パンチの独り言

(12月20日〜12月26日)
(俯瞰する、愚者共、虚実混交、遠からず、実数は、空騒ぎ、根本理解)



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12月26日(日)−根本理解

 根本的な無理解が、招いた災禍が、世界を覆い尽くす。誰が悪いのかは、明明白白だが、それを許したのは、科学の先端を、担ってきた人々だろう。事実を、明らかにしようとせず、世界に注ぎ込まれる資金に、群がる姿には、学問を追い求める、真摯な態度は、微塵も無い。
 利潤を追求する企業が、飛び付いたことは、当然と見るべきだが、その片棒を担ぐ、世界機関と各国政府にも、不都合な事実を、掻き集めることも、解析することも、投げ出した上で、都合のいい筋書きで、嘘の芝居を、演じ続けるのは、彼らの任務は元より、人間としても、失格であることを、明らかにし続ける。その中で、騒ぎに巻き込まれ、悲惨な生活を、強いられる大衆は、それぞれに、生き延びる為の手立てを、講じている。だが、彼らの考え方も、ただ依存するだけで、行き着く先は、崖っぷちか、袋小路でしかない。誰もが、死を恐れるのも、当然のことだが、長く続く混乱でも、正しく考えることも、正しく見ることも、できないのでは、打開は望めない。窮したからと、文句を並べたとしても、問題を提起できなければ、無駄口にしかならない。報道機関は、本来なら、傍目八目よろしく、客観的な見解を、大衆に示す筈が、死への恐怖を煽り、権力に与し、企業に寄り添うのでは、無いも同然だろう。事実を探れば、危険性も見えてくる。だが、権力は、見向きもせず、大衆に寄り添う姿勢を、強調するばかりだ。これでは、解決の糸口さえ、見出せなくなる。薄まる危険性が、見え始めてしまい、逆に、規制を強めることで、危険回避を強調するのは、結末が見えたからこその、戦略に見えてくる。だが、このままでは、権利剥奪や、人権侵害など、様々な問題が、表面化するのは、明らかだ。知恵者の登場を、待ち望む声は、依然として大きいが、そんな人々に、目を向けようともしない、権力者達では、何も変えられそうにない。根本的な理解を、忘れてはならない。

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12月25日(土)−空騒ぎ

 脅しは、続いている。しかし、皆の反応は、鈍くなっている。理由は、簡単なことだ。死への恐怖が、伴わなければ、効果が激減する。その原因が、何処にあるのかについては、諸説芬芬だ。この所、話題にしたように、弱毒化した、もありそうだし、ワクチンの効果、もありそうだ。
 だが、昨日触れたように、恐怖の対象として、盛んに取り上げられた割に、実際には、大した致死率でないことが、明らかになりつつある。一方で、陽性者数が、激増していると伝えられ、そちらに、恐怖の目を、向けさせようとするが、そこには、接種者でも、避けられない、とある。但し、この点に関しては、当初から、不明確だったように、検査陽性にならずに済む、という効果は、全く謳われていない。だとすれば、ワクチンの効果は、別の部分にある。これも、初めから、言われたように、重症化を防ぐ、という点だろう。だが、今の論理は、破綻しているのではないか。つまり、陽性者が減らないので、追加接種が、必要となる、との論法だ。根拠は、抗体が、減少したからだと言われるが、初めから、そうならないとの話だったのでは、と思う人が多いだろう。だとしたら、何の目的で、なのか。重症化への懸念を、挙げる人もいるが、これも、現状では、通用しそうにない。激増中と、伝えられる国々では、死者数の増加が、伴っていない、と伝えられる。適当に、挙げただけでも、矛盾だらけであることが、明白になりつつある。検査も、接種も、業界の好景気を、支えるものだが、このまま、下火になっては、供給過剰となり、だぶついた挙げ句に、莫大な損失を、生じてしまう。だからこそ、全ての論法は、接種し続けることに、辿り着くのだ。一方で、騒動の大本山は、そろそろ幕引きのお触れを、出し始めた。兎に角、実態が伴わずとも、叫び続けてきたものの、流石に、これ以上は無理、となったのだろうか。でも、終わったの一言で、全てが片付く。その程度の騒ぎなのだ。

