パンチの独り言

(2022年8月15日〜8月21日)
(新発見は、想定内のみ、見た目大事、何の把握、正しいのは、優先順位、論理説明)



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8月21日(日)−論理説明

 縄を解く手立ては、厳しい規制をかける、分類から外すしかない、という点は、もう既に、多くの人々が、認識している。だが、一部からは、例の如く、強い不安の声が、上がっている。植え付けられた、死の恐怖を、拭い去れないのだ。まるで、洗脳のように、染み付いている。
 再び、論理的に、考える必要がある。隔離政策が、始まったのは、発生国とも、揶揄される国だが、検査による、地域全体の、全数把握により、陽性者を特定し、発症の有無に関わらず、隔離するものだ。当初、騒動の元凶である、世界機関から、絶賛されたが、その後は、無駄とか無意味とか、身勝手な変わり身に、晒されている。世界機関からの、強い要請と共に、自国の専門家からの、助言もあり、世界各国は、ある時期まで、同じ手法を、試みてきた。しかし、そこには、致命的な違いが、存在した。前者は、全住民に、検査を強制し、文字通りの、全数把握を、行ったのに対し、後者は、選んだ人間しか、対象としなかった。理由は、簡単で、資金と自由主義が、妨げとなったからだ。にも拘らず、この国では、今更ながら、全数把握という言葉を、平気で用い、その見直しなどと、呆けている。一部専門家からも、その意味の無さを、指摘する声が、上がっているが、それをも、またぞろ、無視し続ける。愚か者の行状は、所詮、この程度だが、把握の目的を見誤り、その上で、愚行を続けるのは、非論理の故だろう。一方、定点把握、などという言葉が、突然出てきて、首を傾げた人も多い。実は、この手法は、従来から、流行性感冒などに、使われたもので、地域の病院を、一部選び出し、そこでの状況から、地域全体の動向を、把握するものだ。そこで、二つの問題が、出てくる。一つは、今の分類では、この選択肢は、排除される為、まず、分類変更が、必須となることだ。もう一つは、病院での状況は、あくまで、発症者対象であり、検査陽性は、優先されない。簡単な論理ではないか。

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8月20日(土)−優先順位

 まさに、自縄自縛を、地で行くようだ。と言っても、最近、盛んに報道される、宗教と政治の問題、ではない。いつまで続くのか、終わりを見せようともしない、作られた騒動の顛末だ。それも、出鱈目に縛り上げ、解き方さえ、見つからない始末。愚に愚を重ね、緒さえ見えぬ。
 既に、多くの人々が、気付いているが、事の発端で、選択を誤ったのが、全てだろう。この国では、以前から、伝染病に対する、対処法が決められ、法律で、厳しく制限していた。しかし、どういう事情か、それが廃止され、別の法律が、制定された。そこでは、単に、一部の感染症を、厳しく取り締まるだけでなく、多くのものを、分類することで、それぞれの対処を、決めるという方針だった。その為、今回の騒動の主は、世界的な趨勢から、最大限の制限が、必要となり、そう分類したのだ。しかし、その判断で、幾つかの過ちを、犯していた。病気の本態を、確認しなかったことや、感染の実態を、見極めなかったことだ。それにより、隔離政策が、感染拡大抑制に、効果を示すかが、不明瞭となり、混乱を来した。一方で、病態への理解が、進まぬままに、現場対応を、強いたことが、別の混乱をも、引き起こした。その度に、新たな措置を、繰り出した結果、自らを、縛り上げただけでなく、順序さえ、前後する事態に、解き方は、わからなくなった。そこに来ての、大規模な方針転換は、組織全体に、大恐慌を、引き起こし始めた。あれやこれや、問題指摘は、なされるが、解決の緒は、一向に見出せない。途方に暮れ、好き放題の提案が、飛び交い始めたが、如何に、無能な輩と言え、国民の命を預かる以上、投げ出すことは、あってはならない。要するに、時間を戻せば、最初の縛りが、何だったかは、明らかだ。問題は、感染症の危険度を、どう定めるかであり、それを、長期に渡る調査から、導き出せば、答えは簡単に出る。社会では、感染防止ではなく、治療を優先するだけだ。

