パンチの独り言

(2022年1月24日〜1月30日)
(不公平、整合性、失格か、失策、投了、決断せよ、論理解決)



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1月30日(日)−論理解決

 固執する訳ではないが、世の中に溢れる、数々の問題も、論理的思考で、片付くと思っている。感染症は、勿論のこと、それに伴い、問題化し始めた、経済に関しても、同じだ。冷静な分析と、それに基づく、確実な解決策を、講じていけば、大抵の問題は、片付くものだ。
 だが、世の中は、それ程簡単では無い、と思う人が多い。騙され続ける人々は、感染症の作られた騒動に、何度も振り回され、脅し文句が、掲げられた途端に、不安に苛まれる。亡くなった人は、ある意味、運命でしかないが、その他の人々は、これまでに、毎年罹った風邪と、変わらない症状で済み、おそらく、大部分の人は、そんな症状さえ、感じなかったろう。にも拘らず、波が襲う度に、不安を煽られると、心穏やかには居られない。大きな数字や割合に、感情を揺さぶられるが、その実、細工を施しただけで、実態は、恐れる程ではない。同じように、経済の問題も、非論理的な言説に、惑わされており、実態さえ、掴めない状況に、追い込まれている。連日、感染症に関して、欺瞞の数々を、指摘してきたので、ここでは、経済問題を、取り上げてみる。もっとお金が欲しい、と願うのは、人間の性だが、どれだけあれば、十分なのか。その観点から、大富豪は、全て無駄金を、貯め込んでいる。社会全体で考えれば、その還元により、ずっと快適な環境が、築けるのに、だ。余剰金は、課税という形で、取り戻せばいい。なのに、何故、こんな簡単なことが、起こせないのか。政治家が、人気取りに、減税を謳い、制度を蔑ろにしているからだ。人が、不安や心配を、抱くのは当然だが、その殆どが、非論理的な思考による、と考えれば、まずは、論理を優先させ、社会制度も、冷静な判断で、築いていけば、簡単に解決する。資本主義とて、暴利を貪る為のものでなく、社会全体で、享受する為のものとすれば、何の問題も起きない。そうなれば、成長ではなく、停滞さえも、受け容れられる。

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1月29日(土)−決断せよ

 この国の政府は、小手先の誤魔化しで、国民を愚弄し続け、報道機関は、それを、徹底糾弾してきた。ところが、今回の騒動では、他の多くの国々さえ、同様の愚かさに、溺れる始末で、肝心の報道でさえ、その任を見失っている。どうしたことか。死への恐怖からなのか。
 何度も繰り返すように、恐怖に打ち勝つのは、簡単なことでは無い。しかし、強弁を繰り返す、愚かな人々の言説を、打ち砕くことは、難しくは無い。そこに必要なのは、勇気ではなく、冷静さだけだ。世界全体を、覆う馬鹿げた空気を、吸い込んだとしても、違和感を抱くだけの、判断力さえ失わねば、愚論の数々は、容易く打ち破れる。徐々に、制限を緩和する、という小手先で、状況の悪化を、食い止めようとする動きは、最近、盛んに喧伝されるが、その実、何の役にも立たぬことに、気付かされる。このまま、緩和を続ければ、制限を解除するしかなく、何の為の制限か、根本から覆さねばならない。論理に走る、西洋の幾つかの国々では、その兆しが見え始め、決断の時、といった空気が流れるが、その実、取り除かねばならない項目の、幾つかを放置したままで、片手落ちの感が、否めない。だが、それでも、この国の迷走ぶりよりは、ずっとましな展開を、見せ始めている。小手先の繰り返しは、単に、自らの不明を露呈し、立場を苦しくするだけで、信頼の失墜が、訪れることは、ほぼ確実となる。にも拘らず、以前の失敗を、認めることを避け、別の誤魔化しで、置き換えようとするのは、まさに、愚の骨頂だ。制限の緩和しか、問題解決の手立てが、見出せないとしたら、制限解除こそが、決定打となる。その為には、制限を課す元凶を、取り除くしか方法は無い。つまり、隔離をはじめとする、多くの規制を敷いた、感染症分類を、改めるしか、方法は無いのだ。そうなれば、当然、隔離だけでなく、接種制限も、都市封鎖などの措置も、全て、廃されることとなる。騒動前に戻る訳だ。

