パンチの独り言

(12月6日〜12月12日)
(不注意、未熟者、戻ろう、危機迫る、飛び付く前に、居直る、情報統制)



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12月12日(日)−情報統制

 人権問題が、民主主義を標榜する国同士で、激論が交わされる。だが、当該国では、様々な情報統制が、敷かれており、実態が暴露されても、素知らぬ顔をし、批判国の人種差別で、やり返そうとする。所詮、底の知れた態度で、体制批判への姿勢は、独裁国家宛らなのに。
 このように、国家などの権力が、敷く情報統制は、戦争中だけでなく、戦後にも度々起きた。先日読んだ本は、その状況を暴き、世界に核兵器の恐ろしさを、知らしめた記者と編集者の、葛藤を描いたものだが、進駐軍と呼ばれた、連合国の組織が、中枢を担った国の、兵器使用を正当化する姿勢を、厳しく批判したものと、高く評価されたとされる。実態を暴く為に、取られた手法は、個々の事例の発掘であり、被爆前後の悲惨な状況と、被曝後の経過を、細かく記すことで、兵器の非人道性を訴えるものだ。他の記者達が、情報統制に従い、沈黙を守るどころか、無害であるが如く、伝えてきたのに対し、この記者は、真の恐ろしさを、描いたとして評価され、掲載雑誌も、娯楽を主体とする編集方針を、この号だけは変更し、世界に伝えたと評価された。権力に与しないことは、報道の基本姿勢だが、有事には、異なる面が現れる。人間の浅はかさを、表すものだろう。それと同時に、科学の世界も、同調を示し、不都合な面を、暴こうとはしなかった。一方、被曝国では、被曝者の扱いが、酷かったことが、反省を添えて語られる。占領下で、被曝地でまとめられた、手記を集めた本は、結局、出版を断念したそうだが、その編集でも、削除の記録が、残っている。進駐軍の検閲は、既に外されていたことから、自主検閲と指摘されるが、権力ではなくとも、情報統制が行われるのだ。反核活動は、今も盛んに行われるが、国内の団体は、被曝者救済を目的として、結成され、成果を収めた。だが、その後の分裂は、何故だったのか。また、情報統制の面では、今の騒動も、科学を巻き込み、近いと思える。

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12月11日(土)−居直る

 如何に効率よく生きるかが、肝心と言われるが、では、無駄を全て省けばいいのか、はっきりしないことが多い。何事も、論理的に考え、取捨選択を行えば、要不要を、分けることは、簡単なのだろうが、では、要不要だけで、自分の納得が得られるか、定かではないのだ。
 効率を求めながら、簡単にはいかない、と悩む人の多くは、自分の必要性が、他人には当てはまらず、時に、無駄と片付けられるからで、矛盾に苦しむこととなる。でも、人間の判断は、それぞれのもので、一つに絞れないのは、当然ではないか。こんなことは、さっさと諦め、好きなようにすれば、いいだけのことだろう。だが、周囲からの圧力で、好きにできない、今の世界の状況では、苦しさは、増すばかりだ。恐怖を逃れる為に、定められたことに、従ってきても、どうにも、窮地を脱することが、できない状況が続き、苦しみが増すからだ。自分だけのことなら、判断のしようもあろうが、他人との関係で、恐怖が引き起こされては、如何ともし難い、となってしまう。だからこそ、専門家や国の指針に、従うしかない、と思うのだが、一向に、改善の兆しが見えず、次々と、脅威が降りかかる中、頼みの専門家も国も、一つ覚えを繰り返し、何の解決策も、講じられない。これでは、従った人間達に、何の救いももたらされず、休息さえ、与えられない。となれば、もう諦めるしかない。だが、世界では、依然として、新たな脅威を拾い出し、それを掲げることで、自分達の過ちを、認めることなく、同じ圧力を、かけ続けている。中でも、不思議なのは、陽性者数の報告が、今も続くことで、接種の効果を強調し、次の接種の計画を、盛んに進める一方で、減少傾向が見えないことが、どんな意味なのかさえ、触れないままに、数の力を、発揮させようとする。これも、大いなる無駄と思えるが、誰も気付かず、同じ姿勢を続ける。迷走ではなく、居直りのような、情勢なのだが、何がしたいのか。

