パンチの独り言

(2022年2月14日〜2月20日)
(陰に籠る、詭弁、過誤、舌禍、真っ平御免、出口の先、傲慢潰滅)



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2月20日(日)−傲慢潰滅

 人間の傲慢さを、感じる機会は、数え切れぬ程ある。お前もだろう、という言葉は、これもまた、よく聞く話だが、誰もが、自分と異なる意見に、接すると、そこに理不尽さを感じ、傲慢だと思うのだ。何かを、主張すれば、他人からは、身勝手な意見と、受け取られる。
 だが、実際には、その殆どが、理解不足から来る。それに合わせて、根底にあるのは、傲慢を感じる人の多くが、自身の身勝手を、棚上げしていることにある。だからこそ、何度も、強調しているように、論理性を重視し、それを基準に、測る必要が、あるのだ。そう見てくると、今回の感染症騒動は、まさに、傲慢さの現れ、と思える。発生源と目された国、当初から続く、方策の数々は、抑え込める、との見通しの上に立ち、その力を、誇示している。だが、あの手の国の特徴として、不利な情報は、全て排除され、無いこととされるから、信頼性は、全く無いに等しい。その観点から、眺めてみれば、根絶を謳ったとしても、散発する発生に、その解釈が、的外れであることが解る。一方、世界機関では、次々と、指針を出すことで、感染拡大を、抑え込むことが、可能であるかの如く、振る舞っているが、ここまで続く混乱は、その目論見が、脆くも崩れたことを、如実に、表している。それに従い、都市封鎖をはじめとする、抑制策を講じた国々の政府も、同様に、自らの力を、過大評価した挙句、失敗は、市民の暴走による、などと言い訳するのは、恥ずべき行為と言える。そこでも、専門家と呼ばれる人々が、的外れな指摘を、繰り返すことで、政府や市民を、混乱に陥れてきた。これもまた、過信という、傲慢さの現れで、これら全ての人々は、自らの不明を詫び、舞台から降りるか、あるいは、数々の過ちを、正す必要がある。それが無ければ、まさに、傲慢な人々の、傲慢な行為の果てに、世界中の人々が、奈落の底に、落とされてしまう。この状況では、害悪を、抹殺するしかないようだ。

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2月19日(土)−出口の先

 もう、信頼も評判も、地に堕ちてから、8ヶ月経過した。祭典は、国が始まって以来、最悪の災厄を招く、として、中止も止む無し、とばかりに、声を荒げたが、彼の主張には、論理の欠片も無く、遂には、国民の共感を、得るしかないと、心理戦に、挑んだ。
 だが、政府にも、国民にも、裏切られたまま、祭典は、粛々と開催された。その上、災厄は、言葉通りには、起きなかった。となれば、長を、辞すると思われたが、利権の魅力が、上回ったのだろう。何事も、無かったかの如く、平然と、役目を続けてきた。あれ以来、不信感は、強まり続け、一方で、政府との関係は、希薄なものとなった。なのに、何故、同じ地位に、居座るのか、という疑問や、何故、同じ人物を、起用し続けるのか、という疑問が、飛び出てくるが、代わりが居なければ、どうにもならぬ。その後も、非論理的な説明に、終始する姿は、孤立感を、強めるばかりで、そこに、恥の上塗りの如くの、言動が重なれば、悲惨にも見えた。だが、役立たずは、あくまでも役立たずだ。今度は、「出口戦略」という言葉を、持ち出してきた。先手必勝とばかり、報道陣相手に、持論を展開したが、そこには、彼の論理での「出口」はあっても、月並みな「出口」は、決して存在しない。扉を開けたら、そこには、別の窮屈な部屋が、あったというのでは、それは、「出口」ではなく、同じ建物の中の、別の部屋に過ぎない。それを、大事の如く、言い放つのだから、始末に負えない。当初は、気の良い老人、と受け止められたが、その実、利権を貪る、強欲爺でしかない。そんな人間と、同じく甘い汁を吸う、取り巻き共に、国は、どれ程の無駄金を、ばら撒いているのか。泡銭に群がるのは、その他大勢の、専門家を自称する、ハイエナ共も、同じことだ。本当の「出口」は、彼らと世界機関が、汁を吸うことを止めれば、すぐに開く。自ら、開くことは、無いのかも知れないが。

