パンチの独り言

(2022年5月30日〜6月5日)
(覚醒、妨害工作、撤回せず、優先課題、妄言でも、正すべき、無意味)



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6月5日(日)−無意味

 モニタリングポスト、を覚えているだろうか。原子力発電所が、津波の襲来により、大事故を引き起こした際、空気中に飛散した、放射性物質の量を、監視する仕組みが、導入された。空間線量率、と呼ばれる値を、常時計測し、その変化を知るものだが、殆どの人にとり、忘却の彼方だろう。
 原発の再稼働などで、度々報道される、原子力規制委員会は、その後ずっと、この計測値を公表している。一方、健康被害との結び付きから、市民にとり、重要な情報とされ、新聞は、当時から、表にして、連日伝えていた。だが、いつの頃からか、それを見かけなくなった。それは、被害が、もう出ないとの判断からか、あるいは、その数値の趨勢を、見守る意味が、失われた為か、定かではない。だが、事故を起こした発電所から、離れていない地域にまで、住民の帰還が始まり、日常を、取り戻しつつある中、全国的な監視が、どれ程の意味を為すのか、少し考えれば、解るのではないか。今、新聞を開くと、そこには、別の数値表が、載せられている。日々の、新規陽性者数、というものだ。こちらも、掲載の意図は、同様だろう。読者にとり、重要な情報であり、知ることにより、趨勢を把握できる。とされるが、本当に、そうだろうか。これまでに、何度か襲ってきた、波の数々で、人々は、何を把握できたのか。また、それによって、どんな対策を講じ、どんな備えをしたのか。襲い来る恐怖以外に、数値は、市民に、何を伝えてきたのか。そういう観点で、見つめ直すと、日々の数値が、伝えるものは、殆ど無いことに、気付けるだろう。対策にも備えにも、ごく普通の感染症と、同様の考えで、何の違いも出てこない。市民も、そんなことに、気付いているが、依然として、騒動に参加し、あれこれ、根拠のない話に、関わっている。はじめの話と比べれば、この茶番が、何の意味も成さないことに、気付くだろう。はじめから、今も、そして、将来も、こんなものに、意味は無いのだ、と。

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6月4日(土)−正すべき

 情報の真偽を、見極める為に、必要なものがある。それが論理だ、という意見を、何度も書いてきた。だが、それを、操れない人間にとり、頼みとするのは、確固たる意見を、出してくれる人、ということらしい。それが、今のSNSの世界、別の表現では、社会的媒体の世界だろう。
 結局、自身で、判断する能力を、持ち合わせず、物事を、精査する能力も、身に付いていなければ、誰かの意見を、鵜呑みにするしかない。そこで、大切となるのは、好ましく思えるものだったり、力を持つ人物だったり、それぞれに事情は、異なるものの、意見の内容とは、別の要素が、判断基準となる。自分に無いものを、持っている人物の意見なら、信頼できる、と思うのは、何故だろう。そんなことを、したことの無い人間に、理解できる筈も無い。だが、それが、世論を構成し、それが、民主主義を、推し進めるとしたら、理解できない、で済ませる訳には、いかないだろう。力も無く、名声も持たぬ、人間の独り言が、そんな人々の心に、響く筈も無いのだが、無駄を承知で、日々、書き綴っている。同じように、SNSに書いたりも、しているのだが、何の反響も無い。無駄口、なのかもしれないが、誰かの目に、止まるのでは、という期待を、捨て去るつもりは無い。その理由は、至って単純だ。世の中に溢れる、意見の殆どが、下らないものにすぎず、その上、嘘や騙しが、満ち溢れている、となれば、このまま、放置することは、何の役にも立たないばかりか、害悪でしかない。となれば、正しいと思うことを、書いていくしかない。そんなことを、書いてしまうと、まるで、正義の味方の如き、振る舞いと思われるが、そんなつもりは、毛頭無い。何より、間違いに振り回され、社会全体が、過ちを繰り返すことが、無駄としか思えぬからだ。何故、明らかな誤りを、好ましく感じるのか、不思議はそのままだが、それを正す必要は、確かにある。

