パンチの独り言

(8月16日〜8月22日)
(学ばず、治療専念、不正義、嘘八百、冷静判断、説明責任、現状理解)



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8月22日(日)−現状理解

 人間は、騒ぎに巻き込まれると、冷静な判断を、下せなくなる。特に、不安に苛まれると、恐怖に襲われ、過剰反応を繰り返し、暴走に向かう。判断を誤れば、集団として、社会として、被害を受け、甚大な害を、被ることさえ起きる。まるで、今の混乱のように、だ。
 だが、騒ぎに惑わされず、傍目八目とばかり、冷静な分析と判断を、行っていると、如何に馬鹿げたものか、見えている。ワクチンを例に引くと、次のようになる。実現不可能、と言われたワクチンが、世界に行き渡ったことは、ある意味、幸いだったと言える。だが、救世主とまで言われ、過剰とも思える期待で、迎えられたことで、様々な誤解が起き、今も、その混乱が、続いている。効果として、示されたものも、数字遊びの如く、理解し難いものだったが、発症と重症化を、抑えることさえ、正しく理解されていない。発症に限れば、導入前も後も、唯一の指標として、使われている検査陽性は、発症とは異なり、病原体の保有のみを、示している。普通の感覚からは、導入後にも、同様の検査を、継続する意義は、認められない。一方、重症化を抑える効果も、変異を繰り返す病原体に、適用できぬ例が、出てきたかのように、伝えられる。だが、感染の仕組みからは、殆どが、誤認識と思える。ただ、救世主への期待が、裏切られた、と受け取られたのは、二度の接種が、獲得の条件だったのに、三度目が、取り沙汰されることだ。免疫の定着が、この事例では、望めないから、という説明も、舌足らずで、納得できない。もし、そうなら、今後、定期的な接種が、必要となるだけに、接種後の体調不良を、経験した人々には、心穏やかには、居られぬ話だ。話変わって、当初から、目標とされた、集団免疫の確立については、夢幻となりつつある。これまでの、ワクチン成功例では、確立できたと言われていたが、どうも、それ自体も、怪しくなりつつある。単に、個人の抵抗性の問題で、集団には、結果論となっただけだからだ。

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8月21日(土)−説明責任

 ある首長が、会見で、「ワクチン接種者には、重症化した人は、一人もいません!」、と話していた。事実だろうが、果たして、どの位の人が、納得しただろう。たとえ、事実に基づいても、所詮、政治家の発言は、信用ならぬもの、と思うからだ。何故、こうなるのか。
 今回の騒動に関して、様々な方向から、批判を繰り返してきた。理由は、中心で騒ぐ人々が、科学的でも、論理的でもない、ただの思い付きで、騒動の原因を、語っているからだ。無知な政治家が、誰かが書いた筋書きを、読むのは、今に始まったことでなく、信用ならぬ、と断じられるのも、当然のことだが、専門家として、雁首を並べる人々が、原稿を読む姿に、言葉の重みは、全く感じられず、根拠とする資料が、あやふやなものとなれば、信頼の価値は、全く無い。当初、多くの専門家が、画面に登場し、状況の説明を、繰り返していたのも、実際には、非常識なものや、非科学的なものが、数多くあり、呆れるばかりだったが、事態が深刻になるにつれ、危機を叫ぶことしかせず、解説する気さえ、失ってしまった。そんな時に、改めて感じるのは、説明の必要性であり、多くの市民が、日々伝えられる、悪化の一途の情報に、不安を抱く中、思い浮かべる、数多くの疑問に、答えて欲しい、と願う中で、叫び声しか聞こえず、悪化する数値しか、示されない中、恐怖を逃れる為に、何をする必要があるのか、また、何を避けるべきか、などの疑問が、浮かんだとしても、誰も、その答えを示してくれず、何処にも、肝心の情報が、掲げられずでは、糸口さえ、見つけられない。騒動を、扇動してきた人々は、危機が迫るにつれ、最悪の事態を、訴えることに、躍起となるが、彼らの本当の役割は、正確な状況を把握し、それを解析した上で、方策を講じることだった筈だ。その任を、投げ出した挙げ句、叫ぶだけなら、知識は無用だ。今こそ、落ち着いた説明が、必要なのではないか。

