パンチの独り言

(10月11日〜10月17日)
(転視点、未知の力、亡国の策、もっと見る、玉虫色、合利、すべきこと)



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10月17日(日)−すべきこと

 間もなく、在位70年を迎える、女王を始め、王位継承順位上位の、二人を加え、皆が口を揃えて、批判的な意見を、出したと伝えられる。曰く、彼らは口だけで、実行力が無い、と。治世力を失い、象徴でしか無い存在だが、彼らの発言の、影響力の強さは、凄まじい。
 それを、十分に承知した上での、発言には、確かに、かなりの重みがある。例えば、生後間もなく、皇太子となったものの、その後は、常にその立場で、様々な醜聞の方が、遥かに、世間で話題となる、人物も、実は、社会貢献活動を、盛んに、行っており、その立場から、環境問題への関わりも、深いと言われる。環境保全、環境保護など、環境に関わる社会活動は、様々に行われ、それらは、今や、喫緊の課題と言われ、各国政府が、最重要課題と、掲げるものとなっている。その中、次の世界的な会議が、国内で開催されることとなり、彼らの発言が、紹介された訳だ。こちらも、当初から、様々に関わり、中心的な役割も、果たしてきたものの、近年は、人気取りに走り、軽率な発言を、繰り返すのに、要職に就いていた二世議員が、担当大臣だった時に、屈辱的な賞を、受けたことでも、知られる世界的な活動だ。気候変動が、悪影響を、及ぼしている、と伝えられる中、改善策を、講じる必要が、何度も訴えられ、その度に、目標が定められ、対策を講じるとの約束が、各国から発せられたが、一向に、改善の気配が見えず、空手形の連発に、活動の中心人物達は、業を煮やしている。それと、似た方向への発言が、王室から発せられた、との報道は、独特の言い回しで、痛烈な批判を、したものだろうが、問題は、口だけの各国首脳だけに、ある訳では無い。根本問題として、改善策に、実効性があるのか、もっと根本的には、この問題自体、原因と結果が、確かなものか、これらの疑問に、取り組む姿勢が、必要なのか、再考の余地は、限りなく広がるからだ。

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10月16日(土)−合利

 突然の静寂に、戸惑いの声が、広がり続ける。確かに、数は、減り続け、何かしらの、安心感が、得られる半面、次の波に、襲われるとの脅しに、不安感を、拭い切れない。つい先日まで、死への恐怖を、突き付けられていたが、今は、別の心配が、頭を擡げている。
 そんな中、まるで、階段の踊り場に、取り残されたような、感覚に、襲われる人も、居るだろう。だが、よく考えてみると、これまでも、これからも、自分なりの判断で、動いていれば、良いような気がする。何しろ、誰もが襲われ、死に瀕するとまで、言われ続けた、恐怖の病から、これまで、逃れ続けたのだ。同じことは、世界中で、起きており、各地の人々は、彼らなりの、あるいは、その国なりの、振る舞い方を、始めていると言う。昨夜の番組で、紹介されたのは、宰相までもが、重体に陥ったとされ、死者数も、かなりの数に上り、また、経済への、厳しい制限から、日々の生活を、脅かされた人の数も、膨大に登っている、国の状況だ。そこに映ったのは、市中の、雑踏の様子で、現地から伝える、人物以外には、マスクを着用せず、騒動以前と、変わらぬ姿が、見えていた。国の首脳達は、口を揃えて、以前の状況に、戻すことの大切さを、訴えていて、視聴者の多くは、こちらの状況との、余りの違いに、驚いたのではないか。合理性を、重視する国民性から、当然の成り行き、と見ることもでき、同様の措置を、期待する人も、居るだろうが、見落としてならないのは、前提条件だ。ワクチン接種、各種検査、特効薬等々、幾つも並んでいたが、それらを、政策と考えるにしても、結局、一つの業界の収益を、爆発的に、伸ばすに過ぎない。と見ると、合理性と思えたものが、全く違って見えてくる。そこにあるのは、理に合うことではなく、利に合うことなのだ。合理ではなく、合利でしかない。それも、ほんの一握りの人達の。世界を挙げて、そんなこと、する必要はあり得ない。

