パンチの独り言

(2022年4月4日〜4月10日)
(負の遺産、虚実混交、開発劇、もうはまだ、絶好の機会、約束手形、無学)



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4月10日(日)−無学

 一つ覚えの如き対策の数々に、皆の反応は、鈍くなるばかりだ。これは、ある意味、当然のことで、これらの対策は、どれもこれも、何度も試され、その度に、基本的には、同じに見える推移を、辿るとなれば、毎回、効果を上げた、と見るより、無駄だった、と見る訳だ。
 無駄な検査も、変異株が、登場する度に、その有用性を訴えるが、その目的は、一体全体何なのか。既に、思考停止に陥り、ただ漫然と続けるのみ。これでは、庶民の関心は、離れて当然だろう。では、ワクチンはどうか。こちらも、何度も強調した通り、その役目や効果さえ、忘れ去ったが如く、次の接種の重要性が、取り沙汰される。だが、何の為か、正確に答えられる人は無く、当初の期待のまま、同じ考えを発するばかりだ。こちらも、痛い目に遭いつつ、協力してきた市民は、意義を認められず、次の機会に、加わる気持ちを、失いつつある。これらは、全て、一つ覚えに、拘った結果であり、誰の人生にも、大切とされる、経験からの学習が、微塵もないことが、民心が離れることの、理由と考えられる。一方、国際化という掛け声で、盛んに進められてきた、観光客の確保も、留学生の勧誘も、水際対策と呼ばれる、鎖国政策により、著しい制限が、掛けられている。こちらも、国内で流行するものとは、異なる病原体が、入ってくることを、防ぐという目的が、強調されてきたが、その効果の程は、説明通りにはならず、無駄とさえ、断じられている。やっと、重い腰を上げ、緩和に動いたとされるが、同時に、将来への不安を、盛んに喧伝して、次の制限を、予告する始末では、愚かさだけが、際立つこととなる。これら全てで、何処に、問題があるか。少し考えるだけで、論理の破綻が、露呈しており、合理性が、微塵も感じられない。その理由は、何の検証も行わずに、ただ、漫然と、同じことを繰り返すからだ。歴史に学ぶ、という戒めは、できないからこそ、何度も発せられる。

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4月9日(土)−約束手形

 我が意を得たり、とばかりに、雄弁に振る舞っても、世界情勢は、かなり不安定な状況にあり、盤石の体制とは、言えない。それに加え、不得手な政策には、元から、不安が付き纏う。特に、保健政策では、誰がやっても同じ、と思われるものの、長期となれば、綻びも目立つ。
 年が、明けた頃か、愚策の果てである、陽性者数の調査は、再び、増加の兆しを、見せ始めていた。次の対策、を期待する世論は、宰相の腹案を、探ろうとして、様々に問い掛けたが、一貫した回答は、精査の上での判断、というものだった。では、その結論は、何時頃出されるのか、との重ねての問いに、半年先の期限を、示したことは、迫り来る危機とは、余りに掛け離れた感覚に、諦めの声が、飛び交っていた。だが、危機そのものが、数字の上では、確かに訪れたものの、被害の程度は、またも、肩透かしとなり、空騒ぎで終わりかけている。となれば、騒動の主達は、既に、話題を変えて、次の波への備え、と称し始める始末である。懲りない奴等、と何度貶めればいいのか。と言うより、注視する価値は、初めから無く、今も、同様なのだ。それでも、もっと厳しい批判を、浴びせようとすれば、まさに、宰相が約束した、精査の上での判断が、固まった頃こそ、その機会となる。あと2ヶ月程待てば、細かな調査の結果が、手に入るのだから。と書いていても、おそらく、多くの人々は、何の期待も抱かず、諦めの境地だろう。空騒ぎならぬ、空手形は、政治家の得意とするもので、信頼に値せず、などと揶揄される。今回も、単なる時間稼ぎであり、出されたとしても、筋書き通りのものが、都合よく集められた数値で、語られるのみ、と思われている。確かに、政府筋の愚者達は、甘い汁を吸うことに、夢中となっており、不都合は、全て排している。精査も、人それぞれの解釈で、あらゆる面と、捉える向きもあれば、都合の良し悪しで、選別する向きもある。とはいえ、宰相の手腕に掛かっている。

