パンチの独り言

(2022年7月18日〜7月24日)
(腐敗臭、賞味期限、有耶無耶、専門馬鹿、どうする、一筋の光、安全神話)



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7月24日(日)−安全神話

 安全神話が、また崩れたとされる。政府の要人だった人物が、暗殺されたという報道に、驚いた人も、多かったに違いない。そして、凶悪な事件とは、縁遠い社会に、凶弾に倒れるなんて、危険極まり無い、と思って人も、多かったろう。だが、少し考えると、大きく違うことに気付く。
 海の向こうの、乱射事件で、多くの犠牲者が、出ることには、無差別という、大きな括りがある。それは、最近も、頻繁に起きている、町の、人が集まる場所で、犠牲者が、沢山出ていることで、簡単に理解できる。もう、随分時間が経過して、詳細については、多くの人々が、既に忘れているだろうが、映画館や劇場で、起きた事件は、誰か、特定の人物を、標的としたものではなく、単に、多くの犠牲者を、出すことで、事件の重大性を、世の中に訴えようとする、犯人達の意図が、表に出ている。それに対して、こちらの事件は、特定の宗教集団との関わりが、強調されるものの、標的となったのは、ある人物であり、彼以外には、幸い、犠牲者が出ずに済んだ。凶悪事件として、同じ扱いを、しようとする人も、沢山居るだろうが、実際には、名の売れた人物であり、政府などの要職についていた、人物が、標的となったのだ。だから、事件の重大さは、確かに、あるにはあるだろうが、一般の人々にとって、次は自分が、という可能性は、殆ど無いに等しい。そこに、大きな違いがあるのだ。だからと言って、安全神話が、崩れていないか、と問われれば、やはり、そうではない、と答えるだろう。ただ、一般庶民にとっての、重大性という意味では、大きな違いが、歴然とあるに違いない。こういう違いに、目を向けることなく、ただ、闇雲に、騒ぎ立てるのは、もう、いい加減にしておいた方がいい。無駄でしかなく、何の役にも立たず、また、それを糧に、何かを、変化させようとする動きが、出鱈目になるだけだからだ。

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7月23日(土)−一筋の光

 世間の動きに、合わせるように、ここでも、様々に論じてきた。だが、この所、どうにも表現できぬ、やり切れなさに、悩まされている。自ら、正しいと思う所を、書き連ねてきたが、結局、何の変化もなく、ただ、虚しさばかりが、大きくなる。所詮、こんなことは、無駄か。
 少し、弱気になっているが、実際に、無駄と思う訳でもなく、また、自分なりの意見をまとめ、それを、書き連ねることに、意味があると信じている。ただ、世の中が、あまりに腐敗し切っており、馬鹿げた意見や、乱暴な言動に、惑わされることが、あるだけなのだろう。面と向かえば、厳しい意見を打つけ、反論を、悉く論破できるが、見えない相手では、何の感覚も、浮かんでこない。こんな時代には、ただ、暴走するだけの人間や、他人のことなど、気にも留めない人間だけが、自己満足に浸り、主張を続けられる。何の中身も無く、ただ、暴言を連ねるだけで、益どころか、害しか及ぼさぬ人間だけが、悦に入ったまま、妄言を、吐き続けられる。社会とは、もっとましなもの、と思ってきたが、この所の状況から、好転する気配は、見えてきそうに無い。それより、害悪だけが、撒き散らされ、それに同調する人間が、状況を、悪化させるのみで、自らの不明に、気付くことも、論理破綻に、気付くことも無く、自己満足の輪が、広がるだけなのだ。一体全体、人間は、どうなってしまうのか。それとも、所詮、人間とは、この程度の動物であり、本能に生きるより、欲望のみに走り、自己満足を、得られれば。よしとするからこそ、こんな状況が、築かれてしまったのか。ただ、そんな中でも、自分は、違うのだと思うことで、何かしらの光を、見出そうとしている。これが苦しみではなく、楽しみにならねば、ならないのだろうが、さて、どうしたものか。もう少し、明るい兆しが見えても、良さそうに思うのだが、暗闇が続いている。それとも、目が閉じたままなのか。開けば、変わるか。