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2月18日(金)−真っ平御免

 懸念が、広がるばかり、と伝えられるが、当事国は、どんな思いなのか。侵攻をする側と、される側では、全く立場が異なり、主導権を握る側が、全てを決めるのだろう。だが、この騒動も、世界の国々が、様々に関わり始め、この国も、遅ればせながら、口を出したようだ。
 この経緯を眺めるに、昔、教科書で読んだ、先の大戦の始まりにおける、この国の軍部の関わりを、思い出す。それに加えて、教科書では、触れられなかった、当時の思惑、背景などの情報から、今回の成り行きを、眺めていると、よく似た状況が、できつつあることが、判ってくる。だが、そうだとしても、本当に、あの国は、戦争を始めたい、と思っているのか。と言うか、あの国の場合、先の大戦での関わりから、嘘吐きの国、としか思っていない、こちら側の見方は、かなり錯綜している。それは、他の西側各国も、同様だろう。疑心暗鬼に陥り、今にも、強硬手段に出る、との発言を、海の向こうの大統領が、きっぱりと行うなど、状況が、好転する気配は、一切見えていない。それでも、事前に、圧力行使を、明示することにより、抑制効果を、描いているが、さて、これもまた、先の大戦に、この国が突入した時と、余り変わらないように、見えてくる。要するに、様々な制裁は、受ける側が、どの程度深刻に、考えるかにより、その効果の程が、大きく異なってくる。いつまでも、武器の誇示を、止めようとしない独裁国は、余りに幼稚な存在だが、今の関わりは、核大国同士の睨み合いだ。爆破事件を、軍部が仕掛けることで、開戦の口実を、作り上げたとされる、あの流れと、よく似た状況が、起こされつつある。それを眺めて、さて、我々は、何を考えるべきなのか。おそらく、何の手立ても、持ち得ないだろう。ただ、傍観するしか、庶民にできることは、無いのだ。人間が、作り出す災厄は、次々、民衆に襲いかかる。戦争だろうが、病気だろうが、御免蒙る。

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2月17日(木)−舌禍

 以前から、盛んに指摘されたのに、何度も、同じことが繰り返される。その事例は、数え切れぬ程あるが、中でも、人々の注目を浴びることに、ある世界的科学賞の、受賞者の扱いがある。素晴らしい業績を、上げたからこそ、受賞の栄誉を、勝ち得たのだが、それ以外には、さて。
 確かに、ある専門分野で、輝かしい業績を上げ、それが、世界的な評価を得た、という事実には、何の疑いも無い。だが、その人物が、あらゆる面で、優れた人間か、という点に関しては、疑わしい面がある。世間では、専門馬鹿などと、揶揄されることも、度々あるが、それとて、中途半端な才能では、やむを得ない、と見る向きもあり、世界の頂点であれば、話は別、と考えるらしい。だが、見解を求めても、月並みな答えしか、返ってこなかったり、余りにも、荒唐無稽な答えに、質問者が、反応に窮してしまったり、枚挙に遑がない程だ。国内に比べれば、海外では、そんな扱いは少なく、同じ人間とでも、言う程度のものとなる。何故、こんなことが起きるのか、簡単には、憧れの一つを、手に入れた人間を、崇め奉るから、と言われる。だが、それも、長い歴史の中、徐々に、状況の変化が起きてきた。一般企業の研究者が、受賞した時は、ほぼ全ての、その手の質問が、拒否されたから、取り付く島無し、となった。一方で、最近の受賞者の中には、聞かれずとも、自分から、様々に動き回り、目立つことも、厭わない態度が、新鮮に思えた。だが、今回の騒動では、その動き方が、物議を醸しだし、様々な批判を、浴び続けていた。同じ医学とは言え、専門外の問題に、素人考えで、取り組んだ姿勢は、とても褒められるものではなく、庶民でさえ、気付く間違いを、何度も繰り返した。新しい、受賞者の姿と言われ、称賛を浴びた時とは、大きく異なる世論に、本人も、流石に気付いたのか、今では、この話題には、口を閉ざしている。それ程に、被害甚大となったのだろう。口は災いの元だ。

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2月16日(水)−過誤

 人間は、誰しも、自らの過ちを、認めたくないものだ。何度、失敗を重ねても、それを、過ちと認めねば、威厳は保てる、とでも思うのだろう。個人的なことなら、それはそれで、構わないものだ。被害も、損害も、自ら招いたもので、その責任も、自分で被るのだから。
 だが、多くの人の生活や命を、預かる身としては、どうだろうか。緊急事態として、決断を迫られた時、皆が向かう方に、針路を定めたのは、ある意味、当然のことであり、別の意味で、責任ある行動だったろう。だが、その時期でさえ、北欧のある国では、全く別の決断を、下した。その後の流れで、悲惨な状況が、意図的に強調され、国王を含めて、多くの謝罪が、行われたが、結果は、全く別の方に進んでいった。自らの過ちを、認めたことで、何が起きたのか。確かに、強い批判が、社会全体を、覆ったのだが、その後の経過は、当初の判断が、誤りでなかったことを、徐々に、明らかとしていった。それに対して、同じ方に向かった多くの国では、明らかな過ちが、何度も犯されても、施政者達は、自らの過ちを、決して認めようとしない。その代わりに、彼らが行ってきたのは、小手先の、細々とした変更で、その言い訳として、当初から指摘された、問題点を、取り上げてきた。もし、それらの数々の問題点が、明らかとなったのなら、当初の判断を、明らかな過ちと認め、大幅な変更を、余儀なくされる筈が、小さな変更で、批判の矛先を、躱すことを繰り返す。人間の行動として、止むを得ないもの、とされる様式だが、それが招く混乱は、甚大なものであり、それが繰り返されることで、被害は、更に広がってしまう。この国だけでなく、他の国でも、今でも続く愚行は、一向に、収まる気配を見せない。認めたくない人々が、変心することは、決してないだろう。それは、国の単位でも、より小さな政府の単位でも、また、大きな世界機関でも、だ。