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8月19日(金)−正しいのは

 従来から、流行性感冒では、発症者について、どの型の病原体を、保有するかを、抗原検査によって、確認すること、とされてきた。その上で、既知のものでなく、全く新しい型が、特定された場合、厳しい制限をかける、という感染防止策が、取られてきたのだ。
 だが、前に触れたように、学界では、封じ込めには、更なる方策が、必要との考えが、主流となったらしく、発症の有無に関わらず、全ての人を検査して、病原体の保有を、確認する必要がある、との方針が、出されていた。今回の騒動では、当初から、その戦略が採用され、完全な封じ込めを、高らかに謳った国と、その支援に、回った世界機関は、遺伝子増幅技術を用い、病原体の有無を、確認する手法を、導入してきた。その時点では、新たな病原体に、特異的な抗体は、存在しなかったから、こちらの手法を、用いたことには、何の間違いも無い。だが、抗原検査について、ある程度の知識が、あったのに対し、増幅技術が、どの程度の、信頼性を有するか、未確認のままの、見切り発車であった。この風邪の一種の、発症と体内の病原体の分布についての、知見が全く無く、何をもって、感染者とすべきか、の基準も存在しなかった。このことが、用語も含め、世界の大混乱を招き、馬鹿げた騒ぎを、長く放置することとなった。現在は、抗原検査も可能となり、比較ができるのだが、それとて、怪しげな状況にある。海の向こうの大統領夫人が、感染したとの報道に、注目した人は、殆ど居ないが、彼女の場合、抗原では陰性、増幅では陽性、とされた。報道では、common coldとあるように、ただの風邪の症状を示し、検査したが、片や陰性、一方は陽性となった。この状況は、精査の対象となるが、その気配は見えず、おそらく放置されるだろう。あの国では、世界機関に、諫言する筈の研究拠点が、同調することで、混乱を招いた。今、方針転換したが、どうなるか。何も変わらないか。

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8月18日(木)−何の把握

 全数把握の見直しが、検討されるとの報道は、一つ覚えを、繰り返す風潮が、改まるか、という期待を、持たせただろう。しかし、この国の役所の得意技の一つ、とされる、現場の混乱の末、という理由では、筋が通る筈が無い。またぞろ、専門家達が、不満を掲げた。
 筋を通す為には、何が必要か。これ程明白なことは、無いのだが、カチコチ頭の役人には、思いつかないらしい。というより、反対の声を上げた、専門家達に、主たる責任がある。把握の目的は、調査解析だろうが、それを、とことん怠った結果、何の結論や対策も、導き出せぬ為体に、現場の混乱への、労いの声は、絞り出せぬ。だが、統計の命運は、継続にあるのが、筋というものだ。そこに、目を向けるべき、という提言は、当然だが、その実、統計への無知を、曝け出したのが、一部のみの継続、という妥協案だ。結局、集めた数値は、ただの塵と化し、打ち捨てられ、忘れ去られる。この騒動から、学んだことは、何も無い、となる訳だ。これまでも、科学の重要性を、盛んに、訴えてきたが、今回の騒動では、非科学的な言説が、罷り通るばかりで、専門家達が、結果的に、科学を蹂躙した。データ収集は、科学的解析に、不可欠な要素だが、その行為だけで、整理した上での、傾向抽出を、行わなければ、何の役にも立たぬ。例えば、死者急増の要因とされた、過激な免疫反応が、人々の体質から、来るものならば、遺伝的要因が、可能性の一つ、と考えられる。すると、要因保有者が、死亡すれば、その数は、自ずと減り、ある頂点を境に、死者数は、減少へと転じる。要因を、特定せずとも、その傾向を、解析すれば、答えは導き出せる。これは、ワクチン接種の有無とは、無関係な要因だから、それを加味すれば、別の因果関係を、見出せるだろう。他にも、数多、解析対象はある。だが、宝の山を前に、手を拱く専門家は、無能の輩と見るべきだ。塵は、数値も人間も、打ち捨てておけ。

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8月17日(水)−見た目大事

 この国の人々が、世界から、奇異な目を向けられた、社会現象がある。騒動以前から、感冒の流行が、広がり始めると、街行く人々が、白いマスクを、着用するのだ。被害が、抑えられていた当時、これこそが、その最大要因、と訴えた人々が居たが、現状を見ると、空振りだった。
 何故、この国の人々が、口を覆うことを、好むのか、理由は定かではない。ただ、横並びを好む、国民性では、意思表示の一つとして、目に見える形での、態度表明が、責任逃れの最適解、だったのかもしれない。一方で、その効果の程は、どうだろうか。被害者の急増で、多くの国が、着用を、義務化した時、関係者の多くは、その効果を、最後の頼みとしていた。この国での、被害の低さも、理由の一つだった。だが、その後の経過から、ただのポーズとしての、着用は、単なる、責任逃れで、実効性は、殆ど無いもの、とされた。だからこそ、この国以外に、着用義務を、継続する国は、数える程しか、残っていない。それに対し、医療現場では、当然の如く、世界の何処でも、着用を、当然としている。この違いは、着用そのものではなく、そのやり方の違い、から来ている。騒動が、始められた頃、専門家と称する人々は、盛んに、正しい着用法を、紹介していた。厳密に言えば、当然のことだが、それに加えて、種類の問題も、絡んでくる。供給不足が、深刻となり、特殊なマスクを、着用できない状況では、着用法の問題は、瑣末となり、専門家でさえ、出鱈目な使い方を、平気でした。その中、依然として、お守りの如く、多くの人が、着用し続ける。一方で、感染症より、遥かに恐ろしい、熱中症の季節となり、見た目重視の、責任逃れが、別の災いを、招くこととなった。だが、一つ覚えの人々は、人前で、外せないまま、窮地に陥る。周囲が、無人でも同様だ。恐怖を、ばら撒いた人々の、こちらへの警告は、何の効果も無い。この現象も、外から見れば、摩訶不思議となる。

