パンチの独り言

(2022年4月18日〜4月24日)
(備え、使いよう、偶然と必然、自由とは、原点回帰、悪徳ぶり、悪政の数々)



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4月24日(日)−悪政の数々

 何方の騒動も、政治にとり、絶好の機会だった筈だ。だが、何方も、力の行使しか、頭に浮かばない、知恵足らずの政治家達には、難題としかならず、失政の数々を、歴史に残すこととなった。一人の政治家の能力が、全てに通用するとは、誰も考えないが、これ程に無能とは。
 何度も書いたが、感染症の対策は、一つ覚えでしかなく、時宜に応じた、解決策は、一向に示されなかった。誇らしげに、感染撲滅を、謳った国も、散発する感染だけでなく、その急増に、馬脚を現した。当初から、検査により、陽性者を炙り出し、封じ込めに徹する、という対策は、世界各地で、徒労に終わり、抑え込んだと、宣言した発生国も、対策の不備を、曝け出す結果となり、結局、世界機関が、提示した戦略が、各国政府の失政へと、繋がった訳だ。一方、軍事侵攻に関しても、他国に攻め込む決断を、下した独裁者擬きは、正当化に終始するが、その論理は、ほぼ完全に崩壊している。更に、攻め込まれた国を、支援しようと動く、西側諸国も、それぞれに抱える問題に、四苦八苦しており、制裁も、精彩を欠くもの、でしかない。ただ、世界を巻き込む、大戦に向かうことは、侵攻を始めた国を除き、ほぼ全ての国が、避けたいことであり、外交政策だけでは、不十分となっても、止むを得ない、と考えるべきだろう。しかし、当事国にとり、国が戦場と化す事態は、許し難いものであり、煮え切らぬ態度を、取り続ける国々に、業を煮やすのは、当然のことだ。何れにしても、これらの事態だけでも、政治の役割は、期待する程ではなく、政治家の口先だけの発言に、振り回されるだけ、ということが判る。結局、政治は、力の行使でしか、その役割を、果たすことはできず、それが、相手に通用しなければ、何の役にも立たない、としかならない。それでも、国民にとっては、国の行く末は、政治家に任せるしかなく、それが、自ら選んだものとなれば、手の施しようがない。民主主義なのだ。

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4月23日(土)−悪徳ぶり

 聞く価値も、見る価値も、読む価値も、何も無い。騒動が、始められた当初から、支離滅裂な言説が、世界中に、ばら撒かれた。感染症の話だから、医学や科学が、持ち出されるが、現実には、何の脈略も無い話を、鏤めるだけで、恐怖と不安を、煽るだけが、目的なのだ。
 世界各地で、様々な言説が、拡散され、その片棒を、マスゴミ、と揶揄される人々が、担いできた。だが、彼らの悪徳は、その元凶と呼ばれる人々に比べれば、取るに足らぬもの、と思える。元凶とは、感染症に関わる、科学や医学に、携わると称する、専門家どもだ。発信源である、世界機関は、言うまでもなく、各国の研究機関や、医療機関に、関わる人々の多くは、滔滔と、言説をひけらかすが、薄弱な根拠と、脆弱な論理が、目立つばかりで、信頼に値する意見は、殆ど聞かれない。何故、こんな暴挙が、罷り通るのか、と庶民には、解せないことだが、当事者達は、この機に乗じて、泡銭を、掴もうと躍起になる。恐怖こそが、金を産み出す泉となり、世界中で、莫大な資金が、一部の企業、一部の専門家、一部の専門機関に、注ぎ込まれる。金の卵を産む、鵞鳥を捕まえた、愚かな人間同様、何処までも、欲望に走った結果、何が起きるのかは、明らかだろう。信頼を失い、地位を失った人々が、露頭に迷うのも、間近に迫ると思われるが、断末魔の叫びの如く、依然として、妄論を発し続けるのは、さもしい人間の業なのだろう。先日も、医師の代表たる人間が、感染防止の手立てについて、戯言を並べていたが、最前線で戦う人々、との解釈が、全く通用しない人間が、自ら存在を、誇示するが如くの発言に、何の価値も、認められない。その上、言い足りなかったのか、外国との差異に、持論を展開するに至り、軽薄さばかりが、目立っていた。嘲笑の対象とする、意図があるならまだしも、一大事と取り上げる、マスゴミの態度も、相も変わらぬ、劣悪さだけが、目に余る。