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2月15日(火)−詭弁

 詐欺師の典型は、嘘に嘘を重ねることで、発覚するまで、その道を、突き進むことだろう。さて、そう考えるとして、今、世の中を見渡して、ぴたりと当てはまることが、思い付く。感染症騒動の、渦中の人物達で、当初と変わらぬ主張や、ああ言えばこう言うの、人々だ。
 感染症の専門家として、見識を並べるが、根拠薄弱に、陥りそうになると、所属大学の病院に、取材させて、現場の混乱の極みを、表明させる。これでは、まさに、マッチポンプの典型であり、一度掴んだ金蔓を、手放そうとしない、詐欺師の権化に、思えてくる。一方、政府の枢要な委員会の、長として、公的な立場からの発言を、繰り返す人物は、当初、大店の番頭の如く、主人を支える姿勢を見せ、言動の柔らかさから、人望を集めていたが、主人になった途端に、意味不明な発言が、増えたことは、よく知られる所だ。彼の属する機構も、怪しげな運営が、なされており、厳しい批判記事が、半年程前に、出されていた。そちらも、甘い汁を吸う、詐欺師に見えるが、最近の、国会委員会での発言も、嘘つき、詐欺師といった感を、強めるものとなった。この報道は、いつまで掲示されるか、よく分からないが、映像の開始15秒あたりから始まる、答弁の中で、「重症化しやすい人を早く検査して早く治療につなげる」と発言したことに対し、お偉い先生方は、全く気付きもしなかったようだ。現状では、検査は、陽性者を見つける、唯一の手立てとして、日々、莫大な数が、行われている。当初の封じ込めが、全く機能しなかったことから、この無駄は、直ぐにでも、廃止すべきと思うが、一向に、その気配さえ、見えてこない。その原因の一つに、この人物の、懲りない発言の如く、一度、取り憑かれた考えから、脱することができない、無能ぶりが、専門家や監督官庁に、蔓延っているのだ。それにも増して、妄言と思えたのは、「重症化しやすい人」という表現で、何の基準も無く、何の手立ても無いままに、無責任発言を続ける、悪質な詐欺師の典型なのだ。

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2月14日(月)−陰に籠る

 政党内の選挙を経て、愈々、宰相になることが、確定した時、第一の懸念として、掲げられたのは、経済への不安だった。その一方で、経験豊かな、外交に関しては、期待を抱く人が、多かったと思う。だが、その後の展開は、予想外のもの、となっていった。得手不得手が、反転した。
 選挙での有利を、確定したとして、起用した参謀が、様々な問題の噴出により、政権の中枢から、落ちこぼれたことで、玉突きの如く、外交に当たる大臣の交代が、生じていた。その辺りから、外交への注力には、暗雲が垂れ込め始めた。一方で、苦手な面を、見せたくないとの意識からか、経済政策への、力の入れようは、それまでの状況とは、一変していった。だが、主体となる考えに、新鮮味は、殆ど無く、持ち出した税制の改革には、異議が唱えられていった。世の教育では、得意を伸ばすことが、効果的との評判が、高まる時代に、何故、苦手ばかりに、目を向けるのか、首を傾げる向きが、多いようだが、まさに、その展開となり、厳しい批判に、晒され続けている。中でも、外交問題は、感染症騒動との繋がりから、以前から、問題山積する中、鎖国政策と揶揄される、水際対策から、更に、厳しい状況に、陥り始めている。内向きの傾向が、強いと言われる、国民性から、外交の手腕への期待が、特に、大きかったと思うが、この動向は、その期待を、大きく裏切る結果へと、結びつきそうだ。留学に関する、国際情勢は、騒動が盛り上がった頃には、各国共、閉鎖政策を採り、交流が、妨げられていたものの、その多くが、喫緊の課題として、制限を緩和する中、相変わらずの水際対策を、選択したことには、見通しの甘さと、状況判断の誤りが、強く反映している。確かに、官僚達が、決める部分も、大きいのだろうが、この手の国策では、担当大臣と宰相の判断が、大きく影響する。その中で、情勢を見誤ったのは、悪手としか見えず、内向き姿勢の、表れと思える。

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