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4月8日(金)−絶好の機会

 就任当初、内政への不安から、期待は低かった。特に、総裁選で、経済政策を中心に、展望を示し、その内容が、市場への悪影響を含んだことから、厳しい見方が広がった。保健政策では、大元の政府方針が、的外れであり、誰がやっても同じだったろうが。
 その後も、芳しい成果を上げられず、低迷へと、落ち込むように思われたが、そこに、思わぬ追い風が吹いた。他国の不幸を、幸いと見るのは、憚られることだが、軍事侵攻に始まる、国際情勢の急変は、宰相が得意とする、外交の重要性を、際立たせることとなり、国際的な評判に続き、国内の状況も、上昇基調へと変わった。被害者意識の高まりから、隣国への侵攻へと、踏み切った国に対し、西側と呼ばれる国々は、機構に属する国だけでなく、その他の国も、連携を強めており、その中でも、経済的な意味で、重要な位置を占めるだけに、大きな寄与が、期待されている。その中で、同調姿勢を示し、制裁についても、横並びに似た形で、実施したことは、評価を、高めることとなった。一部には、厳しい制裁が、自国の経済に、強い悪影響を及ぼすと、指摘する向きもあり、因果関係を、強調することで、体制批判を、繰り返す意見もあるが、全体としては、判断を、指示する意見が多い。人道的な見地も、軍事侵攻においては、攻め込んだ側に、不利な情勢に、傾くのも当然で、この点でも、支持率の向上に、働いたようだ。情報操作に関しても、種種雑多な意見が、飛び交っているが、基本的には、流れているものを、一つの事実として、扱う姿勢の方が、全体を俯瞰でき、判断の過ちを、犯さずに済むようだ。SNSに、取り憑かれた人々には、好き勝手に振る舞える、絶好の機会だろうが、無責任に、酔い痴れていては、自分を見失い、仮想空間どころか、現実社会での、地位を失うことへと、繋がるだろう。逆に、宰相にとり、現実社会の厳しさは、確実な道を、歩む機会を、与えてくれた。

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4月7日(木)−もうはまだ

 街に出てみると、人出が増しているように、見える。老若男女に関わらず、誰もが、春の穏やかな日を、楽しんでいる。例年なら、ごく当たり前の光景であり、日常でしかない。だが、現在進行形の騒動では、多くの人々が、毎日脅され、不安に苛まれる。それなのに、なのだ。
 動機は、それぞれに、違うかもしれない。しかし、殆どは、もういいだろう、という見込みを抱き、不安も抱きつつ、飛び出してきたのだろう。それ程に、騒動の心理的な圧力は、強大であり、打ち破ることは、容易ではなかった。だが、日々伝えられる数字に、専門家でさえ、意味を見出せず、ただ漫然と、恐怖を煽り続けるのでは、愚民と雖も、別の思いを抱く。多くの人々は、指示された通り、接種を受け、検査を受け、行動制限をも、受け入れてきた。その結果、今の状況となったが、何が、どう変化したのか、何も見えてこない。日々、同じ戯言を、鉄面皮の如く、発し続ける、政府委員の顔も、見飽きてしまい、耳を傾ける価値も、見つからない。数字の変化が、何を意味するのか、説明できる人間は、何処にも居ないことが、明白となり、見る価値さえ、認められない。その中で、自分がどうすべきか。考えてみると、苦肉の策かもしれないが、結局、自己判断で、決めるしかないことが、わかってくる。そこでは、自己責任は、当然のことであり、他人への責任は、負う必要が無いことも、当然となる。こんなに難しく考えずとも、騒動前と同じように、自分の好きなように、行動すれば良い訳だ。それは、時に、皆で動けば、という掛け声と同じとなる。そんな光景が、巷に戻りつつあることが、目の前の光景から、確かめられる。そこには、危険性が、全く無い、ということは決して無い。ただ、それは、騒動の前も最中も、同じことであり、特段、何かすべきことが、ある訳では無い。簡単なことが、許されるまでに、これ程の時間を要したのか。それとも、まだ、なのか。

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4月6日(水)−開発劇

 当初、不可能と断じ、期待してはならぬ、と独り言で、書いていた。それより、重要なことは、感染の仕組みを、明らかにすることで、どう防ぐかにある、とも主張した。不可能な理由は、あれこれ述べたが、仕組みや対策の方が、遥かに容易だと、思えたからだ。
 だが、その後の展開は、予想だにしない、ものだった。ワクチンが、完成したと伝えられたのだ。科学者達は、予想通りであり、研究の成果、と絶賛していたが、その後の展開もまた、彼らの想定とは、大きく異なっており、折角上げた掛け声も、宙を彷徨うものとなった。庶民同様、彼らの解釈も、接種により、感染が防げ、それにより、制圧が可能になる、というもので、だからこそ、家族の為とか、他人の為とか、そんな言い回しが、飛び回っていた。しかし、現実には、感染も、発症も、防げぬままで、重症化を防ぐことのみが、頼みの綱となっていた。その上、免疫は、固定されず、何度も接種が必要となり、数々の後付けが、流布されることで、研究の成果にさえ、疑いの目が、向けられている。一方、成果を、大々的に伝える番組が作られ、そこでは、開発競争を含め、現場の状況が、伝えられていたが、こんな見方からすると、疑わしい演出が、施されていたと思う。例えば、当初から、感染や発症を、防げぬものとの見込みが、あったとも思える言動が、製薬会社の重役や開発者から、発せられており、想定通りという筋書きには、違和感を覚えたし、重症化を、強調する部分についても、同様の感覚を抱いた。科学者は、おそらく、結果に応じて、考えを改めながら、より確実な結論に、研究を導くことを、常とするのだろうが、それが、まるで、再現劇のようなものの中で、演じられるとなれば、信頼を失う、とでも思ったのか、はじめから、想定通りを、誇示しようとする姿勢には、作り物の気分を、味わわされた。多数回の接種については、問題視される前だから、想定さえされていない。

