パンチの独り言

(2022年1月10日〜1月16日)
(改心か、力及ばず、役立たず、愚を重ねる、小手先、暴走抑止、未知より無知)



[独り言メインメニュー] [週ごと] [検索用] [最新号] [読んだ本]



1月16日(日)−未知より無知

 未だに、疑いは晴れていないが、まるで、科学空想小説の如く、皆の想像力は、感染症同様、広がるばかりだ。だが、小説のように、宇宙からでも、研究所からでも、何処から来たとしても、この筋書きでは、とても売れることは、無かったに違いない。滑稽小説でなければ。
 未知の病原体に、警戒することは、携わる人間にとって、当然のことだったが、一方で、日々もたらされる、数値に関して、過剰な警戒心ではなく、ごく冷静な態度で、取り組みべきだった。現場が、過剰とも思える体制で、慌てふためくのは、ある意味、仕方無いことだったが、遠く離れた部屋で、持ち込まれた数字と、取り組む人々は、感染の恐怖に、駆られていたとしても、現場同様である筈もなく、これまでの知識と、解析法を駆使して、状況判断を、下すべきだった。ところが、恐怖に駆られたのか、はたまた、大衆に恐怖を流布させようと、目論んだ為か、非常識で、非論理的な解釈を、何度も繰り返し、未知の病原体を、本来の姿とは、大きく異なる怪物に、変身させてしまった。数々の過ちが、重なることで、元の姿を、思い起こすことさえ、難しくした、専門家達の責任は、非常に重いものだが、未知なものを、過大評価させたのは、まさに、無知の仕業でしかなく、責任さえ果たせぬ、無能ぶりを発揮した、ということを、示しているのではないか。未知から無知、という流れを書こうと、準備をしていたら、そこに、新たな騒動が、流れ込んできた。南の島近くの、海底火山の大噴火が、報じられた時、津波の恐れにも、触れていたが、その後、危険が無いことが、発表されていた。ところが、真夜中近くに、各地に潮位上昇が起きると、突然、夜半過ぎの警報・注意報の発令となり、海岸近くの住民の避難が、暗い中、強いられることになった。早朝から、会見を開いたが、意味不明な説明は、言い訳にしか聞こえず、未知なことを、無知が、誤判断したとしか思えない。同じだ。

* * * * * * * *

1月15日(土)−暴走抑止

 命より大切なものは無い、という考えで、今回の長期に渡る騒動が、引き起こされた。それは、その通りだと、誰もが思う所だが、では、命の危険は、本当にあるのか。その点に関して、疑惑は膨らみ続ける。死者は、確かに、出ているが、他の疾患と比べ、異常な程か。
 だが、騒動の中心が、盛んに取り上げるように、多くの死者が、多くの国で、出ていた。当初、偽報道と、海の向こうの前大統領が、盛んに喧伝した如く、被害ばかりを、強調する姿勢が、批判されることは、無かったものの、実態が明らかになるにつれ、怪しげな情報操作が、行われたとの指摘も、数多く出ている。冷静に見れば、数字に現れた被害は、ある意味、日常的なものであり、致死性の感染症が、感染爆発を起こした、という話には、遠く及ばぬ状況でしかない。にも拘らず、引っ込みがつかない、世界機関や専門家達は、依然として、前言を翻すことも、自らの過ちを認めることも、その気さえ、無いようだ。元々、この病原体には、従来のものと、同程度の性質を、有していたと考えられる。だが、感染者の一部が、激症的な状況に陥り、死に瀕したことから、致死性との判断を、下してきたのだ。そこから、今も続く、厳しい規制が、各国で敷かれ、経済を含め、大衆への影響が広がった。感染症の影響より、規制による影響の方が、遥かに、悪質で大きかったことで、混乱が広がっただけでなく、一方で、変異を繰り返す病原体に、対応するより、恐れを成すだけの、専門家達の無知が、状況を悪化させてきた。その際たるものが、ワクチン接種の強制だろう。効果の精査より、期待だけを頼りに、決定することは、施政者として、あるまじきことに思えるが、多くの国の政府が、大真面目に取り上げ、実行に移そうとした。海の向こうでも、現大統領が、確かな根拠と称して、その方針を打ち出したが、裁判所が否定して、事無きを得た、と言われる。だが、暴走は、まだ続きそうだ。

