パンチの独り言

(2022年5月23日〜5月29日)
(必要なの?、お呪い、内か外か、増税こそ、良循環、大いなる実験、四苦八苦)



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5月29日(日)−四苦八苦

 日進月歩、様々な技術が、編み出され、社会全体に、広がり続ける。人間は、それを活用しようと、情報を手に入れ、新技術の恩恵に、授かろうとする。だが、事は、思った程には、簡単には進まない。新しいことが、できるとの話は、どこに行ったのか、戸惑い続ける。
 新たな技術は、その殆どが、古い技術の上に、築かれると言われる。だが、前のものを、排除することなく、単純に、積み重ねるようには、いかないことが多い。しかし、古いものと新しいものが、共存すればいいのだが、そうならないことが、多いのだ。その結果、古いものを、全て捨て去り、新しいものに、置き換える必要がある。少しの手直しで、事が済めば、まだ何とかなるが、そうならぬと、全てを一新する必要があり、古いものは、ただの塵と化す。それでも、更新しなければ、新たな状況に、対応することは叶わず、結果として、窮地に陥ることとなる。ここで、頑張るしかないが、さて、結果はどうなるのか。多くの人が、経験したことだろうが、実は、多くの場合、更新を諦め、古いものに戻るしかない。何故なら、更新が関わる業務は、そのまま、動かないのでは、全てを失うこととなる。だから、不便を感じても、新たな脅威に曝されても、暫くは、旧態依然の状態で、進めるしかないのだ。これが、大事な業務なら、死ぬか生きるか、となりかねないが、今、ここで問題となっているのは、単に、独り言の更新なのだ。この程度の、遊び半分のものなら、今暫く、不便を感じても、古いやり方を、続けた方が、良さそうに思える。以前から、何度も、障害となったように、今回も、文字コードの問題が起きた。それ以前に、もっと深刻と思われたのは、ファイル転送ソフトと、パソコンの動作環境の更新が、単純な命令文を、勝手に、複雑な構文へと、書き換えたことにある。まだ、何が起きたのか、理解できておらず、今も、3時間ほど掛け、修復に漕ぎ着けた。やれやれ、と。

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5月28日(土)−大いなる実験

 命に関わる病。誰もが、救われたいと願う。当然に思えることだが、今回の騒動は、これまでとは、全く違う様相を、呈している。確かに、重症化すれば、命を奪われる危険があり、仮令、生き延びたとしても、重篤な後遺症に、悩まされるとされる。誰だって、避けて通りたい。
 これまでに、何度も書いたが、これらの危険が、他の疾患と比べて、著しいものか、その点の検証は、全く為されていない。その代わりに、命や後遺症を、殊更に強調し、迫りくる危機を、避ける為の手段が、たった一つしかない、と断言する。免疫に関しては、その処置法を、編み出したといわれる人物も、当初、天然痘に対抗する為、牛痘に罹った人の、膿を植え付ける、所謂、種痘を試みた。その後の展開から、偉大な業績と、讃えられる行為だが、実験、それも、人間を使ったもの、でしかない。人体実験は、戦時中の軍隊が、捕虜などに行ったものが、細菌兵器の開発として、厳しく糾弾されるように、禁止行為の一つとして、世間一般にも、認識されている。だが、今回の騒動では、それに近いことが、命を救う為、と称して、世界機関と各国政府が、協力して、強く推進されている。経済停滞を、招いても尚、厳しい行動規制を、敷いたこともそうだし、ワクチン接種は、人体実験と、見做すこともできる。当事者である、免疫研究者達は、これしか、救う方法が無い、と断言し、数々の調査結果を、並べている。だが、実験の基本である、対照実験は、殆どの場合、行われず、また、調べる項目も、目的に適うものに、限定されている。その結果として、度重なる接種を、繰り返しているが、副反応と呼ばれる、副作用が起きる確率が、ある一定の値だとすると、犠牲者の数は、増すばかりとなる。それを、覆い隠すように、効果の程を、誇示するのだろうが、こんな背景を、考えに入れると、どれ程の欺瞞が、撒き散らされているか、見えてくるのではないか。功績どころか、汚点を残すように。

