パンチの独り言

(11月15日〜11月21日)
(詫びない、真の無駄、無責任、赤字、不信源、悪いのは、力不足)



[独り言メインメニュー] [週ごと] [検索用] [最新号] [読んだ本]



11月21日(日)−力不足

 基礎科学の研究は、役に立たない、と屡々言われる。確かに、すぐに応用できる、どころか、応用なぞ、微塵も考えられず、目的も、知りたいとか見つけたい、でしかないものが、殆どなのだ。これでは、大衆の興味を惹く筈も無く、将来性を、考えることさえ難しい。
 だから、という訳でもあるまいが、今や、研究費の多くは、すぐに役立つものだけに、注ぎ込まれる。今回の予算も、掛け声だけは、真っ当に見えるが、実態は、又もやとなりそうだ。特に、人材育成との組み合わせでは、基礎を固めることが、最重要とされるが、最先端しか追わない研究では、世情にたけても、確かな人材とはならず、無駄を続けるだけとなる。ワクチン開発で、何故、最新の技術が、不可能を可能にしたのか、基礎研究で、明らかにしようとしており、その報告が、相次いでいる。確かに、これまでの方式とは、まるで違うやり方で、何故、体内の免疫が、起動するのか、不明な点が多い。そこで、多くの基礎研究が、行われたが、そこでは、別の疑問が、出ているようだ。一部の被験者では、確かに、抗体が作られ、外からの刺激が、関わる細胞へと、伝えられたと確認されたが、そうならない被験者も、多く居た。違いは、不明なままだが、流れは解った、との結論だったようだが、これでは、不十分だろう。その上、一旦始まったものが、時間経過と共に、徐々に終わるのが、何故なのかも、不明なようだ。追跡調査が必要なのは、当然のことだが、果たして、研究者の興味は、そちらに向くだろうか。一方で、世界の混乱は、続いており、その解決には、別の基礎研究が、必要となる。そちらは、疫学的とか公衆衛生学的と呼ばれる、大規模調査により、抗体の多少と、発症や重症化、更には死亡率との相関を、明らかにすることが、求められている。だが、こちらについては、大した成果は、明らかになっていない。その理由は、何だろうか。基礎が、足らないからなのか。

* * * * * * * *

11月20日(土)−悪いのは

 女王が、事前に指摘したように、決定的な対策は、講じられなかった。各国が、世界の将来に向けて、講じるべき対策を、話し合う為の会議だが、所詮、国を代表する、私利私欲の打つかり合いでしか無い。緊急事態は、名ばかりとなり、計画は、頓挫してしまった。
 という総括だったろうか。目標を定め、それを実現させる為に、不可欠となる対策を、進める計画だった。だが、それにより、引き起こされる影響は、単に、目標とされた気候変動の抑止だけでなく、各国の生活水準が、今後どう展開するかに、及ぶことが明らかで、おいそれと賛同できないものとなった。その結果が、結論の提案を、紛糾させ、文言の修正を、余儀なくした。では、目標は、棚上げされたのか。いや、努力を怠らず、達成に向けて、邁進するとなった、と言われる。この展開は、女王でなくとも、誰もが予想済みで、想定通りのものだった、という見方もある。その通りに違いないが、一方で、対策と目標の達成は、確かに結びつくのか、そちらの確証は、依然得られていない。更に、石炭を燃やすことが、諸悪の根源とされたが、本当だろうか。確かに、低い技術で燃やせば、元凶を排出するが、新技術では、そうはならないと言われる。今回、この点には、目が向かなかった。単純には、一部の国の儲けに、繋がらないからだろう。もう一つ、原子力に関しても、これまでの事故の歴史から、非難轟々の状況となり、この国でも、馬鹿げた活動が、盛んに行われるが、十分な対策の上で、再開すべきと思う。再生可能などと、風力や太陽光を、持て囃すのも、全体として見れば、山のような課題が、積み残されており、安易に、依存すべきでない。二酸化炭素を、悪者にするのも、結構かもしれないが、どうにも、怪しげな気配が、漂うばかりだ。全体として、人間の活動が、この星に、悪影響を及ぼすのなら、人の数こそ、元凶となる。その内、そちらに目が向くのだろう。