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12月10日(金)−飛び付く前に

 騒動により、収入が不安定となり、日々の生活への不安を、募らせる人が多い、と伝えられる。そこに追い討ちをかけたのは、これも、騒動の影響らしいが、流通が滞ることで、需要と供給の均衡が崩れ、製品の値上げが、起こり始めたことだ。収入は減り、支出が増える訳だ。
 となると、この国の人々が大好きな、安売りの話が、取り沙汰される。確かに、増えるものを、如何に、少なくするかは、不安下では、重要に思える。だが、前に書いたように、これが、回り回って、自分の所に戻ってくると、更に、収入が減るとなったら、果たしてどうだろう。経済は、金の流れが重要であり、それが細れば、全体の動きが鈍って、日々の生活も苦しくなる。目の前の安売りに、飛び付くことが、どんな結果を招くか、成長が止まり、衰退期に入ったと言われる頃から、その動向を、眺めれば見えてくるだろう。だが、依然として、安かろう悪かろうを、追い求めて、無料という言葉に、飛び付いてしまう。生活が苦しいから、という理由は、確かに深刻なものだが、皆が、そちらに走れば、どんな事態に陥るのか、考えるべきだろう。先日も、無料という言葉に、騙されたという報道があった。人材を求めて、公的機関に依頼したら、そこに、無料と称する業者から、勧誘があったと言う。しかし、契約後に、手数料の請求が行われ、被害を受けたとのことだ。この独り言を掲げる場も、実は、無料となっているが、その仕組みは不明だ。広告が掲げられる、SNSなどの場も、今は数多く存在し、その一つかと、依頼者は思ったのだろう。しかし、実態は、全く異なっていたらしく、被害を受けたとある。だが、契約書などには、おそらく、目立たぬように埋め込まれた、文言が、実態を示していたと思われる。この手の業者は、無料を謳いつつ、更なる手立てを講じれば、より多くの応募がある、などと誘ってくる。その段階で、どこから有料かを、明言しないのが、常道なのだ。気を付けねば。

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12月9日(木)−危機迫る

 一部の紛争国、紛争地帯を除き、全世界的に、平和な時代が、長く続いている。東西対立と呼ばれた、冷戦の時代には、一触即発の事態を、避ける為に、互いの努力が必要だったが、それも連邦国の崩壊を始め、多くの国々が、対立の源となった主義を、変更して、大きく変わった。
 だが、現実には、経済制度の変更を、行ったとは言え、隣国は、共産党支配を継続し、戦争の被害から、立ち直る過程での制度変更と、その後の文化大革命と呼ばれる、大悪政の痛手から、急速な回復を示し、いつの間にか、人口だけでなく、経済面でも、大国となったことで、世界での存在を、大きくしてきた。それにより、影響力を増すに従い、様々な歪みが、生じているが、最も大きいのは、党自体を支配する人々が、地位に留まり続け、嘗ての建国者と、同様の仕組みに、戻り始めたことだろう。これにより、国の繁栄だけでなく、支配者の方針が、世界の経済制度に、大きく影響することとなった。おそらく、これらが合わさり、各国の政府に、強い影響を及ぼしたのだ。つい先日、退任した女性首相も、その混乱から、これまで築いた信頼を、失い始めていた。海の向こうの前大統領は、大国としての威厳を、保つ為だろうが、強硬姿勢に出て、厳しい対応を、続けてきた。しかし、単純な対抗では、嘗ての冷戦時代と、変わりが無く、何か起きそうだとの、懸念ばかりが膨らんだ。そういう不安定な兆しの中、今回の騒動が、巻き起こったのだ。その結果、各国政府は、厳しい規制を敷き、市民達の生活に、強い圧力を掛けている。今も、恐怖の種を、撒き散らすことで、市民の気は、休まることなく、いつ果てるとも知れない、戦いが、続いている。かの女性首相も、豊かな知見から、この騒動に、確かな対応をするとの期待が、あったものの、一部の専門家に頼ることで、殆ど全て裏切り、人気は凋落したままだった。政治家にとり、混迷は、好機となるが、今回は、違ったらしい。

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12月8日(水)−戻ろう

 俄仕込みの知識で、ウイルスの研究実態を、語るのは、無謀に違いない。だが、騒ぐだけで、肝心の情報を、流すことができない、無知蒙昧の代表たる、マスゴミは、何の頼りにもならず、各国の政府や、世界機関を頂点とする、各国の研究機関さえも、この為体では。
 騒動が始まった頃から、数々の過ちを犯してきたから、それを、多くの人々が、厳しく糾弾している。だが、権力者にとり、この好機を逃す手は、無いとばかり、騒動を大きくする、間違った論理に、しがみついている。現在も、その状況に変化は見られず、愚かな叫びに、世界中の人々が、冷ややかな反応を、示している。感染の強さばかりを、問題視するのが、彼らの常道であり、その頼みとなるのが、検査による陽性者の特定、となっている。しかし、重症化の割合は、極度に低く、彼らが期待したような、大波は、襲ってきていないようだ。これもまた、自らの不明を棚上げし、ワクチンの効果に、結び付けているが、この感染症が、本来もっている致死率は、恐れる程で無いことから、この言説もまた、戯言の一つに、数えられている。接種に反対する人々は、何よりも、副反応などの悪影響に、光を当てて、批判論争を展開するが、的外れに思える。今のやり方なら、陽性になることが防げず、感染源となる接種者を、放置することは、感染収束が、永遠に訪れないことを、確定させている。遺伝子だろうが、抗原だろうが、検査を行うことの意味は、とうの昔に、失われているのに、何にしがみついているのか。無知蒙昧ぶりが、目立つばかりだが、その一方で、一部の業界に、資金流入が続くことは、彼らが関わる世界が、裏では、全く異なる論理で、動いていることを、見せている。一緒にだろうが、その後だろうが、不出来な物語に、付き合うのは、もう止めにして、さっさと、自分の持ち場に、戻ろうではないか。ただ、普通に暮らすだけで、できることなのだから。