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6月3日(金)−妄言でも

 囀りをはじめとする媒体が、登場以来、貴賎に関わらず、誰もが、自分の意見を、世に問うことができるようになった。その結果、玉石混淆の中、人々の共感を得た意見に、支持が集まり、論理性に注目が集まった。だが、現実の展開は、創設者や、その支持者の意図とは、逆だったようだ。
 支持を得ようと、目論んだ人々は、話題性を追求し、その結果、嘘や噂を、拡散するだけとなり、犯罪の温床とまで、批判され始めた。だが、多くの、地位の高い人物が、挙って、発言し始めたのも、その利便性にある。以前なら、ネット上の記録を語源とする、ブログに、書く人が多かったが、手軽さの違いは、歴然としており、利用者数の急増も手伝い、情報発信の手段として、指導者達にも、利用が広がった。そこに登場したのが、海の向こうの大統領で、それまで、記者会見しか、発信方法が、無いと思われたが、ごく個人的な意見の、発信の場を、まるで公式であるかの如く、装うことで、閲覧者を増やし続けた。極端な意見は、支持者を増やし、お得意とする、偽情報を掲げ、既存の媒体を、徹底批判していたが、正体は、自らの正当化でしかない。同調者の多くは、それまでの評論を含め、既存媒体を、偽物と糾弾するが、彼らの多くは、所詮、独自の情報源を、持たないばかりか、前大統領と違い、身勝手な意見で、押し切るだけの権力も、有していない。その結果、都合の良し悪しで、情報源の使い分けをし、意見を主張することとなる。結果は、悲惨となるが、本人は、自論に酔い痴れ、情報の正誤に、目を向けず、過ちを繰り返す。先日も、支持率の低下を、話題としていたが、その情報源は、大手通信社であり、嘘吐き呼ばわりした相手だ。その後の調査で、同じ通信社が、支持率回復を伝えたが、そちらは黙殺する。支持すれば、鵜呑みにし、その繰り返しが、嘘の拡散を招く。この仕組みの問題は、利用者にあるのだ。卑しい心が、招く混乱だろう。だが、無視しては、いけない。

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6月2日(木)−優先課題

 何事にも、優先順位がある。では、現時点での順位は、どんなものか。人それぞれに、違うに違いない。だから、こんな所に、書いても意味が無い、となりそうだ。でも、まあ、暫しのお付き合いを、願いたい。社会と個人の違いが、はっきりするからだ。物事を、考える為に。
 世界は、暫く前まで、死に至る病に、侵されていた。だが、何度も書いたように、この騒動は、恣意的に作られたもので、確かに、多くの犠牲者が、出ているのだが、感染した人々の問題で、社会全体が、躍起になって、取り組むものではなかった。にも拘らず、そんな扱いが、続けられたのは、世界機関の目論見と、それに振り回された、各国政府の過ちが、主原因だろう。そこで、大きな役割を果たしたのは、専門家と呼ばれる人々と、製薬会社だった。彼らの思惑も、異常な盛り上がりを見せ、大混乱を引き起こした。それが、収束しないうちに、狂気に満ちた独裁者が、自家中毒の不安を、募らせた結果、隣国に攻め込むことで、別の混乱を引き起こした。長く続いた平和を、堅持したいと願う国々は、均衡状態を、崩さぬように、直接的な武力参加ではなく、間接的な支援と、経済制裁という、軟弱とも見える戦略を、選択した結果、混乱は、戦闘地域に限らず、様々な形で、世界中に広がった。原材料価格が、高騰することで、物価の上昇が起き、先行き不透明な中、将来への不安が、多くの人々に広がった。実は、どちらの混乱も、直接的には、自分達の生活に、影響を及ぼすことは、なかった。それより、日常生活に、影響を及ぼす施策が、彼らの上に、強い圧力を掛けている。社会が、どんな風に変化したとしても、個人にとり、最重要の課題は、日々の生活が、どうなるかだろう。収支の均衡が、崩れてしまえば、明るい未来は、消えてしまう。今、庶民の多くにとり、何より重要なのは、物価の情勢だ。だが、忘れてならないのは、収入の上昇だろう。どちらが先ではなく、どちらも、だ。

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6月1日(水)−撤回せず

 あの国の要人は、前言撤回を、忌み嫌うようだ。特に、今回の騒動では、世界に収束を、高らかに宣言しただけに、その政策の正しさを、自ら否定する訳には、いかないからだ。だが、最近、数度目の大規模な都市封鎖が、敷かれた大都市では、様々な問題が、浮き彫りにされていた。
 発生当初、悲惨な状況が、伝えられる中で、大規模な封鎖は、当然の施策として、国民だけでなく、世界から称賛された。特に、被害が大きい国々からは、自らが、断行できなかった方策を、実施した政府の力を、再認識する声が、高まった。だが、今回は、事情が、大きく異なる。感染力が、強まったことに、多くの専門家は、強い警告を発するが、実際には、当初のような、膨大な死者数が、伴う訳でも無く、重症化さえ、非常に低い率となっている。この状況では、封鎖の必要性は、市民に受け容れられず、それが、長期化するにつれ、不当な扱いを、訴える声が、高まっていた。2ヶ月を超え、何時迄続くのか、不安は、市民だけでなく、あの地域の生産に、依存する各国企業にも、広がっていた。強い圧力が、あの国の政府や、あの都市の政府に、伸し掛かっていたのか、封鎖解除の報が、届いた。だが、陽性者数の推移から、あの国が、強調し続けてきた、0とする目標は、まだ、達成されておらず、撤回せずに、何らかの新たな解釈を、施したように思う。まだ、市内の一部地域が、解除されておらず、封鎖の限定化が、その理由と推察できるが、果たしてどうか。あの国の要人は、会見の中で、様々な質問に、答えてきたが、一定の特徴があるように見える。それは、質問に、直接答えず、すり替えた上で、自らの正当性を、主張する姿勢だ。質疑応答では、質問者が、満足せねば、再質問の機会が、与えられるものだが、この手の会見では、多くの場合、再質問は、「それは先ほど答えた」、という返事で、切り捨てられる。合理という、身勝手な論理が、罷り通る。相手にする必要は、無い。