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12月24日(金)−実数は

 変異を繰り返すことで、高い感染力を、獲得する一方で、毒性が低下する、との解釈が示せる、との話を取り上げたが、この考え方には、根本的な誤りがある、と思われる。それまで、感染しなかった人が、感染したことから、感染力が増した、との考えが、まず間違いだ。
 この考え方では、病原体の性質だけを、考慮するが、全ての人間が、抵抗できずに、感染するのなら、その通りとなるが、現実には、免疫力の観点から、抵抗力を有する人が、ある割合居る、と考えるべきだろう。これこそが、毎回襲う波の大きさが、決まっていることに、結び付く。突然、急増し始めた、陽性者数が、また唐突に、減り始めるのは、総数が決まっており、グラフの面積が、それに当たるからだ。ただし、減少後も、散発するのは、漏れた人々が、感染の機会を得る、確率があるからだ。では、毒性の問題はどうか。こちらも、病原体ではなく、感染者の性質から、来るものと考えられる。今回の死者の多くが、過剰免疫反応を死因とすることから、その性質の有無が、決め手となる。だが、同種の病原体への反応は、ほぼ決まっているので、全集団中の割合は、既に決まっている。その中で、死者数が増え続ければ、生存者中の割合は、減少していく。結果として、死に至る人の数は減り、一見、病原体の毒性が、下がったように見える。浅はかな考えの、結果に過ぎない。百年程前の、スペイン風邪の被害も、同じ経過を辿っており、ある文献によれば、全人口の4分の1の感染者と、最大5千万人の死者が出た、とある。この国では、4割程の感染者と、38万人強の死者が出た。これに対して、今回は、現時点で、2.8億人弱の陽性者と、540万人の死者となっている。率で見れば、感染者は、25%と4%だが、前者は発症であり、後者は陽性である。死者は、1%弱から2.5%と0.08%弱だ。率は、所詮割合に過ぎず、自分が当てはまれば、別の話、と思う人もいるだろう。時代の違いは、医療体制や栄養状態の違いに、結び付く。だとしても、この数字、何と思えるか。でも、これだけに過ぎないのだ。

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12月23日(木)−遠からず

 証券社員を応援する、と掲げた場を、管理しているので、平日の早朝、経済番組を視聴するのは、当然だろう。株式や為替など、資産運用に関する情報を、日々伝える番組では、それらの数値や、今後の展望などと共に、出演者の見解が、示される。意外に、面白いのだ。
 死への恐怖を種に、騒動が、煽られる一方で、資産運用に精を出す人々にとり、今の世界は、千載一遇の機会を、与えるものとされる。先行きへの不安が、膨らむ中で、何故、経済状況が、上昇を続けるのか、不思議に思う人が、多いようだが、実態は、彼らの理解から、全く外れた所にある。ぼろ儲けを続ける、一部の製薬会社だけでなく、多くの産業が、騒ぎを他所に、好業績を出すのは、各国政府による、金のばら撒きにより、人々の懐が、豊かになったことが、最大の要因だろう。その意味では、不安を募らせ、安心を渇望する、一部の人と違い、金融業界の人々は、冷静な判断を下している。騒ぎの始まりで、様々な規制が、強いられる中、感染症の専門家を相手に、全く別の見方を示したのも、番組の出演者だった。別の番組だったが、彼の指摘に対し、世界機関に属する女性も、こちらの政府の代弁者たる人間も、反論の一つも、出せなかったのは、まさに、今の混乱を予感させた。今朝も、別の出演者が、変異により、感染力を高める一方で、弱毒化することが、収束に向かう要因、とスペイン風邪との比較から、指摘していた。やっと出てきた、との印象だが、内容は、不十分だろう。金融界の人々は、科学への理解が、不足していても、情報収集力と分析力から、経験的に、正しい判断を下してきた。この見解も、そこから生まれたが、真の理由は、別にあるのだ。変異株が、感染力を高めたように見えるのは、変異により、それまで抵抗できたのに、新たに感染する人が、増えただけで、弱毒化は、死に至る人は、集団から、既に除かれたからなのだ。科学的には、そう解釈される。

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12月22日(水)−虚実混交

 差別的な発言が、問題視されている。カタカナ語は、意味が伝わらず、無用と思うが、嫌悪を、露骨に出した言葉に、不快を越して、恐怖さえ催す。そんな行為の温床となるのが、皆が、端末から送り出す仕組みだ。今や、自動も含め、様々に、削除が行われている。
 匿名性が、こんな事態を招いた、との指摘が多いが、この場で、何度も否定したように、名乗らぬことが、これらの卑劣な行為を、招いた訳では無い。無責任な発言を、繰り返す人間は、名があろうが無かろうが、同じ過ちを、繰り返す。罪に問われるかには、少しだけ、時間の違いがあろうが、結果には、小さな違いしか無い。匿名で、独り言という形で、意見を出してきたのは、大切なことがある、と考えたからだが、一つの場所では、あまりにも小さく、多くの人々に、届けることはできない。そう考えたので、囀りという形で、繋げることで、訪問者が増えるのでは、と考えて始めたが、これもまた、空振りに終わった。そんな中、この馬鹿げた騒動が、起きてしまった。如何に、馬鹿げたものかは、これも、何度も指摘したから、これを読む人には、伝わっていると思う。もう少し、多くの人に、別の見方が、伝われば、と思う。一方、実名で掲げた方でも、屡々、発言を続けている。だが、こちらには、厳しい批判を、書けないままだ。特に、職場との関係を、考えていた頃は、強く感じていたが、今は、その結び付きが、絶えたので、気にせずとも、と思える筈だが、そうならないのは何故か。不思議な心情、なのかも知れない。実名の場では、当然ながら、既にあった友人関係が、継続している。それを、壊さぬように、との考えが、あるのかも知れないが、どうだろう。批判自体は、何度もしているし、問題点の指摘も、行っている。だが、その内容には、かなり大きな違いがある、と思える。実名だから、言えないのか、それとも。