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4月5日(火)−虚実混交

 元々、信者を増やす為の、宣伝という意味だったらしい。それが、政治的な宣伝、という意味で、用いられるようになったのは、先の大戦での、敗戦国の独裁者による、ものからのようだ。演説を、得意として、論理的な国民性を、戦いへと導いたのは、独特の論理だった。
 その一つは、民族の優位性を、際立たせる論理であり、それにより、別の民族の、大虐殺を命じたとされる。類似の宣伝手法は、戦時でも、平時でも、同様に行われるが、目的の一つは、戦いを導くことであり、それを、有利にする為のものだ。さて、そんな前提を置き、今の状況を、眺めてみると、見事に、その状況が、再現されつつあることが、よく分かる。そこには、軍事侵攻を、仕掛けた国と、攻撃の対象と、なった国が、お互いに、自国有利へと、導く為の情報を、意図的に流すことで、国を、世界を、賛同に導こうと、働きかける姿が見える。単純に、敵味方に分かれ、それぞれが、自らの主張を、押し通そうとするのが、これまで使われた、専らの手法だが、今は、様相が異なり、単純に、自己主張を、掲げるだけでなく、相手の情報を、偽物と断じることでも、自らの正当性を、主張している。これは、まさに、海の向こうの前大統領が、日々行っていたことで、自らに不利な情報を、全て、偽のニュースと断じ、有利なものだけを、取り上げたことから、始まった。当然、今も続く、論争の多くでは、この手法が、用いられており、日々、敵からの情報を、嘘と断じる。この手法に、彼の支持者が、取り憑かれたのは、それが、白黒はっきりさせる、真偽や、正誤に、結びつく、分かり易いものだったからだ。深慮を必要とせず、直感だけで、判断できるものに、飛び付く姿勢は、彼の選挙活動での、言動の数々に、魅力を感じたことからも、想像が付く。分断と呼ばれる現象が、明確となったのも、この手法の結果だろう。だが、実際には、どの事実も、真実と見ることで、本当の議論ができる。

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4月4日(月)−負の遺産

 どんな罵声を、浴びせても、どんなに、罵倒しても、権威は、揺るがない。それまでに、築き上げた権威では、非科学的な言説も、感情的な扇動も、思うがままだ。この2年余り、学説と称する、奇想天外で、奇天烈な解説が、頻出しており、専門外でも、首を傾げ続けた。
 そんな騒動で、市民の生活は、様々な意味で、危機に瀕してきた。だが、感染の恐怖という、人為的な圧力は、病気そのものによる、死者より、遥かに多くの被害者を、出したことは、特に、書き残すべきと思う。それが、罵声や罵倒の根源であり、更に、事態を深刻としたのは、薄々気付きつつ、暴挙に加担した人々が、確かに居た、ということだ。これは、今現在の窮地だけでなく、将来への負の遺産を、築き上げることとなった。医療体制の整備は、この騒動により、進んだとの解釈が、騒動の主共から、発せられるが、その実、体制の崩壊が、深刻な問題として、残っている。隣の大国では、封じ込めの施策として、野戦病院の如き施設が、急拵えされ、騒動後に、消滅した。これと違い、こちらでは、既存の施設に、改造を施し、急場凌ぎが、行われてきた。これでは、改造の悪影響が、そのまま放置され、運用を困難にする。だが、それ以上に、深刻な負の遺産は、財政の逼迫だろう。検査、ワクチン、治療の無料化は、緊急事態で、止むを得ないこととされるが、何処まで、続けるかが、棚上げされたままでは、悪化の一途でしかない。既に、莫大な資金が、世界中で注ぎ込まれ、それらは、製薬、医療業界へと、流れ込んだ。世界機関の目論見は、十分な程に、満たされたが、その一方で、前払いされたものは、これから、市民の肩に、重くのし掛かる。自明なことさえ、恐怖の前では、消し飛ぶことが、明らかとなり、それへの対処が、直ぐにでも必要だ。だが、愚かな人々は、そんな中でも、依然として、騒ぎ続け、煽り続ける。何しろ、その多くは、降って湧いた稼ぎに、浸っているのだ。

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