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5月27日(金)−良循環

 泡が弾け飛び、経済が、長い停滞期に入ったが、それが続いたのは、一部の劣悪企業への対応が、間違っていたから、とされる。業績が悪化し、経営が立ち行かぬ中、国は、様々な支援を行い、倒産の危機を、救ったとされる。連鎖倒産を、防ぐ為、とされたが、これが、長期化を産んだと。
 経済の政策において、もし、は無いとされる。この例も、海の向こうでは、自由経済主義の下、切り捨てられ、再編の憂き目に、遭った企業は、数え切れぬ。それにより、再出発が促され、悪化の勢いを、削ぐことができた。というのが、一部の学者の論調だが、この件に関して、正答がある筈もなく、結果論を展開しても、詮無いことだろう。一方で、長期化するに従い、社会全体に広がる、閉塞感が、産み出したのは、我慢、辛抱などといった、空気ではないか。その中で、企業の業績が、仮令、好転しても、何故か、社員の収入に、変化が起きず、そこから、社会全体で、値上げを、悪とする風潮が、高まった。これも、悪循環の主要因の一つで、ある意味、馬鹿げた連鎖が、国中に広がり、企業努力という、不思議な言葉で、全てが解決していた。だが、何の解決もなく、ただ、悪化の一途を辿り、閉塞感から、脱することができない、状況を築き上げてきた。今回、原材料の高騰が、ある線を超え、それにより、市中の様々なものが、値上げされている。特に、気になるのは、飲食店の値上げで、仕入れ価格が、高まったのだから、当然なのだが、それが、働く人の給与にも、及ばなければ、支出のみが増え、収入が据え置かれては、生活の窮乏は、確実なものとなる。隣の店で、食べようとしても、財布の中身が変わらねば、無理だ。経済の川の、最下流に位置する、飲食店の状況が、どう変化するかが、今後の展開を、決めると言えそうだ。大企業と異なり、法人税の問題は、無縁の存在だが、こんな展開で、収入を上げる手立てを、講じていかないと、社会全体の均衡は、更に悪化するだけとなる。

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5月26日(木)−増税こそ

 悪循環を、断ち切る方策は、あるのだろうか。一見、極めて難解な問題が、提起されているが、実際には、根本的な間違いに、気付きさえすれば、難しくはないことだ。別の状況に移り、別の問題が、溢れ出してくるが、それでも、現状の悪循環は、解決できるだろう。
 中央銀行は、年2%の値上げ率を、目標に定めて、金融政策を、編み出してきた。しかし、一向に、達成できない目標に、経済学者達は、厳しい批判を、浴びせていた。ところが、軍事侵攻からの、経済制裁の断行が、原材料の価格高騰を、招いたことから、自給自足の状況になく、多くの原材料を、輸入に頼る国は、突然の値上がりを、経験しつつある。それでも、まだ不十分とばかり、他の主要通貨とは、全く異なる政策を、維持し続けており、果たして、上昇率が、目標に到達しても、何の変化も、起きないのでは、という懸念さえ、浮上している。ただ、悪循環の、真の原因は、そこには無い。値上げが起きれば、確かに、中央銀行の総裁は、何かしらの政策変更を、打ち出すかもしれない。だが、それに見合うだけの、収入の上昇は、金融政策からだけでは、実現しない。宰相が、就任早々から、そちらの目標を、高く掲げたのは、深刻化する問題に、積極的に取り組む姿勢を、見せたかったからだろう。だが、それも、ただの依頼で、終わっていては、自由経済に慣れた、企業経営者からの同意は、得られる筈も無い。ここでも、真の原因に、気付かぬふりを、政治家達が続け、監督官庁も、素知らぬふりを、続けていては、何も起きない。依頼ではなく、そうしなければならない、という状況を、作り出す必要がある。それこそが、増税という政策であり、そこから、企業の経営戦略を、ある方向に進ませる、という戦術だろう。法人税を上げ、見かけの収益を、減らす必要性を、痛感させることは、人件費を上げ、社員の生活を、安定に向かわせる。国の財政も、安定に向かう筈だ。

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5月25日(水)−内か外か

 世界の工場、と呼ばれる国の情勢が、怪しげに見える。政治的には、強固な政府と、強力な指導者の下、何の問題も無く、映っているが、現実には、制度の踏襲が、行われず、嘗ての独裁支配に、戻るかもとの懸念が広がる。更に、隣の大国が、独裁の暴走を見せ、こちらも、と。
 では、生産体制について、何の懸念も無いのか。実は、こちらの方が、遥かに危うい状況に、あると伝えられる。完全な封じ込めを、掲げてきた政策が、大流行の結果、陰りを見せたが、それ以上に、大規模な封鎖が、もたらした、減産の影響は、世界を、別の混乱へと導いた。武力侵攻を、行った国への、経済制裁が、悪影響を広げた、と主張する人も、多いようだが、現実には、こちらの混乱の方が、遥かに大きな影響を、長期間にわたって、及ぼしそうな気配だ。生産のみならず、最新技術の開発も、彼の国が、目指し続け、遂に先頭に立った、とばかりに、その現状を誇っているが、そこに、誇示された製品は、海の向こうの大国で、開発されたものに酷似し、人真似の典型に映った。40年程前、此方の国も、新技術を誇り、大国を席巻していたが、今は、その影も無い、と揶揄される。だが、その四半世紀前には、人真似と呼ばれ、安価でも悪質な製品を、揶揄されていた。その後の発展により、歩きながら聴ける再生機が、市場に出た時こそ、単なる真似事が、新技術へと転換したと、実感した人も多い。だが、世界の工場では、何とか、質の悪さは、脱することができたものの、新技術には程遠く、その間に、別の技術開発から、生産を引き上げる企業や、部品調達を控える国が、出てくる事態となった。そこに、今回の軍事侵攻で、敵対国との関係を、考え直す機運が、高まっている。40年程前には、安価な製品を、手に入れる為に、途上国での生産を、推し進めた国も、その後、国内生産を、優先する政策転換を行った。では、此方は、どうすべきか。自明なこと、と思えるのだが。

