パンチの独り言

(2022年7月4日〜7月10日)
(迷惑千万、埋め戻し、意味の消失、解決法は、幇間、諦観、滅亡の道)



[独り言メインメニュー] [週ごと] [検索用] [最新号] [読んだ本]



7月10日(日)−滅亡の道

 大戦後、国の仕組みの違いから、東西冷戦が、長く続いていた。ところが、一方の勢力が、次々に崩壊し、廃れ切った国情を、回復する為に、敵対して来た勢力の、仕組みを導入した頃から、互いの対立より、共通の利益を、追求する為の、協力体制が、世界的に確立されてきた。
 啀み合うよりも、互助的な関係を、築くことを、優先させたのは、冷戦期の対立が、一方の勢力を、著しく衰退させたからで、その意味では、同じ勢力に属しても、自らの過ちで、国の衰退が進み、そこからの復興を、対立する仕組みを、共存させることで、目指した国だけは、両立という、不可思議な均衡の中で、急激な成長を遂げ、従来とは全く異なる、社会制度の上に立つ、新たな形式を、樹立したと言える。だが、その国も含め、以前、敵対した国も、一定の成長を遂げると、疲弊した状況から、立ち直ることが、できたからか、従来のように、勢力の中心に、返り咲きたいとの、思いを強く抱き始めた。おそらく、根底には、こんな事情がある中、対立が、再び深まったのではないか。その上に、自由主義の国々が、自らの利益を、最優先とする政策に、舵を切り始め、国際間だけでなく、国内の対立をも、生じ始めた。その典型が、海の向こうの前大統領であり、分断を、招くことで、私利私欲を満たす方向に、進み始めた。こんな方針変更は、確かに、指導者の身勝手な考えが、端緒となっているが、現実には、それぞれの国の人々が、自ら望んだ、結果と言えるのではないか。好悪で、全ての決断を下し、全体の均衡を、顧みることなく、極端へと突き進む。確かに、理解力が減退した、愚民を相手の、政治では、分かり易いと、されるものだが、実際は、ある方向に曲がったまま、同じ円周上を、進み続けることになる。進歩も発展も、何の変化もなく、同じことを、繰り返しては、ただ朽ちるだけとなる。本来、人間は、均衡を保てるように、物事を、考える筈が、これでは、滅びてしまう。

* * * * * * * *

7月9日(土)−諦観

 科学への不信、という問題について、何度か論じてきた。しかし、この問題に関しての、根本解決は、無いと思っている。何故なら、不信感を抱く人々にこそ、問題があるからだ。科学を推進する人にとり、不信感を拭うことが、最重要課題とされるが、課題と見るべきではない。
 こんな論調を展開すると、すぐに、そんなことはない、きちんと説明すれば、理解が進む筈だ、との意見が、返ってくる。それも、科学に携わる人間だけでなく、その他大勢の一般大衆から、そんな声が、出てくるのだ。では、彼らは、何をどうすれば、「きちんと」説明した、ということになる、と言うのか。実は、ここに、最大の問題が、潜んでいる。この考え方の基本は、教育の力に対する、認識の違いから来る。教育の力は、絶対であり、どんな人間でも、それによって、あらゆる能力を、伸ばすことができる、と教育界では、信じられているらしい。まあ、この言い方は、過ぎたものであり、多くの識者は、そんなことを、信じている訳ではなく、信じたい、と思っているだけだろう。だが、表向きは、そういう論調で、教育を語り、また、科学に関しても、そういった態度で、努力を要求する。科学を、一般大衆にも、わかるように説明する、という役割の人間が、必要とされる時代、という話も、これまで、多くの人々から、出されてきた。それ自体、何らかの努力をして、そういう人々が増えれば、社会の理解が、深まる筈との思いを、踏みにじる訳ではないが、根本的には、完全な理解は、ほぼ不可能だと思う。その代わり、分かったような気にさせるとか、納得させるとか、そんなことに、携わる人が、出てくれば、科学の最前線で、活躍したいと思う人々は、大いに助かりそうだ。そんな機運に、水を掛けるようだが、本当の意味での理解を、求めているなら、それは、やはり、不可能というものだ。こんな諦めは、第一に、確率という考え方への、理解の欠如から、来ているのだから。