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8月20日(金)−冷静判断

 手にした端末に、届いた情報に、共感を覚えて、発信する。拡散の勢いは、指数関数的に、強まり続け、止められなくなる。だが、はじめの情報には、確たる証拠は無く、噂でしか無いものが、大勢を占めることで、世論となる。中傷被害の最たるもの、とされる。
 昔から、井戸端会議では、ただの思い付きや、噂でしかないものが、実しやかに、話題とされる。時に、それが、恐怖を巻き起こし、急速に拡散されると、大事件となる。人々は、不安に苛まれると、特に、噂に惑わされ、荒唐無稽なことでも、簡単に、信じ込むと言われる。歴史は繰り返す、と言われる話は、ここでも適用され、戸惑う人々は、藁をも掴む思いで、まんまと、騙される訳だ。では、今回の騒動は、どうだろうか。空騒ぎとして、何度も、問題点を、指摘してきたが、確固たる証拠も無いまま、施策を強行し、市民を混乱に陥れても、思い通りの展開が、起きないことが、繰り返された挙げ句、科学的な根拠を、投げ捨て始めた人々は、非論理的で、意味不明な発言を、発し始めた。傍目八目としては、情けなくも、当然の帰結、と見做せる展開だが、当人達は、相変わらず、大真面目で、嘘を塗り重ねている。正義とは、まっこと、恐ろしいものだ。つい先日、駐留軍の撤退が、ある国の政府の崩壊を、招いたとして、大国の政府が、厳しい批判に、晒されていた。だが、冷静に見れば、当初から、批判されてきたように、国の自治を、無視する政策は、止めるべきで、その決定を、下した前政権と、実行に移した現政権は、どちらも、正しい判断を下した、と言える。ただ、目の前の混乱と、政権移行後への不安から、過剰反応が、起きていることが、報道の著しい偏りを、招いたことも、当然のことだ。感染症の混乱同様、不安への過剰反応が、情報操作を、起こしている。客観性を、常とする筈の報道が、先頭を切って、不正を働くのは、呆れるしかないが、これこそが、世界の混乱を、引き起こす元凶なのだ。科学的、論理的、冷静な対応が、必要だ。

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8月19日(木)−嘘八百

 無垢で、素直な人々は、日々募る不安に、苛まれているだろう。だが、普通の思考力を持ち、経験から、疑うことを覚えた人々は、全く違う反応を示す。政府も役所も、報道機関までもが、何を、騒いでいるのかと。国民、市民に向かい、更なる締め付けを、訴える。
 だが、その訴えの多くが、会見という形を取り、その場に、政府や役所の人間や、委員会の人間だけでなく、聞き手である、報道機関までもが、雁首を、並べている。行動制限を、訴えるなら、まずは、自分達から、始めろよ、と思う人が、殆どだろう。街に繰り出す人間に、話を聞く為と称して、街頭を、練り歩く取材班、営業を続ける店に、警告を与える為と称して、繁華街を、見廻る公務員達、彼らは、自分らの行動を、何と思うのか。尋ねれば、即座に、業務との返答が、あるに違いない。要であり、急である事柄で、制限の対象では無い、とばかりに。だが、彼らが、訴えることが、本当ならば、それらの行動こそが、蔓延の原因となり、悪化させるだけだろう。これだけでも、如何に馬鹿げた騒動かが、判る筈だが、正義を翳す人々に、その判断力は、一欠片も無い。常に、他人が悪であり、自分は正義なのだ。その上、情報伝達の仕組みを、握る人々は、都合の良し悪しで、選別を繰り返す。災害級の、との表現は、まさに噴飯物だが、死者数が、予想通りに増えず、焦っていたものの、それなりに、増え始めたことに、欣喜雀躍したとしても、所詮、まだ足りない。だからこそ、現場の混乱を、盛んに伝えるが、SNSでは、全く異なる情報が、現場から流される。囀りでは、一部読者が、読めないかもしれないので、念の為、一部抜粋したものを、掲げておく。ここから分かるように、真摯に、医療に携わる人々は、沈着冷静な対応を、続けている。一部、劣悪な関係者が、自らの不明を恥じず、窮状を訴えるが、様子が違うようだ。ここでも、悪質な情報操作が、行われている。

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8月18日(水)−不正義

 はじめから、情報に基づき、的確な判断を、下してきた、と思っているだろう。その上で、指示や警告に、従おうともしない、市民達に、呆れを通り越して、怒りを覚えている、に違いない。科学的な説明が、用をなさぬとなれば、感情に訴えた。が、埒が明かない。
 人間は、怒りが、ある水準を超えると、強硬手段に、出てくるものだ。まるで、正義を翳すように、法律で、罰則規定を設け、言うことを聞かぬ市民を、更に、縛りつけようとする。元々、自分達の策が、何の役にも立たず、ただ、混乱と困窮を、招いたに過ぎないことに、目を向ける気は無く、反省など、欠片も無い。その状態で、責任転嫁の、最たるものが、登場しそうになる。この光景を、眺めていると、噂に聞いた、戦前の混乱を、思い浮かべてしまう。戦争へ、驀地、突き進んだ当事者達は、まさに、正義を翳して、自らの決断を、正当化し続けた。それに加担し、世論を操作する為の、情報伝達に、邁進した報道関係者は、敗戦後、大いに反省した、と聞いたのだが、今の状態は、どうだろうか。状況分析も、覚束ぬまま、政権批判に、明け暮れるが、その一方で、感染症対策には、何の知恵も、絞り出せぬまま、ただの伝達しか、行えずに、代案などが、出てくる筈も無い。あの反省は、幻の正義に、加担した為に、起きたと考えるのは、明らかな過ちであり、その程度の思慮では、同じことが、繰り返されてしまう。当時も今も、肝心なことは、徹底した情報収集と、冷静な分析であり、それらに基づき、何をすべきかを、検討することなのだ。それも、唯一無二の方策ではなく、多種多様な可能性を、編み出した上で、検討することこそが、この混乱を、解決する手段となる。ただ、騒ぎを煽り、不安を撒き散らすだけでは、何もなし得ない。特に、正義が、持ち出されたら、要注意であり、冷静な対応こそが、必要となる。見せかけの反省では、所詮、何の役にも立たない。