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5月24日(火)−お呪い

 マスクと並び、この国で、高く評価される、感染症予防対策に、手洗いがある。潔癖症と、ある寄生虫学者が、呼んだ行動の一つで、衛生環境の高さが、実現したものだが、事あるごとに、盛んに手を洗う行動は、この騒動では、消毒行動に、結び付いた。それも、半強制的に。
 海外の先進国と比較して、著しく低い、陽性者数や死者数に、一部の識者達は、その原因を、衛生環境に求めた。手洗いや嗽を、頻繁に行う国民性が、今回の違いを、産んだものと見做したのだ。だが、その声に、首を傾げた人は、多いのではないか。現に、独り言の書き手は、嗽は皆無、手洗いの習慣も、無い。強制された時のみ、入り口での消毒を、行っているが、効果を疑った上でのことだ。この行動を、強く推奨する人々は、病原体の付着が、感染拡大の最大要因、と強調する。当初、検証の多くが、様々な物体表面での、病原体の残存と、感染力の継続性に、向けられていた。これまでの研究で、接触感染こそが、風邪や流行性感冒の、拡大主要因である、と結論づけてきた為で、今回も、その論に固執したからだ。だが、その一方で、マスクの推奨は、飛沫感染を防ぐ為で、矛盾だらけの論理を、平気で振り回すことが、一目瞭然となる。接触感染では、病原体が付着した物体に、触れた手を介して、体内に病原体を招き入れる、とされるが、その解説も、随分前だが、独り言で紹介したように、顔までの付着は、可能だとしても、感染が起きる喉の奥に、そこから、どう移るのかを、説明しておらず、戯言にしか、聞こえない。飛沫であれば、僅かな量でも、そこに含まれる病原体の数は、三桁から四桁になる。だが、接触の場合、転々とする間に、薄められるから、同様の数に、到達するには、直接、その物体を舐めるか、触った手を、喉の奥に突っ込むかしか、手立ては無い。こんな具合に、論理を構築すれば、手洗いが、お呪いに過ぎないことが、明らかとなる。馬鹿げたことだ。

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5月23日(月)−必要なの?

 口を覆うことの効果を、仮想計算によって、示したとされた話を、覚えている人も多い。だが、それ自体は、公式の発表として、お墨付きを得ておらず、報道とは、明らかに異なる状況に思える。おそらく、仮想では、多くの仮定があり、実態との乖離が、問題視されるからだろう。
 そこでは、室内での、くしゃみによる、唾液の飛散が、どうなるかを、計算していたが、覆いの有無で、どう違うかを、示しており、結局は、どんなものでも、口を覆えば、違いが出る、というだけだった。一方、マスクの着用を、求める要請では、感染を広げない、という観点と共に、感染を防ぐ、という点が、強調されていた。だが、この予防法では、観点の違いから、使う種類が違う、とされることに、言及されることは無い。ある省庁のHPでは、工業会の情報が、転載されており、様々に解説されているが、今回の騒動に、参考になるものは、殆ど無い。そこにある、装着法も、庶民にとっては、面倒でしかなく、守られそうにないばかりか、装着中の注意点には、一切触れておらず、説明不足だろう。それに対して、ある財団のHPには、もっと現実的な解説が、提示されている。ただ、こちらでは、社会貢献という言葉が、使われており、感染防止とは、関係ない話で、結ばれている。では、結局、予防効果は、如何なるものか。それに対する、科学的な検証は、殆ど行われず、既に、2年を超える期間、多くの人々に、抑圧を強いている。また、病原体の大きさと、マスクの性能の比較から、予防を目的とするなら、使うべき種類は、決まってくるが、これも、別の情報からは、誰が使うかで、異なってくるとなる。成る程、五里霧中の状況で、誰も決められず、これまでも、これからも、出鱈目が続く、となりそうだ。最後に、研究機関の発表では、20年近く前とは言え、医療関係者以外のマスク着用について、必要ない、と明言している。これまでの騒動は、何だったのか。元から、無用だったか。

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