* * * * * * * *

7月8日(金)−幇間

 発言の機会を得て、一部の人々は、水を得た魚のように、生き生きと、している。所詮、個人の営みであり、他人のことなど、気にする必要は無い、のは確かだが、それでも、仕組みの中に、入り込めば、発言の全てが、投げ入れられる。これこそが、SNSの功罪なのだ。
 はじめは、発言への賛同の意思を込めて、「いいね」という挙動を示す。発言者は、数多くの賛同を、得ようとして、価値のある発言を、書き込もうと努力する。状況を把握し、正しい動静を、掴んだ上で、論理を磨き、大衆の納得を、集めようとする訳だ。この過程では、様々な能力を、高めることに、繋がるのだが、ある線を越えると、様相が一変する。賛同者の多くは、支持者という立場を、表明することで、件の人物の発言を、漏らさずに、受け取ろうと動く。その繰り返しが、類似の考えを、持つ人々の間で、行われれば、互いに、賛同を得ることで、意を強め、全体として、意見の向きが、ある方に強まることが、起きる。現実の社会でも、同様のことは、起きてきたのだが、仮想空間では、かなり事情が、異なってくる。どこの誰とも知れぬ相手に、強い支持を示し、仲間意識が、高まることとなる。が、殆どの場合、ほんの一面を、捉えたに過ぎず、それが、仇となることも、屡々起きる。そのまま、仮想空間での出来事に、留まるのなら、現実社会には、何の影響も、与えないのだが、事実は、小説より奇なり、となる。今、この国では、自分達の代表を、決める為の選挙が、行われているが、海の向こうの前大統領が、この道具を使うことで、1度目の戦いに、勝利しただけでなく、次の敗北後も、自らの勝利を疑わず、頑なに、不正を主張しており、支持者も、一部に過ぎないが、依然として、全幅の信頼を、置いているようだ。これと同じで、候補者達が、盛んに、この道具を使い、仲間内での賞賛を、確かなものとして、広げる事態には、違和感しか抱けない。何かが違うのだ。

* * * * * * * *

7月7日(木)−解決法は

 厳しい意見を、繰り返していると、まるで、他人事ばかりで、自分のこととして、考えていない、と思うかもしれない。確かに、自分自身は、世間とは、全く異なる考え方で、様々な事象に、取り組んでおり、結果として、誤った方向に、進まずにいられ、それなりの安全、安心を築いている。
 だが、それが、全てに当てはまるとは、限らないものだ。特に、感染症のように、ある程度、知れた相手に、関わる場合には、妄論に振り回される、世間の人々とは違い、苦も無く、解決策を、導き出せるが、何もかもが、予想通りに展開する、とは限らない。例えば、この独り言を、書く為に使っているのは、自宅のパソコンだが、つい先日、起動しなくなった。世界の大多数が、使っているのとは、異なるシステムで、だからこそ、危害に出会すことも、皆無だったのだが、果たして、人間相手ではなく、パソコン相手の、ウイルスに感染したのか、はたまた、単純に、機械の老朽化なのか。以前、家猫が、暴れたせいで、本体が落下して、画面を覆うガラスに、罅が入る程の被害が、あったのだが、それ以降も、何とか持ち堪えてきた。だが、そろそろ寿命、だったのかもしれない。製造者が、推奨する、修復法も、試みたが、今の所、芳しい結果は、得られず、依然として、起動できずにいる。仕方がないので、予備のシステムから、昨日も、今日も、独り言を書く羽目に、陥っているが、そんなこんなで、修復の目処は、全く立っていない。新しい機械を、購入すればいい、とは思うが、実は、そちらにも、別の問題が、控えている。先日、業務用に購入した、新機種では、新しいシステムが、立ち上がったが、そこで、ファイル転送に用いた、ソフトの最新版では、従来の更新法が、取れなくなってしまい、四苦八苦した。まだ、解決しておらず、大体の対処法は、構築できたものの、上手くいく保証は無い。そんな中での、この問題なのだ。便利な時代だが、事は、複雑化しており、難しさは増した。

* * * * * * * *

7月6日(水)−意味の消失

 連日、数値の増減を、せっせと伝える報道に、視聴者は、一喜一憂を、繰り返すのか。それとも、もう聞き飽きたから、右から左へと、すり抜けるだけか。何れにしても、無駄な労力と、無駄な資金を、使い続けることに、意味は無い。だが、この国の人々は、自分から止めるのは苦手だ。
 明らかに、間違ったことさえ、自分から先に、止めようとするのは、憚られる。そんな言い訳が、通用するのが、この国の特徴の一つ、なのかもしれない。だが、一方で、無駄な金の流れは、一部の人々の、懐を潤し続け、一度掴んだ機会を、逃したくない、とばかりに、使い古された脅し文句を、何度でも、繰り返している。大衆の為、との態度を、決めているように、大真面目で、愚論を繰り返す専門家は、画面から、消えることなく、同じ論調を、続けている。彼らの懐に、どれ程の金が、流れ込んだか、知る由も無いが、まさか、人道的な立場から、無償で、働き続けている、などと思う、無垢な人は居ないだろう。では、世界は、どんな方に向かっているのか。当初は、世界機関が、発表する数値を、どの報道機関も、頼みにしていたが、それが、恣意的操作が、施されたもの、と知れた途端に、別の発表へと、鞍替えしていった。その先にあったのは、海の向こうの大学が、日々発表する数値で、研究に携わる人間が、中立的な立場から、何の操作も加えずに、発表されるものとして、全幅の信頼を、得てきた。ここでも、何度も取り上げたが、そのサイトが、どうなったのか、久しぶりに訪問してみた。世界地図も、国内の地図も、消え失せており、各国の動向を、眺める手立ては、失われた。これは、管理者の責任ではなく、おそらく、各国が、日々の陽性者等の動向を、発表しなくなったからで、多くの国が、その意味を、認めなくなった証左だろう。それに対し、こちらでは、依然として、伝え続け、最高値更新などと、騒ぎ続ける。病気の怖さは、重篤化にあるが、何だと思っているのか。