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8月17日(火)−治療専念

 当初の、封じ込め対策は、確かに、功を奏したとされた。だが、隣国での実態は、正しく伝わっていない。発生源とされた地域で、実行された都市封鎖は、検査による、陽性者の炙り出しと、外出をはじめとする、行動制限が、主体となっていた。手法は、同じだが、目的が違う。
 当時、あの大国が、恐れたのは、国内全土への蔓延であり、一部地域に、「封じ込める」ことで、それを防ぐものだった。ただ、そのまま、荒廃するに任せ、見て見ぬ振りをするという、方法ではなく、感染症の治療に、新たな治療施設を、突貫工事で、建設することで、対応したものだった。はじめの封じ込めも、この治療施設の建設も、感染症予防の観点から、高く評価されるが、現実の目的は、単に、感染者を、発生地域に、閉じ込めるものだった。都市封鎖だけで、治療を目的として、患者を移送してしまえば、他地域への蔓延が、予想されたから、その場に、閉じ込めるために、大規模な施設を、作ったのだ。それを、全く違う形で、評価するのは、本質を見誤るだけで、愚かな解釈でしかない。封じ込め対策を、こういう形で、検討すれば、その後、世界各地で、実行された都市封鎖が、何故、失敗したのかが、見えてくるだろう。陽性者数の増減の波は、次々に、訪れているが、これは、単純に、流行の盛衰に過ぎず、対策の効果と見るのは、明らかに間違いだ。異なる対策を、講じた国々の、動向を分析すれば、その辺りを、見極められるが、世界機関は、当初から、そんな気配は、微塵も見せない。一方、国内に目を転じれば、数字的には、大きな波に、襲われているように見え、政に携わる、懲りない連中は、一つ覚えの封じ込めを、市民に押し付けている。何の効果もなく、悪影響しか及ぼさない施策を、実行し続けるのは、万策に尽きた、からかもしれないが、実際には、単に、何の策も持たないからだ。だったら、他の病気同様に、治療に専念すれば、良いだけのことでは。

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8月16日(月)−学ばず

 信頼を、失うきっかけは、大きな衝撃だった。半信半疑でも、必要不可欠と説明され、安全の保証と、地元への支援から、受け入れたものが、突然、害悪を垂れ流す、根源となったからだ。だが、そこには、大きな誤解と、不適切な情報操作が、あったのも事実だろう。
 まずは、安全神話の崩壊が、一気に起きた。確かに、恐怖が、急速に広がったが、それは、事前の説明の不備が、大きな要因であり、過剰な保証が、招いた結果だろう。それ自体、科学への信頼を、損なうものであり、その意味で、担当者達の責任は、非常に大きい。一度、損なわれた信頼は、容易には回復できない。それが、その後の展開に、大きく影響し、妥当な説明さえ、欺瞞としか映らず、まともな議論さえ、できない状況となった。実は、この問題は、未だ解決せず、相変わらずの不信感が、覆っている。科学者達が、正確な情報を、提供しても、それ自体を、疑う雰囲気では、話が進む筈が無い。その中で、今回の騒動は、国内だけでなく、世界を巻き込み、何を信じるかで、正反対の意見が、出てくるなど、非科学的な論争が、続いている。何度も指摘したように、世界機関が、偏った情報のみを、頼りにすることで、方針を誤っただけでなく、その後の調査や解析も、十分な検討が行われず、科学から程遠い状況を、産み出している。一方、国内では、政府への諮問に、責任を負う人間が、何度も、警告を発しても、埒が明かぬ状態に、業を煮やして、感情的な訴えを、始めてしまい、科学的な根拠を、投げ捨てたことは、不信感を、更に広げることとなった。実際には、後生大事に、続けてきた方策が、無益である、と明らかになりつつあるのに、科学的な解析を怠り、方針変更を含む、検討すべき所と、その機会を、逃し続けてきたことが、最大の要因だろう。不信を招いたのは、関係者自身が、科学を遺棄したことが、最大の要因であり、それは、あの事故と同じことだ。何も学んでない。

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