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10月15日(金)−玉虫色

 前評判は、高くなく、人気薄だった、候補者が、国の頂点に、立つこととなった。力の均衡が、産み出したとされる、宰相の登場に、期待と不安が、入り混じった中、窮地を脱し、明るい未来を、築く為の方策が、数々紹介された。が、市場の期待は、大きくない、そうだ。
 理由の一つとして、挙げられたのは、分かり難さ、だった。選ばれる過程で、様々な提案が、出されており、それぞれに、期待が膨らんだが、選ばれた途端に、前言撤回の如く、提案の多くに、修正が施され、期待の風船は、萎み始めた。このように、方向が、定まらぬこともあるが、もう一つ、「分配」という言葉で、表された方策が、何を、どのように成すのか、不明確であったことが、大きな要因だろう。感染症の騒動は、細かな違いはあれど、世界各国が、間違った方向に、突き進んでおり、そこに、独自の手を入れる、気持ちは毛頭無い。となれば、騒動の副作用で、甚大な被害を受けた、経済の立て直しが、必要となる。だが、ここでも、見方により、状況は、全く違ったものに、見做される。個人の範囲では、何かしらの施しを、期待すると共に、収入を増す、政策への期待がある。一方、企業の範囲では、既に、世界で、統一されつつある、法人増税が、圧力となる中、どんな支援が、得られるのか、と期待する。その二つを、組み合わせる、という考えが、給与を上げれば、優遇措置を、となるのだが、具体的なものは、一切示されず、姿が見えない。上げることが、決まったものに、優遇と言われて、素直に応じるのか、見えないのだ。元々、独り言では、法人増税により、給与を上げ、そこから、所得税収を、増すという戦略を、紹介していたが、その図式を、検討しないままに、次の段階の話では、理解不能だろう。だが、政治家は、所詮、人気商売であり、こんな戯言も、安易に言い放つ。その意味では、発言の数々は、玉虫色でしかなく、どの色にするかは、官僚次第なのだ。

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10月14日(木)−もっと見る

 8人に一人、と聞いて、人は、何を考えるか。おそらく、そんなに少ないのか、という印象を、抱いた人が、多いと思う。だが、一方で、あれだけの大きな国で、全体論を、展開しても、無駄なのでは、と疑う向きも、あるのではないか。だからこそ、更なる解析が、必要なのだ。
 だが、疑う向きからは、何も調べずに、すぐに、反論が届くだろう。今の時代、そんな遣り取りが、盛んに行われ、有意義な議論が、交わされた、と信じる人も居る。しかし、こんな状況では、単なる、時間の無駄、と言うべきではないか。そこで、少しだけ、補足となる資料を、示しておく。面倒なので、海の向こうの、全ての州に関する、値を示すことは、止めておき、人口の多少により、上位と下位の5つずつを、調べてみた。最下行には、国全体の割合を、最新の値から、示してある。確かに、人口当たりの陽性者の割合は、州ごとに、少しずつ違っている。だが、そこに、人口の多少との関係は、すぐには、見つけられない。また、数ではなく、密度で見たら、という意見も、あるだろうが、例えば、東海岸の大都市を、抱える州や、首都の地域を、見る限り、異常に高い割合を、示してはいないから、単純な結論は、導けないと思う。都会と田舎の比較、密集地と過疎地の比較、等々、国単位の比較も、地域ごとの比較も、様々に、解析を進める必要がある。また、海の向こうでは、支持政党との関係も、州知事の政策との関係から、取り沙汰されるが、それとて、大した違いを、産んでいないことが、判るのではないか。事ほど左様に、目に見えぬ脅威との戦いに、人が考え出した戦略は、殆ど役立たずで、終わっている。ここでは、死者数には、目を向けていないが、興味があるのなら、やってみれば良い。何かしらの違いが、出てきたとしても、その要因は、数多あるに違いない。仮想計算を続け、暴言を吐き続ける、8割おじさんも、少しは、役に立つ話を、して欲しいものだ。

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10月13日(水)−亡国の策

 ばら撒きが、何故問題となるのかを、議論するより早く、ばら撒きを、与党も野党も、挙って、提案したことが、問題視された。人は、何故、選ばれる時期が迫ると、餌のばら撒きを、始めるのか、不思議に思うらしい。理由は、単純で、餌を欲しがる、人間が居るからだ。
 人気商売だから、票を求めるのは、当然のこと、なのだろうが、では、何故、餌に飛び付き、票を入れるのか、と尋ねると、多くの人は、首を傾げる。確かに、彼らが約束する、餌の多くは、一時の享楽を、授けるものとなるが、少し考えれば、その後に、何が来るかを、気にすべきと、判るからだ。だが、社会には、そんな思慮が、全く無いままに、安心と安全を、追い求め、不安と心配に、苛まれる人が、一杯居て、彼らが、餌に飛び付き、票を入れれば、思惑通りの結果を、手に入れられる。だが、その結果として、政権を、嘗て手にした連中は、思惑通りに、事が運べず、数々の頓挫に、打ちのめされた。学習能力の無さを、露呈するような提案には、論理の崩壊しか、感じられないが、所詮、その程度の輩なのだ。一方、双方の勢力が、同じ路線を、突き進むのに、苦言を呈した、官僚に対し、更迭の声が、高まっている、と伝えられる。常識的に見れば、収入と支出の、均衡が取れねば、財政破綻が、起きるとなるから、当然至極の意見だが、票集めに、躍起となる人々には、冷や水としか、感じられなかったのだろう。情報社会で、発信することが、重要視されるが、この苦言には、官僚らしからぬ、無謀さと無策が、感じられる。政治家が、人気集めに、空手形を切るのは、いつものことだ。それに対して、業務に当たる人々が、妥当な策に、転じることは、これも、当然の如く、行われてきた。そうせずに、持論を展開するのは、勇気ではなく、無知の選択でしかない。国を危うくするのは、官僚の劣化であり、ここにも、その一面が、現れている。