* * * * * * * *

1月14日(金)−小手先

 先週取り上げた、彼の国の宰相と異なり、会見での冷静な対応から、就任当初は、大きな期待が、抱かれていたが、そろそろ、鍍金が剥がれた、と揶揄され始めた。所詮、官僚の作文を、読み上げるだけで、その政策が、どんな意図で、どう策定されたか、知る由も無い。
 本来なら、自分が関わる、全ての事柄に、精通するか、あるいは、説明を求めた上で、納得する必要があるが、急変する事態に、その暇が無い、とでもいうのだろう。明らかに、付け焼き刃でしかない方策を、恰も、確実な道筋の如く、淡々と会見する姿は、まさに、道化師の如く、と思える雰囲気がある。笑いを誘う為なら、そういう芝居も、必要だろうが、ここは、大真面目に啖呵を切る場面であり、あれ程までに、浅薄な内容を、演じる場ではなかった。傾向として、陽性者の急増が、明確となる中で、これまでの施策が、多くの矛盾を生じ始め、破綻を来している。だが、これは、この国に限ったことではなく、世界的傾向として、明らかなだけに、陽性者の隔離を含めた、規制の多くが、壁となっていることが、明白なのだ。世界機関が、警告を出した当初から、この事態は、ある程度予想できたが、幸いにして、感染力と呼ばれるものが、想定より低く、死者が増えても、病気そのものによるもので、医療体制の不備とは、ならずに済んだのだ。だが、今回の場合は、全く異なる様相を、呈している。死者は増えず、病気そのものの問題は、無くなりつつあるのに、体制の崩壊が、危惧されている。これは、飽く迄も、人為的なものであり、それを、根本から除くことが、最善の判断なのに、小手先の誤魔化しに、監督官庁や専門家は、走り始めた。その結果、従来の方策との矛盾が、強まるばかりとなり、論理の放棄が、またぞろ始まったのだ。それを、国民に報告する責任は、宰相にあるのだろう。だが、矛盾に気付けず、過ちを繰り返せば、人気の凋落は、勢いを増すだけだ。もう、気付けよ!

* * * * * * * *

1月13日(木)−愚を重ねる

 恥の上塗り、という言葉があるが、恥でなくとも、愚行を重ねれば、顔向けできなくなるのが、普通だろう。だが、世間が、愚かさを掲げ、突進する中では、互いの顔を見ず共、平気で居られるらしい。矛盾だらけの話も、実しやかに語られれば、何の綻びも見えぬ。
 この騒動が、完全に終息したら、恥も愚行も、他人事のように、猛批判されるだろう。何故、こんな簡単なことに、誰も、気付かなかったのか、などと、自らの不明を、恥じること無く、したり顔で、説く人々が、画面や紙面を、賑わすに違いない。だが、今からでも遅くは無い。現時点で、既に、破綻した論理を、指摘したらどうか。数値の蓄積から、最新とされる変異株の、性質が明らかとなるが、それに対しても、社会の混乱が、収まらないとの指摘がある。彼らの弁によれば、感染力が、非常に強いが、症状は総じて軽く、重症化の割合は、非常に低い。だが、陽性者数が多い為に、医療などの多くの現場で、従事者の不足が、深刻となっており、混乱が長期化する恐れが、考えられる、というのだ。この論理に、違和感があるのだが、気付いただろうか。だが、の前と後ろで、対象が異なるのだ。前は、病原体自体の話であり、感染力と重症化という、性質に関して、論じているが、後ろでは、不足となる理由が、陽性者の隔離など、人為的な措置が招く、事態について論じている。もし、前者が事実なら、後者の措置は、無用となる筈で、それを、一つの流れとして論じるには、明らかな齟齬がある。こんな妄言が、罷り通るのは、まさに思考停止が、起きているからだろう。一方、愚行を繰り返す、世界機関に至っては、感染流行に、警報を出した時とは、全く異なる基準や懸念を、持ち出しており、まさに、恥の上塗りの状況に、あることが明白だ。可能性を、論じることで、権威を示そうとしても、数値は、かけ離れていくばかり。これでは、見向きもされず、権威失墜は、確実となる。

* * * * * * * *

1月12日(水)−役立たず

 大学受験に向けて、最優秀な人々が、目指すのは、医学部と言われる。今の混乱から、その図式に、変化が起きるかもしれないが、それでも、物事を覚える能力の、高い人が目指す場所には、変わりが無い。入学時だけでなく、卒業時にも、同じ能力を、測られるからだ。
 国家試験と呼ばれるものは、在学の6年間に、学んだ専門知識を、問われる。当然、何かを調べる能力や、状況を判断する能力ではなく、記憶力が、試されるのだ。頭を使う能力の一つとして、記憶があるのは確かだが、社会に出て、様々な場面に、出会してみると、調べたり、判断したりする能力の方が、遥かに、重要であることに、気付かされる。そう思って、医師の様子を、窺ってみると、確かに、色々なことを覚えていて、その説明をしてくれるが、こちらが、少し違うことを、尋ねてみると、様子が変わることがある。覚えていないことに、対応できないようだ。全ての医師が、そんな訳ではなく、どんなことを、尋ねても、何かしらの見解を、示してくれる人も居る。だが、最近、画面に現れる、医師や医学者には、前者のようだとしか、思えない人が、余りにも多いことに、気付かされる。現場で活躍する専門家として、様々な質問に、答えていた人が、自己矛盾を、生じているのに、画面の他の人々が、全く気付かないことに、呆れたことも、度々あるし、医師会なる組織の、代表たる人間が、非論理的な見解を、会見で話したことも、数え切れぬ程ある。検査を、自分でできるようになったので、陰性を確認して、外出すればいい、などと宣うのでは、何のつもりかと思う。所詮、組織の代表は、別の能力で、手に入れた地位に過ぎず、専門職の能力とは、無関係なのだ。だとしても、画面に登場するのは、そんな非常識な代表ばかりでは、困ったものだ。責任と称して、無責任極まる発言を、繰り返す人々に、目を向けるのは、止めるべきだろう。

