パンチの独り言

(11月29日〜12月5日)
(信じる、詫びろ、真相は、こんなもの、科学の基本、跡を濁す、手放すな)



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12月5日(日)−手放すな

 何度書いたか、もう数え切れぬ程、愚かさの極みを、指摘してきた。科学者である筈の、専門家と呼ばれる人々が、次々に登場し、恐怖の病について、語る姿は、一見真摯に見えるが、その実、場当たり的な言説に、終始するばかりで、何の役にも立たない。ばかりか、害悪でさえある。
 科学に携わる人間にとり、この出来事は、対岸の火事ではない。どころか、自らの首を、締め付ける人間が、起こした混乱が、社会全体の不信感を、強めることで、頼りにならぬもの、どころか、無駄なものとの解釈が、急速に広がる。その程度の言説なら、自分でも出来る、と思った愚者達が、混乱に加わることで、騒動は、制御不能な状況に、陥っている。海の向こうの、前の大統領は、余りにも極端な例だが、自分の考え以外は、全て間違いと、徹底批判する姿勢は、自分でも、と思った輩に、諸手を上げて迎えられ、今だに、人気があると言われる。自己都合を、押し通す姿勢は、頑なと映るのではなく、威厳を伴うと映るようで、支援者が、増え続けたと言われる。ただ、議会を襲った暴挙は、加担したかどうかに関わらず、極端な行動への、危機感を強めた。その結果が、落選となったのだが、では、後継者は、どうかと言えば、大差なく映り、政治停滞が続けば、前の方が、との思いが強まる。特に、後継者が、科学の重要性を、強調すればする程、現状の混乱が、収まらないとなれば、科学自体への信頼が、回復する兆しさえ、見えなくなってくる。先週取り上げた、本にあったように、知ってるつもりの大衆は、まさに、彼らのような指導者にとり、格好の標的となる。どちらに転んでも、発展の原動力である、科学を蔑ろにすれば、真の意味の停滞が、襲ってくる。これは、今の作られた恐怖より、遥かに危険な事態で、深刻なものとなるだろう。何しろ、学問には、教育が不可欠であり、それを怠れば、失われたものを、取り戻すだけでも、恐ろしい程の時間が、かかるに違いないのだ。

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12月4日(土)−跡を濁す

 長く政権を担ってきたが、先日の選挙では、大幅に議席を失い、愈々、退任が決まり、政界からも身を引く、と言われる女性首相は、独特な経歴の持ち主で、その点だけでも、注目を浴びてきた。社会主義の崩壊から、東西に分かれていた国が、一緒になり、彼女も登場した。
 それまでは、学者としての経歴を、築いてきたようだが、どんな思いで、歩みを変更したのか、これから読む本で、知ることができそうだ。その履歴から、数々の窮地を、論理的な思考で、解決してきた、と言われる。その意味で、共同体の中でも、多くの信頼を得、支援を集めてきた。経済的な好調から、強い発言権を、持っていたが、最近は、移民問題や感染症問題で、徐々に、信頼を失い始めていた。国の合併により、違う主義で、長く管理されてきた国から、自由の国に加わり、大きな環境の変化を、経験したことから、移民への理解も、深いと言われたが、多くの問題が、引き起こされ、排他主義が、共同体の中に、広がるにつれ、厳しい状態に追い込まれていた。そこに、起きたのが、感染症騒動であり、科学に精通する首脳として、冷静な判断を下すとの期待は、ここでも、裏切られる結果となった。少し考えれば、科学でも、生き物を対象とする分野ではなく、世界の物の理を対象とする分野に、身を置いていたことから、今回の問題には、対処する能力が、備わっていなかったようだ。これは、彼の国で、自然エネルギーによる、発電への移行が、急速に進むこととも、関係するのではないか。放射能への恐れは、あの分野の研究者に、共通する性質らしく、ここでも、原子力発電を、排除する動きに対して、説明する力は無く、同調する判断を、下してきた。そんな中で、退任直前の発言として、接種の義務化を、訴えたと言われる。責任を解かれ、自由に発言する前に、何故、こんな決断を下すのか、理解不能の気分だ。始まりより、終わりを重視するのは、こんな姿を見てきたからか。