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7月22日(金)−どうする

 何を、論じようが、個人の自由、と思われてきたが、どうだろうか。表現の自由は、保証されるのが、当たり前、とされてきたと思うが、最近、風向きが、怪しくないか。各自が、独自の意見を、社会に投げかけ、互いに、自由な議論を、交換できる。ごく、当然のことだ。
 しかし、世界全体で見ると、当たり前、とは言えない場合も、数多くある。軍事侵攻を、続ける国は、国民に対して、言論統制を、厳しく敷いている。ただ、誰もが、情報発信できる時代には、発信源が、特定されるまでに、好き勝手な意見を、出すことができる。と言っても、大部分の国民は、そんなことに、興味は一切なく、ただ、政府が決めた考え方に、同調すればいい、と思うだけだ。一方、それに比べたら、遥かに大きな自由を、保証される国でも、情報統制は、行われており、それに従うことで、不利益を、被る人が、居ない訳では無い。ただ、ある筋が、制御して、統制する情報に、従うこと自体が、即座に、命を奪われたり、大きな不利益を、被るとは限らない。全体の流れに、従っておけば、何の心配もせず、気楽な毎日を、過ごすことが、できるのなら、その方が、庶民にとっては、遥かに大きな利益を、もたらすからだ。但し、この状況に関しては、一時的なことと、長期的なことで、大きな違いを、生じる場合がある。そこが、多くの論者が、統制を警戒し、何が正しいのか、各自なりの判断を、下す必要がある、とする点だろう。ただ、これとて、今後、どんな展開が起きるかで、全く違った結果が、起きるのだから、困ってしまう。では、どうすればいいのか。これもまた、人それぞれだが、誰かの指示に従い、それを追うことで、よしとするのなら、それで良い。一方、自分なりの判断で、何事も、決めたいと願うのなら、そちらでも良い。どちらにすべきかを、決めるのは、所詮、自分なのだ。それを忘れて、結果から、違うことを、言い出すのは、明らかな過ちだ。どうする?

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7月21日(木)−専門馬鹿

 科学への不信感が、募り続ける中、肝心の科学者達は、何をしているのか。以前なら、庶民から見れば、圧倒的な知識を基に、正しい判断を下し、人々に、恩恵をもたらす、というのが、彼らの役目だったが、今は、怪しいどころか、完全に、それに反する言動ばかりが、目立つ。
 この違いを、産んだのは、情報提供の仕組みが、大きく変化したことだ。誰もが、蓄積された知識に、接続可能であり、きちんと、目的を定めれば、正しい状況判断が、下せる。こんな時代には、科学者の方が、自らの拘りに、縛られてしまい、視野狭窄に陥り、客観的な判断さえ、できなくなる。現状は、まさに、そんな状況にある、と言えるのではないか。今回の騒動でも、救世主と目された、ワクチンの効果に関し、科学者達は、感染を防止し、根絶させる為に、大多数の人々の、接種が不可欠との、主張を、当初繰り返していた。いわゆる、利他的行動、と呼ばれるもので、その点を、強調する風潮が、一時高まったが、その戦略は、すぐに崩壊した。理由は、簡単で、感染防止どころか、発症さえ、妨げられず、唯一の可能性として、重症化を防ぐ、という効果が、後付けで、加えられただけだった。これでは、学者の信頼は、地に堕ちるしかない。そこに、拍車を掛けたのが、免疫効果の減退が、著しいことで、これもまた、結果論として、説明に加えられたが、事実としても、その絡繰りが、見えてこないことが、不信感を、更に高めた。こうなれば、一部の信者を除けば、皆が、信頼できないのも、当然の成り行きだ。最近、専門家の中で、評価が高いとされる人物が、掲げていた話も、噴飯物でしかない。曰く、「オミクロンは単なる風邪」という意見は、間違っており、この病原体は、変異を繰り返し、免疫機能をすり抜けるのだ、というものだが、庶民が言う、「単なる風邪」とは、その症状のことであり、病原体の変異など、全く眼中に無い。こういう時に、自分の考えに固執し、無知蒙昧に、教えてやるとの傲慢な態度を、示すこと自体が、科学の不確実性を、見失った、愚か者のやることでしかない。

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7月20日(水)−有耶無耶

 大災害が、起きる度に、この国が、世界中から賞賛される。それは、混乱の最中、皆が、社会秩序を守り、過激な行動や、身勝手な言動を、慎む姿だ。現実には、映像に出ない所で、悪事の数々が、引き起こされている、との指摘もあるが、真偽の程は、確かではない。
 心の中では、勝手なことを、考えていても、それを、実行に移すことなく、粛々と、物事を進める。その姿は、単に、冷静さを、保つことだけでなく、秩序の重要性を、優先させている、様に映る。それに比べると、先進国と雖も、混乱の最中、略奪が起きたり、秩序が乱れ、法治国家とは、とても呼べぬ事態に、陥ることが多く、まして、発展途上国では、それは、さらに極端な形に、現れてくる。その違いが、何処にあるのか、何度も、議論に上るが、真の理由は、定かとはなっていない。従順な国民性を、強調する人が、最も多いのだろうが、それと、冷静さは、結びつかないし、一方で、指示待ちだけでは、説明できない事態も、数多く起きている。確かに、こういう風潮が、安全な国を築くのに、一役買っていただろうし、だからこそ、慌てふためくことなく、落ち着いて、最善の対処に、出ることができたのだろう。だが、今回の騒動は、どうだろうか。死者の被害が、他国と比べて、著しく低いのも、その御蔭とする向きもあるようだが、明確ではない。また、当初、接種率が、低迷した時も、従順さから、仕組みの構築が済むと、一気に高まり、問題解決した、とされた。だが、本来なら、ほぼ全員の、接種が完了する筈が、現実には、そうなっておらず、ここでも、国民性とは、何か違う要素が、あるようにも感じられる。その上、世界的にも、対策として、できることは、残っておらず、社会的な制限より、個々の判断に、委ねる傾向が、強まる中、この国は、依然として、従来のまま、指示待ちを維持している。ある意味、有耶無耶に終わるしか、なさそうに思えるが、どうだろう。