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10月12日(火)−未知の力

 数が、減り始めた頃、次の波が、と脅し続ける人が、沢山居た。こんな所でも、横並びで、同意を繰り返す姿に、失われた信頼が、取り戻される気配は、全く見えない。ずっと前の状況に、戻りつつある中、何故、その頃と、比べようとせず、愚かな騒ぎに、熱狂するのか。
 当時と今を、比べることで、何が違うかに、気付くのは、実は、次の対策を、編み出す為にも、重要なことだ。所詮、数少ない経験から、正解に近い答えを、導き出すことくらいしか、できないという事実に、気付かなければ、愚かなことを、やり続けるだけで、事態を深刻化するだけだ。だが、社会の中枢に居座る人々は、そんなことには、目もくれず、ただ、一つ覚えを、繰り返して、警告を垂れ流せば、責任を果たせた、と思っているのだろう。付ける薬が無い、としか、言いようが無い。比較も大切で、検討して欲しいが、もう一つ、現状からの推測も、大切な作業だ。先日取り上げたように、感染拡大が、深刻と言われる、海の向こうの大国では、実は、8人に一人しか、感染していない、という状況にある。誰もが、思いつくのは、そこから、進めるべき解析は、感染しなかった、残りの人達に、共通項があるか、という点にある。何しろ、闇雲に進めた、接種推進も、実は、8人に一人に、必要だっただけで、残りの7人には、無用だった、と考えることもできるのだ。それでも、人を救う為に、これが英断だった、と見る向きもあるが、副反応が、問題視される中、救う為の英断として、人の命を奪う行為、となっていたとしたら、どうだろうか。解析が進まず、何も見えない中で、他の選択肢は無い、としても、何故、動こうともせず、一部の業界に、金をばら撒くのか、理解できない。世界的にも、落ち着きを、取り戻しつつある中、是非、改めて、感染せずの集団に、あるだろう共通項を、探して欲しい。抗体などの免疫ではなく、全く別の、跳ね返す力が、あるとすれば、何なのか。

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10月11日(月)−転視点

 独り言は、これまでも、そして、これからも、世間に対して、冷たい視線を、送り続ける。普段は、安定と平和を、享受しながら、気楽な生活を、送っているのに、一度、事が起きると、途端に騒ぎ出す人が居る。社会には、それに乗じて、悪事を働く輩が、山のように居る。
 安心と安全を、追い求めるが為に、心配と不安に、苛まれる人が、目立つ時代だが、彼らに、手を差し伸べようと、するものでは無い。元々、心地好い言葉を、探し出し、都合良く、生きているだけの人は、冷静沈着な意見に、耳を傾けない。彼らを、説得するのは、大いなる無駄でしか無い。一方、世間に対して、苦言を呈するだけの人々も、時に、同類と見てくれる場合が、あるものの、現実には、自分の意見への同意を、求めているだけに過ぎず、少しでも、反論を示せば、突然、豹変するから、深入りしないことが、肝心だろう。何度も、書いてきた通り、安定した平和な時代には、傾向と対策が、最善と見做される。確かに、変化が少なく、既存の知識と、先人の経験を、基にした対策を、講じるだけで、殆ど問題は起きない。だが、上に書いたように、一度、事が起きれば、状況は一変する。嘗て無い、と評されたり、想定外、と書かれたり、傾向とは異なる状況に、これまでの経験は、役に立たない。と言われるが、実は、そうでは無い。僅かな経験と、狭い識見では、何も解決できないが、多くの経験と、広い識見を、基にして、そこから、目の前の出来事を、俯瞰的に捉えれば、全く新しいことでも、傾向を、見つけ出すことができる。単に、能力が不足し、想像力に欠けていることが、混乱の主な要因となる。その意味で、視点を変えたり、斜めから見たり、逆の見方をしたり、と、様々なやり方で、物事を捉えてみると、皆が思うのとは、全く異なる様子が、見えてくる。これを、自身でできれば良いが、でなくても、他人の意見を、参考にすれば、何とかなるものだ。独り言は、その一つ。

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