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4月22日(金)−原点回帰

 均衡が、崩れつつある、とする見方からは、今、まさに、隣国に侵攻している、彼の国の大統領や、傍観を決め込み、自らの国の、多くの問題に、触れられぬよう、策を弄する、こちらの隣国の主席が、諸悪の根源である、と思われている。確かに、彼らの身勝手に、憤りを感じる人も多い。
 だが、統制の崩壊により、自由経済を、部分的に入れたとは言え、独裁的な政権が、国を治めてきた訳で、その見方からは、今の状況は、ある意味、当然のものとも思える。となれば、崩壊は、彼らが起こしたものではなく、西側の国々が、不都合を感じて、引き起こしたもの、と見ることもできる。一部の識者や、SNSで盛んに持論を展開する人々は、そんな考えを、得意げに、展開しているが、どうだろう。この議論において、最大の懸念は、加わる人々の大部分が、何方か一方の責任、と決め付けることで、均衡が、互いの関わりから、保たれたり、崩れたりすることから、一方だけの責任、とするのは危険と思う。ただ、相互利益を、追求してきた中で、徐々に、歪みが、強まってしまい、ある線を超えた時に、雪崩現象が、起きたと考えられる。特に、労働市場として、世界から、資本が流入し、今の地位を、築いた国の幾つかは、蓄えた資金を、勢力拡大に、注ぎ込むことで、均衡を崩してきた。一方、それまで、海外生産により、廉価な製品を、手に入れることで、繁栄を続けてきた、西側諸国も、自ら招いた、貿易損失から、脱しようと動き、不均衡へと道筋をつけた。結局、何方の側も、自国の利益を、優先することで、繁栄を、続けようとするが、それまでに築かれた、世界全体の仕組みには、通用しない戦略となりつつある。この国も、経済破綻を経験し、国内生産より、海外生産を、優先させることで、回復の道を、歩んできたと見えたが、現実には、国内産業の脆弱化を、招いたことで、様々な変化に、適応できない仕組みを、築き上げてしまった。そろそろ、気付く時が、来ている。

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4月21日(木)−自由とは

 国家が、全てを統制する制度を廃し、自由経済に基づく仕組みが、導入されてから、四半世紀を超え、更に、同様の仕組みで、国家統制が、敷かれていた国々が、瓦解することで、真の自由を、各国民が、手に入れたことで、世界は、一つの組織、と見做され始めた。
 そこに、採り入れられたのが、冷戦期には、考えられなかった、各国が、一堂に集まり、議論する組織だ。多くの人は、80年近く前に、設立された、国際組織が、それにあたる、と思うかもしれないが、現実には、冷戦期を含め、対立が深まる中でも、この組織は、全体論を導く為に、存在してきた。だが、こちらの方は、互いの利益を、追求することを目指し、経済的な視点で、議論を重ねる、というものだ。統制下では、強い制限が、敷かれていたのに対し、こちらでは、自由貿易も含め、相互利益の追求が、基本とされてきた。だが、ここに来て、大国の一つが、隣国に軍事侵攻し、それまで、保たれていた、と信じられた均衡を、一方的に、打ち破った。こうなれば、均衡が崩れるのも、当然と見えるが、実際には、それ以前から、徐々に、様々な面で、均衡が崩れていた。大国の、身勝手な言動も、全体の利益より、自国の利益を、優先させたからであり、本来、相互利益を追い求めたものが、ある水準を、超えたことから、自分中心の方が、大きな利益が、得られるという論理だろう。だが、この動きは、統制下を経験した国々には、先祖返りを意味し、独裁者の再来が、起きることに、なりかねない。自由による快楽を、享受できた人々は、既に、十分な資産を、確保できただろうが、多くの国民は、社会が支えてくれた時代の方が、快適だったと思うようで、この舵取りに、期待するらしい。その一方で、東西が、統一された国で、統制下から自由を、手に入れた女性は、その後、首相に上り詰めたが、彼女にとり、手に入れた自由は、命に賭けても守るべきものだ。この違いは、何処から来るか。

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4月20日(水)−偶然と必然

 当初、陽性者や死者の数が、世界各地で、著しく異なる傾向を、見せていた頃、その原因を、探る動きがあった。抑制政策の違い、と指摘する向きには、誰も、関心を抱かなかったが、その一方で、荒唐無稽とも思える、原因を指摘した人物に、注目が集まった。
 当時、欧米に比べ、アジア各国に、低い傾向が見られ、それを、結核の流行地と、一致すると見たのだ。但し、それだけではなく、この人物は、結核予防に用いられた、ワクチン接種との関係、と結びつけた。はじめは、因果関係の無い、妄論の一つとしか、受け止められなかったが、その後、幾つかの賛同を得て、可能性の検討も、行われた。だが、流行の広がりが、急速に、高まることで、陽性者については、すぐに、該当せずとの結論が、導かれた。ただ、死者数については、まだ、その可能性は残り、更には、人種の違いも、考慮に入れるべき、との意見も、出てきている。この人物は、その後も、盛んに、SNSでの発信を続け、持論を展開するが、徐々に、論理の綻びが、目立ち始めており、そこに、ある偏向が、見られるようになると、読むに値しないものと、なってしまった。因果に拘り、原因を追求する姿勢は、はじめに取り上げたような、興味深い意見へと、結び付くこともあるが、それが、全てに通用する筈も無く、現実には、因果を見つけるより、思いついたものへと、無理矢理結び付ける姿勢だけが、目立つこととなる。素性を、確かめたことは、無いのだが、こういう性質の人は、研究者に、多いと言われる。だが、事実を並べ、そこから、正しい解釈を、導くことを、常とする為には、幾つかの可能性を、思い付く中で、的確なものを、選び出す能力が、求められる。多くの人が、犯す間違いは、選び出す能力では無く、可能性を思い付く能力を、重要と思わず、唯一の可能性に、拘ることなのだ。それでは、博打の一種となり、必然の結論ではなく、偶然の結果としかならない。