* * * * * * * *

1月11日(火)−力及ばず

 辞書を繙くと、批評を交えた伝記、とあるのだが、先日読んだ本は、その価値を見出せぬ、ものだった。引退間近の宰相を、女性初や東側出身、という特徴を捉えて、その功績を称える一方で、任期の終わりが、近づくに連れて、犯した過ちを、糾弾するものだった。
 最大の問題は、生前伝記なのに、本人の弁は、公式発言以外に、殆ど記されず、伝聞や推測でしか、ないことばかり、だったということだ。就任後から、任期全体の半ば位までは、高い評価を、受けていた人物だけに、期待して読んだが、落胆させられた。彼女の存在は、女性であることに、最も強い光が当てられ、合併によって、閉鎖社会から、自由社会に、移り住んだ人物、という点に、注目されることは少ない。だが、過ちの一つとして、取り上げられる移民問題には、彼女特有の経験が、強く反映されていたに違いない。合併直前、西側では、東からの流入を、懸念する声が、高まっていた。その冷たい視線を、意識しながら、宰相の地位を得たことは、強い反対を受けた、移民政策の基盤となり、あの地域での排他主義への移行と、真っ向に対決するものとなった。合理的な考えで、移民の必要性を、説いたとしても、大勢は決しており、聞く耳を持たぬ大衆が、離れるきっかけとなった。もう一つの過ちは、原発廃止の決定であり、危険回避の問題ではなく、それにより、東側の大国に、燃料依存することになった問題だ。政治的な均衡は、今も、危うい状況にあるが、その対抗措置として、使える駒を、自ら手放す行為に、不信が広がったのは、当然のことだろう。だが、本人の意図は、別の所にありそうだ。ここでも、何度も指摘したが、原発事故直後に、極端な意見を表明したのは、彼女と同じ分野の研究者達で、物の理を究めても、表面しか捉えられぬ、視野の狭さが、目立っていた。合理的とはいえ、その理屈が、浅い所に留まっては、所詮、この程度のものだ。感染症も、似たものだった。

* * * * * * * *

1月10日(月)−改心か

 簡単にできることに、手をつけるばかりで、難しい判断は、投げ出してしまう。知恵も権力も無い、大衆ならば、致し方なし、と片付けることも、可能だろうが、国の行く末を、決める立場にあり、重い責任を負う人々が、そんなことを繰り返すのでは、お手上げだ。
 これまでに、世界で続いた被害を、冷静に分析すれば、様々なことが、見えてくるだろう。だが、肝心の人々は、精査が必要と繰り返すだけで、結果を提示することが無い。今回の騒動は、人の愚かさを、際立たせてきたが、愚民と雖も、何も変えようとしない、権力者達に、呆れ始めている。当初から、無理筋としか、思えぬ判断を、下し続けているが、根本の方針さえ、変えようとしないのでは、何も変わらない。特に、呆れ果てたのは、権力にあった人々の、変心ぶりだ。騒動の始まりで、暴挙としか思えぬ判断を、下した挙げ句に、現場に、混乱を起こしただけでなく、品不足への対応として、緊急物資の供給に走り、大量余剰という、負の遺産を遺した、元宰相は、今では、正反対の主張を、繰り返している、と伝えられる。保身という、得意技を、盛んに繰り返すが、元々、論理を駆使できず、馬脚を現すばかりでは、百害あって一利なし、でしかない。同様に、前回の選挙で、落選した元代議士も、その途端に、所属していた政権与党に、反旗を翻し、批判を盛んに繰り返す。情報提供として、重要な立場を、示しているようだが、退陣や落選が、変心のきっかけになったとは、信じ難い。立場により、責任により、心にも無い発言や決断を、することに対して、大衆は、どう感じるだろうか。手軽な発信源が、使える時代特有の、状況なのかも知れないが、実際には、心の持ち様の方が、遥かに重要と思える。ここで挙げた二つの例は、嘘吐きの典型とも思える。政に携わる人間の常、となっては困ったものだ。

(since 2002/4/3)