* * * * * * * *

11月19日(金)−不信源

 今回の騒動は、まだ終わっていないが、既に、確かになりつつあることがある。それは、多くの不信感が、漂っている、ということだ。それも、国内に限らず、世界全体に、蔓延している。理由は単純で、これまで、評価の高かった、科学の力が、失われつつあるからだ。
 不確かな言説が、ばら撒かれているのは、実は、氷山の一角でしかない。それより、重大と考えられるのは、救いの神と目された、予防法の効力が、期待外れとなったことだ。不可能と言われた技術が、最新科学の成果として、達成された、と報道されたまでは、恐怖に駆られた人々への、朗報となったのだが、その後の展開は、期待通りには進まず、後付けの言い訳が、続出するに至り、落胆が広がる一方、反対派からは、副反応の被害を、強調する意見が、沸き起こった。実は、どちらも、不確かな事柄に過ぎず、詳細な調査が、必要となる筈だが、どういう訳か、そちらに向かう気配が、見えてこない。この状況を、眺めていると、不信感の源が、この点にあるように思えてくる。つまり、不確かな言説を、実しやかに発するには、確かな証拠は、無用の長物であり、今回の騒動に関わる、専門家達の殆どが、意図的に避けている為に、科学の基本である、確証が得られないのだ。学問の基本を、蔑ろにした上で、身勝手な論理を、ばら撒くことこそが、不審を招き、不信感を膨らます。この騒動では、首謀者達の主張自体が、まさに、出鱈目であり、その根拠も、脆弱でしかない。その上、検証を避け続け、調査が滞れば、何も明らかにならない。同様に、同じ世界機関が、盛んに喧伝する、気候変動についても、その原因とされるものには、何の確証も無く、言説の一つに過ぎない。にも拘らず、声高らかに、宣言を発し続け、世界中が、混乱の渦に巻き込まれる。奴らの目的は、明確だ。資金稼ぎが、唯一の目的であり、その為には、嘘も辞さない。僅かな可能性でも、押し通すのだ。

* * * * * * * *

11月18日(木)−赤字

 原材料を輸入し、製品を輸出する。その形で、国としての収益を、上げて来た、と言われる。その意味では、貿易収支の状況は、国の盛衰を、表す指標となる。赤字か黒字か、嘗ての繁栄を、取り戻そうとする動きは、盛んに取り上げる。家計とは異なるのだが、気になるらしい。
 原油高が続く中、最新の収支は、赤字が続いている、と報じられた。材料不足から、製造が滞る、自動車産業の停滞も、その要因の一つ、となっていた。確かに、金額で見れば、最重要産業であり、それを、取り上げるのも、当然と言える。だが、別の見方をすべき、とも思えるのだ。この騒動で、どれ程の金が、動いているかを見る為に、別の視点で、収支の状況を、眺めてみよう。監督官庁では、毎月、速報値を発表しており、今回の赤字報道も、それが連続して起きた、と騒いでいた。それとは別に、半年毎、年毎に、数値を発表している。感染症に関わるのは、医薬品であり、騒動を発端として、変化したとしたら、ワクチンや検査薬が、原因となる。詳細は、発表されていないが、昨年と今年の上半期の数値は、それぞれ発表されており、それらの表の医薬品の輸入について、米国と欧州の状況を、昨年今年で比べてみよう。それぞれ、米国では2757、3743、欧州では8321、10290(単位は全て億円)となる。その前年の値と比べた方が、更に確かとなるだろうが、ここでは手間を省く。昨年上半期には、ワクチンは、開発前であったが、今年は、接種が行われ始めた。その違いが、ここに現れているとしたら、3千億円の違いは、それが原因となる。流石に、この推計は乱暴過ぎるが、たとえ一部としても、膨大な額が、注ぎ込まれている。今後も、これが継続するとなれば、その赤字を、取り戻す手立ては、殆ど無いだろう。騒動を、止めてしまえば、無駄は無くなる。命と引き換え、との言説が、本当に確かなものか、考えずには居られない。

* * * * * * * *

11月17日(水)−無責任

 喉元過ぎれば、と言われるのは、ほんの一時の問題が、解決した後で、何事も無かったかの如く、振る舞うことに対して、使われる常套句だが、流石に、一年半を超える、大騒動と厳しい制限に、使うのは、憚られる。だが、無かったように、振舞う責任者達には、一言言いたい。
 自らの過ちと責任を、全く感じていないのか、はたまた、それを、追及されることを、逃れる為なのか、目先を逸らせ、別の話題に移り、更には、これまでの情報の蓄積を、破棄しようとさえする、何とも不埒な輩だが、責任者として、かなりの収入を得るだけでなく、周囲どころか国中を、混乱に陥れることで、莫大な浪費を、強行した責任は、重大なものだ。にも拘らず、過ちを認めようとせず、責任を回避する態度には、反吐が出る。いつまで、あんな暴徒達を、放置するのか、国内に限らず、世界でも、大きな問題となっている。感染の仕組みを、精査することなく、思い込みだけで、数々の制限を、大衆に強いてきたのは、まさに、彼らの無知と無能が、招いたことであり、それだけでも、訴訟の対象となって、然るべきと思える。刑事に関しては、意図の有無が、問われるだろうから、無理としても、民事に関しては、結果のみで戦える。選挙の不公正を、糾弾し続ける連中が、何故、目を向けないのか、不思議に思う。今回も、会食人数の制限を緩和、という報道があったが、これ自体、どれ程の確かな証拠が、あったと言うのか。ただの思い付きに過ぎず、それを、補強する手段として、調べ上げたとされる、感染経路は、仕組み自体が、明らかで無い中では、直接的な証拠ではなく、非常に弱い傍証でしか無い。地位にしがみつく愚者は、意地でも、自らの不明を詫びず、まやかしの言説を、ばら撒き続ける。だが、それを、糾弾することなく、ただ、緩和を喜ぶのは、愚者の同類でしかない。世界中で、莫大な予算、膨大な労力、強大な心理的抑圧を、招いた責任は、問われるべきだ。