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1月28日(金)−投了

 手詰まり、なのだと思う。あらゆる手立てを講じても、拡大を止めることも、緩めることもできず、お手上げ状況にある。それどころか、自らが課した手続きさえ、覚束なくなり、異常を感じた人も、陽性となった人の周囲で、可能性の高い人も、自分で判断せよと言う。
 感染拡大を、食い止める為として、検査を優先する施策は、世界各地で、当然のことの如く、行われてきた。その結果、何が起きたのか。何も起きなかったのだ。食い止めることもできず、ただ、呆然と、日々報告される数字を、眺めるだけとなった。更に、事態を深刻としたのは、救世主の筈だった、ワクチンの効果が、目論見とは全く異なり、状況を悪化させたことだ。感染を防ぐ為の、免疫医療と思われたが、検査の結果は、全く異なり、陽性者が続出すると、重症化を防ぐという効果に、注目を移したが、それとて、どの程度のものか、知れたものではない。もっと酷いのは、効果の持続が、期待通りでなく、何度も接種し続ける必要が、後出しで、伝えられたことだ。これらの繰り返しが、手詰まりの状況を招き、どの国の政府も、戸惑うばかりとなる。一つの勢力は、もう、これで十分と、打ち切りを匂わせ、もう一方では、接種強制など、更なる圧力に、期待を寄せる。所詮、始まりから、誤っていたのだ。死への恐怖は、作り出されたものであり、一部の該当者以外には、単なる風邪でしかないものを、大仰に扱った末に、この混乱が続けられる。制圧が可能との考えも、愚かな人間の浅知恵に過ぎず、打つ手無し、といった感覚が、満ちている。隔離を必須とする、思い込みから始まる過ちは、ここに来て、大いなる反省と共に、打ち消されるべきだ。治療こそが、必須であり、症状を観察した上で、対処するという、従来からの医療の姿勢こそが、重要なのだ。肝心なことを、忘れたままで、愚行を繰り返すのは、何の益も無いことに、気がつかなければ、彼らは、排除されるしか無い。

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1月27日(木)−失策

 様々な「初」が、当てはまると言われた、女性宰相が、退いたのは、あの国をはじめとして、世界が、感染症の恐怖に、巻き込まれたまま、解決の糸口が、見出せない最中だった。彼女の手腕が、高く評価されたのは、内政のみならず、外交で発揮した能力だった。
 それにより、国の経済は、好調を続けたが、今回の騒動では、明らかに操縦を誤った。だが、それ以前に、彼女の能力に、綻びが見えていた。こちらで起きた大震災から、発電方式の問題が、世界的に注目された時、彼女の決断は、その方式との決別だった。だが、電力不足は、その方式を維持し続ける、隣国に頼り、燃料不足は、嘗て、自分の国が支配されていた、別の政治体制の、大国に頼ることとなり、今や、二番手を走る、別の大国との、異様な関係も相俟って、外交関係の不安定化が、大きな問題となっていた。そこに、持ち込まれたのが、感染症の作られた騒動だが、翳りの見える政治能力では、期待された対応には、程遠い状況しか、作れなかった。ただ、学問に携わることで、築かれた能力も、理論物理の分野では、実社会の多種多様な問題に、取り組むには、不十分だったろう。今では、跡を継いだ政府が、騒動に対して、定まらぬ方向に、迷走を続けている。接種を繰り返せば、危機を脱することができる、という戦略は、当初の接種を救世主と目し、社会全体の秩序が、回復できるとした話が、感染の広がりを止められず、却って、逆効果とさえ思える、結果の数々を、世界各地で生じたことで、脆くも崩れた。にも拘らず、またぞろ、接種強制を、法案として提出する暴挙には、論理の欠片も無く、自己矛盾しか、感じられない。既に、破綻した接種に関する論理も、関係者からは、言い訳じみた言説が、噴出する始末に、世間の人々は、辟易としている。そこに、国を挙げての動きは、まさに、異常としか映らない。他山の石として、自分達の進むべき方向を、考えるべきだ。

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1月26日(水)−失格か

 就任当初は、かなりの期待で、迎えられていた。その後も、支持率は高く、信頼を得たとも思える。だが、その言動は、一貫性に乏しく、原稿読みが続くと、何を考えているのか、と訝る向きも居るだろう。確かに、批判が起きた途端に、前言撤回するなど、不安定に思える。
 特に、気になったのは、多くの問題に取り組む中、検討するとの回答を、行うのは当然として、その目処が、何故、半年後という遥か先になるのか、という点だ。喫緊の課題、という常套句を発しても、検討自体に、数カ月を要する、と聞いたら、誰もが、驚くのではないか。その中に、精査するという付句が、施されているから、その為と、好意的に受け取る人が、居るかもしれないが、これまでに、度々指摘したように、日々集められたデータは、とうの昔に、積み上がっている。それに、取り組むことを、改めて、始めようとしているとしたら、余りに馬鹿げたことだ。流石に、動きの鈍い最前線でも、少しは、進めているに違いない。だとしたら、何故、あの宰相は、半年後に拘るのか。その答えの一つが、朝の経済番組で、語られた。保険会社の研究所に属する、その人物は、ここで何度か取り上げたように、重要な視点を、示している。感染症で、死亡する人より、それを発端とする経済困窮から、自殺する人の数の方が、遥かに多いだろう、と指摘することで、世界機関の女性幹部も、政府の委員会の重鎮も、押し黙っていた。今回の視点は、次の選挙が、その時期を表しており、それまで、何も動かず、何もしないことが、選挙結果を、確かなものとする為に、必要という訳だ。もし、そうだとしたら、何と人を馬鹿にした話か。一度得た地位を、守ろうとするしかない、卑怯者でしかない。やっと手にしたものを、そう簡単には、手放せない。ということが、最優先だとしたら、人間失格でしかない。確かに、金のばら撒きを決めた時、猛批判に晒されたから、二度と御免だとしても。