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12月3日(金)−科学の基本

 暫く、平穏が続いたが、また騒がしくなってきた。こちらから見れば、長く続く騒ぎ自体、全て空騒ぎとしか、思えないのだが、渦中の人々は、大真面目の様子、まさに、滑稽としか映らない。今回のも、その一つに過ぎず、慣れてきた大衆は、静観を決め込んでいる。
 当初から、何度も指摘したが、所謂、マッチポンプの典型で、自作自演を続けるが、何とも浅薄なお芝居に、客は、腰を上げ始め、もう、舞台の方は、見ようともしない。となれば、職を失い、資金源を失うから、必死の形相で、今回こそは、と話題を持ち上げる。だが、今回も何も、一つとして、検証を行わず、可能性の検討さえ、投げ出す始末に、この芝居に、目を向ける価値は、見つからない。今回の新株登場も、威厳を保つ為に、躍起となり、騒ぎを続けたい、と願う人々にとり、朗報の如く、持ち上げられたが、世界機関も、この国の役所も、前言撤回を行い、自らの不明を、世界に向けて、発信することとなった。海の向こうの大統領は、科学的根拠の重要性を、強調しているが、これとて、自分に与する意見のみを、取り上げているようでは、所詮、底が知れてくる。科学を、第一とする考えには、大切な姿勢がある。状況把握にとり、必要となる数値や、それらの動向を、調べることであり、その上で、そこから見える、傾向を分析することだ。ただ、騒ぎたい連中には、見たくない事実であり、避けて通りたい壁だろう。だが、それらに直面し、じっと見つめることで、見えてくるものが、必ずある。それこそが、科学の発展を支えてきたものであり、その積み重ねが、現代の世界を、築いてきたのだ。何故、そんな簡単なことに、気付かないのか、と不思議に思うが、多分、欲に目が眩んだ人々には、別の大切なものがあり、そちらに固執することで、芝居を続けることしか、できないのだろう。情けない人々には、過ちを認めることも、詫びることも、できる筈が無い。

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12月2日(木)−こんなもの

 新たな脅威の登場に、苛まれる人も居るだろう。だが、殆どの人は、どうでもいい、と思っているようだ。だからこそ、人々は、街に繰り出し、日常を取り戻しつつある。だが、街の光景は、異様なままなのだ。周囲に人が、居ようが居まいが、口元を覆うものが、付いたままだ。
 それも、皆が皆、その姿で歩いている。誰一人として、マスクを外し、出歩く人は、居なくなったのだ。その中で、すれ違う人が、居ない中では、外すように心がける。人混みで、敢えてしようとは、思わないが、人の数が減り、気にならない、と判断すれば、問題ないと考える。この思いには、当初から、何の変化も起きていない。意地を張る訳でも、頑なな気持ちで、という訳でも無い。単に、感染症の常として、人の数や密度が、重要な問題となる、と考えるからだ。だが、世の人々は、そうではないのだろう。何故、そんな判断をするのか、理解できる筈も無いので、面と向かって、指摘するのも面倒だ。だから、したいようにさせておく。その効果が、あろうがなかろうが、彼らは、日常化した行動を、保ち続けるだろう。これが、この国の特殊性に、結びついたかどうか、これもまた、誰にも判らない。専門家は、その理由を、知ろうともせず、ただ、同じ戯言を、吐き続けている。新しい脅威を、危険と触れ回った時も、不確定な話として、紹介するのではなく、ただ、危険として、紹介していた。論理も科学も、失った人々に、庶民は、どう反応するのか。今の街の光景からは、ある意味、はっきりしている。今まで通りに、続けていけば、以前とよく似た状況に、戻ることができる、と信じている。これは、これで、構わぬことだ。無理をせずに、元通りに、と願うことが、一番なのだろう。世界も、程度の違いはあれ、同じように、日常を取り戻すだろう。確かに、より大きな被害が、及んだだろうし、それが続いている。だが、それとて、こんなもの、と思えばいいのだと。

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12月1日(水)−真相は

 市場と聞けば、日々の買い物に、出かける場所、と思うのが、一般の人の感覚だろう。だが、このサイトは、元々、株式市場に関わる人々の為に、作られたものであり、ここで市場と言えば、株式市場を表すものとなる。その市場は、将来を見通す役割を、果たすと言われる。
 関係者から、度々、このような意見が、出されるのだが、本当だろうか。確かに、景気の動向を眺め、将来の変動を、見通すことで、相場に関わる人々は、収益を上げてきた。だからこそ、予測が大切なのだ、という意見に、反対するつもりは無い。だが、だからと言って、将来を見通しているかは、確かとはならない。ここ数年、世界は、空騒ぎによって、迷走を続けている。その中で、相場は、異常な程の高値を記録し、理解不能とも、言われてきた。でも、各国政府が打ち出した、資金供給の状況から見れば、高値を招いたのは、余剰資金が、市場に流入して、それが、買い手を増やすことで、相場を上げた、と見るのが妥当だろう。その中でも、屡々起きるのは、大きな下落であり、一般投資家にとり、警戒すべき事象となっている。今も、懸念となり続ける感染症騒動の中、新たな変異株の登場が、世界的な株安を、招いているのだが、これが、将来を見通したものか、という点では、怪しいとしか思えない。警戒対象について、何ら、科学的な論拠が、出されぬままに、警戒度を高める、各国政府の姿勢も、相変わらず、頼りないものだが、警戒を訴えた後の、各国の対応から、前言を翻す世界機関は、信頼を失い続けている。この中で、暴落を示す市場が、将来予測となっているか。そんなことは、決して無い。単に、心理的な影響が、大きく現れただけで、そこには、確かな根拠も、科学的な証拠も、備えられていないのだ。これまでの歴史で、その中から、偶々結果に即していたものだけを、取り上げただけだろう。世の中は、科学や論理で、動く訳ではなく、人間心理が、主原因なのだ。