* * * * * * * *

11月16日(火)−真の無駄

 税金の無駄遣いは、確かに、いけないことだろう。だが、新聞などが、躍起になって、取り上げたものだけが、本当に、無駄だったのか、少し考えてみてはどうか。この騒動に、絡んで使われた、無駄な予算は、マスクの配布だけでは、無い筈だ。他にも、数々あるだろう。
 前の前の宰相が、号令一下、小さな布マスクが、国民に配られた時、反応は、総じて冷たかった。まさに、無駄の一言で、断じられていたが、市販品が不足しても、こんな役立たずは、などと揶揄されては、立つ瀬がない。追い討ちをかけたのは、その後にも、配布が続けられたのに、受取手が現れず、保管されたままとなったことだ。特に、機能性が、問題視されては、もう、利用価値は、無くなっただろう。これ程の無駄はない、との批判の声が、上がったのは当然だが、金額で考えると、さてどうだろうか。当初から、検査の必要性に、疑問を投げかけて来たが、ここに来て、なぜ、まだ無駄を続けるのか、理解不能だ。その理由は、陽性者の炙り出しが、感染抑制に必要とされたが、その効果が、認められぬことであり、となれば、検査自体を、無駄と見做すことが、必要となる。首都だけでも、最盛期に、一日2万3千の検査が、行われており、今では、全国で最大6万5千程が可能と言われている。1検査に2千円かかれば、日に5千万円から、1億3千万円が、それぞれにかかる。これらが全て無駄となれば、年間4百億円が、ドブに捨てられる。百億円強の無駄、と言われた、マスクの話は、一時の無駄遣いだが、こちらは、終息まで使い続けられる。何と、馬鹿げた話か。だが、あれ程までに、無駄遣いを、糾弾した連中が、こちらの無駄に、目を向けることは無い。何故なら、騒ぎを焚き付けている当人達だからだ。もう、無駄を論じるのは、止めておけばいい。本当の問題を、取り上げることなく、目先のことに、振り回されるのは、コロナ騒動と、同じなだけなのだから。

* * * * * * * *

11月15日(月)−詫びない

 街ゆく人は、何事もなかったかのように、している。と思うのは、明らかな間違いだ。彼らは、彼らなりの予防策を、お上に命じられたとしても、守っている。だが、その一方で、あれ程騒いだ、首長達も、似非専門家達も、すっかり、鳴りを潜めている。そっちが変だ。
 日々伝えられる数字からは、もう平穏に戻った、との判断も当然、と思われるが、大多数の人々は、素直に守り続ける。その一方で、彼らの頭には、あれ程脅したのに、その通りにならず、減り始めた数字の、原因を説明しようともしない、あの連中への不信感が、広がっている。この状況は、世界の情勢を見渡せば、より鮮明となる。一つ覚えの如く、繰り返した、接種の効果について、高率に達した国々でも、状況が異なるし、仮説に基づき、地域による違いとされた、提案についても、的外れが、明確になっている。増えること、襲われることばかりを、煩い程に強調したが、その根拠は、何の確証もなく、ただの思い付きが、流されただけだった、としか思えない。巷で、動き始めた人々の多くは、そんな戯言に、耳を傾ける気持ちは、毛頭無いに違いない。本来なら、自らの不明を詫び、名誉を取り戻そうと、別の活動を、始めるべきなのに、小銭稼ぎに、ほぼ毎日画面に登場する、教授などは、さっさと統計分析を、進めるのが、本務だろうに。その一方で、庶民は、公表されたデータを、頼りにして、考えたい。だが、それも操作され、怪しげな気配が漂う。首都の数値は、一週間当たり、最大3万人を超えたが、今は180でしかない。一方で、陽性率は、20%強から、0.3%になった。この違いは、検査数から来る。一日、2万3千強が、8千5百余りとなったからだ。だが、200万人弱の県と比べると、検査数は40倍ほど違い、別の要素があるように見える。これらのデータは、監督官庁のサイトで見られるが、連日0と報告される県では、値を導き出せない。改竄ではないが、誤魔化し、かも。

(since 2002/4/3)