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5月31日(火)−妨害工作

 昨夜、ある歌姫を、取り上げた番組が、放映された。この国では、ヒット曲の歌い手として、人気を博したが、彼女の出身国では、全く違う形で、人々の関心を集めた、と伝えていた。今、国と地域の関係で、一国二制度と呼ばれる、返還時の約束が、瓦解しつつある。
 彼女の両親は、大戦後の内戦から、国を追われて、彼女が生まれた地域に、移り住んだ。当時は、代表政府の移転から、国際的にも、国として認識されていたが、その後、内戦を勝ち取った政府が、打ち立てた国が、国際的に認められ、その国の一部となったと言われる。しかし、実態は、かなり違ったものであり、今も、互いの政府が、微妙な関係を、保っているように見える。一方、統治していた国から、契約に従い、返還された地域は、当時、自由主義の下で、繁栄を築いていたことから、返還時の約束として、一国二制度を、敷くとされたにも関わらず、その後、徐々に、中央政府の圧力が、高まり続けており、自由が失われつつある。このきっかけとなったのは、社会主義にも関わらず、経済的には、資本主義の流入を許し、その後の急速な発展を、導いたとされる、指導者の決断にあった、と番組は伝えた。当時、完全な自由を求める、若者達が集まった、広場には、施政者からは、暴動としか見えない状況が、作り出されており、弾圧は、唯一の手段とされ、多数の犠牲者が出た。その時、まだ、返還前の場所から、支援を歌ったのが、その歌姫だった。同じ民族という観点から、訴えかける姿勢に、世界中に散らばった、同じ国出身の人々に、共感が広がったとされる。だが、それが、強大な権力を持つ、指導者の怒りを、買ったようだ。弾圧後も、彼女の存在は、社会主義国が、最強の武器と見做す、プロパガンダ、所謂宣伝と受け取られ、警戒が強まったとされる。番組では、突然死の原因を、喘息としていたが、当時は、暗殺の噂さえ、飛び交った。人間が、求めるものは何か、考えたい。

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5月30日(月)−覚醒

 弱者を、保護しようとする、考え方に、間違いは無い。だが、その運用の仕方や、誰を、弱者と見做すか、という問題には、多くの誤謬や、思い込みが、あるようだ。運用では、弱者保護の観点から、様々な方策が、講じられるが、その一部には、保護と称して、権利剥奪となるものもある。
 保護を、推進しようとする人々は、施すことで、満足を得ているが、それが、逆に、権利を奪うとは、思ってもいない、らしい。だが、少し考えれば、そんな展開は、簡単に見えてくるし、全体を見渡せば、何処に問題があるか、すぐに解る筈だ。それが、できない人々が、施政者に多く、人道的な見地を、前面に出すが、噴飯物だろう。一方、近年、深刻化しているのは、もう一つの問題だ。誰もが、弱者になりたがり、それによって、利益を得ようと、腐心するのだ。それにより、保護を受けるが、限られた財源では、これが、真に窮する人々が、救われない状況を招く。こちらも、当事者は、大真面目に、自身の窮乏を、訴えているが、客観的には、問題外の場合が多い。この傾向は、金銭的なものだけでなく、精神的、心理的なものにも、強く現れている。特に、作られた恐怖が、世界中に、撒き散らされる中、誰もが、被害者と、思いたくなる状況が、出来上がった。死への恐怖、経済的窮乏、医療への不信、等々、次々に、襲ってくる危機に、弱者であることを、意識する人間には、障害は、数え切れぬ程にある。特に、精神的な圧迫感は、自身の心中で、膨れ上がり、日々、増大する不安感に、苛まれているようだ。だが、それらの多くは、欺瞞に満ちた言説から、生じたものであり、単純に、その誤りを、一つひとつ検証すれば、恐るるに足らず、となるだけだ。確かに、雑音は大きく、専門家も、信用に値しない。とはいえ、冷静に、耳を傾ければ、嘘や矛盾を、暴けるだろう。徐々に、日常が戻りつつある中、依然として、従ったふりを、続ける意味は、皆無に等しい。目を覚そう。

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