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11月30日(火)−−詫びろ

 自分の信じる道を、突き進むという意味では、騒ぎの渦中の人々も、同じかもしれない。確かに、彼らは、信じる道を、進んでいる。だが、こちらとの大きな違いは、その道が、誤ったものであることを、彼らが、理解していることだ。その上で、信じた振りをする。薄汚い。
 今回の救いの手は、騒動の現場から、遥か遠くで差し伸べられた。後付けの理由では、接種率が、先進国と比べ、遥かに低いことが、挙げられたが、それは、地域の特性から、導き出せる、当然のものだ。だが、それが、変異株を産み出す原因となったかは、かなり疑わしい。変異の繰り返しが、話題となった株に、行き着いたとしたら、それは、感染を繰り返すことを、原因と考えるのが妥当であり、その為に、感染者の数が、第一の要因となるからだ。それだけでも、今回の筋書きが、人為的なものから、作られたとすることができる。だが、そんな憶測を、広げたとしても、彼らの罪を、暴くことは不可能だろう。これまでにも、多くの変異株を、恐怖の種として、盛んに使ってきたが、それ自体も、確認できたものではない。ここにも、大いなる疑問が、広がるのだが、渦中の人々にとり、そんな疑問に答えるより、次の恐怖の種を、見つけ出す方が、遥かに強い支援となる。ただ、こんなことを繰り返しても、恐怖は、これ以上には、広げられない。数値データは、彼らが描いた絵空事を、大法螺として、片付けるだろうし、一方で、日々追い続ける数値も、空虚なものに過ぎないことが、明らかとなるだろう。では、何故、それ程に明らかなものを、素知らぬ顔で、嘘にすり替えるのか。兎に角、責任の所在が、明らかになれば、これまで築いた、力関係を失い、権力の失墜が、確実となってしまうからだ。だが、今からでも遅くは無い。各国の政治家達や、保健機関は、これまでの失策を、国民に詫び、軌道修正を始めるべきだ。

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11月29日(月)−信じる

 騒ぎを煽り続ける人々にとり、感染に関する人数の激減は、想定内だったろうが、次の波の襲来を訴えても、劣勢を強いられたままだった。そこに、朗報が届いたが如く、恐怖を煽る言説が、飛び交い始めた。まさに、救いの神のように、新しい変異株の報告が、もたらされた。
 だが、その論拠は脆弱で、期待した程の被害は、広がりそうにない。にも関わらず、各国の保健当局も、世界機関も、警戒の手を緩めぬよう、と言うより、過剰反応を悟られぬよう、冷静な分析を表明し、危険度を、高めようと躍起になる。これまでの経緯を眺めれば、この成り行きは、当然のものと思える。ありもしない危険を、作り出した挙げ句、一部の企業の利益を、追求した結果が、この展開を招いてきた。どうやったら、元の状況に戻せるか、ではなく、どうやったら、作り上げた状況を、保ち続けることができ、自分達の責任が、追及される事態に、陥らずに済むか、ということに、腐心するばかりだからだ。その為に、あらゆる方策を講じ、保身に走る姿は、これから、更に目立つことになる。その中で、今後、どんな展開が起き、どんな結末を迎えるか。大衆と雖も、従うばかりではなく、自分なりの答えを、手に入れたいと願うだろう。ここまで、押さえ付けるばかりで、何の解決の道も示せず、何の糸口も見出せぬままに、自分達の都合ばかりを、押し通してきた人々は、今後、窮地に追い込まれ、権威を失う可能性が、高いと思う。その中で、普通の人々が、できることがあるとすれば、それは、自分の考えを信じ続け、自分なりの人生を、歩むことだろう。その為に必要なのは、何なのか。これほどの混乱が、引き起こされる中では、簡単には、見つからないかもしれないが、自分を信じ、自分の道を歩むだけだ。強がれというのではない。ただ単に、自分を信じることこそが、一つの道を作る、ということだろうと思う。

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