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4月19日(火)−使いよう

 平和な時代が、長く続き、それが、当たり前となる中、今回の騒動が、起きている。感染症だろうが、戦争だろうが、命の危機を、前面に押し出すことで、重大なこととの認識を、広げようとするが、どうだろう。真の危機は、今、迫り来るものではなく、他にあるように思う。
 日々の生活で、様々な騙しを、受けている人が、数え切れぬ程居る、と言われる。以前は、電話での詐欺が、大きな問題として、取り上げられ、その後も、被害は、無くならぬまま、一部の反社会勢力の、資金源となっている。電話が、生活に、不可欠な存在で、犯罪防止には、個人の注意で、済むとの考えが、初期段階では、大勢を占めていたが、警告後も、一向に減らぬ被害に、遂に、自動支払機や、電話そのものに、対策が講じられた。だが、新手を繰り出す、犯罪集団には、個人の認識しか、対抗する術は無い。一方、最近、拡大する被害は、同じ電話でも、スマホと呼ばれる、携帯端末を、対象としたものだ。便利な道具として、老若男女に、広がったことで、以前なら、電話での音声による、詐欺だったものが、電子メールや、訪問サイトでの、詐欺が横行することとなった。手口は、似たようなものだが、不慣れな人々は、つい、誘いに乗ってしまう。被害者心理は、どんな手口にとっても、付け込む隙であり、それに乗じて、なけなしの金を、奪おうとする。だが、ここでも、回避する手立ては、幾らでもある。最善の心掛けは、触らぬ神に祟りなし、というもので、目的以外に、手を出さぬことだ。だが、それでは、折角の便利が、手に入らない、と思うなら、調べ、学習して、確実な使い方を、身に付けるしかない。日々の生活にも、様々な使い方が、提供されており、便利を享受できるが、それとて、正しく使わねば、無用の長物どころか、被害に遭うことさえ、起きかねない。平和時には、あらゆるものが、与えられており、楽しめばいいだけだが、それでも、不注意を避ける必要がある。

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4月18日(月)−備え

 弱者保護が、社会に広がるのは、一方で、被害妄想の感覚が、広がったから、と思うことがある。こんな話を書くと、また、別の意味の妄想を、広げている、と揶揄されるだろうが、どうだろう。こんな雰囲気では、悲観的な考えばかりが、目立ってきて、嫌になるのだが。
 弱者は、保護されるべき、という考えに、反対する気は無い。ただ、弱者とは、どんな人々か、という点については、身勝手な人々の意見には、与しない。当然、そこから膨張する、嫌な空気にも、異論を並べている。だが、世論は、そちらに邁進し、妄論に、与する人が目立つ。その中に、投げられたのが、感染症の、作られた騒動であり、そこに描かれたのが、悲劇の筋書きだった。だが、所詮、作り事でしかなく、馬脚が、次々に暴かれ続け、幕を引こうにも、観客は、既に席を立ち、勝手な振る舞いを、始めた。次に起きたのは、軍事侵攻であり、彼の国の問題は、他国へ飛び火すれば、第三の大戦が、始まるとも言われる。その懸念が、正しいかどうかは、まだ、先の見えない状況だが、それより、自国の問題に、目を向けようと、指摘する声が、上がっている。西側に、与する動きに対し、俯瞰的な見地から、全体を見渡す必要を、訴える中で、戦場の広がりが、こちらにまで、飛び火する可能性を、指摘する訳だ。歴史は繰り返す、という立場から、今回も、二手に分かれた勢力の、何方に属するかで、他国の軍事侵攻が、起き得るとする考えだが、俯瞰を常とする割に、偏った考えを、積み上げることで、表明される懸念には、どうにも、賛同できない。冷戦期から、大きく崩れた均衡を、取り戻そうとする、大国の動きに対して、警戒を、緩めてはいけない、とする考えには、価値が見えるが、それを、遥かに超えた形での、有事への備え、という考えには、荒唐無稽という感覚しか、浮かんでこない。油断大敵は、その通りだが、一方で、備えるべきは、有事ではなく、外交交渉だろうに。

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