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8月16日(火)−想定内のみ

 騒動を始めてから、新たな調査が、行われたかは、定かではない。否、調査は、確かに行われ、それを基に、数々の論文が、発表されている。だが、そのほぼ全てが、騒動を起こした勢力にとり、好都合な結果のみで、想定通り以外には、何も、発表されていない。何故なのか。
 こちらの理由は、明白だろう。騒動を続け、その間に、研究も商売も、濡れ手に粟の状況を、続けられるのだ。世界中の人々を、狂気の渦に巻き込み、その隙に、研究費も、開発費も、求めるがまま、好き勝手に、使い放題となる。その上、効用が不確かな、開発薬を、言い値でばら撒き、何の役にも立たぬ、研究を、さも大発見の如く、掲げることができる。後年、あの騒ぎは、何だったのか、とばかりに、批判が集中するに、違いないのだが、今は、そんな茶番劇が、演じられ続けている。私利私欲に、走る人々を、窮地に追い込むには、何が必要か。一つには、ほんの少しの知恵を、働かせるだけで、十分なこともある。それは、何度も取り上げた、検査陽性者という、馬鹿げた代物を、徹底批判することだ。その為には、それにまつわる、隔離政策との、矛盾を指摘する、調査結果が、必要となる。現時点で、この国では、一つ覚えの隔離を、続けているが、陽性者や濃厚接触者への措置は、最低最悪のものだ。感染症対策で、発症者の隔離は、拡大抑止の、唯一の方策と言われてきた。それを、無症状の人間や、彼らの接触した人間に、施そうとした結果、医療現場の混乱は、極まった。重要なのは、学界が推奨した、検査陽性の必要性が、発症との因果関係を、明らかにすることなく、断言されたことと、それにまつわる、濃厚接触という、意味不明な分類を、隔離対象としたことにある。本来、専門家は、これらの関係を、明らかにした上で、対処法を、改善する必要が、あった筈だが、一つ覚えに拘り、既得権益を、失いたくない連中が、それを、妨げ続けた。筋書き通りの、いい加減な調査以外。

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8月15日(月)−新発見は

 今回の騒動を、始めた人々の、犯した最大の過ちは、病原体の脅威を、過大評価したことにある。こう書けば、多くの人々が、現実を見ろ、膨大な数の犠牲者が、出ているではないか、と糾弾するだろう。だが、大多数の反論では、この国の被害を、説明することができない。
 当初から、数え切れぬ程、死者数を、問題視してきた。発生国から、欧米各地に、飛び火し、死者が、急増した時点で、騒動の主達は、予想通りの展開に、悦に入ったろう。だが、当時から、盛んに指摘された如く、莫大な数の陽性者に対し、死者数は、割合としては、少なく止まり、その状況に、憶測が、飛び交った。曰く、過剰な免疫反応を、示す人々が、犠牲者になったというものだ。直後、そんな話が、飛び交ったものの、精査が行われることなく、因果関係も、掴めずにいた。これと、よく似た状況は、この騒動に関わる、調査全般に見られ、厳しい制限の必要性を、主張する人々が、世界各国で、社会全体に、制限を敷いたのに、一向に、効果が見られぬことに、庶民は、恐怖を抱く一方で、専門家の助言に、疑いを抱き始めた。感染防止策として、次々に、編み出された手立ても、確かな調査を、行わぬままに、続けられた結果、どれもこれも、無用の長物と、断じられてきた。困り果てた専門家と、彼らの助言に従った、各国政府に、救世主と目された、ワクチンに関しても、初期の期待とは、裏腹な結果と共に、統計処理の不思議が、施された結果、騒動の更なる長期化と、解決の糸口さえ、見えてこない、苛立たしさに、遂に、多くの国々が、騒動前と、殆ど変わらぬ体制へと、舞い戻ることとなった。それでも、一部の専門家は、感染症の恐怖を、訴え続けているが、彼らとて、一つ覚えの繰り返ししか、手立てを持たず、新たな知見が、手に入ることはない。その理由は、単純で、世界規模の大実験でも、定かなことが、何も見つけられないのだ。真の過ちは、これだろう。

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