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12月7日(火)−未熟者

 動物ウイルスの研究は、思ったよりも、進んでいないのかも知れない。寄生体である、ウイルスは、それ自体で、増えることができず、宿主の存在が、不可欠と言われる。だが、人類が襲われるものでも、人体を用意せずに、研究を行おうとしたら、何を用意すべきか。
 この問題だけでも、中々に手強いようだ。寄生体は、宿主の中に入る時、取り付く場所を、決めていると言われる。となれば、それを用意しなければ、研究を進めることが、できない。今回の場合も、詳細な研究が、進んでいないと疑われるのは、そんな事実があるからだ。だが、それが、的を射ているかは、定かではない。多くの細胞から成る、生物体の場合、それに感染する寄生体は、取り付く場所、特定の細胞が、必要となるのだ。では、それを探す為に、何が必要となるか。感染の仕組みとか、経路と言われるものを、明らかにしなければならない。これまで、話題にされたことから、それが、達成できているとは、考え難い状況にある。もし、これが事実なら、何とも危うい科学に、皆が頼っていることになる。こんな状況だと、知った上で、別の寄生体の話を、見てみよう。単細胞生物である、細菌にも、寄生するウイルスが、知られている。名前は違うが、同じ仕組みで、細菌に取り付き、感染した細菌は、死滅する。その寄生体は、バクテリオファージと呼ばれ、動物ウイルス同様に、DNAをもつものも、RNAをもつものも居る。但し、こちらでは、たった一種類の細胞が、対象となるから、研究は、格段に進められてきた。その結果、ウイルス粒子には、感染細菌を、死滅させるものと、そうでないものが、あるのではないか、と推測される。詳細は省くが、pfuという単位は、死滅させる粒子数を表し、ウイルス粒子数と同義ではない。話題とされる、自滅ウイルスは、こんな技術で、暴けるかも知れない。がしかし、今話題のものは、相手が分からず、調べ方も分からない。未熟なのだ。

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12月6日(月)−不注意

 暫く前に、昭和史、中でも戦争史を、著した作家の、最後の著作について、読んだ本に関連して、取り上げた。末節とは、言い過ぎとはいえ、汚したように、感じられた内容だったからだ。その同じ作家の、絵本の話題が、恐らく、開戦の記念日近くに、取り上げられた。
 公共放送は、こういう繋がりに、敏感な編集を、行っている。そちらは、最近、特に話題となる、「忘れない」という思いに、応えようとする意味で、重要とは思うが、内容に関しては、耳や目を疑いたくなることが、多いことが残念だ。この報道でも、テレビニュースで、伝えた内容には、かなり驚かされた。彼の言葉として、「絶対に負けない」と信じたことが、伝えられた上で、敗戦の焼け野原で、「絶対」が無いことを、痛感したことから、その言葉を二度と使わない、と誓ったとあり、それに続けて、「戦争だけは絶対に始めてはいけない」との朗読を、紹介していた。矛盾を感じたのは、言うまでも無い。ところが、後程、ネット検索したら、こんな記事が出てきた。記事内の動画は、まさに自分が視聴したもので、上に書いた通りの展開だ。だが、記事では、異なる事実が、綴られている。「戦争だけは」との絵本の朗読の前に、「敢えて使って伝えたい」と記してあるのだ。その前置の大切さを、編集者は、感じなかったのだろうが、重大な過ちとなった。これは、映像や音声で、伝える内容と、文字で、伝える内容の違いを、如実に表していると思う。時間内に、要点だけを、という意図で編集したものでは、一部の割愛は、致し方無いとの判断を、行うけれども、そこで失われたものに、大きな意味があることがある。映像は、その場だけのもので、次々に、流れてしまうから、その意味に気付かぬ人には、大差無いものとなるが、文字での記事では、そうは行かぬ。だから、編集者も、注意深く仕上げるのだ。でも、この違いによる、というのは、言い訳にしかならない。

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