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7月19日(火)−賞味期限

 企業活動において、収益は、通常、製品の売り上げか、あるいは、何らかの便宜を、図ることにより、売り上げを、得るかで、手に入れる、と言われる。一方で、投資に関しては、それらに対する、期待の大きさで、収益が決まる、とも言われる。ただ、何方にも属さないものも。
 相場に関わる人々は、企業収益が、どんな形で、上げられるかを、予想することで、相場の動きを、先読みして、利益を上げていく。これは、それぞれの企業の、活動に、直接関わらない、という意味では、何の問題も生じない。しかし、企業の経営者や、役員達が、その見通しを、示すだけでなく、そこから、相場の動きを、誘発させることで、利益を上げた場合、大きな問題となる。件の人物は、電気自動車の開発で、一儲けを企んで、ここ数年、活躍し続けてきた。一般の投資家から見て、特に、不思議に映ったのは、何の製品も、量産できないばかりか、完成させていなかった時期でさえ、株価が上昇を、続けていたことであり、それは、確かに、先の見通しからくる、先行投資の一つだったには、違いないのだろうが、それにしても、何時、身売りをするのか、という推測さえ、飛び交う始末だったことだ。結果として、本国でも、競合する大国でも、量産体制を、築き上げたことで、結果として、問題なく映ったろうが、どうにも解せない状況が、あれ程長く続いたことに、強い懸念が、あった筈だ。にも拘らず、経営者は、ビクともせず、常に、最先端技術を、開発することで、企業として、成長し続けることを、約束していた。そこに、違和感を、抱いた人は、数多く居たろうが、今となっては、そんな連中は、先見の明がなく、儲け話を、逃した愚か者、扱いされている。だが、囀りの騒動でも、発覚したように、彼の振る舞いには、勝者の驕りが、満ち溢れており、解せないだけでなく、崩壊への道を、歩んでいるように見える。何か、裏があり、それが、露呈するまでの、寿命に思える。

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7月18日(月)−腐敗臭

 今や、平和惚けと揶揄される程、能天気な空気に満ちた、この国でも、半世紀程前までは、学生を中心とした、政治活動が、盛んだった。当時の、批判の矛先は、富裕層に向けられ、徹底批判という、闇雲な攻撃が、繰り返され、無差別な騒動も、数多く、起きていた。
 だが、昔も今も、貧富の差は、海の向こうの大国と比べたら、僅かなものであり、それを、社会問題とすべきかは、かなり怪しげに思う。一方、今や、経済大国にのし上がった、隣の大国も、当時は、大革命と称する、大規模な国家活動が、進行中であり、国の体制から、貧富の差は、余り無いものの、権力の差が、歴然としており、それを、批判の対象として、地位の高い人々への、徹底批判と、自己批判が、盛んに行われ、社会の荒廃が、強まっていた。政権の継続が、目論まれている中、嘗ての活動の復活が、起きるのでは、との懸念も広がるが、今度は、地位だけでなく、富の違いが、引き合いに出されるだろう。一方、相変わらず、貧富の格差が、縮まるどころか、広がり続ける、海の向こうでは、富裕層に対する、批判は、強まり続けるが、その半面、不可解な状況も、生まれている。つまり、良い金持ちと、悪い金持ちの、区別というものだ。社会制度の問題から、富裕層の多くは、節税対策として、多額の寄付行為を、行なっているが、その意図が、どう解釈されるかで、良悪の区別がなされ、また、そういうこととは、無関係に、好悪に基づくとしか、思えない基準で、区別が行われている。電気自動車の開発で、一財を成し、多方面への進出で、話題に事欠かない人物も、財産の多さだけでなく、発言などの影響力の強さから、注目を浴びる。先日から、囀りの企業を、買収するとの報道があり、株価の乱高下を、招いていたが、彼独自の理由から、中止決定を、発表したとされる。企業から、契約違反とされたが、決着は、どうなるのか、さっぱり分からぬ。この人物、やはり胡散臭い。

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