* * * * * * * *

7月5日(火)−埋め戻し

 科学的手法を使って、状況を把握、分析し、そこから、結論を、論理的に導く。当たり前のこととして、この場で、何度も、取り上げてきたが、その効果があるとは、思っていない。何故なら、世の中には、そんなものが、全く通用しない、頭の固い連中が、溢れており、偉そうにするからだ。
 はっきり言えば、諦めている。だからこそ、この騒動に対し、当初から、騒ぎの発信源が、自らの不明を詫び、収束あるいは終息を、宣言するしかない、と書いてきた。普通の論理が、通用しない、頑なで愚かな人々でも、固執する考えの、根源そのものが、崩れてしまえば、立つ瀬は無くなる。発信源は、常に、科学的見地を、基礎として、騒動を起こしたり、馬鹿げた言説を、ばら撒いているが、その根拠が、確かなものか、不確かなものかに、関わらず、世界中に、ある固定観念を、植え付けてきた。今回の騒動では、それに、泡銭に群がる人々が、加わることで、先の見えない暗闇を、進まざるを得なくなった。こうなると、科学は、不信の対象となり、それに基づく、論理には、拒絶反応が起きる。この状況では、賛否、何に与しても、論理の欠片も無い、暴論が飛び交い、罵り合いが展開する。その中で、無敵なのは、自己満足に浸る人々と、その支援者だろう。非論理的な言説は、単に、心理的な安心を、得るだけのものだけに、嫌悪の対象には、理解の可能性は、皆無となる。こんな中では、論理的な説明は、無力でしかなく、敵対する人々は、互いに、相手の主張の、欠陥ばかりを指摘する。一見、議論の余地が、あるかのように、見えるだろうが、現実には、その可能性は無い。そこでは、科学は、無用の長物であり、好き嫌いが、全てとなる。互いの土俵では、それぞれに、不安を持ち出せば、相手を、排除できる。根拠は、一切必要無い。自分が、不安だから、と言えば、それで終わりだ。不安を煽る戦略が、こんな泥沼を、作り上げた。だから、作った連中が、埋めるしかない。

* * * * * * * *

7月4日(月)−迷惑千万

 世界各地の端末から、最新の情報が、届けられる。素晴らしい時代になった、と思う人も居るが、果たして、どうだろう。次々に、届けられる情報は、まさに、玉石混淆であり、嘘や出鱈目の方が、遥かに大量に、押し寄せる。それに、加担する人も居て、素晴らしいとは思えぬ。
 こんな時代に、気をつけること、として盛んに紹介されるのが、情報の取捨選択だが、上手く行っていないからこそ、強調されるのだろう。これは、電話やネットで、盛んに行われる、詐欺と同様であり、根絶は不可能に思える。理由は、簡単だ。騙される人が、居なくならない限り、詐欺が無くなる筈が無い。同様に、SNSに氾濫する、不正確な情報や、悪質と言われる、意図的な嘘や出鱈目に、まんまと騙される人も、居なくならないだろう。犯罪紛いのものも、大きな問題だが、善意と考え、嘘の拡散に加担したり、話題の主を、糾弾するなど、犯罪の意図など、微塵も無いものさえある。実は、悪質なものも、善意によるものも、どちらにも、共通点がある。それは、自己満足の感覚だ。人を騙そうと、意識したとしたら、騙せたことに、満足するだろうし、善意となれば、その善行自体を、満足の対象とする。本来なら、自分の意見が、世界を飛び回ることなど、起きる筈も無かった。ところが、この端末と仕掛けにより、誰もが、有名無名に関わらず、世界へと発信でき、その行為に満足を得る。同意や支援を、得られる仕組みも、満足感を高めており、それが、この輪が、急速に広がり、大統領だろうが、市井の人だろうが、無関係に、発信できる。これまでなら、独り言を、呟くのが精々だったのが、この変化は、余りに大きい。懸念するのは、これが、仮想空間に留まらず、実空間にまで、大きな影響を、及ぼし始めたことで、例えば、昨日取り上げた書籍のように、役立たずの意見が、権威ある世界に、広がることさえ起こる。自己満足は、他人とは無関係で、自己の中に留めるべきでは。

(since 2002/4/3)