れた、検査やワクチンに関わる企業は、無償提供という、人道的な行為として、世界に還元する、という図式が、既に、出来上がりかけている。但し、騒ぎが、空手形となれば、その後始末は、厳しいものになるし、再度、再再度という具合の、繰り返しに対して、厳しいしっぺ返しが、待ち構えている。それ以外の提言も、浅薄な考えに、基づくものばかりで、多面的な検討が、一切、行われていない。そこには、別方面から、盛んに強調される、多様性こそが、蔑ろにされており、愚かさが、際立っている。これから、直面する課題には、実は、多面的な捉え方が、最も重要なものであり、賛否両論が、入り混じる中で、妥当な答えを、見出す動きが、大切となるだろう。にも拘らず、目論見達成に、躍起になる人々は、多様な意見という、異論を、潰すことだけに、終始して、解決の端緒を、自ら、投げ捨てている。学問の世界でも、その発展は、多種多様な意見が、議論を交わすことで、取捨選択され、その中から、妥当な結論を、導き出すことで、進められてきた。その中で、地位を手に入れ、権力を手に入れた人々が、極端な論理を、平然と展開して、異論を、徹底的に排除する。その行為には、恥も外聞もなく、という印象を覚えるが、当人達には、その気配は微塵も見えない。前言撤回が、唯一の希望だが、この状況では、望みは皆無だろう。

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7月28日(水)−冷静に

 催しは、粛々と進められ、一部の専門家が、最大の警戒を、と必死で訴えた状況は、今の所、起きていない。危機的状況は、何処を、どう捉えるかで、違ってくるが、鵜の目鷹の目で、綻びを探す人々に、材料は、有り余る程ある。さて、どうなるか。心配は、無用だ。
 相対的な数値の、遷移を、追うことで、事を、大袈裟に伝えるのは、今に、始まったことではない。だが、大衆は、既に、その騒ぎに、辟易としており、殆ど何も、響くものが無くなった。にも拘らず、騒ぎの中心では、同じ言葉を繰り返し、同じ方法で、群衆心理に、働きかけようとする。だが、狼が来た、という童話と同じで、同じ言葉は、徐々に、その効力を失い、耳にたこが出来る程、聞かされ続けた人々は、関心を、完全に、失ってしまった。では、拡大の勢いは、更に増し、市民は、恐怖のどん底に、突き落とされるのか。否だろう。接種を終えた人々が、急に騒ぎ出す光景が、画面に映し出されて、驚いた人が居ただろうが、こちらの状況は、大きく違っている。確かに、接種率は、予定通りには、達成されておらず、不安を煽る人々は、それを材料に、脅しを続けている。だが、その状況とは無関係に、多くの人々は、通常よりも、慎重な行動を続け、依然として、注意深い行動を、続けているのだ。これまでの経過から、それで十分であり、これ以上の、過剰反応は、無用と考えるのが、妥当だろう。マスクが、本当に、効果を持つかは、依然として、定かとはならず、身勝手な連中は、時と場合で、正反対の主張を、平気で繰り出してくる。本来の効果を、得たいのであれば、当初、盛んに喧伝された、着用法や取り扱い方が、重要となる筈だろうが、行き交う人々を、眺める限り、そんな様子は、一切見えていない。その一方で、誰も擦れ違わない、道を歩く人が、着用する光景は、滑稽でしかない。その意味では、依然として、過剰反応の最中、なのだろう。

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7月27日(火)−目を逸らす

 繁栄を続ける、生き物が、原因を作る。という論理が、実しやかに、展開されて、そこから、様々な対策の必要性が、議論されてきた。気候変動と括られる、異常気象の数々は、人々の危機感を、高めている、とも伝えられるが、現実には、余所事でしかないようだ。
 一見、因果関係が、明らかとされ、原因を取り除くことが、第一と見られるが、その実、諸説があり、研究者の間でも、確定していない。にも拘らず、世界の国々が、重要なこととして、議論に参加し、対策を講じたのには、喫緊の課題としてより、利害が、表面化したことに、理由があると思う。特に、排出量の売買という、不思議な論理が、編み出されたことで、先進国を元凶とする、一方的な状況から、解決に向けて、発展途上国をも、巻き込むような体制が、築かれたことで、全体的な取り組み姿勢が、確立された、とされた。だが、因果も不確かで、この取り組みの効果も、見通せぬまま、突き進むことには、反論も、数多くある。海の向こうの、前体制では、離脱の表明から、混乱が起きたが、上に立つ人間の、身勝手な言動と相俟って、新政権では、元通りの方向に、進むきっかけを、与えていた。世界各地で、巻き起こる、異常気象は、確かに、統計的には、異常と思えるが、その原因を、今のような考えに、帰着することには、強い懸念がある。特に、洪水などの被害が、そこから起きた、とする論理には、災害対策を、後回しにしかねない、危うい政が、見えているように感じる。学位を持ち、これまでも、論理的な考えで、欧州のある国を、導いてきた女性首相も、今回の大災害に、そんな論理を、立ててしまったが、長い目を、優先させることで、緊急の対策を、棚上げする姿勢が、見えている。真意は、定かではなく、両立させることも、可能な筈だが、さて、どんな意図があるのか。この話全体が、欺瞞に溢れていることに、目を向けておく必要は、ありそうな気がする。

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7月26日(月)−相関の有無

 世界を、巻き込んだ欺瞞には、もう一つある。こちらは、世界機関が、主導するのではなく、別の組織が、働き掛けている。ただ、その背景となるものには、様々な機関や国の思惑が、入り組んでおり、複雑な状況にある。そこに、一部の利権が、入り込む余地がある。
 環境悪化は、元々は、人間の生産活動を、元凶としている。大昔、恐竜の繁栄が、環境の悪化を招き、その絶滅を、引き起こしたとも言われるが、他の要因も、指摘されているから、確かなことは、明らかとなっていない。一方、繁栄を謳歌する、という点では、まさに、今の時代の人類は、大昔の恐竜と、似た状況にある。ただ、闇雲に、絶滅へと向かった生物と違い、人間は、考える葦だからこそ、様々な可能性を検討し、危機を回避する知恵が、備わっている、と考えるのだろう。公害が、先進国で深刻となる前、既に、空気汚染の問題が、深刻となった。浄化装置が、存在せず、燃料の質も、悪かった時代には、煙と霧が、入り混じった存在が、大都市を覆い尽くし、住民の健康を、脅かしていた。その後、空気だけでなく、水にまで、汚染が広がり、公害が、命の危険に迫る程となると、浄化装置の設置が、義務となり、環境悪化は、食い止められた。と見えたが、その後、気象機関が、オゾン層の破壊が、進んでいることを、指摘したことで、紫外線の悪影響を、抑える為と、破壊の原因を、取り除く動きが、世界中で起きた。これは、成功例だが、それに味をしめたか、次の標的は、二酸化炭素と温暖化を、結び付けることとなり、条約などにより、排出制限をかける運動が、起きてきた。ただ、この背景には、金銭的な動きがあり、数々の不思議な論理が、登場してきた。一方で、二つの事柄を、結び付けた論理も、確認されないまま、基準を設ける動きが、進められたが、そこにも、国や地域の思惑が、強く反映されており、利害関係だけが、表出している。ここでも、欺瞞が、罷り通る。

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