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1月25日(火)−整合性

 芸人は、所詮、芝居という芸を、するだけだ。激論を交わしても、突飛な意見を発しても、それらは、筋書き通りなのだ。辞めるとなり、突然、筋違いの話を、始めたとしても、所詮、筋書きに沿うもの、司会者が、慌てた振りをしても、台本にある通りの反応なのだ。
 科学の世界に、こんな過ちが、持ち込まれてしまい、世の中は、酷いものとなった。筋違いの話を、し始める学者達は、不都合として、2度と呼ばれず、録画なら、全て削除される。守銭奴と化した、偽物達が、したり顔で登場し、嘘を撒き散らす。学問の荒廃は、このような形で、始まったのだが、今、その勢いを、増させているのは、科学者本人だろう。先日も、実名で開いたSNSに、投稿された、有名大学の学長を務めたこともある、ある人物の記事は、ある新聞記事を基に、持論を展開したものだった。だが、新聞記事そのものが、陽性者の増減に関して、取り上げた3つの地域のうち、論旨に見合う追加接種率を、示したものは2つだけだし、他の国との比較も、主張と異なっている。これは、同じ新聞社が、設置するデータサイトから、明白なだけに、自己矛盾の最たるものとなる。そのことは、科学の営みにおいて、最重要となる、論理性から逸脱する。そんな記事を、ワクチン接種と関わる、免疫学を専門とする人物が、引き合いに出して、持論を展開するなど、まさに、噴飯物でしかない。学問の荒廃を、危惧する立場から、この問題を、特に取り上げたいのは、彼の友達が、賛同を示すことだ。論理の整合性は、それを、主張する人物が、仲間かどうかに関わらず、確かめる必要がある。それこそが、科学の発展を、導いたものであり、互いに、先入観無しに、議論を戦わせてこそ、意味あるものとなる。地位を得て、それにしがみついた結果、最も大切なものを、捨てた人々に、期待はできない。だからこそ、外からでも、批判を続けることが、必要と考えるのだ。

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1月24日(月)−不公平

 情報社会と呼ばれ、人々が、新たな情報を、手に入れようと、努力している。だが、仕組みが整備され、誰もが、あらゆる情報に、接続することが、できるようになると、何が起きただろう。種種雑多な情報が、氾濫する中、戸惑いが広がっただけ、となったようだ。
 以前なら、権威あるとか、信頼できるとか、そんな言葉を、付け加えた上で、大きな情報源が、確実な情報を、提供しようと努力していた。だが、情報源が、乱立し始めると、そんな手間は、省かれてしまい、情報の受け手が、真偽を判断し、取捨選択することが、必要となった。まさに、玉石混交の状況だが、それに対して、審美眼の訓練は、殆ど為されていない。その結果、嘘や欺瞞に、振り回される事態が、世界中で起きており、後手に回るが、法的措置が下される、事例も多く出ている。だが、その場での判断が、必要となる場合、本人が、先手を打つしか、被害を避ける方法は無い。批判という言葉を、忌み嫌う人が、多いようだが、真偽を見分ける為には、まず、批判的な見方を、身に付ける必要がある。一方、情報源が乱立する中、それまでの地位を、失いつつある大規模な組織は、今や、マスゴミなどと揶揄され、信頼性が失われたままだ。特に、今回の騒動では、専門家として、起用してきた人物達が、その多くが、まるで役立たずで、詐欺師の如く、嘘や出鱈目を、振り撒くのだから、始末におえない。だが、市民への情報の流れで、これらの機関は、相変わらず、優位な立場にあり、それを活かして、騒動を広げ続けている。その中で、専門家どころか、芸人と呼ばれる人々が、俄評論家と化し、世論を惑わすのは、唾棄すべき行為、と映る。元知事の芸人は、政治家然とした語り口で、偏った情報を、垂れ流し続けるし、本職の漫才を、殆どやらない芸人も、持論を展開し続ける。ネット上には、もっと真摯な意見が、流れているのに、そちらには、目が向けられない。困ったもんだ。

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