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12月21日(火)−愚者共

 今回のワクチンの効果が、如何に怪しげなものか、何度も指摘してきた。だが、生産企業はもとより、彼らに与する、免疫学者や疫学者などによる、調査結果には、疑わしい点が、数々あることから、現時点では、真実を知ることは、不可能だ。だからこそ、暴走は続く。
 世界中が、騒動に巻き込まれ、死への恐怖を、募らせる中、救世主の登場は、諸手を挙げて、歓迎された。開発自体は、不可能と言われたものを、作り出したのだから、評価すべきだが、だからと言って、全幅の信頼に、値するかは別の話だ。当初、この国でも、接種を勧める為に、周囲への配慮を、前面に押し出して、国民性に沿った勧誘活動が、行われていた。だが、実態が、徐々に明らかになるにつれ、その的外れぶりが、露呈し始め、今では、その観点からの勧誘は、全く行われていない。何とならば、接種自体は、受けた人間の重症化を、抑える効果が、ある程度観察されるが、病原体を保持し、周囲に向けて、撒き散らすのでは、という懸念が、現実的になっており、集団免疫どころか、感染拡大の抑制さえ、覚束ない状況にある。これでは、保身の為の接種でしかなく、集団における、意義は、殆ど無くなっている。その状況を、如実に表す事態が、隣国で、起きたことが、当初伝えられたが、その後、全く報道されていない。感染の急拡大に、恐れをなした飲食店などが、接種証明保有者に対して、行なっていた特別待遇を、中止するとの話だが、今だに、接種証明の発行に、躍起となる、この国をはじめとする世界各国にとり、歓迎できない話だから、口を噤んでいるのだろう。塵と化した、報道機関は、自ら考えることを、とうの昔にやめており、操作された情報を、鵜呑みにして、垂れ流す役を、演じている。一部の機関は、権力に対して、盛んに、批判を強めるようだが、実態は、希薄な内容であり、核心を突くようなものには、程遠い状況にある。無意味どころか、見方によっては、害悪を撒き散らすものに、何故、皆で飛び付くのか、愚かでしかない。

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12月20日(月)−俯瞰する

 改めて、考えたいことがある。政策に関して、だ。杜撰で、役立たずと、盛んに、揶揄されるが、文句を並べる人々からは、何の対案も出てこず、議論の余地も無い。一方で、批判の的から、修正が加えられることもあるが、攻撃を躱すだけで、役立たずなままなのは、何故か。
 騒動が始められ、現場の逼迫度が、高まるにつれて、今回の感染症の分類が、実態にそぐわぬものとか、現場の混乱を、高めるだけとか、盛んに、非難されてきた。当初は、欧米各国から、甚大な被害が伝えられ、それを、未然に防ぐ為として、致死率が高く、感染性も非常に高い、 重大な病原体として、分類した。ところが、感染の広がりが、この分類に属す感染症より、遥かに大きいことから、現場の逼迫が高まり、検査の混乱も加わり、想定外の事態を、招いたと言われる。そこで、医療関係者からは、流行性感冒と、同様の類への移行が、訴えられていた。その声が、聞こえなくなったのは、実は、分類が、変えられていたからだが、指摘とは異なり、要点を何も変えないままに、別に移されただけで、現場対応には、何の変化も起きなかった。これが、政策の問題だ。制度を定める為、と称して、実際には、頑なさに縛られる。同じことは、患者収容に関しても、起きていた。補助金で、病床確保を、行なってきたが、実績ではなく、申請によるものだから、「幽霊」と揶揄される事態が、起きてしまった。合理性なら、治療への支援として、保険点数の改正により、例外措置を、行うこともできただろう。だが、そうしなかった。この状況は、以前取り上げた、法人税と給与の問題と、よく似ていると思う。今も、補助金による、支援制度が、策定されようとしている。だが、実態に目を向けず、狭量な考えに、拘るばかりでは、何も起こせない。政策において、肝要なことは何か、改めて考えるべき、と思う。

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